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くりやま たくみ

栗山 巧

育英高での門限後の自主練から、西武の生え抜きで初めて通算2000安打に届き、2026年は2152安打で25年の現役を終えた。

昭和58年生まれ ・ 兵庫県神戸市西区出身 ・ 1983– ・ 満43歳

所属埼玉西武ライオンズ(2026年引退) / ポジション外野手・指名打者 / 投打右投左打 / 身長177cm / 学歴育英高等学校

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近況
2026(令和8)満43歳

初の著書『獅子貫徹』を刊行

KADOKAWAから初の著書『獅子貫徹 ライオンズ一筋25年、理想の打撃を追い求めて』を出した。2026年限りでの引退を前年のオフに公表した真意を含め、野球人生をつづった一冊。婦人公論.jpが、本の一部を抜粋して掲載している。

1983(昭和58) 兵庫県神戸市西区に生まれる2000(平成12) 育英高2年で春夏連続の甲子園、夏は4強甲子園4強2001(平成13) ドラフト4巡目で西武ライオンズに入団2004(平成16) 一軍初出場で初安打2005(平成17) 一軍に定着し、初本塁打2006(平成18) 右手有鈎骨を骨折して離脱2007(平成19) スタメンに定着、オフに背番号1へ2008(平成20) 2番に定着して最多安打、日本一に貢献最多安打・日本一2009(平成21) 開幕から長い無安打、中堅手に定着2010(平成22) 外野手で球団初の全試合フルイニング出場、ゴールデングラブ賞2011(平成23) 2年連続の全試合フルイニング出場、少年野球大会を創設2012(平成24) 中島裕之に代わり主将に就任主将就任2013(平成25) 通算1000安打を達成2016(平成28) プロ15年目で初のオールスター、初打席で本塁打初のオールスター2016(平成28) FA権を行使したうえで残留を表明2017(平成29) けがで先発が減り、代打の切り札に2018(平成30) 5番に定着し、10年ぶりのリーグ優勝に貢献2019(令和元) 石毛宏典を抜き、球団最多安打球団最多安打2020(令和2) 指名打者でベストナイン2021(令和3) 西武の生え抜きで初の通算2000安打2000安打2022(令和4) 代打サヨナラ本塁打で球団最年長記録2024(令和6) 通算400二塁打、交流戦の通算最多安打2025(令和7) 翌年限りでの現役引退を表明引退表明2026(令和8) 最終シーズンに一軍昇格、23年連続安打2026(令和8) 引退試合で通算2152本目の安打引退試合2026(令和8) 初の著書『獅子貫徹』を刊行昭和平成令和
誕生 1983現在
育英高校時代、門限の後にグラウンドへ戻って自主練を重ねた少年は、2001年のドラフト4巡目で西武ライオンズに入り、25年間ほかの球団のユニフォームを着なかった。2008年に最多安打を獲得して日本一に貢献し、2016年にはFA権を行使したうえで残留を選んだ。「ライオンズのユニフォームを着て野球をやりたい」という思いを示すためだったと語っている。2021年に西武の生え抜きで初めて通算2000安打に到達し、2026年8月30日の引退試合で2152本目の安打を放った。引退会見では「最初から今日に至るまで打撃を追求する日々は楽しかった」と振り返った。

同世代2008年、同い年の宮野 真守は、第2回声優アワードで主演男優賞 →

歩み

神戸の野球少年と、育英の自主練

昭和58〜

昭和
1983昭和589月3日
満0歳

兵庫県神戸市西区に生まれる

少年時代からプロ野球選手が夢だった。グリーンスタジアム神戸の近くに住み、オリックス・ブルーウェーブのファンクラブにも入っていて、イチローのサインボールを持っている。小学校では少年団の小寺、中学ではヤングリーグの神戸ドラゴンズでプレーした。

平成 1989
2000平成12
満16歳

育英高2年で春夏連続の甲子園、夏は4強

神戸市立太山寺中学校から育英高校に進み、2年時に3番・左翼手として春夏連続で甲子園に出場した。春は初戦で敗れたが、夏は準決勝で東海大浦安高校に敗れるまで勝ち進み、5試合で打率.348。育英高には夜22時にグラウンドを出るルールがあったが、帰ったふりをして監督やチームメイトがいなくなった頃に戻り、自主練をして終電で帰っていたという。監督は「こんなに練習できる子を見たことがない」と評した。

2001平成13
満18歳プロ入り

ドラフト4巡目で西武ライオンズに入団

2001年のドラフト会議で西武ライオンズから4巡目で指名され、翌2002年に入団した。背番号は52、担当スカウトは鈴木照雄。同じドラフトで入団した同期には、同い年の大阪桐蔭高の中村剛也がいる。

背番号52、二軍から一軍の外野へ

平成14〜

2004平成169月24日
満21歳デビュー

一軍初出場で初安打

入団から2年は二軍で過ごし、2003年にはフレッシュオールスターゲームにフル出場した。3年目の2004年は二軍で打率3割・11本塁打を残して優秀選手に選ばれ、レギュラーシーズン最終戦の大阪近鉄バファローズ戦に「9番・左翼手」で先発。7回に小池秀郎から右前安打を放った。この年、西武は日本一になっている。

