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平野 佳寿

ひらの よしひさ

平野 佳寿

日米通算250セーブでオリックスの選手として初めて名球会に入り、最後は258セーブ・205ホールドまで積み上げた。2026年に現役を退き、二軍監督に就く。

昭和59年生まれ ・ 京都府宇治市出身 ・ 1984– ・ 満42歳

所属オリックス・バファローズ(二軍監督) / 主要所属球団オリックス・バファローズ→アリゾナ・ダイヤモンドバックス→シアトル・マリナーズ / 投打右投右打 / 学歴京都府立鳥羽高校→京都産業大学 経営学部 / 日米通算258セーブ・205ホールド

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2026(令和8)満42歳

オリックスの二軍監督に就任

オリックスが二軍監督への就任を発表した。背番号は81。一軍を率いる岸田護監督とは、2005年のドラフトで同期入団の間柄だ。兼任コーチの1年で、選手1人のために何人ものコーチが動く姿を見てきたという。

1984(昭和59) 京都府宇治市に生まれる2000(平成12) 鳥羽高校で選抜大会に2年連続出場2002(平成14) 京都産業大学経営学部に入学2005(平成17) 京産大でリーグ記録を残し、希望枠でオリックスへ2006(平成18) プロ初登板、4日後に初先発・初勝利2008(平成20) 右肘の遊離軟骨を取り除く手術を受ける2009(平成21) 逆流性食道炎を経て、3勝12敗2010(平成22) 岡田彰布監督のもとで先発からリリーフへ2011(平成23) 43ホールドのリーグ新記録で最優秀中継ぎ投手に2014(平成26) 40セーブのリーグ新記録で最多セーブ投手に2016(平成28) 鈴木誠也にサヨナラ本塁打を浴び、その後は2か月無失点2017(平成29) 第4回WBCの日本代表に追加で選ばれる2017(平成29) 海外FA権を行使し、ダイヤモンドバックスと2年契約2018(平成30) メジャーデビュー、26試合連続無失点2019(令和元) 右肘の炎症で離脱し、契約満了でFAに2020(令和2) シアトル・マリナーズと1年契約2020(令和2) 著書『地味を笑うな』を刊行2021(令和3) 4年ぶりにオリックスへ復帰2022(令和4) NPB史上最年長の38歳2か月で通算200セーブ、初の日本一2023(令和5) 日米通算250セーブで名球会入り2024(令和6) 救援失敗が続き、5月以降は一軍に戻れず2025(令和7) NPB通算250セーブに到達、一軍登板は3試合2026(令和8) 投手コーチ兼任の年に、通算1000奪三振2026(令和8) 今季限りでの現役引退を発表2026(令和8) 引退試合で中村晃から空振り三振2026(令和8) オリックスの二軍監督に就任昭和平成令和
誕生 1984現在
京都産業大学で関西六大学野球のリーグ記録となる通算36勝を挙げ、2005年に希望枠でオリックスに入った。1年目から先発で7勝したが、右肘の手術を経て2009年は3勝12敗。翌年、監督に就いた岡田彰布の方針でリリーフへ回り、2011年に最優秀中継ぎ投手、2014年に最多セーブのタイトルを取る。2018年からはメジャーで3年間に150試合を投げ、2021年に古巣へ戻ってリーグ3連覇と日本一に加わった。2023年に日米通算250セーブでオリックスの選手として初めて名球会入りし、2026年に42歳で引退。引退セレモニーでは自らを「ごく普通の選手」と呼び、「ただ一つ、丈夫な体があったので、ここまでやってこられた」と語った。10月には二軍監督に就いている。

同世代2010年、同い年の綿矢 りさは、『勝手にふるえてろ』を刊行 →

歩み

宇治の軟式野球から、京産大のエースへ

昭和59〜

昭和
1984昭和593月8日
満0歳

京都府宇治市に生まれる

小学3年で少年野球チームの小倉リトルズに入り、軟式野球を始める。最初は捕手と内野手で、主将も任された。投手になったのは、宇治市立北宇治中学校の軟式野球部に進んでからだ。

