★ STAR TIMELINE

鎌田 大地

かまだ だいち

鎌田 大地

愛媛の少年がガンバの下部組織で昇格を逃し、東山高校からサガン鳥栖へ。フランクフルトでヨーロッパリーグ、クリスタル・パレスでFAカップとカンファレンスリーグを制した日本代表のボランチ。

平成8年生まれ ・ 愛媛県伊予市出身 ・ 1996– ・ 満30歳

所属クリスタル・パレスFC / ポジションMF / 利き足右 / 学歴東山高等学校 / 主要所属クラブサガン鳥栖→フランクフルト→シント=トロイデン→ラツィオ→クリスタル・パレス

近況
2026(令和8)満30歳

3季目のパレスで冨安健洋と同僚に、カラバオ杯で今季初ゴール

ヨーロッパリーグにも出場する2026-27シーズン、9月8日のカラバオカップ3回戦ミドルスブラ戦に後半14分から途中出場し、新加入の冨安健洋の縦パスから始まった攻撃をループシュートで仕上げて今季初ゴール。チームは3-0で初戦を突破した。

1996(平成8) 愛媛県伊予市に生まれる2009(平成21) ガンバ大阪ジュニアユースへ、岸和田の祖父母宅から通う2012(平成24) 京都の東山高校に進学、1年生で選手権府大会決勝に立つ2013(平成25) プリンスリーグ関西1部で得点王とアシスト王を独占得点王2014(平成26) 主将として最下位のチームで10得点、サガン鳥栖と仮契約2015(平成27) サガン鳥栖に入団、「すごく尖っていた」高卒1年目2015(平成27) J1初出場で同点ボレー、クラブ最年少得点でプロ初ゴールプロデビュー2017(平成29) 結婚、背番号7で迎えた鳥栖3年目に札幌戦で決勝点2017(平成29) アイントラハト・フランクフルトへ完全移籍、鳥栖のラストゲームで胴上げ海を渡る2018(平成30) 構想外となりベルギーのシント=トロイデンへレンタル移籍2019(令和元) 日本代表デビュー、コロンビア戦で国際Aマッチ初出場2019(令和元) フランクフルト復帰、ポカール初戦で加入後初得点2019(令和元) ELアーセナル戦で2得点、独紙が「キング・カマダ」と一面で報じる2020(令和2) ELザルツブルク戦でプロ初のハットトリック、クラブ史上初の快挙2022(令和4) ヨーロッパリーグ決勝でPK成功、クラブ42年ぶりの欧州タイトルEL制覇2022(令和4) チャンピオンズリーグで3試合連続ゴール、クラブ史上初の決勝T進出へ2022(令和4) カタールW杯に初出場、全試合に出て走行距離チームトップ2023(令和5) フランクフルトを退団、ミラン破談の末にラツィオへ2024(令和6) 監督交代で中心に、インテル戦の得点を最後にラツィオを1年で退団2024(令和6) プレミアリーグのクリスタル・パレスへ、恩師グラスナーの下で2024(令和6) W杯アジア3次予選サウジアラビア戦で決勝ゴール2025(令和7) FAカップ決勝でシティを破り、クリスタル・パレス史上初のメジャータイトルFAカップ2025(令和7) キリンカップでブラジルに史上初勝利、クラブでは2か月連続の月間MVP2026(令和8) カンファレンスリーグ制覇、2年で3つ目のタイトルをパレスにもたらす2026(令和8) 北中米W杯で2試合連続ゴール、ブラジルに逆転負けしラウンド32で敗退2026(令和8) グラスナー退任後もパレスに残留、2027年夏まで契約延長2026(令和8) 3季目のパレスで冨安健洋と同僚に、カラバオ杯で今季初ゴール現在平成令和
誕生 1996現在
ガンバ大阪のジュニアユースでユース昇格を逃した少年は、京都の東山高校で「22歳でプロになるのは絶対に遅い」と大学進学を蹴り、サガン鳥栖から18歳でJ1に立った。20歳でフランクフルトへ渡ると1年目はわずか3試合、ベルギーへの貸し出しを経て戻った先で「キング・カマダ」と呼ばれる存在になる。ヨーロッパリーグ、FAカップ、カンファレンスリーグ。派手な得点源ではなく中盤で試合を握るタイプの選手が、渡り歩いたクラブに次々とタイトルを持ち込み、日本代表では2大会連続でワールドカップのピッチに立った。

