目次
北海道から東大、そして商社の為替ディーラーへ
昭和33〜
北海道に生まれる
祖父が旭川市にあった地場証券会社の創業者だったこともあり、子供の頃から株式に関心を持っていた。ただ、自分で投資を試したのは就職してからになる。高校は北海道札幌南高等学校。
東京大学経済学部を卒業し、三菱商事に入社
東大への進学は、母親から離れて暮らすことが大きな目的の一つだった。大学では将棋部に入っている。三菱商事に決めたのは、将来為替ディーラーができる可能性のある財務部に配属してくれるという話があったからだ。最初は輸出代金の回収事務に就いたが、入社2年目の初期に為替ディーリングのチームへ移った。
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訃報:経済評論家・山崎元さんが死去――資産づくりに正義を乗せて | トウシル 楽天証券の投資情報メディア山崎元の投資事始め。新米時代の経験から得たもの | トウシル 楽天証券の投資情報メディアファンドマネージャーとして、山一の廃業まで
昭和60〜
初めての転職で野村投信へ
上司の決算操作を見つけて社内で告発し、為替ディーラーの仕事は約1年半で終わる。財務部のプロジェクト・ファイナンスの部署に移ったが、市場から離れた仕事がつまらず転職を考えた。ファンドマネージャーに挑戦したいというのが最大の理由で、新卒から約4年、最大手の証券会社系列の投資信託運用会社に移る。転職がまだ一般的でない時代で、最初の転職は大いに悩んだ。
本人「とりあえず、やってみよう」という割り切りです。 出典
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山崎元の投資事始め。新米時代の経験から得たもの(3ページ目) | トウシル 楽天証券の投資情報メディア山崎元の投資事始め。新米時代の経験から得たもの | トウシル 楽天証券の投資情報メディア約230億円のバランス・ファンドのファンドマネージャーに
当時の社長が「早くやらせてやろう」と言い、入社1年で、1986年2月に設定された「株式型エース8602」の担当になる。名前は株式型だが、国内株式を40〜50%、残りを外国株式・外国債券・国内債券に振り分けるバランス・ファンドで、規模は約230億円だった。株式運用の経験は全く無く、株式投資の入門書や必勝本を20冊以上、大学生や証券アナリスト向けの教科書も買い込んで読んだ。教科書の参考文献にあった米国の論文を読み、日本の株式運用に生かすやり方は、その後も長く役に立ったという。
東洋経済高橋亀吉記念賞の優秀賞を受ける
金融機関に勤めながら、東洋経済高橋亀吉記念賞で優秀賞を受けた。のちの寄稿者紹介でも、12回の転職歴と並べてこの受賞が挙げられている。
在籍中の山一證券が自主廃業
野村投信の後、住友生命、住友信託銀行、シュローダー投信、バーラ、メリルリンチ証券、パリバ証券、山一證券と移り、在籍中に同社の自主廃業を経験する。名門の突然の廃業は、日本中に衝撃を与えた。同じ年には、東洋経済新報社から『年金運用の実際知識』を出している。
実名で書き始め、楽天証券の客員研究員に
平成12〜
村上龍の『JMM』で実名の執筆を始める
山一の後は、第一勧業アセットマネジメント、明治生命などへ移っていく。それまでも匿名やペンネームでレポートを出すことはあったが、取り上げた企業に自社の営業担当が出入りしていることもあり、実名では本音を書きづらかった。2000年頃、村上龍が主催するメールマガジン『JMM』から声がかかり、金融の記事を実名で書き始める。本人は、これが「評論家」という肩書きでマスコミに出るようになったきっかけだと語っている。
本人実名のレポートだとなかなか本音は書きづらかったんですね。 出典
『僕はこうやって11回転職に成功した』を出す
文藝春秋から刊行。40代前半には、リスクを小さくするために収入源を分散することを考え、年俸を落とす代わりに自由度をもらう契約を会社と結んで、少しずつ働き方を変えていった。
12回目の転職で楽天証券経済研究所の客員研究員に
UFJ総研を経て、12回目の転職で楽天証券経済研究所の客員研究員になる。2023年3月の退職までこの肩書きで書き続け、楽天証券の投資情報メディア「トウシル」では、連載「ホンネの投資教室」などで約17年間に500本以上の記事を書いた。同じ年には倉田真由美との共著『ダメだ!この会社』を小学館から出している。
ダイヤモンド・オンラインで『山崎元のマルチスコープ』を始める