平成 1989
2000平成12
満16歳

鳥羽高校で選抜大会に2年連続出場

京都府立鳥羽高校では1年秋からベンチに入る。監督の卯瀧逸夫にはエースを期待されたが、腰痛に悩み、公式戦はほとんど救援での登板だった。チームは公立校ながら2年春から3季続けて甲子園に出場し、平野は2年と3年の春の選抜大会に背番号11と10でベンチ入り。登板は2年春の準決勝、東海大相模戦だけで、3回1/3で9点を失っている。

2002平成14
満18歳

京都産業大学経営学部に入学

関西六大学野球のリーグ戦では2年からエースとなる。毎日、目をつぶって10メートルまっすぐ歩けるか、片足立ちを何秒保てるかを試し、その日の体の状態を確かめてから投げた。体の軸がずれていれば整えてから投球に入る、という手順だった。

2005平成1711月
満21歳入団

京産大でリーグ記録を残し、希望枠でオリックスへ

大学4年間のリーグ戦で56試合に投げ、36勝11敗、防御率1.33、404奪三振。36勝と404奪三振はどちらも関西六大学野球のリーグ記録で、最優秀投手には4回選ばれた。「大学ナンバーワンの右腕投手」と評され、この年の大学・社会人ドラフト会議で、希望枠によりオリックス・バファローズに入団する。背番号は16。同じドラフトでは、2学年上の岸田護もオリックスに入っている。

先発からリリーフへ、最優秀中継ぎと最多セーブ

平成18〜

2006平成183月26日
満22歳デビュー

プロ初登板、4日後に初先発・初勝利

西武との開幕カード第2戦の8回にリリーフで一軍デビューする。30日の楽天戦で初先発・初勝利を挙げ、4月6日のロッテ戦では初の完封勝利。前半戦に先発で6勝し、監督推薦でオールスターゲームにも出た。後半戦は1勝にとどまり7勝11敗で終えたが、10完投・4完封は松坂大輔に次ぐリーグ2位の数字だった。

2008平成203月27日
満24歳健康

右肘の遊離軟骨を取り除く手術を受ける

前年も先発で8勝し、投球回は2年続けてチーム最多だった。この年は開幕直前に右肘を痛め、検査で遊離軟骨が見つかって除去手術を受ける。シーズンの大半をリハビリに充て、一軍では1度も投げなかった。

2009平成21
満25歳

逆流性食道炎を経て、3勝12敗

開幕ローテーションに戻ったが、逆流性食道炎で4月に登録を外れる。5月24日の巨人戦で602日ぶりの勝利、31日の横浜戦で662日ぶりの完封を挙げたものの、シーズンは3勝12敗、防御率4.72。チームも前年の2位から最下位に落ち、監督は大石大二郎から岡田彰布に代わった。

2010平成22
満26歳リリーフ転向

岡田彰布監督のもとで先発からリリーフへ

春季キャンプ中、投手コーチから「中継ぎもできるようにしといてくれって。監督がそう言ってるから」と伝えられる。オープン戦で先発と救援の両方を投げ、ロングリリーフから始めて、途中から勝ち試合を任された。岡田は前年の成績を見て「球種も少ないし先発やったらしんどい」と考える一方、「馬力もある」と見ていた。この年は63試合に登板。翌2011年に最優秀中継ぎ投手、2014年に最多セーブのタイトルを取り、NPBの公式サイトはこの配置換えを平野のターニングポイントに挙げている。

本人大学で先発だったので、たぶんオリックスにも先発で獲ってもらっていたし、そのままずっとやりたいとは思っていました。 出典

2011平成23
満27歳受賞

43ホールドのリーグ新記録で最優秀中継ぎ投手に

パ・リーグの投手で最も多い72試合に登板し、セットアッパーとして43ホールド、49ホールドポイントを挙げる。どちらもリーグ新記録で、最優秀中継ぎ投手のタイトルとパ・リーグの特別表彰を受けた。オールスターゲームにも2年続けて監督推薦で出場した。

2014平成26
満30歳受賞

40セーブのリーグ新記録で最多セーブ投手に

2012年の終盤に抑えへ回り、2013年からクローザーを任される。この年は62試合に投げ、40セーブのパ・リーグ新記録(当時)を作って、最多セーブのタイトルを初めて手にした。勝ち星は1勝6敗。シーズン中に国内FA権を得たが、オフに球団と3年契約を結んで残った。

