生い立ち ―― 茅ヶ崎・野球部・ビートルズ
昭和31〜
神奈川県茅ヶ崎市に生まれる
父は上京後、映画好きだった影響で日本劇場に勤め、その縁で映画製作の盛んだった茅ヶ崎に移り住んで母と出会った。両親はのちに二人三脚でバーを営む。歌が上手いことで知られた父の真似をして歌ったことが、歌手を志すきっかけになったといわれる。
野球部と洋楽の少年期を経て、県立鎌倉高校の文化祭で初めてステージに立つ
1962年に茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校に入学。5、6年生のころ入浴中に父の勧めで歌謡曲を歌って「上手いね」と褒められた経験を、のちに音楽活動の原点に挙げている。1968年に入った茅ヶ崎市立第一中学校では野球部に所属し、同じ部にいたことがきっかけで宮治淳一との交流が生まれた。ジョン・レノンのファンだった姉の影響でビートルズなどの洋楽にも親しむ。1971年に鎌倉学園高等学校へ入学し、3年生になった1973年、宮治の誘いで神奈川県立鎌倉高校の文化祭のロック・コンサートに出演。ビートルズの「マネー」とエルヴィス・プレスリーの「ブルー・スエード・シューズ」を披露し、これが人前で演奏した初めてのステージとなった。
「EastWest '77」でベストボーカル賞、デビューのきっかけをつかむ
1974年、5校を受験して最初に合格の電話が来た青山学院大学に入学し、音楽サークル「BETTER DAYS」に所属する。関口和之と知り合って組んだ「温泉あんまももひきバンド」以来バンド名やメンバーの変更を繰り返し、1976年ごろから宮治の命名で「サザンオールスターズ」の名を使うようになった。1977年、ヤマハ主催のコンテスト「EastWest '77」に出場してベストボーカル賞を受賞し、デビューのきっかけをつかむ。父は学生時代の桑田に喫茶店の学校でバーテンダーの勉強をすることや自衛隊への入隊を勧めていたという。
本人今思うと、親父は僕のことをよく考えてくれていたんだなと思いますね 出典
サザンオールスターズ ―― 「勝手にシンドバッド」から
昭和53〜
— サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」でメジャーデビュー
ビクター音楽産業からシングル「勝手にシンドバッド」を発売し、サザンオールスターズとしてメジャーデビューした。8月には『ザ・ベストテン』のスポットライトのコーナーに初出演し、「目立ちたがり屋の芸人です」という桑田の発言がイメージの形成に拍車をかけた(後に台本による発言だったと明かしている)。「勝手にシンドバッド」はテレビ番組で披露されたこともあり、大ヒットとなった。このころはコミックバンドと見られたり、一発屋で終わる可能性が懸念されたりする風潮があった。歌謡曲全盛の時代に、桑田自身はサザンが歌謡曲と一緒にされないよう抗っていたと後年振り返っている。
本人それこそ「勝手にシンドバッド」とか最初の頃は、世の中的にも歌謡曲が全盛でしたので、そこと一緒にされて「サザンも歌謡だよね」と言われないよう抗っていたところがあった。 出典
出典ja.wikipedia.orgja.wikipedia.orgspecial.southernallstars.jp
— 「いとしのエリー」が125万枚のヒット、年末に紅白初出場
3枚目のシングル「いとしのエリー」を発売。出荷枚数は125万枚を記録し、「勝手にシンドバッド」で懸念された一発屋の見方を退けた。年末にはNHK紅白歌合戦に同曲で初出場する。同じ年、桑田は青山学院大学を除籍となった。
原由子と結婚、「チャコの海岸物語」がヒット
1月発売の「チャコの海岸物語」が「いとしのエリー」以来のヒットとなる。前年に桑田のプロデュースで「I Love Youはひとりごと」からソロデビューしていたサザンのキーボード・原由子と結婚し、後に2児が生まれた。同年、中村雅俊に提供した「恋人も濡れる街角」も50万枚近くを売り上げた。
ソロの始まり ―― バンドの外で書いた歌
昭和61〜
KUWATA BANDを結成、サザンは活動休止
