★ STAR TIMELINE

みわ あきひろ

美輪 明宏

自作の『ヨイトマケの唄』を歌い、『毛皮のマリー』『黒蜥蜴』の舞台に主演した。77歳で初めて紅白歌合戦に立ち、2025年には紀伊國屋演劇賞の特別賞を受けた。

昭和10年生まれ ・ 長崎県長崎市出身 ・ 1935–2026 ・ 没年91歳

本名丸山明宏(出生名は寺田臣吾) / 学歴国立音楽高等学校中退 / ジャンルシャンソン・自作曲 / 活動期間1951年–2026年 / 事務所オフィスミワ(個人事務所)

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1935(昭和10) 長崎市本石灰町に生まれる1945(昭和20) 長崎の自宅で被爆する1946(昭和21) 海星中学に入り、シャンソンと出会う1951(昭和26) 国立音楽高等学校に入学し、上京する1951(昭和26) 進駐軍のキャンプでジャズを歌い始める1952(昭和27) 橘薫の前座で歌い、銀巴里へ1956(昭和31) 銀巴里と専属契約、丸山明宏を名乗る1957(昭和32) 『メケ・メケ』が大ヒットメケ・メケ1959(昭和34) 『女であること』など、映画への出演が続く1963(昭和38) 日本初の全曲自作リサイタルを開く1965(昭和40) 『ヨイトマケの唄』をテレビで歌い、反響を呼ぶヨイトマケの唄1967(昭和42) 寺山修司の天井桟敷の旗揚げ公演に主演天井桟敷1968(昭和43) 『黒蜥蜴』に主演、自叙伝『紫の履歴書』を刊行1971(昭和46) 芸名を美輪明宏に改める1975(昭和50) アルバム『白呪』を発表1979(昭和54) エディット・ピアフを描く『愛の讃歌』を初演1983(昭和58) 『毛皮のマリー』『青森県のせむし男』を再演1985(昭和60) 『大典礼』を最後に舞台から遠ざかる1987(昭和62) パリ、マドリード、シュトゥットガルトでリサイタル1990(平成2) 銀巴里の閉店で「さよならコンサート」1993(平成5) 『黒蜥蜴』を再演し、舞台に戻る1997(平成9) 『もののけ姫』でモロの君を演じるもののけ姫2000(平成12) 渋谷ジァン・ジァンで最後のライヴ2004(平成16) 『ハウルの動く城』で荒地の魔女を演じる2005(平成17) 『オーラの泉』に出演2009(平成21) 劇場版『ポケットモンスター』でアルセウスの声2012(平成24) 77歳で紅白歌合戦に初出場し、『ヨイトマケの唄』を歌う紅白2015(平成27) 紅白歌合戦に史上初めて80代で出場2018(平成30) 東京都名誉都民に顕彰される2019(令和元) 軽い脳梗塞で入院、全国公演を中止2022(令和4) NHK放送文化賞を受け、世田谷区名誉区民に2023(令和5) TBSラジオで『美輪明宏の薔薇色の人生』を始める2025(令和7) 90歳で楽曲を一斉配信、紀伊國屋演劇賞の特別賞を受ける2026(令和8) 老衰のため死去、91歳死去昭和平成令和
誕生 1935歿 2026
長崎の丸山遊廓に近い繁華街で育ち、10歳で被爆した。1951年に上京し、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で歌い始め、1957年に『メケ・メケ』で人気を集めて全国の興行に呼ばれた。その頃に訪れた九州の炭鉱町で、炭塵にまみれた客を前にシャンソンを歌ったことから、そうした人たちを励ます歌を「自分でつくって、自分で歌おう」と思い、作詞作曲に取り組む。その一曲『ヨイトマケの唄』は1965年にテレビで大きな反響を呼び、2012年には77歳で初出場した紅白歌合戦で歌った。舞台では寺山修司の天井桟敷で主演し、三島由紀夫脚本の『黒蜥蜴』で主役を演じて代表作とした。2026年6月20日、91歳で亡くなった。

同世代1965年、同世代の彩木 雅夫は、札幌本社へ移り、『愛の終りに』を売り込む →

つながり美輪 明宏のつながりを図で見る →

歩み

色街で育ち、10歳で被爆

昭和10〜

昭和
1935昭和105月15日
満0歳

長崎市本石灰町に生まれる

出生名は寺田臣吾。母の実家の跡継ぎとして丸山家の養子となり「丸山臣吾」に改姓したが、寺田家で育った。丸山遊廓に近い繁華街の家で、隣の芝居小屋・南座に幼い頃から出入りしていた。