同世代2015年、同い年の若井 滉斗は、メジャーデビュー、ギタリストとしてバンドサウンドを支える →

つながり鎌田 大地のつながりを図で見る →

歩み

愛媛の少年、ガンバで挫折し東山高校へ

平成8〜

平成
1996平成88月5日
満0歳

愛媛県伊予市に生まれる

父・幹雄の教えで3歳からボールを蹴り始め、地元の強豪キッズFC(現・FCゼブラキッズ)に入団した。小学5年時には1学年上のナショナルトレセンU-12四国に選出され、主将を務めた6年時には愛媛県少年サッカー選手権大会で優勝した。

2009平成21
満12歳

ガンバ大阪ジュニアユースへ、岸和田の祖父母宅から通う

小学6年時に父の勧めでJFAアカデミー福島を受験したが最終選考で不合格となり、ガンバ大阪のジュニアユースに進んだ。しかし主戦場のトップ下には井手口陽介ら多くのライバルがおり、入学時150cmほどだった身長が3年間で175cmまで伸びて動きが追いつかず、中3になっても途中出場が多かった。ユースへの昇格は叶わなかった。

2012平成24
満15歳

京都の東山高校に進学、1年生で選手権府大会決勝に立つ

父・幹雄と福重良一監督が大阪体育大学の先輩後輩だった縁もあり、東山高校を選んだ。福重監督は中3の9月に練習に来た鎌田を「気難しい印象はありました」と振り返り、中学生の時点で「10代で海外に行って欧州5大リーグにステップアップして欧州CLで活躍する」というビジョンを口にしていたと証言している。1年生ながら出場した第91回全国高校サッカー選手権京都府大会決勝は、京都橘高校に2-3で敗れた。

2013平成25
満17歳記録

プリンスリーグ関西1部で得点王とアシスト王を独占

2年生ながら18試合22得点18アシストという数字で得点王とアシスト王のダブルを達成し、チームを3位に導いた。3年生不在で臨んだプレミアリーグ参入決定戦では藤枝東高校戦で決勝ゴールを挙げてトーナメントを制し、翌年のプレミアリーグWEST昇格の原動力となった。この活躍で清水エスパルスの練習に参加してゴトビ監督に気に入られ、一時は清水入団が濃厚となっていた。

2014平成2611月17日
満18歳プロ入り

主将として最下位のチームで10得点、サガン鳥栖と仮契約

3年時は自ら「キャプテンをやらせてほしい」と申し出て100人超の部員を率いた。チームがプレミアリーグWESTで最下位に沈み全18試合で総得点19点という中、徹底したマンマークに遭いながら得点ランキング4位の10得点を記録。ゴトビ監督の解任で清水入りが流れる中、サガン鳥栖への加入が内定した。11月17日、東山高校で仮契約と入団会見が行われた。

本人世界的に見て、22歳でプロになるのは絶対に遅いと思う。高卒Jリーグ1年目から出ることが理想だし、そうしないといけない。 出典

鳥栖で開花、20歳でドイツへ、ベルギーで再起

平成27〜

2015平成271月
満18歳

サガン鳥栖に入団、「すごく尖っていた」高卒1年目

1月15日の新体制発表記者会見で鳥栖に加入。本人も「結局、鳥栖からしか正式なオファーは来なかったんですよね……」と振り返るスタートだった。当時の森下仁志監督はシーズン中も一人で黙々と自主練習する姿勢を見て「世界に行ける選手と確信した」と語っており、後年の鎌田は森下監督でなければ「僕、全然ダメだったと思います」と話している。

本人いま思うと、僕自身すごく尖っていた。高校上がりの時は 出典

2015平成275月10日
満18歳プロデビュー

— J1初出場で同点ボレー、クラブ最年少得点でプロ初ゴール

松本山雅戦に後半27分から途中出場し、1点を追う後半45分にペナルティーエリア手前から右足を振り抜いてゴール左隅へ。リーグ戦初出場初ゴールがそのままクラブ最年少得点記録の更新となった。高校時代はミドルシュートを決めたことがなく、4月初旬に森下監督から居残り練習で打つよう命じられて練習し続けた成果だった。翌2016年5月にはトゥーロン国際大会のU-23日本代表に招集されたが、同年のリオ五輪メンバー入りは逃した。

