目次
旅一座の子として
昭和25〜
大衆演劇の一座「梅沢劇団」の家に生まれる
父・梅沢清は1939年に剣劇一座「梅沢劇団」を旗揚げした大衆演劇のスターで、浅草の常盤座などを満員にした。母・竹沢龍千代は娘歌舞伎の出身。8人きょうだいの五男で、当時の阪神タイガースの主力選手・藤村富美男にちなんで名付けられた。
1歳7か月で初舞台を踏む
幼い頃、一座が仙台で公演していた時に、幕間の花道で流れてきた『伊那の勘太郎』に合わせて役者の見よう見まねで踊り、客席に大受けした。かつらと衣装を仕立てて舞台に出すと評判を呼び、劇団は子役中心の出し物に切り替えて全国を回った。
兄・武生が父から座長を継ぐ
11歳上の兄・梅沢武生が、50代の父から一座を引き継いだ。富美男は義務教育はきちんと受けさせるという父の方針で子役をやめ、福島の祖母の家に預けられていた。給食費の支払いもままならない暮らしで、役者になんかなるものかと思っていたという。
兄の劇団に戻り、役者の道へ
中学卒業まぎわ、東京で公演中の兄に呼び出され、急病の役者の代役を任された。セリフは一言だったが、身についた福島弁で言ってしまい、それが客に受けた。この経験から中学の卒業式にも出ないまま役者になり、15歳から兄が率いる「梅沢武生劇団」で本格的に舞台に立つ。
やめかけた役者が女形に
昭和51〜
『矢切の渡し』を踊るため女形を演じる
20代半ばで役者をやめようと考え、母を通じて可愛がってくれていた石ノ森章太郎に相談すると「おまえは必ず売れるから、頑張ってやってみろ」と一喝された。その半年後、石ノ森からちあきなおみの『矢切の渡し』を踊ってほしいと頼まれる。男女2人で踊る相舞踊のため、兄に言われて女形を引き受け、化粧は自分でした。やがて女性週刊誌が坂東玉三郎になぞらえ「下町の玉三郎」と紹介したのを機に人気が爆発し、副座長として兄を支えた。
本人兄の武生と一緒に『矢切の渡し』を踊ることになり、急きょ、独学で女形の化粧をしてみたら、俺、こんなに奇麗になるんだって、自分でもビックリしちゃって(笑)。これが、今の僕につながる大きなチャンスだったのでしょうね 出典
山口昌男が東大のシンポジウムで絶賛
東京大学教養学部教養学科の30周年記念シンポジウムで、文化人類学者の山口昌男が「私は今、日本で最高の役者を挙げろといわれたら梅沢富美男を躊躇なく挙げる」と語った。
『夢芝居』で歌の世界へ
昭和57〜
『淋しいのはお前だけじゃない』でテレビドラマ初出演
西田敏行主演、市川森一脚本のTBS「金曜ドラマ」で、旅芝居の一座を舞台にした物語。旅役者の役で出演し、兄の武生も出演した。舞台育ちでテレビ用語が分からない梅沢のため、西田が撮影の初めにスタッフを集めて用語を使わないよう頼んだという。
本人梅沢さんが、スターになる前というか…テレビのね、(出る)きっかけになってくれたのは西田敏行さん 出典
シングル『夢芝居』を発売
ドラマの影響で何十社もレコードの誘いが来たが、全て断っていた。諦めないキングレコードのディレクターに「小椋佳さんが作詞・作曲するなら歌うよ」とふっかけると、本当に了承が取れてしまう。イントロの拍子木は本人が打っている。
『ザ・ベストテン』の舞台中継を機に『夢芝居』がヒット
発売から半年ほどは評判にならなかった。歌番組への出演は断っていたが、舞台を見に来た黒柳徹子に誘われ、5月の『ザ・ベストテン』で舞台からの生中継が話題になると売れ始めた。オリコンでは翌1984年1月に最高8位を記録し、公式サイトによれば48万枚を売り上げた。この年の日本有線放送大賞新人賞を受け、第34回NHK紅白歌合戦に初出場して『夢芝居』を歌った。
本人当時、役者が歌なんて歌うもんじゃないと思っていたから、歌番組の出演はことごとく断っていました。 出典
『必殺仕事人V』最終話にゲスト出演
最終話「主水、下町の玉三郎と出会う」で早変りの梅富を演じた。続く『必殺仕事人V・激闘編』(1985〜1986年)では、弐(弐蔵)役で出演した。
『徳川風雲録 御三家の野望』などドラマへの出演が続く
テレビ東京の『徳川風雲録 御三家の野望』に出演し、1987年はよみうりテレビの『いのち輝くとき』、1989年は関西テレビの『出張の夜』(乱歩賞作家サスペンス)に出た。
池田明子と結婚
7歳下の妻・明子は臨床検査技師で、植物療法士(フィトセラピスト)。夫婦の間には娘が2人いる。前の結婚でもうけた息子は俳優の梅沢清章。
ドラマ出演と前川清との共演
平成4〜
TBS『今夜もテレビで眠れない』に出演
TBSのドラマに出演し、1997年には名古屋テレビの『不思議の国の17歳』、1998年にはTBSの『刑事クマさん』にも出ている。
大河ドラマ『利家とまつ』で丹羽長秀を演じる