1945昭和208月9日
満10歳被爆

長崎の自宅で被爆する

自宅で夏休みの宿題の絵を描いていた時、原爆が投下された。6日後の終戦の日には、爆心地近くにあった母の実家まで祖父母を一人で探しに行き、惨状を目にしている。原爆で父の貸付先が相次いで破産・死去し、一家は貧しい暮らしになった。

本人10歳の夏でした。家の2階の縁側で宿題の絵を描いていて、出来ばえを見ようと2〜3歩後ろに下がったとき、白い閃光が走りました。 出典

1946昭和21
満11歳

海星中学に入り、シャンソンと出会う

終戦の翌年、海星中学に入学。映画『僕の父さん』で子役・加賀美一郎のボーイソプラノに感動し、先生の勧めでピアノと声楽を習うようになる。中学ではフランス語が必修で、家の前の楽器店で聴いたレコードからシャンソンを知り、独学で歌い始めた。

上京、銀巴里から『メケ・メケ』へ

昭和26〜

1951昭和26春
満15歳

国立音楽高等学校に入学し、上京する

オペラ歌手やコンサート歌手を夢見て国立音楽高等学校に入り、春に一人で上京した。だが二学期いっぱいで中退する。本人は、家が破産して下宿代も払えなくなったと振り返る。

1951昭和26
満16歳

進駐軍のキャンプでジャズを歌い始める

中退後、生活費を稼ぐために進駐軍のキャンプを回ってジャズを歌った。本人はこれを「プロとしての始まり」と語っている。新宿駅で寝泊まりした時期もある。

1952昭和27
満17歳

橘薫の前座で歌い、銀巴里へ

アルバイトをしながら、頼まれて宝塚出身の橘薫のシャンソン・コンサートで前座を務めた。橘に認められて銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」を紹介され、原孝太郎に師事して歌い始める。

1956昭和31
満21歳

銀巴里と専属契約、丸山明宏を名乗る

師の原孝太郎が新宿の「ラ・セーヌ」に移った。その誘いに迷ったが、店のオーナーに引き留められて残り、客足の落ちた銀巴里と専属契約を結ぶ。名を丸山明宏と改め、紫ずくめの装いで銀座を歩いて店を宣伝し、三島由紀夫、吉行淳之介、寺山修司ら文化人の支持を得ていく。

1957昭和32
満22歳ブレイク

— 『メケ・メケ』が大ヒット

シャンソン『メケ・メケ』を日本語でカバーしてレコードに吹き込み、大ヒットした。元禄時代の小姓の衣装を洋装に取り入れたユニセックスな装いで、マスメディアから「神武以来の美少年」「シスターボーイ」と呼ばれる。全国の興行に引っ張りだこになり、あちこちに偽者が出たほどだった。この年、増村保造監督の映画『暖流』にも歌手として出演している。

1959昭和34
満24歳

『女であること』など、映画への出演が続く

1958年の『女であること』ではオープニングで同名の主題歌を歌い、『東京野郎と女ども』では舶来のシスターボーイを演じた。1959年には『体当りすれすれ娘』『新婚列車』に、役名のある役で出ている。

自作の歌と、寺山・三島の舞台

昭和38〜

1963昭和38
満28歳

日本初の全曲自作リサイタルを開く

本人によると、『メケ・メケ』の後に全国を回っていた頃、九州の炭鉱町の興行で炭塵にまみれた客を前にし、自分で歌を作ろうと思ったという。ブームは1年ほどで静まり、その間に週刊誌で同性愛者であることを公表したことや、自ら和訳した生々しいシャンソンへの反発もあって、人気は急落した。1963年、中村八大らの助力で、全曲を自作で構成したリサイタルを日本で初めて開いた。

本人なんとかこういう人たちを慰め、励ます歌はないだろうか、と思いました。 出典

1965昭和40
満30歳代表曲

— 『ヨイトマケの唄』をテレビで歌い、反響を呼ぶ

前年にステージで初めて披露した自作『ヨイトマケの唄』を、NET(現・テレビ朝日)の『木島則夫モーニングショー』で歌った。建築現場で働く母と息子を描いた歌で、直後から労働者や母子家庭の人たちのはがきが全国から届き、1週間後には異例のアンコールが組まれる。それまで見向きもしなかったレコード会社やプロダクションが訪れるようになった。一方、歌詞の「土方」が不適切だとされ、民放では歌えなくなる。この年の末に打診のあった紅白歌合戦は、6分以上ある歌を2分半に縮める条件だったため断った。