2005平成174月
満21歳

一軍に定着し、初本塁打

2月の宮崎・南郷キャンプでは休日も返上し、手の皮をボロボロにしながらバットを振り続けた。4月13日の北海道日本ハム戦で鎌倉健からプロ初本塁打。3・4月に打率3割を残して一軍に定着し、5月29日の広島戦では延長10回にサヨナラ安打を放つ。84試合で打率.297、10本塁打だった。

本人僕は不器用。とにかく練習しないとうまくならないし、試合にも出してもらえません 出典

2006平成188月
満22歳

右手有鈎骨を骨折して離脱

8月1日のロッテ戦、空振りで右手首を痛めた直後に小林雅英からプロ初の満塁本塁打を放った。翌日に右手有鈎骨の骨折と分かり戦列を離れ、シーズン終盤に一軍へ戻った。

2007平成197月
満23歳

スタメンに定着、オフに背番号1へ

前年のけがの影響で前半は調子が上がらなかったが、7月に月間打率3割9分7厘を記録してスタメンに定着した。著書では、ヘッドコーチの土井正博の存在が大きかったとし、「懐を深く、大きくとりなさい」と教わったことを書いている。初めて100試合以上に出場し、オフに背番号を52から1に変えた。

2番打者で日本一、主将として

平成20〜

2008平成20
満24歳最多安打

— 2番に定着して最多安打、日本一に貢献

背番号1で迎えた2008年、2番打者に固定されて自己最多の138試合に出場し、初めて規定打席に到達した。打率.317、リーグ最多の167安打で初タイトルを獲得し、22犠打・17盗塁も記録。チームのリーグ優勝と日本一に貢献し、ベストナインにも初めて選ばれた。この年から外野のレギュラーを張り続けた。

2009平成21
満25歳

開幕から長い無安打、中堅手に定着

著書によれば、オープン戦は打率4割だったが、開幕から26打席ノーヒットに陥った。シーズンでは自己最多の140試合に出場し、途中から中堅手に定着して外野でリーグトップの守備率.997を残した。

2010平成22
満27歳

外野手で球団初の全試合フルイニング出場、ゴールデングラブ賞

外野手として球団史上初めて144試合すべてにフルイニング出場し、172安打を放った。打率.310を残し、出塁率.400と74打点は自己最高だった。2度目のベストナインに加え、ゴールデングラブ賞を初めて受賞した。12月には3歳年上の一般女性と入籍している。

2011平成23
満28歳

2年連続の全試合フルイニング出場、少年野球大会を創設

2年連続で全試合フルイニング出場を果たして171安打、打率3割も2年続け、得点圏打率.380は両リーグトップだった。この年もベストナインに選ばれた。片岡易之が故障で離脱した7月以降は1番打者を任された。この年、自身の名前を冠した「栗山巧杯少年野球大会」を神戸市の少年団野球リーグなどと創設。11月に右肘の遊離軟骨の除去手術を受けた。

2012平成24
満28歳主将

中島裕之に代わり主将に就任

中島裕之に代わってキャプテンになった。2番・1番で起用されていたが、8月21日のソフトバンク戦で左前腕に死球を受け、パ・リーグ歴代2位の390試合まで続いた連続試合フルイニング出場が止まった。そのままシーズン中には戻れなかった。

2013平成254月16日
満29歳

通算1000安打を達成

4月16日のオリックス戦で東野峻から左前適時打を放ち、史上271人目の通算1000安打。3・4月の月間MVPに選ばれ、この年は全試合に出場して自己最多タイの12本塁打を記録した。

2016平成287月
満32歳

プロ15年目で初のオールスター、初打席で本塁打

6月19日のヤクルト戦で史上120人目の通算1500安打。7月4日に監督推薦でプロ15年目にして初めてオールスターに選ばれ、15日の第1戦では初打席で2点本塁打を放って敢闘賞を受けた。オールスターの初打席本塁打は16人目だった。

本人節目の安打、プロ野球ファンが注目する場で結果を出せたことは、個人的にはすごく嬉しかったです 出典

2016平成2811月10日
満33歳残留

FA権を行使したうえで残留を表明

11月10日、FA権を行使したうえで西武への残留を表明した。西武はFAで出ていく選手が多く、権利を持っているだけでファンや関係者に移籍を心配させるかもしれない、その選択肢を断つことが意思表示になると考えたという。翌年からは、5シーズン務めた主将を浅村栄斗に託した。

本人その選択肢を断つことが、『これからもライオンズのユニフォームを着て野球をやりたい』という思いの、最高の意思表示になるのかなと思いました 出典

代打の切り札から、生え抜き初の2000安打

平成29〜

2017平成294月
満33歳

けがで先発が減り、代打の切り札に

4月7日に史上187人目の通算1500試合出場を達成したが、翌日の試合で右足を痛め、以後は指名打者や代打での出場が多くなって10年ぶりに規定打席に届かなかった。辻発彦監督のもとで控えに回る試合も増えた一方、5月21日にプロ初のサヨナラ本塁打、8月17日には代打サヨナラ3点本塁打を放った。

