目次
アンチ巨人の野球少年から、軽音楽部のベースへ
昭和43〜
新潟県に生まれる
少年時代は野球少年。周りは巨人ファンばかりだったが、本人は「アンチ巨人」を通し、いまは中日を応援している。中学では卓球部に入った。
新潟県立新潟高等学校を卒業
高校でも最初は卓球部に入ったが、五分刈りにするよう言われて辞めた。その後は軽音楽部でベースを担当し、BOØWYなどを演奏して学園祭のステージにも立った。卒業後は東北大学経済学部に進む。
本人最初卓球部に入ったんですが、五分刈りにしろって言われて辞めました。 出典
経理部の新人から、豊田章男の秘書へ
平成3〜
東北大学経済学部を卒業し、トヨタ自動車に入社
大学時代からクルマにのめり込み、トヨタを選んだ一番の理由は「クルマが大好きだったから」。入社直後の新人研修では新潟市の販売店に数カ月配属され、カタログや名刺を入れたカバンを持って一軒一軒回った。「そのお宅に8回通って(1台車を)買っていただいた」経験は、いまでも忘れられないという。希望は宣伝部だったが、配属は経理部だった。バブル崩壊で景気が悪化するなか、上司に命じられた最初の仕事は、立体駐車場の電球の間引きだった。以後も財務部などを歩み、キャリアの大半を経理で過ごす。
本人上司から『立体駐車場の電気が明るすぎるから間引いてこい』と言われました。そこでヘルメットを被って、脚立を持って、1本1本電球を抜いていきました。 出典
— 豊田章男の社長就任時の秘書に
2009年6月に豊田章男が社長に就任した時の秘書で、以後約8年仕えた。当時のトヨタはリーマン・ショック後に創業以来の赤字に転落し、F1やNUMMIからの撤退が続いた。経理の立場では「商品を数字で見ていた」が、のちに「結果的にそのやり方は違っていた」と振り返っている。豊田は「やめるばかりで、(社員に)何もチャレンジさせてあげられない」と嘆き、いつも「決断するときには、一番悲しむ人の顔を思いながらする」と言っていたという。本人はこの秘書時代を人生最大のターニングポイントに挙げ、「トップの役割とは、決めることと責任をとること」を学んだと語っている。母校の東北大学での講演では、涙を流しながら「章男さんのような人間になりたい」と語ったこともある。
本人会長(=章男氏)は、どんな時でも、誰にでも絶対に挨拶を欠かさない。そんな道徳的なことも含めて、今思えば“恥かしい”自分の態度を正してくれて、“人”として育ててくれたのは会長だったと思います。 出典
秘書として「少し会話できるようになったな」と言われる
秘書になった当初は、豊田が打ち出した「もっといいクルマをつくろうよ」が分からなかった。1年ほどたって、豊田から「少し会話できるようになったな」と言われたという。2010年には豊田がリコール問題で米下院の公聴会に招致されており、近は秘書として、撤退や工場閉鎖など厳しい決断を重ねる豊田の姿を間近で見ていた。
豊田が初めて株主総会の議長を務めた朝、豊田のノートを見る
ノートには「トヨタが目指すべき成長」として、規模の拡大ではなく社会の変化に合わせて変わっていくことが成長だ、と書かれていた。
経理部長、そしてCFO・副社長として
平成29〜
トヨタのCFO(最高財務責任者)に就任
4月1日付で小林耕士の後を受けてCFOとなった。コロナ禍や半導体不足が続いた時期に、収益構造の改善と財務基盤の構築を担った。CFO時代には、下山テストコースやウーブン・シティへの投資も行っている。
新設の「副社長」に就き、副社長兼CFOとなる
トヨタは執行役員の役割を整理し、トップとともに経営の視点に専念する「副社長」を新設した。2022年4月1日付で、前田昌彦・桑田正規とともにその副社長に就き、CFOを兼ねた。トヨタファイナンシャルサービスの監査役、トヨタ不動産の取締役なども兼務した。
ウーブン・バイ・トヨタを経て、社長に
令和5〜
ウーブン・バイ・トヨタの代表取締役兼CFOに
佐藤恒治が社長に就いたこの年、副社長兼CFOを退き、ソフトウェア開発子会社のウーブン・バイ・トヨタで代表取締役兼CFOとなった。6月の株主総会でトヨタの取締役も退任。代表取締役CFO時代には、ウーブン・シティのある裾野市で開かれたラリーチャレンジにドライバーとして参加した。10月1日付でウーブン・バイ・トヨタの代表取締役が隈部肇CEO1人の体制になり、取締役兼CFOとして残った。