1967昭和42
満32歳初舞台

— 寺山修司の天井桟敷の旗揚げ公演に主演

寺山修司の演劇実験室・天井桟敷の旗揚げ公演で、寺山が書き下ろした『青森県のせむし男』に主演した。役は大正マツという醜い老女で、事務所は『ヨイトマケの唄』のヒットで世間に認められたばかりだと反対したが、引き受けて大当たりになる。続く『毛皮のマリー』も前作以上のヒットになり、本人はこの2作を舞台俳優としての出発点に挙げている。

本人後の『黒蜥蜴』や『愛の讃歌』などへつながる、私の舞台俳優としての出発点です 出典

1968昭和43
満33歳

『黒蜥蜴』に主演、自叙伝『紫の履歴書』を刊行

江戸川乱歩原作・三島由紀夫脚本の舞台『黒蜥蜴』で、主役の盗賊を演じた。同じ年には深作欣二監督の映画版でも主演し、この作品は海外でも評価を受ける。舞台『双頭の鷲』『椿姫』にも立ち、9月には自叙伝『紫の履歴書』を大光社から出した。

美輪明宏への改名と、長い療養

昭和46〜

1971昭和46
満36歳改名

芸名を美輪明宏に改める

1971年、三島由紀夫の供養の読経中に「美輪」の字が浮かび、生前の三島が三輪神社で修行していたことに思い至る。姓名判断でも申し分のない画数だったことから、丸山明宏から美輪明宏に改名した。あわせて女性役を演じない「女優引退宣言」をして、歌手活動に専念する。前年の1970年からはTBSラジオの身の上相談を受け持っており、芸能人の人生相談としては異例の25年続く番組になる。

1975昭和50
満40歳

アルバム『白呪』を発表

歌手に専念した時期に出したアルバムの一つ。映像には男性役で出るようになり、翌1976年にドラマ『さくらの唄』、1977年に井上ひさし原作の映画『日本人のへそ』に出演した。

1979昭和54
満44歳

エディット・ピアフを描く『愛の讃歌』を初演

1978年に森茉莉原作の『枯葉の寝床』で舞台に戻った。だがこの頃から体調を崩して年々悪化し、テレビ出演を控えるようになる。1979年、深く敬愛するエディット・ピアフの生涯を描いた、自作自演の舞台『愛の讃歌』を初演した。

1983昭和58
満48歳

『毛皮のマリー』『青森県のせむし男』を再演

天井桟敷で初演した2作を再演する。同じ年、りんたろう監督のアニメーション映画『幻魔大戦』でフロイの声を演じた。翌1984年には『双頭の鷲』を再演し、パリでリサイタルも開いた。

1985昭和60
満50歳闘病

『大典礼』を最後に舞台から遠ざかる

体調が悪化し、アラバール原作・演出の『大典礼』を最後に、舞台に立てなくなった。

1987昭和62
満52歳

パリ、マドリード、シュトゥットガルトでリサイタル

舞台に立てなくなった後もリサイタルは続け、パリ、マドリード、シュトゥットガルトで開いたリサイタルは、ル・モンドやリベラシオンをはじめ多くの新聞・雑誌に紹介された。前年の1986年からは、PARCO劇場でのロングリサイタルも始めている。

平成 1989
1990平成2
満55歳

銀巴里の閉店で「さよならコンサート」

40年近く歌い続けた銀巴里が閉店し、最後の日のさよならコンサートで自作の『いとしの銀巴里』を涙ながらに歌った。この年、東京芸術劇場のこけら落とし公演『マリー・ローランサン』を演出している。

『黒蜥蜴』の再演、ジブリの声

平成5〜

1993平成5
満58歳復帰

『黒蜥蜴』を再演し、舞台に戻る

前年に持病が完治し、1985年以来遠ざかっていた舞台に『黒蜥蜴』の再演で戻った。前売り券は発売当日に完売する。主演に加えて演出・美術・衣装・選曲も自ら手がけ、以後の舞台は1994年と1996年の『毛皮のマリー』を除いて、全て自身の演出になった。

1997平成9
満62歳

『もののけ姫』でモロの君を演じる

宮崎駿監督のアニメーション映画『もののけ姫』で、山犬神・モロの君の声を担当した。アフレコでは宮崎から「今回はふだんの美輪さんのままで」と頼まれている。この役で東京スポーツ映画大賞の助演男優賞を受けた。同じ年に13年ぶりに再演した『双頭の鷲』では、読売演劇大賞の優秀賞を受けている。

