目次
川崎からラ・マシアへ
平成13〜
誕生
神奈川県川崎市麻生区の出身。2004年、2歳でサッカーを始め、坂浜サッカークラブや東京ヴェルディのサッカースクールなどでボールを蹴った。
FCバルセロナキャンプでMVP、川崎フロンターレU-10へ
夏、日本で開かれたFCバルセロナキャンプに参加してMVPに選ばれる。11月には川崎フロンターレのアカデミー・セレクションを受け、第1次選考の段階でU-10チームの監督に評価されて入団が決まった。翌2010年4月にはFCバルセロナスクール選抜の一員としてベルギーの大会に出場し、大会MVPに選ばれている。
— 日本人で初めてFCバルセロナの下部組織に入団
FCバルセロナのカンテラ(ラ・マシア)の入団テストに日本人で初めて合格し、川崎フロンターレのアカデミーから移ってスペインへ渡る。10〜11歳で構成されるアレビンCに入り、2013-14シーズンには地中海カップのU-12トーナメントで大会得点王とMVPを獲得した。
公式戦に出られなくなり、バルセロナを退団して帰国
FCバルセロナがFIFAから18歳未満の外国人選手の獲得・登録に関する違反で制裁を受け、その影響で公式戦の出場停止が続いたため、ラ・マシアを退団する。3月に日本へ帰国し、FC東京の下部組織、U-15むさしに入った。
本人フットボールを好きな少年が違う国に行けないで、プレーを禁じられる。僕はいまだ理解することができないです。 出典
FC東京で、最年少の記録を重ねて
平成28〜
中学3年でU-18に飛び級、Jリーグ最年少出場
中学3年ながらFC東京U-18に飛び級で昇格し、日本クラブユースサッカー選手権では大会史上初めて中学生で得点王(5得点)になる。9月にトップチームへ2種登録され、11月5日のJ3・AC長野パルセイロ戦に後半から出場して、Jリーグの史上最年少記録を塗り替えた。
飛び級でU-20ワールドカップへ
5月2日、U-20ワールドカップの日本代表に飛び級で選ばれる。21日の南アフリカ戦では途中出場から堂安律の逆転ゴールをアシストした。10月にはU-17ワールドカップの初戦、ホンジュラス戦で1得点1アシストを記録している。
FC東京とプロ契約、16歳でJ1デビュー
11月1日、FC東京とのプロ契約が発表され、5日のJ3・ガンバ大阪U-23戦でプロ入り初得点。26日のJ1第33節・サンフレッチェ広島戦に途中出場してJ1デビューを果たす。16歳5か月22日での出場は、森本貴幸、宮吉拓実に続く歴代3位の年少記録だった。
J1での出番を求め、横浜F・マリノスへ期限付き移籍
J1では長谷川健太監督に守備時の運動量を求められ、ベンチ入りの機会が減っていた。クラブに「新しいチャレンジがしたい」と直訴し、8月16日に横浜F・マリノスへの期限付き移籍が発表される。ヴィッセル神戸戦で決めたJ1初得点は、森本貴幸に続くJ1歴代2位の最年少得点だった。
FC東京に復帰し、開幕戦で先発
FC東京に戻り、2月23日の開幕戦・川崎フロンターレ戦で、クラブ史上3番目の若さとなる17歳9か月19日で先発に抜擢される。5月12日のジュビロ磐田戦でFC東京の選手としてリーグ戦初得点を挙げ、6月1日の大分トリニータ戦ではプロ初の1試合2得点を記録した。
日本代表デビュー、コパ・アメリカへ
5月23日、キリンチャレンジカップの日本代表に初めて選ばれる。21世紀生まれの選手のA代表選出は史上初だった。6月9日のエルサルバドル戦に後半22分から出場し、市川大祐に次ぐ史上2番目の若さでA代表デビュー。続くコパ・アメリカではチリ戦で代表初先発し、グループリーグ全3試合に出る。チームは敗退したが、ラストパスの本数はグループリーグ終了時点で大会最多の8本だった。
— レアル・マドリードへの移籍が発表される
6月4日に18歳となり、海外移籍が解禁された。古巣バルセロナへの復帰で基本合意していたが、条件面で歩み寄れず、ライバルのレアル・マドリードを選ぶ。クラブは公式サイトで「世界で最も有望な選手の1人」と紹介し、英BBCなど各国のメディアも加入を報じた。当初は1年目をBチームのカスティージャで過ごすと伝えられていたが、プレシーズンマッチで通用する素質を見せたことで、1部の他クラブで経験を積むことになった。
本人僕の将来を考えたレアル・マドリーのプランが気に入った 出典
レアル・マドリードから、4度の期限付き移籍
令和元〜
マジョルカへ期限付き移籍、リーガ初得点
8月22日、7シーズンぶりに1部へ昇格したマジョルカへの期限付き移籍が決まる。11月10日のビジャレアル戦で決めたスペインでの初得点は、欧州4大リーグのアジア出身選手で最年少の得点(18歳5か月6日)になった。チームは2部に降格したが、リーグ戦35試合で4ゴール4アシストを記録し、欧州サッカー連盟によるラ・リーガの「ブレイクした11人」にも選ばれた。
本人毎晩、今日のこの日までリーガでのゴールを夢見続けてきた。大きな夢が叶ったけれど、これを続けないと 出典
ビジャレアルへ期限付き移籍
8月10日、前シーズンを5位で終えたビジャレアルへの期限付き移籍が発表される。10月22日のヨーロッパリーグ、スィヴァススポル戦で移籍後初先発し、1得点2アシスト。ただしリーグ戦の先発は2試合にとどまった。