本人これ、ずっと言ってきたんですけど、今まで自分から『抑えをしたい』って言ったこと1回もないんです。言われたら当然しますけど、今でも別にこだわってないです 出典

2016平成286月18日
満32歳

鈴木誠也にサヨナラ本塁打を浴び、その後は2か月無失点

前年は未勝利に終わり、この年はセットアッパーで開幕を迎えて5月に抑えへ戻る。6月18日の広島戦、2点リードの9回裏に鈴木誠也にサヨナラ本塁打を打たれた。鈴木は前日にもサヨナラ弾を放っており、広島の緒方孝市監督が口にした「神ってる」はこの年の流行語大賞になる。平野は7月から2か月間、登板した試合で点を与えず、31セーブで終えた。

2017平成291月24日
満32歳日本代表

第4回WBCの日本代表に追加で選ばれる

第4回ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表に追加で選ばれる。投手では最後の選出だったが、大会では秋吉亮と並ぶチーム最多の6試合に登板し、5回1/3で7三振を奪った。

2017平成2912月22日
満33歳移籍

海外FA権を行使し、ダイヤモンドバックスと2年契約

8月27日の西武戦でNPB史上13人目の通算150セーブに達した。オリックスとの3年契約を終え、11月に海外FA権を行使する。WBCでの投球への評価もあってメジャーの複数球団から打診を受け、12月22日(日本時間23日)、アリゾナ・ダイヤモンドバックスが2年600万ドルでの契約合意を発表した。背番号はWBCの日本代表でも着けた66。

海を渡った3年間

平成30〜

2018平成303月29日
満34歳

メジャーデビュー、26試合連続無失点

1月には母校の京都産業大学が壮行会を開き、約600人が集まった。同大学の卒業生で初めてのメジャーリーガーになる。3月29日のロッキーズとの開幕戦でデビューし、セットアッパーに定着すると、5月6日から7月3日まで26試合続けて無失点。上原浩治に次ぐ、日本人投手で歴代2位の記録だった。9月には抑えに回ってメジャー初セーブを挙げ、75試合で防御率2.44、ナ・リーグ3位の32ホールドで終えた。

本人シーズンを通して60、70試合投げたい。優勝を狙えるチームなので、優勝して皆さんに良い報告をしたい 出典

令和 2019
2019令和元
満35歳

右肘の炎症で離脱し、契約満了でFAに

新加入のグレッグ・ホランドが抑えを任され、前年に続いてセットアッパーで開幕を迎える。序盤に救援の失敗が続き、8月から9月にかけては右肘の炎症で故障者リストに入った。62試合で5勝5敗、防御率4.75。2年契約を終え、10月31日付でFAになった。

2020令和21月30日
満35歳移籍

シアトル・マリナーズと1年契約

マリナーズとの1年160万ドルでの契約合意が発表される。背番号は、日本人メジャーリーガーで初めての6。キャンプは新型コロナウイルスの感染拡大で中断され、移籍後の初登板は、開幕から約1か月後の8月22日だった。60試合に短縮されたシーズンは13試合に投げて4セーブ。メジャー3年間の登板は150試合になった。

2020令和25月
満36歳

著書『地味を笑うな』を刊行

ワニブックスから著書『地味を笑うな』を出す。少年野球の頃からプロでの失敗と成功、メジャーに渡るまでを本人が語った本で、失敗しても地道に努力することが成功につながる、という考えをつづった。

古巣の3連覇と名球会、そして二軍監督に

令和3〜

2021令和32月6日
満36歳復帰

4年ぶりにオリックスへ復帰

メジャーでの所属先が決まらないまま年を越し、2月6日にオリックスとの契約合意が発表された。背番号は渡米前と同じ16。入団会見では「コロナ禍で厳しい状況の中、迎えてくれたオリックスには感謝している。それには優勝で返すしかない」と語る。6月から抑えに定着して46試合で29セーブを挙げ、チームは25年ぶりにリーグ優勝。プロ16年目で初めて日本シリーズにも登板し、初セーブを記録した。オリックスはこの年から3年続けてパ・リーグを制する。

