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鈴木 唯人

すずき ゆいと

鈴木 唯人

ジュニアユース不合格から部活動、そして北中米W杯へ。欧州で躍動する日本代表MF。

平成13年 神奈川県三浦郡葉山町生まれ ・ 2001–

所属SCフライブルク ・ ポジションMF ・ 身長175cm ・ 利き足 ・ 主要所属クラブ清水エスパルス→RCストラスブール→ブレンビーIF→SCフライブルク

最新
2026(令和8)

フライブルクで新シーズンへ、代表定着図る

初のW杯を終え、SCフライブルクで2026-27シーズンに向けて始動。海外組の主力として、日本代表でのポジション定着を目指し歩みを続けている。

2001(平成13) 神奈川県三浦郡葉山町に生まれる2010(平成22) 横浜F・マリノスプライマリー追浜に所属2014(平成26) マリノスのジュニアユース昇格ならず、葉山中学校へ2017(平成29) 市立船橋高校へ進学2018(平成30) 2年生から台頭、朝岡監督の指導で開花市船で台頭2019(令和1) 日本高校選抜・U-18代表に選出、3年生で背番号102020(令和2) 清水エスパルスでプロ先発デビュープロ入り2021(令和3) プロ入り初ゴール、リーグ戦でも初得点2022(令和4) 20歳でA代表に初選出2022(令和4) 静岡ダービーなど開幕から2試合連発2022(令和4) U-21日本代表でドバイカップ制覇、AFC U23アジアカップにも出場2023(令和5) フランス・RCストラスブールへ期限付き移籍海外へ2023(令和5) 清水復帰発表からわずか1カ月でデンマーク移籍へ2024(令和6) 日本代表に初出場代表初出場2025(令和7) ドイツ・ブンデスリーガ、SCフライブルクへ移籍2026(令和8) 鎖骨骨折を乗り越え、W杯メンバーに選出W杯へ2026(令和8) 北中米W杯、グループリーグ第2戦チュニジア戦で出場2026(令和8) フライブルクで新シーズンへ、代表定着図る平成令和
誕生 2001現在
横浜F・マリノスのジュニアユースに入れなかった少年は、地元の中学(葉山中学校)の部活動で鍛え直し、強豪・市立船橋高校でさらに頭角を現すと、清水エスパルスでプロの階段を上り、フランス、デンマーク、ドイツへと活躍の舞台を広げていった。エリートの一本道を歩んだわけではないからこそ、一つひとつのステップを自分の力でこじ開けてきた。2026年、大会直前の鎖骨骨折という土壇場のアクシデントを乗り越えて、初めてのワールドカップに臨んだ。

歩み

葉山の少年、サッカーを始める

平成13〜

平成
2001平成1310月25日
満0歳

神奈川県三浦郡葉山町に生まれる

2歳上の兄がサッカーをしていた姿を見て、自分も自然にボールを蹴るようになった。「気付いた時にはサッカーしかやっていなかったです」と本人は振り返る。

本人多分お兄ちゃんだと思います。2歳上のお兄ちゃんがやっていて、小さい頃からその姿を見て自分も一緒にサッカーをやったのが始めたきっかけだと思います。(意識して始めようと)考えることもなく、気付いた時にはサッカーしかやっていなかったです。 出典

2010平成22
満8歳

横浜F・マリノスプライマリー追浜に所属

小学校3年生から地元・葉山町立一色小学校に通いながら、横浜F・マリノスの下部組織(プライマリー追浜)でプレーを始めた。

2014平成26
満12歳

マリノスのジュニアユース昇格ならず、葉山中学校へ

中学進学を前に横浜F・マリノスジュニアユースへの昇格は叶わなかった。良き指導者がいた地元の葉山中学校の部活動でプレーする道を選び、他クラブへの移籍は考えなかった。

市立船橋高校で頭角を現す

平成29〜

2017平成29
満15歳

市立船橋高校へ進学

全国高校選手権通算5度優勝の強豪校へ進むも、1年生時は公式戦への出場が一度もなかった。当時の自分がプロになれるとは思っていなかったという。

本人市立船橋高校入って、正直いまの自分がプロになれるという考えはありませんでした。目指してはいましたが、実力的に入った当初の高校1年生時は公式戦にも一度も出たことが無かったので、そうは思わなかったです。 出典

2018平成30
満16歳飛躍

— 2年生から台頭、朝岡監督の指導で開花

1年生の間は当時の朝岡隆蔵監督にとことん指導を受け、2年生になってプレーが思い通りになり始めると出場機会が急増。スカウトの目に留まる存在となり、自らプロを意識するきっかけとなった、この時期の伸びが後のプロ入りにつながる転機だった。

