目次
宇治の軟式野球から、京産大のエースへ
昭和59〜
京都府宇治市に生まれる
小学3年で少年野球チームの小倉リトルズに入り、軟式野球を始める。最初は捕手と内野手で、主将も任された。投手になったのは、宇治市立北宇治中学校の軟式野球部に進んでからだ。
鳥羽高校で選抜大会に2年連続出場
京都府立鳥羽高校では1年秋からベンチに入る。監督の卯瀧逸夫にはエースを期待されたが、腰痛に悩み、公式戦はほとんど救援での登板だった。チームは公立校ながら2年春から3季続けて甲子園に出場し、平野は2年と3年の春の選抜大会に背番号11と10でベンチ入り。登板は2年春の準決勝、東海大相模戦だけで、3回1/3で9点を失っている。
京都産業大学経営学部に入学
関西六大学野球のリーグ戦では2年からエースとなる。毎日、目をつぶって10メートルまっすぐ歩けるか、片足立ちを何秒保てるかを試し、その日の体の状態を確かめてから投げた。体の軸がずれていれば整えてから投球に入る、という手順だった。
京産大でリーグ記録を残し、希望枠でオリックスへ
大学4年間のリーグ戦で56試合に投げ、36勝11敗、防御率1.33、404奪三振。36勝と404奪三振はどちらも関西六大学野球のリーグ記録で、最優秀投手には4回選ばれた。「大学ナンバーワンの右腕投手」と評され、この年の大学・社会人ドラフト会議で、希望枠によりオリックス・バファローズに入団する。背番号は16。同じドラフトでは、2学年上の岸田護もオリックスに入っている。
先発からリリーフへ、最優秀中継ぎと最多セーブ
平成18〜
プロ初登板、4日後に初先発・初勝利
西武との開幕カード第2戦の8回にリリーフで一軍デビューする。30日の楽天戦で初先発・初勝利を挙げ、4月6日のロッテ戦では初の完封勝利。前半戦に先発で6勝し、監督推薦でオールスターゲームにも出た。後半戦は1勝にとどまり7勝11敗で終えたが、10完投・4完封は松坂大輔に次ぐリーグ2位の数字だった。
右肘の遊離軟骨を取り除く手術を受ける
前年も先発で8勝し、投球回は2年続けてチーム最多だった。この年は開幕直前に右肘を痛め、検査で遊離軟骨が見つかって除去手術を受ける。シーズンの大半をリハビリに充て、一軍では1度も投げなかった。
逆流性食道炎を経て、3勝12敗
開幕ローテーションに戻ったが、逆流性食道炎で4月に登録を外れる。5月24日の巨人戦で602日ぶりの勝利、31日の横浜戦で662日ぶりの完封を挙げたものの、シーズンは3勝12敗、防御率4.72。チームも前年の2位から最下位に落ち、監督は大石大二郎から岡田彰布に代わった。
岡田彰布監督のもとで先発からリリーフへ
春季キャンプ中、投手コーチから「中継ぎもできるようにしといてくれって。監督がそう言ってるから」と伝えられる。オープン戦で先発と救援の両方を投げ、ロングリリーフから始めて、途中から勝ち試合を任された。岡田は前年の成績を見て「球種も少ないし先発やったらしんどい」と考える一方、「馬力もある」と見ていた。この年は63試合に登板。翌2011年に最優秀中継ぎ投手、2014年に最多セーブのタイトルを取り、NPBの公式サイトはこの配置換えを平野のターニングポイントに挙げている。
本人大学で先発だったので、たぶんオリックスにも先発で獲ってもらっていたし、そのままずっとやりたいとは思っていました。 出典
43ホールドのリーグ新記録で最優秀中継ぎ投手に
パ・リーグの投手で最も多い72試合に登板し、セットアッパーとして43ホールド、49ホールドポイントを挙げる。どちらもリーグ新記録で、最優秀中継ぎ投手のタイトルとパ・リーグの特別表彰を受けた。オールスターゲームにも2年続けて監督推薦で出場した。
40セーブのリーグ新記録で最多セーブ投手に
