同世代1981年、同世代の藤森 義明は、米カーネギーメロン大学でMBAを取得 →
作品『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は、ほか1人の年表にも出てくる →
つながり宮本 茂のつながりを図で見る →
みやもと しげる
工業デザインを学んで任天堂に入り、『ドンキーコング』『スーパーマリオブラザーズ』『ゼルダの伝説』を手がけた。2026年にゲーム関係者で初めて文化勲章を受け、いまも代表取締役フェローとして実写映画『ゼルダの伝説』をプロデュースする。
昭和27年生まれ ・ 京都府南丹市出身 ・ 1952– ・ 満73歳
肩書任天堂 代表取締役フェロー / 学歴金沢美術工芸大学 卒業(工業デザイン専攻) / 入社1977年 任天堂 / 栄誉文化功労者(2019)・文化勲章(2026)
代表作を見る ↓任天堂の代表取締役フェローを務める。実写映画『ゼルダの伝説』ではアヴィ・アラッドらと共同でプロデューサーを務め、公開日は2027年4月30日とされている。
同世代1981年、同世代の藤森 義明は、米カーネギーメロン大学でMBAを取得 →
作品『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は、ほか1人の年表にも出てくる →
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昭和27〜
現在の南丹市で育つ。小学校のころは人形劇の人形を作る人になりたかったという。中学ではバスケットボール部を辞めて漫画クラブの部員になり、赤塚不二夫や手塚治虫の漫画に影響を受けて漫画家を目指したが、周囲との実力の差を感じて断念した。
本人山に登って滑って降りたとか、川で魚を手づかみしたとか、溺れかけたとか、体に染みついたものが自分のものづくりの原点になっている。 出典
京都府立園部高等学校から金沢美術工芸大学に進み、工業デザインを専攻した。高校では工学部を考えたが美術も好きで、「工学部に行きたくて、美大にも行きたかったら工業デザインしかない」と考えたと振り返る。卒業後は「遊具やおもちゃを作りたい」と任天堂に入り、企画部でかるたの版下や麻雀のラベルを作った。
『シェリフ』などの筐体デザインを手がけ、『スペースフィーバー』ではキャラクターデザインも担当する。『スペースインベーダー』の大ヒットを見て、「おもちゃを作ろうと思っていたけども、ゲームでも作ってみようかな」と思ったという。
昭和56〜
前年、アメリカの現地法人がアーケード基板の在庫を大量に抱え、その基板で新作を作る会議が本社で開かれた。開発部長の横井軍平が、それまでソフト開発に関わっていなかった宮本を担当に抜擢する。当初の題材『ポパイ』は版権の問題で使えず、キャラクターを描き直して、プログラム以外の作業をほぼ1人で担った。北米で6万台を売り上げ、のちに任天堂の看板キャラクターとなるマリオの初登場作になった。
本人ネタを提案してもなかなか採用はされない・・・。ところが偶然にも1本のソフトをまるごと任されることになったわけです。 出典
山内溥社長の「100人の凡才より1人の天才」という考えから、ゲーム開発の中心となり、部門の実務リーダーを務める。7月15日には、ファミリーコンピュータ版『ドンキーコング』が発売された。
1984年12月ごろ、『マリオブラザーズ』の倍くらいの大きさのマリオが跳ねるテスト版を作ってもらい、1985年2月20日に仕様書を書いて、その半年後にはロム出しをした。日本国内で681万本、全世界で4,024万本を売り、日本国内の単体のソフト売上では、2020年に『あつまれ どうぶつの森』に抜かれるまで30年以上1位を保った。本人は150万本程度と予想しており、数千万本も売れたのは「完全に運だった」と回顧している。
ファミリーコンピュータ ディスクシステム用のソフト。『スーパーマリオブラザーズ』の実験のあと、『ゼルダの伝説』の元になる実験を始めていた。初期のゲーム内では、姓の「本」の字を読み替えた「MIYAHON」と表記され、この「ミヤホン」がのちに愛称になる。
平成2〜
スーパーファミコン用のソフトとして発売。スーパーファミコンのLRボタンは宮本が提案したアイデアで、のちに NINTENDO 64 のアナログスティックも提案した。どちらも、いまでは他社のゲーム機のコントローラーにも同じようなものが載っている。
スーパーファミコン用。自身が手がける『マリオカート』シリーズについて、「レースゲームの顔をしたコミュニケーションゲーム」だとしている。
この年の2月に発売されたゲームボーイ用ソフト『ポケットモンスター 赤・緑』ではプロデューサーを務め、作中で名前の候補に出てくる「シゲル」は宮本の名前に由来する。『スーパーマリオ64』は NINTENDO 64 用のソフト。他社のゲーム機でプリレンダリングのムービーが注目されていた時期に開発が進み、ムービーを重視しない宮本の考えを周りのスタッフが感じ取って、リアルタイムデモの仕組みを作り上げた。この年、情報開発部が情報開発本部に格上げされ、その本部の中の情報開発部長に就いた。
年単位で延期が続いた『時のオカリナ』は、最後は宮本が直接指揮をとって完成させた。本人は「自分のわがままで作業が遅れたので、途中から仕様書を1/4くらい書く羽目になった」と語っている。この年、情報開発本部の本部長に就任し、アメリカで第1回の Interactive Achievement Awards が開かれ、「THE HALL OF FAME AWARD」を受けた。
取締役に就任した。このころ、任天堂のソフトを全体的に監修する立場になり、面白くないと判断した作品をほぼ白紙に戻す「ちゃぶ台返し」(本人の命名)を行うこともあった。