ヘタフェへ期限付き移籍
1月8日、ビジャレアルとの契約を破棄し、17位で残留を争っていたヘタフェへ移る。5月16日のレバンテ戦で決勝点を決め、チームの残留に貢献した。
東京オリンピックで3試合連続ゴール
U-24日本代表として東京オリンピックに出場。7月22日の南アフリカ戦で決勝ゴールを挙げ、メキシコ戦、フランス戦でも得点して、グループリーグ3連勝に導く。準決勝はスペインに延長戦の末に敗れ、3位決定戦でもメキシコに1-3で敗れて、53年ぶりのメダルには届かなかった。
マジョルカに再び期限付き移籍
8月11日、1シーズンで1部に再昇格したマジョルカへ、1シーズンの期限付き移籍で戻る。このシーズンはリーグ戦28試合に出場して1得点だった。
ソシエダの14番として
令和4〜
— レアル・ソシエダへ完全移籍
7月19日、レアル・ソシエダへの完全移籍が発表される。契約は2027年6月までの5年間で、レアル・マドリードは買い戻すことが可能な50%の保有権を残した。背番号は14。8月14日の開幕戦・カディス戦で移籍後初ゴールを決める。このシーズンはリーグ戦9ゴール4アシストとキャリアハイを大きく更新し、チームの10シーズンぶりのチャンピオンズリーグ出場に貢献、クラブの年間最優秀選手にも選ばれた。
本人ソシエダの一員になることができてとても満足しています。 出典
カタールW杯に出場
6月10日のガーナ戦でA代表初ゴールを挙げた。11月1日、カタールW杯の日本代表に選ばれる。グループリーグのドイツ戦とスペイン戦に先発したが、どちらも前半で交代。スペイン戦の後に体調不良で練習を休み、クロアチアとの決勝トーナメント1回戦はベンチ外だった。初めてのW杯は2試合の出場で終わった。
本人個人的にあのデキで代えられると思っていなかったので悔しい気持ちはありましたけれど、チームを信じた 出典
日本人初のラ・リーガ月間最優秀選手に
9月3日のグラナダ戦でスペインでのキャリア初の1試合2得点を挙げ、乾貴士が持っていたリーグ戦の日本人最多ゴール記録を更新する。20日のインテル戦でチャンピオンズリーグに初出場。この月のリーグ戦で5試合4得点を記録し、ジュード・ベリンガムらを抑えて日本人初の月間最優秀選手に選ばれた。
AFCアジアカップ2023に出場
1月1日、AFCアジアカップ2023の日本代表に選ばれる。31日の決勝トーナメント1回戦・バーレーン戦で大会初ゴール。チームは2月3日の準々決勝でイランに1-2で敗れた。
ソシエダとの契約を2029年まで延長
2月12日、契約を2029年まで延長したと発表。ソシエダの会長は、アジアカップに参加するため、正式な署名は帰ってきた後にすることで合意していたと明かした。
JPFA最優秀選手賞を初受賞
12月27日、日本プロサッカー選手会のJPFA最優秀選手賞を初めて受けた。JPFAアワードのベストイレブンには2022年から3年続けて選ばれている。
本人今年1年はチームとしても代表としても浮き沈みのあった1年だったと思う。その波も含めて、非常に僕個人は楽しめるような余裕もあったので、総括して充実した1年になった 出典
バルセロナ戦で左太もも裏を負傷
1月18日のバルセロナ戦の66分、カウンターでスプリントを仕掛けた際に左太ももを痛め、担架でピッチを出る。クラブは翌日、左足ハムストリングの負傷を公表した。肉離れの程度は重く、最初の数週間を日本で過ごし、代表チームの医師とリハビリを始めることになった。
本人しっかり治して強くなって戻ってきます 出典
国王杯優勝、プロ入り初のタイトル
4月18日のコパ・デル・レイ決勝、アトレティコ・マドリード戦に88分から途中出場する。2-2のまま延長戦を終え、PK戦を制したソシエダが2019-20シーズン以来、通算4度目の優勝を果たした。自身にとってプロ入り初のタイトルになった。直後のリーグ戦では1月のバルセロナ戦以来の先発に戻ってフル出場し、ラ・リーガのマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。
北中米W杯の初戦、オランダ戦で左ひざを負傷
5月15日に北中米W杯の日本代表に選ばれ、2度目のW杯へ。グループFの初戦、オランダ戦に先発し、左サイドを崩して中村敬斗の同点ゴールにつながるパスを出す。71分、デンゼル・ダンフリースと接触して左ひざを痛め、自ら交代を求めて75分に退いた。代表からは離脱せずに治療を続けたが、その後は復帰できず、ブラジルに1-2で敗れたラウンド32も欠場して大会を終えた。
負傷から戻り、W杯後初の日本代表にも選出
左ひざのリハビリを経て、8月8日のケルンとのプレシーズンマッチで実戦に戻り、21日のベティス戦で今季の公式戦初戦に先発した。9月17日、W杯後最初の活動となるキリンチャレンジカップとキリンカップの日本代表に選ばれる。
俳優の福原遥との結婚を発表
自身のInstagramで、俳優の福原遥との結婚を発表した。2人はそれぞれのInstagramに連名のメッセージを載せ、「共に助け合い、笑顔あふれる温かい家庭を築いていきたい」とつづった。