NHK大河ドラマ『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』で丹羽長秀を演じた。同じ年には、フジテレビの『花村杏介シリーズ 娘道成寺伝説殺人事件』で主演し、花村杏介と千代丸を演じている。翌2003年からはTBSの『駅前タクシー湯けむり事件案内』で主人公の梅沢夢太郎を演じ、2005年の第3作まで続いた。
レシピ集『梅沢さんちの台所』を刊行
特技の料理を収めた『梅沢さんちの台所 梅沢富美男愛情レシピ集』を日東書院本社から出し、翌2008年には『居酒屋 富美男』も同社から刊行した。バラエティ番組でも料理の腕を見せることが多い。
映画『ツレがうつになりまして。』に出演
東映の映画で三上隆を演じた。同じ年、朝日放送・テレビ朝日のドラマ『悪党〜重犯罪捜査班』に石黒孝雄役で出演している。
座長を継ぎ、テレビの顔にも
平成24〜
兄から梅沢劇団の座長を継ぐ
この年の5月、NHKの東日本大震災復興応援ソング『花は咲く』にボーカルで加わった。2008年に肝臓がんの手術を受けるなど病気がちになった兄・武生から10月に座長を譲られ、3代目座長になる。武生は後見に回った。兄の時代に「梅沢武生劇団」とも呼ばれた一座の公演は、座長交代後に「梅沢富美男劇団旗揚げ公演」と銘打たれた。舞台では脚本・演出・振付も手がける。
『ミヤネ屋』を機にコメンテーターの仕事が増える
読売テレビ『情報ライブ ミヤネ屋』の依頼を、当初は中学しか出ていないからと断った。家で義母たちがニュースを見て怒る姿に、その代弁ならできると考え直して引き受ける。いつ降板を求められても構わないという立場で辛口のコメントを続け、テレビへの出演が増えた。
『徹子の部屋』でユニット松竹梅を結成
黒柳徹子のプロデュースで、松岡昌宏(TOKIO)、大竹まことと3人の芸名から1字ずつ取ったユニット松竹梅を組み、同番組に常連として出演している。
冠番組が始まり、『プレバト!!』のタイトル戦で2連覇
前年7月と12月の特番がフジテレビでレギュラー化した司会番組『梅沢富美男のズバッと聞きます!』で、ゲストの離婚やスキャンダルの顛末に切り込んだ。8月9日には『プレバト!!』の名人・特待生限定の俳句タイトル戦で初めて優勝し、9月27日にも勝って2連覇した。『梅沢富美男のズバッと聞きます!』の放送は2019年9月まで続いた。
『プレバト!!』で永世名人に昇格
2012年10月から出演する毎日放送の『プレバト!!』の俳句査定で、2016年6月に特待生1級から名人に上がっていた。この日の放送で永世名人に上がる。査定員の夏井いつきとのやりとりでは、自分は敵役として言い返すと語っている。翌週14日の放送では、新たな目標として、夏井いつきの査定で50句の掲載を決めて句集を出版する企画が発表される。提出した句がボツと判定されると、掛け軸ごとシュレッダーで裁断される仕組みだった。
エッセイ集『人生70点主義 自分をゆるす生き方』を刊行
講談社から出した、自身初の本気のエッセイ集とされる一冊。『プレバト!!』で毎週一句を詠む苦労なども収めた。
兄・武生が死去
梅沢劇団の2代目座長で、女形を勧めた兄の武生が肺炎のため82歳で亡くなり、富美男が喪主を務めた。武生は1月の特別公演を体調不良で降板しており、訃報は公演終了後に公表された。富美男はインスタグラムで「ニュースになり兄も役者冥利につきると思います」とつづった。
特別永世名人と74歳の全国放送連ドラ初主演
令和5〜
『浅草ラスボスおばあちゃん』で全国放送の連続ドラマ初主演
東海テレビ・フジテレビ系の土ドラで、浅草のアパートで50年以上ひとり暮らしをしてきた日向松子を演じた(9月13日まで全11話)。舞台がゆかりの深い浅草だったことから、二つ返事で引き受けたという。この年は『ズートピア2』の日本版でミルトン・リンクスリーの声も担当した。
本人この歳になって初めて、全国放送連ドラの主役オファーをいただけるとは思ってもみませんでした。それもまさかのおばあちゃん役! 出典
明治座で研ナオコ・水森かおりと特別公演
梅沢富美男劇団の「梅沢富美男役者人生60年 研ナオコデビュー55周年 水森かおりデビュー30周年 特別公演」が、明治座で初日を迎えた。研ナオコとは、2023年6月からの劇団の特別公演でも共演していた。
現在:劇団の座長として舞台に立ち、『プレバト!!』で締めの一句
6月27日から7月26日まで、明治座で水森かおりとの特別公演を座長として開いた。9月11日・18日にはテレビ東京の『最後ののれん‐新太と絶メシの夏‐』で、高崎で70年続く食堂「みどりや」の老店主・津川清志を演じる。『プレバト!!』では特別永世名人として番組を締める一句を詠んでいる。コメンテーターの仕事が増えるきっかけになった『ミヤネ屋』は、10月2日に放送を終えた。