2018平成309月
満35歳

5番に定着し、10年ぶりのリーグ優勝に貢献

4月30日に通算309本目の二塁打で石毛宏典の球団記録を更新した。控えに回ることが多かったが、9月に外崎修汰がけがで抜けると5番に定着し、17日のソフトバンク戦ではミランダから満塁本塁打。チームの10年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

本人気持ちの上下動はもちろんあるんですけど、決して後ろ向きになることなく、グラウンドに来た時にはしっかりしたプレーをすることだけを考える。 出典

令和 2019
2019令和元8月31日
満35歳

石毛宏典を抜き、球団最多安打

8月11日のロッテ戦で通算100本塁打。30日のソフトバンク戦で千賀滉大から二塁打を放ち、石毛宏典の持つ球団最多の通算1806安打に並ぶと、翌31日に1807本目を打って記録を更新した。2016年以来3年ぶりに規定打席にも到達した。

本人超えるには5本ですね。1本打つのが本当に大変なので、何とか1本ずつの積み重ねのなかで、結果、行けたらいいなという感じですね 出典

2020令和2
満37歳

指名打者でベストナイン

120試合に短縮されたシーズンで、終盤は4番を任された。111試合で打率.272、12本塁打、67打点を残し、指名打者として初めてのベストナイン(通算4度目)に選ばれた。オフに3年契約を結んだ。

2021令和39月4日
満38歳2000安打

— 西武の生え抜きで初の通算2000安打

6月12日に史上52人目の通算2000試合出場。誕生日の9月3日は届かず、翌4日の楽天戦で牧田和久から左前安打を放ち、史上54人目の通算2000安打に到達した。西武の生え抜き選手では初めてで、兵庫県出身者では古田敦也、坂本勇人に続く3人目。この到達で日本プロ野球名球会への入会資格を満たした。12月には自ら主催する栗山巧杯少年野球大会の会場で、地元の支援者から祝福を受けた。

締めくくりのシーズン

令和4〜

2022令和45月29日
満38歳

代打サヨナラ本塁打で球団最年長記録

5月29日のDeNA戦、同点の9回に代打で出て平田真吾からサヨナラ本塁打を放った。38歳8か月でのサヨナラ本塁打は球団最年長記録。6月28日の日本ハム戦では西武ドームでの通算1000安打を本塁打で決めた。同じ球場で1000安打に届いたのは史上12人目、西武ドームでは初めてだった。

2024令和66月4日
満40歳

通算400二塁打、交流戦の通算最多安打

開幕直後に不振で二軍へ落ち、出場機会を求めて3年ぶりに実戦で外野も守った。6月4日に一軍へ戻ると、その日のヤクルト戦で代打で勝ち越し二塁打を放ち、史上15人目の通算400二塁打。11日には鳥谷敬を抜いて交流戦の通算最多安打となった(当時)。8月31日には代打逆転本塁打で、西武の左打者で初の20年連続本塁打を記録した。

2025令和711月24日
満42歳引退表明

翌年限りでの現役引退を表明

4月27日に史上64人目の通算3000塁打を記録したが、一軍出場は11試合・打率.087にとどまった。11月24日、契約更改の後に会見し、プロ25年目の2026年シーズンを「締めくくりのシーズン」にすると発表した。会見は栗山の提案で球団公式YouTubeでも生配信された。

本人ファンの皆さんの支えでここまで来られた。感謝の気持ちを感じてもらえれば。しっかり僕のプレーを見てもらいたい 出典

2026令和84月18日
満42歳

最終シーズンに一軍昇格、23年連続安打

開幕は二軍で迎え、4月18日に一軍へ上がると、その日の日本ハム戦の9回に代打で今季初安打を放った。通算2151本目で、23年連続安打は球団では中村剛也に並ぶ記録。5月25日に登録を外れ、その後は二軍で若手と練習する日が多かった。6月24日の西武ホールディングスの株主総会では、栗山の処遇を問う株主に、後藤高志オーナーが「まずは栗山選手の希望を聞いた上で、彼の希望を叶えてやりたい」と答えた。

2026令和88月30日
満42歳引退

引退試合で通算2152本目の安打

試合前の会見では、「引退」と言わずに「締めくくり」と表していた理由を、子どもたちに「辞めてもいいけど引退とは言わんといてくれ」と言われたからだと明かした。西武の全員が背番号1をつけた楽天戦に「6番・指名打者」で先発し、8回の最終打席で泰勝利から安打を放って通算2152安打とした。セレモニーでは野茂英雄らから花束を受け、「今もこれからもライオンズの栗山です」とあいさつした。

本人本当にいよいよこの日が来たという気持ちと、それでもまだ実感が湧かないなという気持ちが入り混じっています。 出典

2026令和89月26日
満43歳近況

初の著書『獅子貫徹』を刊行

KADOKAWAから初の著書『獅子貫徹 ライオンズ一筋25年、理想の打撃を追い求めて』を出した。2026年限りでの引退を前年のオフに公表した真意を含め、野球人生をつづった一冊。婦人公論.jpが、本の一部を抜粋して掲載している。

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