ニンテンドー ゲームキューブ用のソフトで、宮本はプロデューサーを務めた。自宅での庭いじりが制作のきっかけだった。
平成14〜
山内溥から岩田聡への社長交代と同じ日に就任した。役員になってからは国内外の支社や取引先を何度も往復し、2週間に一度の取締役会にも拘束されたが、岩田の「宮本さんは、可能な限り開発の現場にいるべきだ」という方針で、開発に携われる体制に改められた。
この年の3月、サンフランシスコのメトレオンに作られた「Walk of Game」に名前が刻まれた。4月に発売したニンテンドーDS用の『nintendogs』は、宮本が犬を飼い始めたことから生まれた。
Wii 本体と同じ日に発売されたソフトで、宮本はゼネラルプロデューサーを務めた。Wiiリモコンを振って「テニス」「ベースボール」「ゴルフ」「ボウリング」「ボクシング」の5種類を実際の競技に近い動きで遊ぶ。発売前の5月のゲーム見本市 E3 2006 では、収録された「テニス」で映画監督のスティーヴン・スピルバーグと対戦した。発売から約2か月で、Wii のソフトとして初めて国内の売上本数がミリオンに達した。全世界の累計販売本数は2024年3月末時点で8290万本で、任天堂のゲームソフトで最も売れたタイトルになっている。ただし北米や欧州では、すべての Wii 本体のセットに同梱されていた。
宮本が壁に貼った紙に自分の体重を記録するのが面白いと気づいたことから生まれたソフトで、翌年5月の時点で日本で200万本を超えている。
生涯功労賞に近い位置づけの賞で、ゲーム業界からは2007年のウィル・ライト、2009年のノーラン・ブッシュネルに続く3人目の受賞者になった。受賞にあたり、ゲームは一人では作れないもので、『ドンキーコング』から『New スーパーマリオブラザーズWii』までずっとそうだったとコメントしている。
10月26日、スペインで開かれた授賞式に出席し、「コミュニケーションおよびヒューマニズム部門」の賞を受けた。選考に当たる財団は、『スーパーマリオブラザーズ』などで、テレビゲームを性別や年齢にかかわらず人々が集うことのできる媒体に変えたことを受賞理由に挙げている。
大規模な映像制作は「自分には向いていない」として、それまで長年距離を置いていた。第27回東京国際映画祭で特別上映された。
平成27〜
7月11日に岩田聡社長が55歳で死去し、宮本は代表取締役の竹田玄洋とともに暫定的に経営を統括した。9月16日付で君島達己が社長となり、宮本は新設の「フェロー」のうちクリエイティブフェローに、竹田は技術フェローに就く。フェローは、代表取締役の中から選び、専門領域で組織運営に指導・助言を行う職位とされ、以後の肩書は代表取締役フェローとなる。
日本時間9月8日のAppleのスペシャルイベントに登場し、iOS向けの新作として発表した。発表を受けて、米国の株式市場で任天堂の株価は25%以上上がった。宮本が開発をリードし、配信は12月15日に始まった。1,200円の買い切りという価格には批判が集まり、公開初日の任天堂の株価は4%下がったが、4日間で全世界4,000万ダウンロードを超えた。
2019年度の文化功労者に、ゲーム業界から初めて選ばれた。受賞に「ゲームというジャンルに光を当ててもらえるのは光栄なことです」と述べている。12月には、出身地の南丹市が、初めての名誉市民の1人に選ぶ議案を市議会に提案した。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの新エリアで、約5億ドルの費用と6年以上をかけて完成した。2月4日の予定だった開業は、大阪府への緊急事態宣言を受けて延期されていた。開業日のセレモニーに代表取締役フェローとして登壇している。
イルミネーション・エンターテインメントのクリス・メレダンドリとともにプロデューサーを務めた。制作は本職の映画制作者に委ね、自身はゲームをよく知る観客としてアイデアを出し、監修する役に徹したと話している。日本の興行収入は7月30日時点で133億9000万円を超え、洋画アニメ作品で歴代2位になった。同じ7月に発売された『ピクミン4』では、高橋伸也と共同でゼネラルプロデューサーを務めた。
京都府宇治市に開館した。8月に公開された紹介映像『ニンテンドーミュージアム Direct』では、宮本が展示や企画を案内している。
前作に続く共同プロデューサーで、日本では4月24日に公開された。日本では公開7週目に73億7,510万8,040円となってイルミネーション作品で前作に次ぐ歴代2位になり、公開11週目には全世界の累計興行成績が10億ドルを超えた。
政府が10月23日に発表した2026年度の文化勲章の受章者8人に選ばれた。発表前日の10月22日に京都の任天堂本社で会見し、1977年の入社後すぐにゲームの仕事に関わったので「じつはもう50年になるんです」と話した。会見で、困難や転機として挙げたのがゲームキューブから Wii に移った時代だった。ゲームをする人としない人のあいだに衝立のようなものがあると感じ、初めて触る人には近寄りがたくなったコントローラーを、Wii やニンテンドーDSで一度すごくシンプルな形に置き換えようとしたと語っている。親授式の日程は11月3日、皇居でとされている。
本人ゲームが文化になったというのは、ゲームが当たり前になったということでしょうね 出典
任天堂の代表取締役フェローを務める。実写映画『ゼルダの伝説』ではアヴィ・アラッドらと共同でプロデューサーを務め、公開日は2027年4月30日とされている。
本人これからも、リビングの中心にいつもあるものを作り続けていけたらと思っています。 出典
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