2012年の終盤に抑えへ回り、2013年からクローザーを任される。この年は62試合に投げ、40セーブのパ・リーグ新記録(当時)を作って、最多セーブのタイトルを初めて手にした。勝ち星は1勝6敗。シーズン中に国内FA権を得たが、オフに球団と3年契約を結んで残った。
本人これ、ずっと言ってきたんですけど、今まで自分から『抑えをしたい』って言ったこと1回もないんです。言われたら当然しますけど、今でも別にこだわってないです 出典
鈴木誠也にサヨナラ本塁打を浴び、その後は2か月無失点
前年は未勝利に終わり、この年はセットアッパーで開幕を迎えて5月に抑えへ戻る。6月18日の広島戦、2点リードの9回裏に鈴木誠也にサヨナラ本塁打を打たれた。鈴木は前日にもサヨナラ弾を放っており、広島の緒方孝市監督が口にした「神ってる」はこの年の流行語大賞になる。平野は7月から2か月間、登板した試合で点を与えず、31セーブで終えた。
第4回WBCの日本代表に追加で選ばれる
第4回ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表に追加で選ばれる。投手では最後の選出だったが、大会では秋吉亮と並ぶチーム最多の6試合に登板し、5回1/3で7三振を奪った。
海外FA権を行使し、ダイヤモンドバックスと2年契約
8月27日の西武戦でNPB史上13人目の通算150セーブに達した。オリックスとの3年契約を終え、11月に海外FA権を行使する。WBCでの投球への評価もあってメジャーの複数球団から打診を受け、12月22日(日本時間23日)、アリゾナ・ダイヤモンドバックスが2年600万ドルでの契約合意を発表した。背番号はWBCの日本代表でも着けた66。
海を渡った3年間
平成30〜
メジャーデビュー、26試合連続無失点
1月には母校の京都産業大学が壮行会を開き、約600人が集まった。同大学の卒業生で初めてのメジャーリーガーになる。3月29日のロッキーズとの開幕戦でデビューし、セットアッパーに定着すると、5月6日から7月3日まで26試合続けて無失点。上原浩治に次ぐ、日本人投手で歴代2位の記録だった。9月には抑えに回ってメジャー初セーブを挙げ、75試合で防御率2.44、ナ・リーグ3位の32ホールドで終えた。
本人シーズンを通して60、70試合投げたい。優勝を狙えるチームなので、優勝して皆さんに良い報告をしたい 出典
右肘の炎症で離脱し、契約満了でFAに
新加入のグレッグ・ホランドが抑えを任され、前年に続いてセットアッパーで開幕を迎える。序盤に救援の失敗が続き、8月から9月にかけては右肘の炎症で故障者リストに入った。62試合で5勝5敗、防御率4.75。2年契約を終え、10月31日付でFAになった。
シアトル・マリナーズと1年契約
マリナーズとの1年160万ドルでの契約合意が発表される。背番号は、日本人メジャーリーガーで初めての6。キャンプは新型コロナウイルスの感染拡大で中断され、移籍後の初登板は、開幕から約1か月後の8月22日だった。60試合に短縮されたシーズンは13試合に投げて4セーブ。メジャー3年間の登板は150試合になった。
著書『地味を笑うな』を刊行
ワニブックスから著書『地味を笑うな』を出す。少年野球の頃からプロでの失敗と成功、メジャーに渡るまでを本人が語った本で、失敗しても地道に努力することが成功につながる、という考えをつづった。
古巣の3連覇と名球会、そして二軍監督に
令和3〜
4年ぶりにオリックスへ復帰
メジャーでの所属先が決まらないまま年を越し、2月6日にオリックスとの契約合意が発表された。背番号は渡米前と同じ16。入団会見では「コロナ禍で厳しい状況の中、迎えてくれたオリックスには感謝している。それには優勝で返すしかない」と語る。6月から抑えに定着して46試合で29セーブを挙げ、チームは25年ぶりにリーグ優勝。プロ16年目で初めて日本シリーズにも登板し、初セーブを記録した。オリックスはこの年から3年続けてパ・リーグを制する。
