目次
選考に落ちた少年、湘南で19歳の主将に
平成5〜
神奈川県横浜市に生まれる
小学1年でサッカーを始める。父もサッカー経験者で、幼い頃から一緒にボールを蹴った。小学校高学年になると父と日産スタジアムなどへ横浜F・マリノスの試合を見に通い、プロの舞台に憧れを持つ。
マリノスの選考に落ち、中学の部活でサッカーを続ける
マリノスの育成組織のセレクションに3年続けて落ちた。コーチに勧められて練習に参加した横浜市立南戸塚中学校の部活を選ぶ。中1はFW、中2はトップ下やボランチ、中3はセンターバックと位置が変わった。
本人雲の上の存在だったので。悔しいよりは『やっぱ受からないんだ』みたいな感じ 出典
湘南ベルマーレのユースに入る
神奈川県立金井高校への進学と同時に、湘南ユースに入団した。中学2年の時に先生のつながりで練習に参加し、指導者の曺貴裁に「空中戦の感覚が良い」と認められて誘われていた。トップチームの選手のプレーを間近に見る日々で、プロになることを意識し始める。国体優勝やU-16日本代表選出と実績を重ねた。
本人すごく嬉しかった。プロに入る近道と思った 出典
高校生のまま湘南のトップチームに登録され、J1でデビュー
ユース所属のままトップチームに2種登録され、ナビスコカップとJ1で公式戦に出る。反町康治監督は「ボールを動かせるし、身長は低いけどヘディングも強い」と評した。のちに翌2011年からのトップチーム昇格が内定する。
本人プロになることができて嬉しく思います。ただ、今の自分にとってはプロは夢というよりも目標に近いものでした。 出典
19歳で湘南の主将になり、J1昇格に貢献
湘南で19歳ながらキャプテンを任される。ディフェンダーだがPKキッカーも務めて7得点を挙げ、チームのJ1昇格に貢献した。本人は、チームも自分もうまくいかなかった時期に曺貴裁から「キャプテンだからといって責任を感じすぎるな」と言われたことが、キャプテンとしてのスタイルをつくるきっかけになったと振り返っている。私生活では19歳で結婚した。
長期離脱を経て復帰、湘南は1年でJ2へ
J1で守備の軸と期待されたが、2月に故障で長期離脱し、実戦に戻ったのは8月だった。後半戦の川崎フロンターレ戦で決勝点を挙げたものの、チームは1年でJ2に降格する。20歳で長男が誕生した。
浦和レッズからの誘いを断り、湘南に残る
シーズンを通じて強さを見せた湘南で、キャプテンの永木亮太らとチームを引っ張った。オフにはその活躍で浦和レッズから誘いを受けたが断り、2015年も湘南でプレーすることを選ぶ。
日本代表に初めて選ばれ、北朝鮮戦でデビュー
U-16からU-23まで各年代の日本代表に招集されてきた。7月23日、EAFF東アジアカップ2015のメンバーとしてA代表に初めて選ばれ、8月2日の北朝鮮戦で初出場する。
浦和レッズへ完全移籍
前年に一度は誘いを断った浦和レッズへ、12月23日に完全移籍した。湘南では2種登録の時期を含め6シーズンを過ごした。
浦和でアジア王者、W杯の悔しさを胸に欧州へ
平成28〜
リオ五輪で主将を務め、ルヴァンカップで初タイトル
U-23アジア選手権を制したチームから、リオデジャネイロ五輪の18人に選ばれる。主将として全3試合にフル出場したが、日本はグループリーグで敗退した。浦和では10月15日のJリーグカップ(ルヴァンカップ)決勝ガンバ大阪戦のPK戦で5人目のキッカーを務めて決め、プロで初めてのタイトルを得た。
本人僕は、五輪に賭ける気持ちが強かったです。そこで活躍して、海外に行く『最後のチャンスだ』くらいに思っていました。 出典
浦和でAFCチャンピオンズリーグを制す
アル・ヒラルとの決勝は2試合とも右サイドバックで先発した。第2戦を1-0で制し、浦和は2試合合計2-1で10年ぶり2回目のACL優勝を果たす。浦和はアジア代表として、翌月のFIFAクラブワールドカップに出場することになった。
W杯で出番がなく、ベルギーのシント=トロイデンへ
6月のロシアW杯でメンバー23人に入ったが、出場機会は無かった。7月21日、浦和を退団してベルギー1部シント=トロイデンへの完全移籍が発表される。浦和ではセンターバックを務めていたが、シント=トロイデンにはボランチで勝負したいと伝えた。8月5日、ヘンクとのダービーでデビューし、初得点も挙げる。
本人W杯の悔しさを経験してさらに海外志向が強くなって、そのタイミングでオファーをいただいたのでチャレンジしたい気持ちは非常に強くなりました 出典
アジアカップで決勝に進み、準優勝
AFCアジアカップ2019で中盤の要を担い、決勝進出に貢献した。準決勝で左太もも裏を痛め、決勝はベンチから見届けて日本は準優勝。同じ年の10月10日には、モンゴル戦で代表初得点を決めた。
本人自分がボランチでスタメンを争える存在だと証明できたと思っています。 出典
シュトゥットガルトで主将、デュエル勝利数1位
令和2〜
シュトゥットガルトへ完全移籍、1部昇格に貢献
