目次
西船橋の田畑から、京成電鉄の経理部へ
昭和11〜
東京都江東区に生まれる
生まれは江東区だが、通った小学校は葛飾小学校で、校地は今のJR西船橋駅の場所にあり、その近くで育った。クラスでサラリーマンの家庭は2、3人で、ほかは全て農家だったという。季節になると農家でスイカや柿をもらって食べる毎日で、自らを「やんちゃ坊主」と呼ぶ。
慶應義塾大学法学部政治学科を卒業
中学・高校は、兄が3年先輩にいた開成で、京成電車で日暮里まで通った。中学3年の担任だった生田先生に「高校に行ったら物理をとれよ」と口説かれ、物理で理詰めにものを考えることを覚えたと語る。慶應では應援指導部に入り、週末は各競技の応援に出ていた。
本人人生のターニングポイントを作った先生ですよ。物理の先生なんですよ。 出典
京成電鉄に入社し、経理部へ
中学・高校の6年間通学に使った京成電鉄に入る。本人は「元々僕は電車が好きなんですよ」と話す。入社試験の試験官は、のちにオリエンタルランドの初代社長となる川﨑千春で、「為替手形と約束手形の違い」を聞かれ、法学部出身で答えられなかったが、採用された。見習いで船橋駅と押上駅の切符切りをしたあと、経理部に配属される。終業後は神保町の村田簿記学校に、月水金と約2年半通った。
浦安沖の埋め立てと、オリエンタルランドへの転籍
昭和35〜
オリエンタルランドの設立に関わる
浦安沖の海を埋め立て、商業地・住宅地と大規模なレジャー施設をつくる会社として、三井不動産・京成電鉄・朝日土地興業の3社がオリエンタルランドを設立する。京成電鉄に籍を置いたまま兼務で出向し、設立時の定款づくりを担当した。
漁業組合との交渉がまとまり、千葉県と協定
前年に専務として入社した髙橋政知が、浦安の2つの漁業組合と漁業権をめぐって交渉を重ねた。2つの組合を人形町の料亭に別々に呼び、髙橋が行き来して同じ日に同意を取ったという。7月、オリエンタルランドは千葉県と「浦安地区土地造成事業及び分譲に関する協定」を結ぶ。のちに「人生の師」と仰ぐ髙橋から、交渉では自らの本気度を示すことが重要だと学んだ。
東野・富岡などの地区の埋め立てが完了
1964年に始まった埋め立てで、現在の東野・富岡・今川などの地区の工事が終わる。土地は一度にできたのではなく、竣工した土地を担保に隣を埋め立てる繰り返しだった。本人は「お金がない会社がよくこれだけの土地を埋め立てしたと思いました」と振り返る。
舞浜地区の埋め立てが終わる
残っていた現在の舞浜地区の埋め立て工事が完了する。この年の3月には、千葉県からオリエンタルランドへ、レジャー施設用地と住宅用地の分譲が始まった。
京成電鉄を辞め、オリエンタルランドへ転籍
オリエンタルランドに移り、不動産事業部次長となる。学生時代の友人からは「明日には食うに困るよ」と言われた。転籍を決めたのは、髙橋と二人でこの会社をやっていこうと決めた時で、「失敗したらお互いに屋台を引こうや」というほどの覚悟だったと語る。
本人その時(転籍)は断腸の思いでしたよ。いつ潰れるか分かんない会社に転籍するなんてね。 出典
建物の高さを区切った都市計画書「商住地開発1973」
前年に作成を任された都市計画書が、京成電鉄・三井不動産・オリエンタルランドの3社でまとまる。埋め立て地を高層・中層・低層の3地区に分け、新浦安は高層、舞浜に向かうほど低くした。本人は当時これを屋根の線、ルーフラインと呼んでいたと話す。この区分けは、今のパークの世界観を保つことにつながっている。
不動産事業部長になる
10月、不動産事業部長になる。千葉県から分譲を受けた住宅用地の販売は1972年12月から続いていた。
鞄持ちの銀行回りと、東京ディズニーランドの開業
昭和54〜
建設資金を求めて、日本興業銀行へ
この月、ウォルト・ディズニー・プロダクションズと東京ディズニーランドの業務提携契約を結ぶ。建設資金を集めるため、オリエンタルランドは千葉県の沼田武副知事と日本興業銀行を訪ね、本人は「鞄持ち」としてついて回った。副頭取の菅谷隆介は計画を「心の産業」と位置づけ、1980年7月には同行の呼びかけで22の金融機関による協調融資団ができた。
本人菅谷さんがいらっしゃらなかったらお金が続かなかったと思いますね。 出典
東京ディズニーランドが開業
開業前は、浦安を「陸の孤島」とみる声もあり、「目標の年間入園数800万人なんて夢物語だ」と成功を危ぶまれていた。当日はあいにくの雨で、開門を待つゲストは約3000人だった。取締役総務部長兼人事部長として開業を迎え、6月に常務取締役・開発部長となる。開業時に年間1千万人ほどだった来場者は、その後も毎年100万人近く増え続けた。
1983年、同世代の人は
美輪 明宏(音楽家・1935年生まれ)『毛皮のマリー』『青森県のせむし男』を再演髙橋会長が「第2パーク構想」を発表
東京ディズニーランド開園5周年の記者会見で、会長の髙橋政知が「第2パーク構想」を公にする。その後はバブル崩壊やディズニー社との交渉の難航が重なり、計画が形になるまで長い時間がかかった。