本人面と向かってありがとうと言うのは恥ずかしいので、ゴールがいい母の日のプレゼントになったと思う 出典

2017平成295月
満20歳結婚

結婚、背番号7で迎えた鳥栖3年目に札幌戦で決勝点

鳥栖3年目は背番号が24から7に変わった。5月27日のコンサドーレ札幌戦で決勝点を挙げ、自らの結婚を祝う一発とした。この2017シーズンは平均走行距離12.80キロでJリーグ全選手のトップに立った。

2017平成296月
満20歳海外移籍

アイントラハト・フランクフルトへ完全移籍、鳥栖のラストゲームで胴上げ

6月24日にブンデスリーガのフランクフルトへの完全移籍でクラブ間合意が発表され、29日に2021年までの4年契約が公表された。25日の浦和レッズ戦がラストゲームとなり、小野裕二の先制点をアシストして勝利。壮行セレモニーでは「僕が活躍することでサガン鳥栖の名を世界に広めたい」と誓った。プロ入りからわずか2年半で海外移籍を実現させた。8月20日の開幕戦フライブルク戦でリーグ戦デビューを飾ったが、好調を維持できず2017-18シーズンの出場は3試合にとどまった。

本人僕は鳥栖に拾ってもらった。このクラブがなければ今の僕はない 出典

2018平成308月31日
満22歳転機

構想外となりベルギーのシント=トロイデンへレンタル移籍

新監督ヒュッターの下で戦力と見なされず、移籍市場が閉まる8月31日にベルギー1部のシント=トロイデンVVへの期限付き移籍が発表された。出遅れたデビューは9月16日のヘント戦だったが、途中出場から初得点を決めて勝利に貢献。翌2019年4月20日のプレーオフ・オイペン戦で15ゴール目を挙げて日本人の主要欧州リーグにおけるシーズン最多得点記録を更新した。

本人(試合に出られないのは)いらない時間。できれば、そういう時間を過ごすべきじゃない 出典

令和 2019
2019令和元3月22日
満22歳代表デビュー

日本代表デビュー、コロンビア戦で国際Aマッチ初出場

キリンチャレンジカップに臨む日本代表に初招集され、3月22日のコロンビア戦で代表初出場。同年10月10日のカタールW杯アジア2次予選モンゴル戦で代表初得点を記録した。年代別代表の経験がほぼ皆無だったこともあり、当初は「なぜチームを離れないといけないのか?」という感覚だったと恩師は明かしている。

「キング・カマダ」、ヨーロッパリーグ制覇とカタールW杯

令和元〜

2019令和元8月11日
満23歳

フランクフルト復帰、ポカール初戦で加入後初得点

ベルギーでの活躍でジェノアへの移籍が濃厚となり、ジェノヴァ行きの当日にヒュッター監督とボビッチSDから慰留を受けて残留が決まった。8月11日のDFBポカール1回戦マンハイム戦で加入後初得点を決め、8月29日のヨーロッパリーグ予選3回戦ストラスブール戦ではFK獲得とアシストで逆転の本戦進出に導いた。

2019令和元11月28日
満23歳ブレイク

ELアーセナル戦で2得点、独紙が「キング・カマダ」と一面で報じる

ヨーロッパリーグのグループステージ第5節、アーセナルとのアウェー戦でペナルティエリアライン上から左足でゴール隅を射抜き、2得点で勝利に導いた。ドイツ紙『Bild』が「キング・カマダ」と銘打って一面で報じ、以降ドイツメディアやサポーターの間でこの愛称が定着した。12月12日のヴィトーリア戦でも2戦連続ゴールを挙げ、チームの決勝トーナメント進出に貢献した。

2020令和22月20日
満23歳記録

ELザルツブルク戦でプロ初のハットトリック、クラブ史上初の快挙

ヨーロッパリーグ決勝トーナメント1回戦のザルツブルク戦で3得点を挙げてMOMに選出された。ELでの日本人の1試合3得点は南野拓実以来2人目で、フランクフルトの選手がELでハットトリックを達成したのはクラブ史上初だった。5月26日のフライブルク戦でブンデスリーガ初得点、9月16日には2023年までの契約延長を発表。2020-21シーズンはリーグ3位の12アシストを記録している。