原が産休に入るためサザンが活動を休止し、桑田は1月に結成したKUWATA BANDで1年間活動した。シングル4作はいずれもヒットし、唯一のスタジオアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』はシングル曲を収録せず全曲を英語詞で通した。同年と翌年の12月24日には自ら企画・出演した特番『メリー・クリスマス・ショー』が放送され、明石家さんま、松任谷由実、忌野清志郎らと共演している。
「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」でソロデビュー
10月にシングル「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」でソロデビューした。これに先立ち4月から1か月半、サザンの松田弘とともに渡米し、ダリル・ホール&ジョン・オーツと「SHE'S A BIG TEASER」をレコーディング。小林武史と藤井丈司が制作に加わり、打ち込み中心のポップス路線を展開する。翌1988年に共同プロデュースで1枚目のアルバム『Keisuke Kuwata』を発売した後、再びサザンの活動に戻った。
初監督映画『稲村ジェーン』公開、主題歌「真夏の果実」
1989年9月から自身が監督と音楽を務めた映画『稲村ジェーン』の撮影を始め、1990年9月に公開。賛否両論はあったが配給収入18.3億円で、その年の日本映画配給収入年間4位に入った。同年1月のアルバム『Southern All Stars』はサザン初のミリオンセラーとなり、7月に発売した主題歌「真夏の果実」は85万枚を記録した。
母の死を経て、アコースティック路線のアルバム『孤独の太陽』を発売
1993年7月にサザンの「エロティカ・セブン」がヒットした直後、再びソロ活動を始動し、10月に3枚目のシングル「真夜中のダンディー」を発売。1994年2月に母が心筋梗塞で60歳で亡くなり、当時の作風に影響を与えた。8月のシングル「月」に続いて9月に2枚目のアルバム『孤独の太陽』を発売し、楽器本来の音に着目したアコースティック・フォーク路線を打ち出した。
Mr.Childrenとの「奇跡の地球」が170万枚、4月にラジオ『やさしい夜遊び』開始
小林武史のプロデュースでMr.Childrenと組んだチャリティーシングル「奇跡の地球」を発売。半年間の期間限定販売で170万枚以上を売り上げ、収益金の全てがAct Against AIDS基金に充てられた。4月には現在も続くラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』が始まり、5月からサザンとしての活動を再開した。
デビュー20周年、ベスト『海のYeah!!』が累計480万枚
1996年7月のアルバム『Young Love』は250万枚近くを売り上げ、サザンのオリジナル・アルバムでは最大のヒットとなっていた。デビュー20周年の6月25日にベストアルバム『海のYeah!!』を発売し、累計480万枚でサザン最大のヒット作品となる。8月には2日間のライブ『スーパーライブ in 渚園』を開いた。
ソロとサザンを往復 ―― ミリオン、病、震災
平成12〜
— 「TSUNAMI」が約300万枚、日本レコード大賞を受賞
サザンの44枚目のシングル「TSUNAMI」を発売。300万枚近くを売り上げて「エロティカ・セブン」が持っていた最高売上を更新し、この年の第42回日本レコード大賞で大賞を受賞した。8月には地元の署名運動を受けて2日間の野外ライブ『サザンオールスターズ 茅ヶ崎ライブ』を開催。10月からはフジテレビ系で自身の冠番組『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』が始まった。
ソロ「波乗りジョニー」「白い恋人達」が連続ミリオン