令和 2019
2019令和1
満17歳

日本高校選抜・U-18代表に選出、3年生で背番号10

デュッセルドルフ国際ユース大会に日本高校選抜として、UAE遠征にU-18日本代表として参加。市立船橋高校3年生では背番号10を背負うまでの存在になった。

清水エスパルスでプロ入り

令和2〜

2020令和27月4日
満18歳プロデビュー

— 清水エスパルスでプロ先発デビュー

高校卒業後、清水エスパルスに加入。明治安田生命J1リーグ第2節の名古屋グランパス戦で先発デビューを果たした。部活動出身からJ1クラブでのプロキャリアが始まった。

2021令和33月-6月
満19歳

プロ入り初ゴール、リーグ戦でも初得点

3月27日のルヴァンカップ・ベガルタ仙台戦でプロ入り初ゴールを記録。6月23日には明治安田生命J1リーグのアウェイ・ベガルタ仙台戦でリーグ戦初ゴールを挙げた。

2022令和41月
満20歳

20歳でA代表に初選出

キリンチャレンジカップ2022ウズベキスタン戦のメンバーだった前田大然・旗手怜央がセルティックFCへの移籍で不参加となったため、同じ清水の松岡大起とともに追加招集を受け、20歳でA代表に初めて名を連ねた。

2022令和42月26日
満20歳

静岡ダービーなど開幕から2試合連発

リーグ開幕節の北海道コンサドーレ札幌戦、続く第2節のジュビロ磐田との静岡ダービーで連続ゴール。清水の攻撃をけん引する若手として注目を集め、『GOAL』選出の「NXGN Jリーグ 2022」2・3月度月間最優秀若手選手にも選ばれた。

2022令和4

U-21日本代表でドバイカップ制覇、AFC U23アジアカップにも出場

U-21日本代表としてドバイカップU-23で優勝を経験。AFC U23アジアカップ2022の本大会にも出場し、将来の五輪世代の中心候補として経験を積んだ。

海を渡る

令和5〜

2023令和51月-4月
満21歳

フランス・RCストラスブールへ期限付き移籍

1月27日、買取オプション付きの期限付き移籍でリーグ・アンのRCストラスブールへ加入すると発表された。4月16日のACアジャクシオ戦で初出場を果たすと、その試合で初得点も記録した。

2023令和57月-8月
満21歳

清水復帰発表からわずか1カ月でデンマーク移籍へ

7月13日にいったん清水エスパルス復帰が発表されたが、8月8日には海外クラブへの移籍を前提とした手続き・準備のためチームを離脱すると発表。8月12日、デンマーク・スーペルリーガのブレンビーIFへ4年契約で加入することが正式発表された。

2024令和66月6日
満22歳代表初出場

— 日本代表に初出場

2026 FIFAワールドカップ・アジア2次予選(AFCアジアカップサウジアラビア2027予選兼務)のミャンマー戦、後半開始から途中出場して日本代表デビューを果たした。2022年1月の初選出から2年半越しでの初キャップとなった。この初出場を足がかりに以後もたびたび代表に招集されるようになり、2026年のW杯メンバー入りへの土台となった。

フライブルクへ、そして北中米W杯

令和7〜

2025令和75月20日
満23歳

ドイツ・ブンデスリーガ、SCフライブルクへ移籍

ブンデスリーガ1部のSCフライブルクへの移籍が発表され、背番号14を託された。5月26日のブレンビーでの最終戦、スーペルリーガ最終節のオーフスGF戦では自ら先発出場し1ゴール1アシストと有終の美を飾ってからドイツへ渡った。

2026令和85月3日
満24歳W杯へ

— 鎖骨骨折を乗り越え、W杯メンバーに選出

フライブルクで欧州5大リーグ所属の日本人トップとなる9ゴール7アシストの活躍を見せていた終盤、5月3日のブンデスリーガ第32節ヴォルフスブルク戦でハードなショルダーチャージを受けて右鎖骨を骨折。負傷から約5時間後には手術を受け、翌日からバイクでのリハビリを始める急ピッチの回復で状態を上げ、5月15日に2026 FIFAワールドカップに臨む日本代表メンバーへ選出された。全国高校選手権5度優勝の強豪・市立船橋高校の卒業生として、W杯登録メンバーに選ばれたのは鈴木が初めてだった。

本人ピッチの上で倒れているときから『W杯には間に合いますか?』とドクターに聞いてましたね 出典

2026令和86月
満24歳W杯初出場

— 北中米W杯、グループリーグ第2戦チュニジア戦で出場

初めての本大会でグループリーグ第2戦のチュニジア戦、後半33分から途中出場した。出場はこの1試合にとどまったが、鎖骨骨折からの復帰即W杯出場という土壇場の物語を体現した大会となった。チームはグループ2位で決勝トーナメント進出も、ラウンド32でブラジルに敗れた。

2026令和88月
満24歳現在

フライブルクで新シーズンへ、代表定着図る

初のW杯を終え、SCフライブルクで2026-27シーズンに向けて始動。海外組の主力として、日本代表でのポジション定着を目指し歩みを続けている。

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