本人本当に(オリックスに)戻らせてもらって良かった。あの3連覇で僕の野球人生も救われた 出典

2022令和46月2日
満38歳記録

NPB史上最年長の38歳2か月で通算200セーブ、初の日本一

4月に日米通算200セーブに届き、6月2日のDeNA戦でNPB史上7人目の通算200セーブを、史上最年長の38歳2か月で達成する。8月以降は阿部翔太、ジェイコブ・ワゲスパックと交互に抑えを務め、チームはリーグ2連覇の後、ヤクルトとの日本シリーズを4勝2敗1分で制した。平野にとって初めての日本一だった。

2023令和510月2日
満39歳記録

日米通算250セーブで名球会入り

5月14日のソフトバンク戦で日米通算200ホールドに達する。NPBで投げた投手が200セーブと200ホールドの両方を挙げたのは、平野が初めてだった。10月2日、チームがリーグ3連覇を決めた後の日本ハム戦で9回を締め、日米通算250セーブに到達。史上4人目で、39歳6か月での到達は歴代最年長だった。オリックスの選手としては初めて名球会の入会資格を得た。

本人250セーブ達成しましたけど、まだ引退するつもりはないので、ここから1つでも伸ばせるように。若い子たちに負けないように頑張っていきたいと思います 出典

2024令和6
満40歳

救援失敗が続き、5月以降は一軍に戻れず

開幕から8試合を無失点で滑り出し、4月28日にNPB通算250セーブまであと1つとした。だが5月に入って失点が重なり、22日に登録を外れてからはシーズンが終わるまで一軍に戻らなかった。推定年俸は5500万円下がった。

2025令和74月3日
満41歳

NPB通算250セーブに到達、一軍登板は3試合

開幕2試合目の登板となったロッテ戦で、NPB通算250セーブを挙げる。史上4人目の記録だった。しかし9日のソフトバンク戦で山川穂高に逆転3ランを浴び、11日に登録を外れる。二軍では16試合で防御率1.69だったが、この年の一軍登板は3試合にとどまった。

2026令和83月29日
満42歳

投手コーチ兼任の年に、通算1000奪三振

投手コーチを兼ねて迎えたこの年、楽天戦の5回に登板し、中島大輔をフォークで空振り三振に取って通算1000奪三振に達した。NPBだけで250セーブと1000奪三振の両方を挙げたのは史上初めて。4月16日に登録を外れ、一軍の登板は2試合にとどまる。

2026令和88月9日
満42歳引退

今季限りでの現役引退を発表

右太もも裏の肉離れで、7月9日のファームの試合を最後にマウンドから離れていた。「1軍の戦力としては、厳しいのかな…」と7月下旬に引退を決め、岸田護監督らに伝える。8月9日に球団が発表した。リリーフへの道を開いた岡田彰布に「岡田さんのおかげです」と連絡すると、「平野の力よ」と返されたという。

本人基本的にずっと、1軍の勝っている試合で投げてきた。それが徐々にできなくなってきて、僕が(投手の)一枠を取っていることはどうなのか…。そう思うことはあります 出典

2026令和89月25日
満42歳

引退試合で中村晃から空振り三振

ソフトバンク戦の9回に7番手で登板し、同じく今季限りでユニフォームを脱ぐ中村晃をフォークで空振り三振に取る。会見では「お釣りが来るぐらいやり切らせていただきました。悔いはないです」と話した。セレモニーでは岡田彰布、2006〜2017年にともにプレーした金子千尋、岸田護から花束を受け、プロを目指す子どもたちに語りかけた。記憶に一番強く残る失敗には、2016年の鈴木誠也のサヨナラ本塁打を挙げている。

本人僕は今までいっぱい失敗をしてきました。球場に行くのも、マウンドに立つのも、嫌だなと思うことはたくさんありました。でも、僕がここまでやってこられたのは、最後、一歩前に出る勇気だけがあったからかなと思います。 出典

2026令和810月30日
満42歳最新

オリックスの二軍監督に就任

オリックスが二軍監督への就任を発表した。背番号は81。一軍を率いる岸田護監督とは、2005年のドラフトで同期入団の間柄だ。兼任コーチの1年で、選手1人のために何人ものコーチが動く姿を見てきたという。

本人今度は若い子達に、自分が今までやってもらったことを返す番だと思う 出典

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