専務取締役となり、広報室長を兼ねる
1983年から務めた常務取締役から専務取締役に上がり、広報室長を兼ねる。
社長として、海のパークを開く
平成7〜
オリエンタルランドの代表取締役社長に就任
副社長から社長に上がり、同じ月に舞浜コーポレーションの社長も兼ねる。就任の時点で、東京ディズニーランドは開業から12年、パークは1つだけだった。社長に就いてからは、東京ディズニーシーやホテル、ショッピングモールなどを建てていく。
東京ディズニーシーの業務提携契約を結ぶ
ディズニー・エンタプライゼズと、東京ディズニーシーと東京ディズニーシー・ホテルミラコスタのライセンス、設計、建設、運営の契約を結ぶ。6月にはホテル会社の舞浜リゾートホテルズを全額出資で設立して社長を兼ね、12月には東京証券取引所市場第一部に株式を上場した。
東京ディズニーシーの建設が始まる
東京ディズニーシーとホテルミラコスタの建設に舞浜で着工する。同じ月、前年に設立して自ら会長を務めていた舞浜リゾートラインが、ディズニーリゾートラインの工事を始めた。
師と仰いだ髙橋政知が死去
1月1日に「リゾート宣言」を出し、東京ディズニーリゾートが正式に始まる。同じ月の31日、2代目社長の髙橋政知が心不全で亡くなった。会社としてお別れ会を企画し、その場で髙橋に東京ディズニーリゾートの成功を誓った。7月にはイクスピアリとディズニーアンバサダーホテルが開業する。
東京ディズニーシーが開業
海をテーマにしたパーク、東京ディズニーシーと、一体になったホテル、東京ディズニーシー・ホテルミラコスタが開業する。計画の間、本人は「モア、ロマンティック」と繰り返していたという。これに先立つ7月には、ディズニーリゾートラインが走り始めていた。
著書『海を超える想像力』を出す
東京ディズニーランド20周年の年に、講談社から『海を超える想像力―東京ディズニーリゾート誕生の物語』を出す。ウォルト・ディズニー・カンパニーCEOのマイケル・アイズナーとの対談も収めた。第1章は「2001年9月4日」と題した。
会長兼CEOとして、ファンタジースプリングスの起工式へ
平成17〜
代表取締役会長兼CEOに就任
社長を福島祥郎に譲り、代表取締役会長兼CEOとなる。その後も東京ディズニーランドホテルをはじめとする舞浜地区の開発に関わった。
ディズニー・レジェンドに選ばれる
ウォルト・ディズニー・カンパニーのディズニー・レジェンドに、パーク&リゾート部門で選ばれる。これを記念して、東京ディズニーランドのワールドバザールにある建物の窓に名前が刻まれた。この年の7月には東京ディズニーランドホテルが開業している。
震災で休園した東京ディズニーランドが再開
東日本大震災で浦安市は液状化や停電の被害を受け、東京ディズニーランドは3月12日から休園していた。電力の供給が不安定で、再開を決める時期も延びていた。
『カンブリア宮殿』に出演
テレビ東京の『カンブリア宮殿』で、創業期からの歩みと東京ディズニーリゾートの戦略を語る。番組は「社長の金言」として「発想を変えれば不可能は可能になる」を紹介した。
全広連日本宣伝賞の松下賞に選ばれる
全日本広告連盟が、広告主の立場から広告界に貢献した人に贈る松下賞の受賞者として発表した。継続的な成長投資や独自のマーケティング、スタッフ教育で東京ディズニーリゾートのリピート率を高めたことなどが理由に挙げられた。
東京ディズニーシー拡張の起工式で新エリアの名を発表
社長の上西京一郎、ウォルト・ディズニー・カンパニーのロバート・A・アイガーらと起工式の地鎮の儀に臨み、続くセレモニーで、東京ディズニーシーの8番目のテーマポートの名前を「ファンタジースプリングス」と発表した。あいさつでは、創立から東京ディズニーランドの開業までを第1ステージ、1983年から2001年までのワンパーク時代を第2ステージ、東京ディズニーリゾートへと変貌を遂げた時期を第3ステージと説明し、2018年6月に発表した東京ディズニーシーの大規模拡張プロジェクトから第4ステージに入ったと話した。
本人この第4ステージで、東京ディズニーリゾートを生まれ変わらせる。そしてゲストの体験価値が飛躍的に向上する時期と位置付けている 出典
取締役会議長として、90歳の藍綬褒章
令和5〜
会長兼CEOを退き、取締役会議長に
会長兼CEOの座を髙野由美子に譲り、代表取締役のまま取締役会議長となる。
千葉県の聞き取り「浦安の海辺に夢の国を」に応じる
千葉県教育委員会の聞き取りで、西船橋での子ども時代から、浦安の埋め立て、髙橋政知と川﨑千春の思い出までを語った。事業の基礎は、日本の子どもたちを幸せな気持ちにさせたいという髙橋と川﨑の夢だと話している。
本人東京ディズニーリゾートは永遠に完成しないんですよ。常に変化しているんです。 出典
藍綬褒章を受章
国土交通省の令和8年春の褒章で、藍綬褒章を受ける。会社経営や団体の活動を通じて産業の振興などに業績を挙げた人に贈られるもので、オリエンタルランドでは平成元年の髙橋政知に続いて2人目となった。