本人本当に(オリックスに)戻らせてもらって良かった。あの3連覇で僕の野球人生も救われた 出典
NPB史上最年長の38歳2か月で通算200セーブ、初の日本一
4月に日米通算200セーブに届き、6月2日のDeNA戦でNPB史上7人目の通算200セーブを、史上最年長の38歳2か月で達成する。8月以降は阿部翔太、ジェイコブ・ワゲスパックと交互に抑えを務め、チームはリーグ2連覇の後、ヤクルトとの日本シリーズを4勝2敗1分で制した。平野にとって初めての日本一だった。
日米通算250セーブで名球会入り
5月14日のソフトバンク戦で日米通算200ホールドに達する。NPBで投げた投手が200セーブと200ホールドの両方を挙げたのは、平野が初めてだった。10月2日、チームがリーグ3連覇を決めた後の日本ハム戦で9回を締め、日米通算250セーブに到達。史上4人目で、39歳6か月での到達は歴代最年長だった。オリックスの選手としては初めて名球会の入会資格を得た。
本人250セーブ達成しましたけど、まだ引退するつもりはないので、ここから1つでも伸ばせるように。若い子たちに負けないように頑張っていきたいと思います 出典
救援失敗が続き、5月以降は一軍に戻れず
開幕から8試合を無失点で滑り出し、4月28日にNPB通算250セーブまであと1つとした。だが5月に入って失点が重なり、22日に登録を外れてからはシーズンが終わるまで一軍に戻らなかった。推定年俸は5500万円下がった。
NPB通算250セーブに到達、一軍登板は3試合
開幕2試合目の登板となったロッテ戦で、NPB通算250セーブを挙げる。史上4人目の記録だった。しかし9日のソフトバンク戦で山川穂高に逆転3ランを浴び、11日に登録を外れる。二軍では16試合で防御率1.69だったが、この年の一軍登板は3試合にとどまった。
投手コーチ兼任の年に、通算1000奪三振
投手コーチを兼ねて迎えたこの年、楽天戦の5回に登板し、中島大輔をフォークで空振り三振に取って通算1000奪三振に達した。NPBだけで250セーブと1000奪三振の両方を挙げたのは史上初めて。4月16日に登録を外れ、一軍の登板は2試合にとどまる。
今季限りでの現役引退を発表
右太もも裏の肉離れで、7月9日のファームの試合を最後にマウンドから離れていた。「1軍の戦力としては、厳しいのかな…」と7月下旬に引退を決め、岸田護監督らに伝える。8月9日に球団が発表した。リリーフへの道を開いた岡田彰布に「岡田さんのおかげです」と連絡すると、「平野の力よ」と返されたという。
本人基本的にずっと、1軍の勝っている試合で投げてきた。それが徐々にできなくなってきて、僕が(投手の)一枠を取っていることはどうなのか…。そう思うことはあります 出典
引退試合で中村晃から空振り三振
ソフトバンク戦の9回に7番手で登板し、同じく今季限りでユニフォームを脱ぐ中村晃をフォークで空振り三振に取る。会見では「お釣りが来るぐらいやり切らせていただきました。悔いはないです」と話した。セレモニーでは岡田彰布、2006〜2017年にともにプレーした金子千尋、岸田護から花束を受け、プロを目指す子どもたちに語りかけた。記憶に一番強く残る失敗には、2016年の鈴木誠也のサヨナラ本塁打を挙げている。
本人僕は今までいっぱい失敗をしてきました。球場に行くのも、マウンドに立つのも、嫌だなと思うことはたくさんありました。でも、僕がここまでやってこられたのは、最後、一歩前に出る勇気だけがあったからかなと思います。 出典
オリックスの二軍監督に就任
オリックスが二軍監督への就任を発表した。背番号は81。一軍を率いる岸田護監督とは、2005年のドラフトで同期入団の間柄だ。兼任コーチの1年で、選手1人のために何人ものコーチが動く姿を見てきたという。
本人今度は若い子達に、自分が今までやってもらったことを返す番だと思う 出典