2022令和45月18日
満25歳EL制覇

— ヨーロッパリーグ決勝でPK成功、クラブ42年ぶりの欧州タイトル

2021-22シーズンのELはグループステージで3戦連続ゴールを挙げ、決勝トーナメントでもベティス戦の決勝点、バルセロナ戦のアシスト、準決勝ウェストハム戦の決勝点と勝ち上がりの節目に絡んだ。レンジャーズとの決勝は先発フル出場し、PK戦で3人目のキッカーとして成功。フランクフルトの42年ぶりのEL優勝に貢献し、長谷部誠とともにUEFAカップを制した小野伸二以来20年ぶりの日本人優勝者となった。大会5得点はチームトップ・大会4位タイで、5月22日にはクラブ歴代ベストイレブンにも選出された。

2022令和410月-11月
満26歳

チャンピオンズリーグで3試合連続ゴール、クラブ史上初の決勝T進出へ

この夏はベンフィカ移籍で合意しリスボン行きの航空券まで用意していたが、グラスナー監督から「ダイチは私にとって特別な選手だ」と慰留されて残留した。9月13日のCLグループステージ第2節マルセイユ戦でクラブのCL初勝利に貢献しUEFA公式MOMに選ばれると、10月13日のトッテナム戦でCL初ゴール。次のマルセイユ戦、最終節のスポルティング戦と3試合連続で得点し、クラブ史上初のCL決勝トーナメント進出に貢献した。

2022令和411月
満26歳W杯

カタールW杯に初出場、全試合に出て走行距離チームトップ

11月1日にカタールW杯に臨む日本代表に選出。ドイツ・スペインを破った大会で全試合に出場し、初戦のドイツ戦ではチーム最長の走行距離を記録、グループステージ3試合でも日本代表の最長走行距離・最多スプリント数・最多プレス回数を記録してベスト16進出を支えた。恩師の福重監督は、この大会を経験して「国民が一喜一憂してくれる舞台って本当に凄い」と感じたところから鎌田にチームのために戦う姿勢が出てきたと語っている。

ラツィオを経てクリスタル・パレスへ、タイトルを持ち込む

令和5〜

2023令和58月5日
満27歳移籍

フランクフルトを退団、ミラン破談の末にラツィオへ

4月12日にシーズン限りでの退団が発表された。EL通算11得点はアジア人最多で、CLでも8試合3得点を残した。フリーになった夏は本命のACミランとは覚書まで交わしたが、マルディーニSDの解任で方針が変わり土壇場で破談。8月5日にセリエAのSSラツィオへの加入が発表され、1年契約で背番号は6となった。ナポリ戦で決勝点を挙げてセリエA初ゴールを記録したが、出場機会を減らしていった。

本人僕はこういう雰囲気と、こんな感じ(*淡々とした言動が多い)なので、99%くらいの人からはマイナスに見られがちです。でも、それが自分だと思うし、自分から何かを変える必要もないと思うので。 出典

2024令和65月
満27歳

監督交代で中心に、インテル戦の得点を最後にラツィオを1年で退団

3月14日にサッリが辞任してトゥドールが新監督に就くと起用され続け、5月19日のインテル戦では当季王者から得点。同一シーズンに新旧王者の双方から得点したのは1996-97シーズンのカジラギ以来だった。単年延長を希望する鎌田と複数年契約を求める会長との溝は埋まらず、契約満了で退団が決まった。

2024令和67月1日
満27歳移籍

プレミアリーグのクリスタル・パレスへ、恩師グラスナーの下で

2026年までの2年契約で完全移籍。フランクフルト時代の恩師グラスナー監督が獲得を熱望したことが決め手となり、背番号は18に決まった。8月18日のブレントフォード戦でプレミアリーグデビューを果たし、クラブがEFLに加盟した1920年以来1000人目の出場選手となった。8月27日のカラバオカップ・ノリッジ戦で1ゴール1アシストの公式戦初得点。