トヨタ自動車の執行役員に復帰
2025年1月1日付で、ウーブン・バイ・トヨタの取締役・CFOを兼ねたままトヨタの執行役員に戻った。
豊田自動織機の株式非公開化で会見に臨む
トヨタの源流企業である豊田自動織機が、トヨタやトヨタ不動産などによる事実上の買収提案を受け入れて非公開化することになった。買い手側のトヨタ不動産の取締役としてオンライン会見に出た。「短期的な業績にとらわれず、10年、20年、30年先を見据え」た判断だと説明した。
2年ぶりにトヨタのCFOに戻る
2025年7月1日付の人事で、執行役員のままトヨタのCFOに就き、ウーブン・バイ・トヨタの取締役・CFOも兼ね続けた。2023年に副社長兼CFOを退いてから2年ぶりの復帰だった。
次期社長に決まる
1月中旬に役員人事案策定会議の役員から打診を受けた時は「頭の中がこう真っ白」になったという。2月6日、佐藤恒治が副会長に回り、近が4月1日付で社長・CEOに就く人事が発表された。佐藤は会見で、近が「財務のところに明るく」、ウーブン・バイ・トヨタのCFOとして「外からトヨタを見て機能を超えた社内の改革を推進してきた経験」があることを挙げた。
社長交代会見で「お金が好きな……」と応じる
会見の質疑で「お金と数字が好きなおじさん」かと問われると「お金が好きな……」と応じた。続けて、打診を受けた後に豊田と話した際、豊田喜一郎の自動車事業を支えた「番頭さん」で、トヨタ自動車工業の3代目社長だった石田退三の名前が出たことを明かした。近は、石田を「無駄なものには一切お金は使わない」一方で喜一郎の夢には思い切って大きな投資をした人と語り、豊田が名前を出したのは、しっかり投資できる収益構造にこだわれということだろうと受け止めている。
本人クルマをしっかり作ってもらえる、しっかり投資ができるためのお金ですとか、収益、数字、というものには、めちゃくちゃこだわりがあります。 出典
— トヨタ自動車の社長・CEOに就任
就任前の3月25日のグローバル仕入先総会では、「今の競争力基盤を立て直し、『トヨタの強さ』を取り戻す」ことを自分の一番の仕事に挙げた。4月1日、執行役員社長・CEOに就いた。設計でも生産でも販売でもなく、財務・経理畑からトップに立つのは、同社では異例の人事とされた。就任初日には本社で入社式に臨み、2317名の新入社員に「もっと勉強し、働いて、もっともっと自分自身を成長させてほしい」と語りかけた。社内に軸足を置き、「稼ぐ力」の向上と「損益分岐台数の改善」に当たる役回りで、産業全体の連携は副会長の佐藤が担う。
社長として初めての決算説明会
2026年3月期の決算は、売上高が日本企業で初めて50兆円を超えた一方、米国関税の影響などで営業利益は1兆円超の減益となった。それでも「成長投資に向けたアクセルが踏めること感謝する」と述べた。
株主総会を経て代表取締役社長に
社長として初めての株主総会で取締役に選ばれ、代表取締役となった。秘書時代を振り返り、社長としての軸は「豊田ならどうするんだ」に尽きると語った。続けて、いまトヨタとトヨタグループの責任者は豊田1人だと述べたところで、言葉を詰まらせた。豊田は、会見での「お金が好き」という発言について、そう言うよう勧めたのは自分だと明かした。
本人現在トヨタとトヨタグループの責任者は豊田一人ですが、いつかは豊田から『お前も責任が取れるようになったな』と言ってもらえるように精進していきたい 出典
現在:トヨタ自動車社長として「稼ぐ力」の立て直しに当たる
7月18日、長野県茅野市の蓼科でメディア向け会見に臨み、損益分岐台数の引き下げを語った。8月4日の第1四半期決算では通期の営業利益見通しを4000億円引き上げた。10月1日で新体制は半年を迎えた。私生活ではチャイルドシートを3台付けて子どもを乗せていた時期もあり、ノアやヴォクシーを乗り継いできたミニバン好き。
本人闇雲に下げていけばいいかっていうと、そんなことではないと思います。ただ今はやや高い状況があるので、それを少し反転させていきたいと思っています 出典