2000平成123月29日
満64歳

渋谷ジァン・ジァンで最後のライヴ

銀巴里の閉店後、唯一のライブの場だった渋谷ジァン・ジァンが閉場することになり、最後のライヴを開いた。同じ年、桑田佳祐がフジテレビ系『桑田佳祐の音楽寅さん』で『ヨイトマケの唄』を歌っている。以後、長く放送自粛となっていた民放各局でもこの歌が放送される機会が増えていく。

2004平成16
満69歳

『ハウルの動く城』で荒地の魔女を演じる

宮崎駿監督のアニメーション映画に声で出演し、荒地の魔女を演じる。『もののけ姫』に続くスタジオジブリ作品への参加になった。

2005平成17
満70歳

『オーラの泉』に出演

テレビ朝日系の番組『オーラの泉』が始まり、「愛の伝道師」として出演した。番組は2009年まで続く。宮崎駿作品の声とあわせて、幅広い層に知られるようになった。

2009平成21
満74歳

劇場版『ポケットモンスター』でアルセウスの声

劇場版ポケモンの第12作『劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール アルセウス 超克の時空へ』で、アルセウスを演じた。

77歳の紅白初出場、最期まで

平成24〜

2012平成2412月
満77歳初出場

— 77歳で紅白歌合戦に初出場し、『ヨイトマケの唄』を歌う

『第63回NHK紅白歌合戦』に初出場し、約半世紀前に出場を断った『ヨイトマケの唄』を歌った。77歳での初出場は、初出場者として史上最高齢だった。

本人61年目の新人でございます。『紅白』は初出場でございますけれど、50年ほど前に「ヨイトマケの唄」でもお話はあったのですが、その時は事情があってご辞退申し上げました。 出典

2015平成27
満80歳

紅白歌合戦に史上初めて80代で出場

『第66回NHK紅白歌合戦』に出場し、自身の持つ最年長出場の記録を更新した。翌年は選ばれず、これが最後の紅白になった。4年続けての紅白出場になった。

2018平成3010月1日
満83歳

東京都名誉都民に顕彰される

金工鍛金家の奥山峰石、写真家の笹本恒子とともに名誉都民に選ばれ、都庁の顕彰式で称号記を受けた。

本人最初にご連絡をいただいたとき、いったんはご遠慮したんです。私は社会に反旗を翻し、抗いつづけて生きてきたものですから、いただける筋合いはないと思いますって。 出典

令和 2019
2019令和元9月11日
満84歳闘病

軽い脳梗塞で入院、全国公演を中止

軽い脳梗塞で入院し、9月から11月のシャンソンの全国公演を中止した。11月17日にTBSラジオのレギュラー番組『美輪明宏 薔薇色の日曜日』で仕事に戻り、12月17日には入院後初めてイベントに出て、報道陣の前に姿を見せた。

本人私はどんなことがあってもフェニックスのようによみがえるんです 出典

2022令和4
満87歳

NHK放送文化賞を受け、世田谷区名誉区民に

第73回NHK放送文化賞を受賞した。10月16日には区制施行90周年の記念式典で、石川さゆりらとともに世田谷区の名誉区民に顕彰されている。

2023令和56月4日
満88歳

TBSラジオで『美輪明宏の薔薇色の人生』を始める

2003年から続いた『美輪明宏 薔薇色の日曜日』が2020年3月29日に終わってから3年余り。TBSラジオで、再び自分の名前を冠した番組を持った。

2025令和75月15日
満90歳

90歳で楽曲を一斉配信、紀伊國屋演劇賞の特別賞を受ける

誕生日の5月15日、キングレコードから出したシングルとアルバム計17タイトル・のべ171曲が、音楽のサブスクリプションサービスで一斉に配信された。8月1日公開の映画『長崎―閃光の影で―』では語りを務め、自身の被爆体験をつづったメッセージを寄せている。12月には第60回紀伊國屋演劇賞の特別賞に選ばれ、天井桟敷の旗揚げ公演から『毛皮のマリー』『双頭の鷲』『黒蜥蜴』の主演まで、長年の舞台での功績が理由に挙げられた。

本人若い世代の方には、もう二度と戦争を起こさないように、美しい文化にふれて心を豊かにしていただきたいと思います。 出典

2026令和86月20日
満91歳訃報

老衰のため死去、91歳

この1年は高齢のため仕事を抑えて体力の回復に努め、約3か月前に体調を崩してからは自宅で静養していた。6月20日午前9時30分、老衰のため亡くなる。最後は「ありがとう」と一言感謝を伝え、静かに目を閉じたという。葬儀は近親者のみで営まれ、6月28日に所属事務所のオフィスミワが公式サイトで公表した。

主な作品

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