愛媛からガンバの下部組織、東山高校へ
平成8〜
愛媛県伊予市に生まれる
母の出身地である大阪府岸和田市で育つ。父は鳥取出身で大阪体育大卒、後に弟の大夢もJ3福島でプロ入りする“サッカー一家”となった。
中学進学とともにガンバ大阪ジュニアユースへ
岸和田市立北中学校に通いながら、名門・ガンバ大阪の下部組織でサッカーの基礎を磨いた。
京都の名門・東山高校へ進学
強豪ひしめく京都の高校サッカー界で腕を磨く。
プリンスリーグ関西1部で得点王・アシスト王のダブル獲得
2年生ながら18試合22得点18アシストという圧倒的な数字を残し、チームを3位に導いた。3年時には100人超の部員を率いる主将に就任し、指揮官から「3年間でここまで変わったやつもいない」と評されるまでに成長した。
サガン鳥栖との仮契約・入団会見
複数の強豪大学から誘いを受けたが、「22歳でプロになるのは世界的に見て遅い」との考えから高卒でのプロ入りを志願。サガン鳥栖への加入が内定した。
サガン鳥栖からブンデスリーガへ
平成27〜
サガン鳥栖に正式入団
鳥栖スタジアムでの新体制発表記者会見でクラブに加入した。
— J1初出場で同点弾、プロ初ゴールを飾る
松本山雅戦に途中出場し、鮮やかなダイレクトボレーでプロキャリア初ゴールを記録。これがプロとしての足がかりとなり、以降レギュラーの座をつかんでいった。
ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトへ移籍
4年契約で加入。海外挑戦の第一歩として、以降8年に渡り欧州4カ国でキャリアを重ねていく起点となった。
ブンデスリーガ初出場
第1節SCフライブルク戦でブンデスリーガの舞台に立った。
シント=トロイデンへ期限付き移籍
出場機会を求めベルギーへ。デビュー戦で初得点を挙げるなど結果を残し、1年間で2桁得点を記録した。
フランクフルトでの飛躍、日本代表定着とEL制覇
令和1〜
日本代表デビュー
キリンチャレンジカップ2019のコロンビア戦で国際Aマッチ初出場。同年10月のモンゴル戦で初ゴールを記録し、これを機に日本代表の中心選手への道を歩み始めた。
ヨーロッパリーグでプロキャリア初のハットトリック
決勝トーナメント1回戦のレッドブル・ザルツブルク戦で3得点。ELでの日本人ハットトリックは南野拓実に次ぐ2人目、クラブ史上初の快挙となった。
— ヨーロッパリーグ決勝でPK成功、クラブ42年ぶりの欧州タイトルに貢献
レンジャーズとの決勝でPK戦3人目のキッカーを務め成功。フランクフルトの42年ぶりの欧州タイトル獲得に貢献し、長谷部誠と共に日本人2人目のELチャンピオンとなった。この活躍が評価され、欧州の主要クラブから移籍の関心を集める存在となった。
カタールワールドカップに出場
日本はグループステージでドイツ・スペインという強豪を撃破し首位通過。鎌田はボランチとして全試合に出場し、初のワールドカップ大舞台でチームの躍進を支えた。決勝トーナメント1回戦のクロアチア戦はPK戦の末に敗れたが、これを機に日本代表の不動のレギュラーとしての地位を固めた。
フランクフルト退団が発表される
契約満了に伴う退団で、ヨーロッパリーグ通算11得点はアジア人最多得点記録となった。移籍市場では複数の名門クラブが取り沙汰されたが、最終的にラツィオへの加入が決まった。
セリエAを経て、プレミアリーグの主力へ
令和5〜
SSラツィオでセリエA初出場、初得点
8月20日のUSレッチェ戦でセリエA初出場を果たすと、9月2日のSSCナポリ戦で初得点を記録した。
プレミアリーグのクリスタル・パレスへ完全移籍
2年契約で加入。フランクフルト時代の恩師でもあるグラスナー監督が獲得を熱望したことが決め手となり、背番号は「18」となった。
— FAカップ優勝、続けてFAコミュニティ・シールドも獲得
5月17日のFAカップ決勝マンチェスター・シティ戦でボランチとしてフル出場し、1861年創設のクリスタル・パレスにとって史上初のメジャータイトル獲得に貢献。同年夏にはFAコミュニティ・シールドも制し、クラブの歴史的な1年を支えた。
UEFAカンファレンスリーグ制覇
5月27日の決勝でラージョ・バジェカーノを1-0で下し優勝。クラブは欧州タイトルも手にした。
クリスタル・パレスの主力として、ボランチで日本代表を支え続ける
2026年6月のワールドカップでは決勝トーナメント1回戦でブラジルに1-2で敗れ、日本はベスト16進出を逃した。同大会では国際Aマッチ通算50試合出場という節目も超え、クラブ・代表の両方でボランチの定位置を担い続けている。