この年、完全にソロ活動に移行。7月発売の「波乗りジョニー」が110万枚、10月発売の「白い恋人達」が120万枚を記録し、夏と冬のポップソングが続けてヒットした。翌2002年はバンド形態のロック路線に転じてアルバム『ROCK AND ROLL HERO』を9月に発売し、12月のベストアルバム『TOP OF THE POPS』は170万枚でソロ名義の最大ヒット作となった。
父が死去、喪主として「ラブユー東京」を歌う
2003年からサザン25周年の活動に戻っていた中、3月に父ががん性腹膜炎で亡くなる。葬儀・告別式では喪主として挨拶し、父が好んでいた黒沢明とロス・プリモスの「ラブユー東京」を生ギターで歌った。
サザンが無期限活動休止を発表、秋に姉を亡くす
前年の2007年には「明日晴れるかな」がオリコン1位、着うたでミリオンセラーとなっていた。デビュー30周年の5月、サザンが年内いっぱいで無期限活動休止に入ると発表し、8月にライブ『真夏の大感謝祭』を開催。10月には音楽性に影響を与えた姉が膵臓がんで亡くなった。11月にソロで『ひとり紅白歌合戦』を開き、翌年以降は本格的にソロ活動を再開する。
— 初期の食道がんを公表、手術を経て年末の紅白で復帰
毎年受けていた定期検診を半年以上早めて7月に受けたところ食道がんが見つかり、7月28日に公表。音楽活動を休止し、10月予定のアルバム『MUSICMAN』は発売延期、ライブツアーも中止となった。8月に手術を終えて22日に退院し、手術前から決まっていたシングル「本当は怖い愛とロマンス」を予定どおり発売。12月のNHK紅白歌合戦に特別枠で出演した。
本人生まれ変わった体で、新生・桑田佳祐として皆様とお逢いできる機会が持てることを、今から楽しみにしております 出典
東日本大震災後、「Let's try again」と宮城ライブで被災地へ
2月に延期されていた『MUSICMAN』を発売した直後に東日本大震災が起きる。所属事務所の後輩・福山雅治らとチーム・アミューズ!!を組み、自ら制作した「Let's try again」を5月に発売して収益を被災地に寄付した。9月11日にはセキスイハイムスーパーアリーナで『宮城ライブ 〜明日へのマーチ!!〜』を開催。震災後に同会場でライブを行った最初のアーティストとなり、自身にとっても病気後初のライブ復帰だった。
再結成から古希へ
平成25〜
— サザンが活動再開、茅ヶ崎市民栄誉賞を受賞
前年7月にソロ25周年のベストアルバム『I LOVE YOU -now & forever-』を80万枚に迫るヒットとしたのち、デビュー35周年の6月25日にサザンの活動再開を発表。7月には地元有志の働きかけで茅ヶ崎市民栄誉賞を受賞し、授賞式は茅ヶ崎公園野球場でのサザンのコンサートのステージ上で行われた。8月の「ピースとハイライト」はオリコン首位となり、シングルで1980年代から2010年代までの4年代で首位を獲得した国内初のグループとなった。
本人茅ヶ崎で生まれた幸せ、誇りを胸に刻みます 出典
紫綬褒章を受章、年末にサザンで31年ぶりの紅白
長年の音楽活動が評価され紫綬褒章を受章。驚きながらも「身に余る光栄」と語り、伝達式には妻の原を伴って出席した。年末にはサザンとして31年ぶり4度目のNHK紅白歌合戦にシークレットゲストとして中継出演し、「ピースとハイライト」「東京VICTORY」を披露した。
デビュー40周年、紅白で「究極の大トリ」
前年2017年にはソロ30周年のアルバム『がらくた』が35万枚を超え、その年の男性ソロアルバムで最大の売上を記録。2018年はサザン40周年で、8月にベストアルバム『海のOh, Yeah!!』を発売した。11月の『第三回ひとり紅白歌合戦』をもって1993年から続けたAct Against AIDSの活動を終える。大晦日の第69回NHK紅白歌合戦には紅白の枠を超えた「究極の大トリ」として登場し、「希望の轍」「勝手にシンドバッド」で平成最後の紅白を締めくくった。
初のミニアルバムで男性ソロ初の5年代連続首位