毎週の連載で、2007年から15年以上にわたって書き続けた。投資家や一般の読者の目線から、金融業界の不都合な真実に切り込む資産運用の記事が中心で、テーマはそれ以外にも広がった。同じ年に幻冬舎新書『会社は2年で辞めていい』を出す。
『ほったらかし投資術』と獨協大学の教壇
平成22〜
水瀬ケンイチと『ほったらかし投資術』を出す
副題は「インデックス運用実践ガイド」で、水瀬ケンイチとの共著を朝日新聞出版から出す。2015年、2017年と全面改訂を重ね、2022年には第3版が出た。この年度から2015年度まで、獨協大学経済学部の特任教授として教壇にも立つ。
『全面改訂 超簡単お金の運用術』を出す
2008年に朝日新聞出版から出した『超簡単お金の運用術』を全面的に改めた本。8月18日には、NHK『日曜討論』の「どうする消費増税」の回に出演した。
大橋弘祐と『難しいことはわかりませんが、お金の増やし方を教えてください!』
「お金のド素人」の大橋弘祐が、「毒舌経済評論家」の山崎にお金の増やし方を聞く形の共著を、文響社から出す。この本を含む「難しいことはわかりませんがシリーズ」は50万部を超えるベストセラーになった。2023年には『超改訂版』も出ている。
『一生、同じ会社で働きますか?』を出す
転職が一般的になった時代に、働く人がどう人生を設計すればよいかを書いた本を文響社から出す。当時の取材では、自分の12回の転職を「7勝4敗1分け」と振り返った。4月18日にはNHK『クローズアップ現代』の「わが家のマネー防衛」の回に出演している。
本人会社と個人は本来対等であり、お互い離れることができる 出典
NHK『クローズアップ現代』の老後資金の回に出演
「将来不安につけ込まれるな!」と題した回に出る。前年10月30日の「超低金利時代の処方箋」の回に続く出演だった。
食道がんと「持ち時間」
令和4〜
ステージⅢの食道がんと診断される
7月頃から喉が腫れるような症状があり、近所の消化器病院で食道がんの疑いを指摘された。抗がん剤治療の後、10月下旬に手術を受け、食道の大半と胃の上部を切除する手術は10時間かかった。11月に退院する。告知の後、酒を断った。
トウシルの連載で食道がんを公表
連載で癌を患ったことを公表し、治療の経過と、そこで考えたことを書いた。この記事は、2022年12月から1年間にトウシルで読まれた記事の3位に入った。2月22日にはダイヤモンド・オンラインで、癌になっても「がん保険は、やっぱり不要だ」と書いている。
本人癌によって『持ち時間』の使い方を意識すると、何をしたらいいかの見通しが案外立てやすい 出典
楽天証券を退職、経済評論家として活動
2005年から務めた楽天証券経済研究所の客員研究員を退き、4月からは同社と業務委託契約の関係になった。同じ月には、大学に合格した息子に手紙を書いて送っている。
がんが再発、主治医に「半年は保証できません」と告げられる
3月の終わりから4月の初旬にかけて急に声が出なくなり、5月初旬にかけて体重と体力が落ちた。骨や胸膜などに複数の転移があるステージⅣで、活動できるのは半年か1年かと尋ねると、主治医は進行が早いので半年は保証できないと答えた。
本人「持ち時間」の前提が急速に縮んだ瞬間だった。 出典
トウシルで「読者の疑問にホンネで回答」を始める
読者の質問に答える新しい連載で、お金の話だけでなく趣味の将棋やキャリア、人生の悩みにも答えた。6月30日には、副社長と2人で長年続けてきた会社・マイベンチマークを解散した。
食道がんのため東京都内の自宅で死去
亡くなる直前の2023年末にも、翌年から始まる新NISAの「やってはいけないこと」と「すべきこと」を点検する記事を書いていた。1月1日午前11時44分、東京都内の自宅で死去、65歳。通夜・葬儀は行わず、近親者のみで見送られた。楽天証券経済研究所長の窪田真之は追悼文で、山崎が「不当に高い」と批判していた売買手数料なども大幅に低下したと記した。
『経済評論家の父から息子への手紙』が発売
息子へ送った手紙をきっかけに書き下ろした本で、Gakkenから出た。あとがきには「余命3カ月なら、ぜひやっておきたいと思った3つのことのうち1つが本書の執筆でした」とある。編集者の提案で、息子に語りかける文体に改めている。実際に送った手紙「大人になった息子へ」も収められた。
『がんになってわかったお金と人生の本質』がAI音声のオーディオブックに
生前に遺した音声データを使い、プロのナレーターの朗読をAI音声技術で本人の声色に変える手法で作られた。制作はCoeFont。