2024令和610月10日
満28歳日本代表

W杯アジア3次予選サウジアラビア戦で決勝ゴール

2026年W杯アジア3次予選第3節、敵地でのサウジアラビア戦に先発し、決勝点となる先制ゴールを挙げてPOMに選出された。これはアウェーのサウジアラビアで日本代表が挙げた初めての得点だった。

2025令和75月17日
満28歳タイトル獲得

— FAカップ決勝でシティを破り、クリスタル・パレス史上初のメジャータイトル

4月26日の準決勝アストン・ヴィラ戦で決勝進出に貢献し、マンチェスター・シティとの決勝はボランチで先発フル出場。マテタが競り勝った落としを体勢を崩しながらダイレクトで正確に折り返し、これが決勝ゴールの起点となった。1861年創設のクラブにとって初めてのメジャータイトルで、世界最古のカップ戦の優勝カップを掲げた。続く8月10日のコミュニティシールド・リヴァプール戦もPK戦で制して優勝盾を獲得している。

2025令和710月14日
満29歳日本代表

キリンカップでブラジルに史上初勝利、クラブでは2か月連続の月間MVP

6月5日のW杯アジア最終予選オーストラリア戦にゲームキャプテンとしてフル出場。10月14日のブラジル戦では先発し、日本代表のブラジル戦史上初勝利に貢献した。クラブでは9月27日のリヴァプール戦で先制点を演出してクラブ公式POTMに選ばれ、チームがクラブ記録の19試合無敗を続ける中、クラブの9月・10月の月間最優秀選手賞を連続で受賞した。

2026令和85月27日
満29歳タイトル獲得

— カンファレンスリーグ制覇、2年で3つ目のタイトルをパレスにもたらす

クラブとして初出場のカンファレンスリーグで、準決勝シャフタール・ドネツク戦の第1戦に1ゴール1アシスト。ライプチヒでの決勝ラージョ・バジェカーノ戦にフル出場し、マテタの得点で1-0の勝利。クラブ史上初の欧州カップ戦優勝で、自身にとってもフランクフルトでのELに続く2度目の欧州タイトルとなった。パレスはリーグ15位ながらこの優勝で翌シーズンのヨーロッパリーグ出場権を獲得。加入から2年でFAカップ、コミュニティシールド、カンファレンスリーグと3つのタイトルをもたらしたことになる。

本人普通は勝てないチームがこれだけ勝っているということだったり、そういう舞台に進めているということは本当に持っているということ以外に何もないと思う 出典

2026令和86月
満29歳W杯

北中米W杯で2試合連続ゴール、ブラジルに逆転負けしラウンド32で敗退

6月14日のグループステージ初戦オランダ戦で後半44分、小川航基のヘディングが頭に触れて同点ゴールとなりW杯初得点を記録し、この一撃は「鎌田の1ミリ」としてネットで話題になった。6月21日のチュニジア戦では前半4分に得点し、2試合連続得点は2002年の稲本潤一以来の日本代表2人目、開始4分は日本代表のW杯史上最速だった。グループFを2位で突破したが、6月30日の決勝トーナメント1回戦はブラジルに先制しながら後半アディショナルタイムに勝ち越され1-2で逆転負け。

本人この4年間はみんなが懸けてきたし、もっと上を目指せるチームだと思っていた。だからカタールの時よりも失望感や喪失感は大きいです 出典

2026令和87月8日
満29歳

グラスナー退任後もパレスに残留、2027年夏まで契約延長

6月末で契約が切れる中、クラブは2027年夏までの1年間の契約延長を発表した。パリッシュ会長は「多くの選択肢の中から南ロンドンに留まることを選んでくれて非常に嬉しく思う」とコメント。ここまで公式戦通算89試合3ゴール8アシストだった。

本人すべてに感謝します。またトロフィーを勝ち取りましょう。全力を尽くすことを約束します。また会いましょう 出典

2026令和89月
満30歳近況

3季目のパレスで冨安健洋と同僚に、カラバオ杯で今季初ゴール

ヨーロッパリーグにも出場する2026-27シーズン、9月8日のカラバオカップ3回戦ミドルスブラ戦に後半14分から途中出場し、新加入の冨安健洋の縦パスから始まった攻撃をループシュートで仕上げて今季初ゴール。チームは3-0で初戦を突破した。

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