2021年3月に初めてブルーノート東京で無観客ライブを行い、9月に初のミニアルバム『ごはん味噌汁海苔お漬物卵焼き feat. 梅干し』を発売した。オリコン週間1位となり、男性ソロアーティストとして初めて1980年代から2020年代まで5年代連続のアルバム首位を記録した。これに先立つ2019年には桑田佳祐 & The Pin Boys名義で「レッツゴーボウリング」を出し、自ら主催するボウリング大会「KUWATA CUP」も開いた。2020年には民放5局の東京五輪共同企画の主題歌「SMILE〜晴れ渡る空のように〜」を公開している。
同級生4人と「時代遅れのRock'n'Roll Band」、年末にドームツアー
自身の呼びかけで、同学年の佐野元春、世良公則、Char、野口五郎とチャリティー配信シングル「時代遅れのRock'n'Roll Band」を発売。収益の一部は世界の子どもたちを守るセーブ・ザ・チルドレンに寄付された。11月にはベストアルバム『いつも何処かで』を発売し、12月にかけて全国ドームツアー『お互い元気に頑張りましょう!!』を開催。大晦日の第73回NHK紅白歌合戦には同曲で事前収録の形で出演した。
デビュー45周年、10年ぶりの『茅ヶ崎ライブ2023』
45周年の6月25日を前に、7月から3か月連続の新曲配信と秋の茅ヶ崎公園野球場でのライブを発表。9月27日から10月1日にかけて4日間開催された『茅ヶ崎ライブ2023』は7万2000人を動員し、全国約270の映画館へのライブ・ビューイングを合わせると27万2000人が見た。翌2024年は新曲「恋のブギウギナイト」「ジャンヌ・ダルクによろしく」を発表し、9月23日には最後の夏フェス出演として「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2024 in HITACHINAKA」に立った。
— 10年ぶりのサザンのアルバム『THANK YOU SO MUCH』、ツアーは75万人動員
1月に石川県産業展示館からツアー『THANK YOU SO MUCH!!』を始め、3月に約10年ぶり16作目のオリジナルアルバム『THANK YOU SO MUCH』を発売した。アルバムの制作が延び、完成前にツアーが始まる順序になった。アルバムはオリコン1位となり、グループとして史上初の1980年代から2020年代まで5年代連続のアルバム1位を達成。アリーナ8会場・ドーム5会場の計13箇所26公演は全公演がソールドアウトし、5月29日の東京ドームのファイナルまでに約75万人を動員した。
本人でも、ツアーを回らせていただいて、お客さんのリアクションなんかを見て、「ああ、やっとできたんだなあ」と実感しました。 出典
— 古希を迎え「NEW 70'S」を掲げてソロ始動、新曲「人誑し / ひとたらし」
70歳の誕生日に新しいアーティスト写真とティザー映像を公開し、自らを「NEW 70'S」と打ち出してソロ活動の始動を告げた。ソロとして約10年ぶりのCDシングル「人誑し / ひとたらし」は4月3日に先行配信、6月24日に発売。TVアニメ『あかね噺』のオープニング主題歌で、エンディング主題歌「AKANE On My Mind~饅頭こわい」など全7曲を収めたため、オリコンはアルバムランキングの対象として扱い、初週11.6万枚で1位に初登場した。70歳4か月での首位で、30代から70代まで年齢5年代でのアルバム1位となった。
本人「もう」とか「まだまだ」ではありません。むしろ、「ここから」が始まりだと思う次第であります。 出典
「夏祭りツアー 2026」夏編を宮城で完走
7月8日に石川から始まった約3年半ぶりのソロツアー『桑田佳祐 夏祭りツアー 2026』は、開催を見送った熊本公演を除く全国9会場20公演を回り、9月12日に宮城・セキスイハイムスーパーアリーナで夏編の千秋楽を迎えた。2011年に震災後初のライブを開いた会場での締めくくりで、終盤には自ら足を高く振り上げてステップを踏んだ。12月には愛知・大阪・横浜で計7公演の追加公演が組まれている。
古希を越え、ソロとサザンの二つの名義で歌い続ける
5月には「いとしのエリー」が自身の通算5作目のストリーミング累積1億回再生に達した。1995年から続くラジオ『桑田佳祐のやさしい夜遊び』を続けながら、年末の追加公演と熊本の振替公演の模索を残して「NEW 70'S」の活動を進めている。