長崎の少年 ―― 被爆と上京
昭和10〜
長崎市本石灰町に生まれる
出生名は寺田臣吾。実家は丸山遊廓の近くでカフェー「世界」や料亭を営み、比較的恵まれた環境で育った。4歳の頃、母の実家・丸山家の養子に出されて「丸山臣吾」となる。
長崎で原爆に遭う
自宅で夏休みの宿題に絵を描いていたところ被爆。のちに吐血など原爆症に悩まされることになる。戦争と原爆の体験は、生涯を通じて反戦・反核を語り続ける原点となった。
オペラ歌手に憧れ、声楽の道を志す
カルーソーやジーリといったオペラ歌手・コンサート歌手に憧れ、音楽家を夢見るようになる。
上京し、国立音楽高等学校へ ―― 「丸山明宏」に改名
歌手を志して上京。この頃、音楽学校の教員に勧められた姓名判断にしたがい「丸山明宏」と名を改めた。のちに学費の問題から中退し、進駐軍キャンプ廻りなどで歌って生計を立てる。
丸山明宏 ―― シャンソンと舞台
昭和31〜
シャンソン喫茶「銀巴里」と専属契約
銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」の歌手募集に応じ、専属契約を結ぶ。三島由紀夫、吉行淳之介、寺山修司、なかにし礼ら文化人の支持を集めていった。
— 「メケ・メケ」が大ヒット
シャンソン「メケ・メケ」を日本語でカバー。中性的で華麗な装いと歌唱が話題を呼び、一躍人気を博した。
世間性別も年齢も国籍も超えたような佇まいに、人々は驚かされた。
自らの性のあり方を公にする
週刊誌で自身が同性愛者であることを公にした。当時としては異例の表明で反発も受け、自ら和訳した生々しいシャンソンへの戸惑いも重なって人気は一時急落するが、以後ぶれずに表現を貫いた。
自作のシャンソンを歌い、作詞・作曲を本格化
旧来の華やかなシャンソンとは異なる、自ら和訳・創作した生々しい歌を歌い始める。当時は理解を得にくく不遇が続いたが、後年の主要なレパートリーはこの頃に作られた。
日本初、全作品が自作のリサイタルを開催
中村八大らの助力により、全曲を自身の作詞・作曲で構成したリサイタルを開く。「うす紫」「金色の星」など、後年まで歌い続ける自作曲を生み出していった。
— 「ヨイトマケの唄」で人気が再燃
1964年に初披露し、前年にレコード化された自作「ヨイトマケの唄」が大きな注目を集める。土木作業に従事する母を歌ったこの曲は、のちに彼を代表する一曲となった。
寺山修司の劇団「天井桟敷」旗揚げ公演に主演
演劇実験室・天井桟敷の旗揚げで、寺山が書き下ろした『青森県のせむし男』『毛皮のマリー』に主演。舞台俳優としての評価を確立していく。
『黒蜥蜴』に主演、自叙伝『紫の履歴書』を刊行
江戸川乱歩原作・三島由紀夫脚本の舞台『黒蜥蜴』で主演を務め、以後の当たり役となる。同年、自らの半生をつづった自叙伝『紫の履歴書』を発表した。
ラジオの人生相談を担当(〜1996年)
TBSラジオの身の上相談を受け持ち、芸能人による人生相談としては異例の25年にわたって続いた。
美輪明宏 ―― 舞台と声の表現者
昭和46〜
芸名を「美輪明宏」に改める
それまでの「丸山明宏」を改め、以後は「美輪明宏」として活動する。
『黒蜥蜴』『椿姫』など舞台の主演・再演を重ねる
改名後も、当たり役となった作品の再演を中心に、舞台俳優・歌手として活動を続けた。ベスト・アルバム『華麗な世界』なども発表している。
『黒蜥蜴』など当たり役の舞台を歌・演劇の柱に
1970年代を通じて、当たり役となった舞台作品の再演や歌の公演を活動の柱とした。
アニメ映画『幻魔大戦』に声で出演
アニメーション映画でフロイ役を演じる。後年の『もののけ姫』『ハウルの動く城』につながる、声の表現の足がかりとなった。
ベスト・アルバム『美輪明宏の世界』を発表
自作曲やシャンソンの代表作をまとめたベスト盤を発表。歌手としての歩みを改めて世に示した。
自叙伝『紫の履歴書』を改訂して再刊
代表的な著書である自叙伝を改訂し、新たな版で刊行した。
— 『もののけ姫』モロの君の声を演じる
宮崎駿監督のアニメーション映画でモロの君(山犬神)の声を担当。「黙れ小僧!」の台詞は広く記憶され、東京スポーツ映画大賞助演男優賞を受賞した。同年には舞台『双頭の鷲』再演で読売演劇大賞優秀賞も受けている。
芸能生活50周年を迎える
歌・舞台を中心とした半世紀の歩みの節目を迎える。三島由紀夫の三十三回忌に際し、近代能楽集の舞台『葵上・卒塔婆小町』を再演した。
『ハウルの動く城』荒地の魔女の声を演じる
再び宮崎駿監督作品で声を担当し、荒地の魔女を演じた。声優としても強い印象を残す存在となる。
文化人として、そして紅白へ
平成17〜
『オーラの泉』に出演、「愛の伝道師」として知られる
スピリチュアルをテーマにしたテレビ番組に出演し、人生観や処世を語る文化人・タレントとして、幅広い世代に親しまれるようになる。
劇場版アニメ『ポケットモンスター』に声で出演
劇場版で幻のポケモン・アルセウスの声を担当。声優としても世代を超えて親しまれた。
— NHK紅白歌合戦に初出場、「ヨイトマケの唄」を歌う
77歳・デビュー60年での初出場は、当時として史上最年長級の記録となった。長年歌い続けた「ヨイトマケの唄」を全国に届けた。
戦後70年、被爆体験を語り継ぐ
戦後70年の節目に、自らの長崎での被爆体験をあらためて語り、反戦・反核のメッセージを発信し続けた。
東京都名誉都民に顕彰される
長年の文化・芸術への貢献が評価され、東京都名誉都民に選ばれた。
リモート出演を中心に活動を続ける
新型コロナウイルスの影響でテレビにはリモートで出演するようになる。17年続いたTBSラジオ「薔薇色の日曜日」もこの年に一区切りを迎えた。
TBSラジオ「美輪明宏の薔薇色の人生」を開始
新たなラジオ番組を始め、高齢になっても言葉を発信し続けた。
90歳を迎え、多数の楽曲が配信される
90歳の誕生日に合わせ、キングレコードから多数の楽曲が一挙に配信された。映画『長崎-閃光の影で-』では語りを務め、長崎と原爆を伝える活動も続けた。
体調を崩し、自宅で静養に入る
高齢のため前年から仕事をセーブして体力の回復に努めていたが、3月ごろに体調を崩し、自宅で静養していた。
老衰のため死去、91歳
自宅で静かに息を引き取った。6月28日、所属事務所オフィスミワが公式に発表。「ヨイトマケの唄」をはじめ自作の歌、舞台、声優、テレビでの語りを通じて、戦後日本の表現史に大きな足跡を残した。