前年8月、ブンデスリーガ2部のシュトゥットガルトへ期限付きで加入していた。主力に定着し、4月28日に完全移籍への移行が発表される。2年ぶりの1部昇格に貢献し、独誌キッカーの2部年間ベストイレブンにはチームでただ1人選ばれた。先発を重ねられた理由の一つとして、チームメイトのマリオ・ゴメスが監督らに起用を提言したことが挙げられている。
シュトゥットガルトの主将に、東京五輪にはオーバーエイジで出場
この年の2月、シャルケ戦でブンデスリーガ初ゴールを含む2得点を挙げ、シーズンはリーグ最多のデュエル勝利数を記録した。7月23日、2021-22シーズンのキャプテン就任が明らかになる。同じ夏の東京五輪には、吉田麻也、酒井宏樹とともにオーバーエイジで招集され、全試合に出場した。
最終節の決勝点で残留、2年連続でデュエル勝利数1位
主将として臨んだシーズンは終始残留争いに苦しみ、最終節のケルン戦では後半アディショナルタイムにヘディングで決勝点を挙げる。他会場の結果も重なり、逆転で1部に残った。デュエル勝利数は448回で、前季の476回に続き2年連続のリーグ1位だった。
カタールW杯で全試合に出場
11月1日にカタールW杯の日本代表に選ばれ、2大会連続のメンバー入りを果たす。今度は全試合に出場し、ドイツとスペインに勝ったチームで中心を担った。日本はベスト16に進んだ。
日本代表の主将、リヴァプールでの日々
令和5〜
日本代表の主将に
6月13日、前任の吉田麻也から日本代表のキャプテンを引き継ぐ。前日のミーティングで森保一監督から伝えられたという。2018年のロシアW杯後に長谷部誠が代表を離れてからは、吉田が主将を務めていた。
本人自分にできることは限られているので、今まで通りやるということに加えて、チームがどのようにやっていけば成長できるかを考えていかなければと思っています 出典
30歳でリヴァプールへ
8月18日、シュトゥットガルトからイングランドのリヴァプールへの完全移籍が発表される。クラブは長期契約とだけ明かし、英スカイスポーツは2027年6月までの4年契約と報じた。背番号は「3」。リヴァプールでプレーする日本人は南野拓実以来2人目だった。適応には時間が要ったが、12月上旬からリーグ戦でも先発に定着し、12月のクラブ月間MVPに選ばれた。
本人プレミアリーグで、そして世界でも有数のビッグクラブでプレーするのを目標としてきたので、僕にとっては夢が叶った気分です 出典
アジアカップを主将で戦い、カラバオカップを制す
AFCアジアカップ2023に主将として臨み、イラク戦でコーナーキックからヘディングで得点した。クラブでは序盤から主力を担ったカラバオカップ(EFLカップ)の決勝チェルシー戦に先発し、途中で足首を痛めながら延長を含む120分を戦って優勝に貢献する。
リヴァプールでプレミアリーグを制す
2024-25シーズンは監督がユルゲン・クロップからアルネ・スロットに代わり、出場機会が大きく減った。リーグ戦の先発は一度も無く、リードした試合の終盤に入って締める役を担う。優勝を決めたトッテナム戦も途中から右サイドバックに入り、4試合を残して5シーズンぶりの優勝が決まった。プレミアリーグ優勝を経験した日本人選手は5人目。
サンダーランド戦で左足を負傷し、手術を受ける
2月11日のサンダーランド戦で今季リーグ戦初の先発に起用されたが、後半に負傷する。左足のリスフラン靭帯の断裂で、全治6か月のけがだった。W杯に間に合わせるため、日本代表のドクターが示した人工靭帯を入れる手術を自ら選んだ。
W杯開幕直前にけがで離脱し、代表引退を表明
5月15日、3大会連続となる北中米W杯のメンバーに選ばれる。5月31日のアイスランド戦で約3か月半ぶりに実戦へ戻ったが、同じ箇所を再び痛めた。本人には「俺はプレーできる」という感触があったものの、医療スタッフは本大会でのプレーは難しいと判断し、日本サッカー協会は6月11日に離脱を発表する。その約1時間半後、本人がSNSで代表引退を表明した。初招集からの国際Aマッチ出場は73試合。新しい主将には板倉滉が就いた。
本人自分は今回の代表をもって代表を引退する事にします。なので、これからは1人のファンとして日本代表を応援していきます。 出典
著書『STEP -夢を叶える33のブースター-』を出版
日本代表の主将とリヴァプールという立場に届くまでの行動と、その背景にある考えを語った本。前著に『DUEL』があり、2021年からは自身のプレーを解説する動画「月刊・遠藤航」を配信している。
契約最終年、リヴァプールで出番を待つ
2026-27シーズンからリヴァプールはアンドニ・イラオラ監督が率いる。8月9日のモナコとの親善試合に後半から右センターバックで入り、リヴァプールでの出場は2月11日のサンダーランド戦以来、179日ぶりだった。ただ10月17日の第7節ブレントフォード戦もベンチにとどまり、今季7試合で一度も起用されていない。監督はけがによる出遅れを理由に挙げている。欧州チャンピオンズリーグの登録メンバーからも外れた。今季は契約の最終年にあたる。時事通信は、定位置を失いながらプレミアリーグ優勝に貢献したシーズンを彼の実績として挙げている。