目次
岡山の野手から、都城高校の投手へ
平成10〜
岡山県備前市に生まれる
名前の「由伸」は、両親の名前から一字ずつ取ったもの。備前市立伊部小学校1年の時から地元の少年野球チーム「伊部パワフルズ」で野球を始め、実家が隣同士だった2歳年上の頓宮裕真とよくキャッチボールをした。
東岡山ボーイズで二塁手兼投手として全国大会に出場
備前中学校3年時の出来事。投手もしていたが三、四番手で、本職は野手だった。のちに都城高校で指導する森松賢容監督は、別の選手を目当てに訪れた際に内野ノックを受ける姿を見て「この子と野球したいな」と思ったという。
宮崎の都城高校に進学、キャッチボールを見た監督の勧めで投手へ
野球に集中できる環境を求め、先輩の紹介で宮崎県の都城高校へ進学し、寮生活を送った。当時は170cm、60kg程度で、同期の中でも小柄で細身だった。入学式直後の新入生のキャッチボールで森松賢容監督が「糸を引くようなボールで、相手がここで取るだろうなというのをリリース時点で描けた」と投手を勧め、本人も「やってみます」と応じた。1年夏の宮崎大会は三塁手として出場し、夏の後の新チームから投手として練習を始めた。
2年で球速151km/hに到達、新人大会決勝でノーヒットノーラン
入学直後の最速は124km/hほどだったが、2年春に147km/h、同年夏の宮崎県新人大会で151km/hを計測した。同大会決勝の鵬翔戦ではノーヒットノーランを達成し、2年秋の宮崎大会では宮崎海洋戦で5回参考ながら完全試合も記録した。
— ドラフト会議でオリックスから4位指名
3年夏の宮崎大会は肘の負傷を周囲に隠して登板し、3回戦で宮崎商に0-2で敗れた。スカウトの間では「山本は足を怪我したから社会人に行くらしい」との情報が流れ、社会人チームへの内定も決まっていたが、プロ志望届の提出期限直前に方針を転換。オリックスは担当スカウトの山口和男が「間違いない選手ですから。信じて下さい」と球団幹部を説き伏せ、4位で指名した。契約金4000万円、年俸500万円(推定)で入団し、背番号は43。都城高校からのNPB入りは福盛和男以来22年ぶりだった。
リリーフの下積みと先発転向
平成29〜
ロッテ戦でプロ初登板初先発、8月31日にプロ初勝利
二軍で8試合・防御率0.27の成績を残し、8月20日のロッテ戦で一軍初登板初先発。5回1失点と好投したが勝敗は付かず、31日の同カードで5回2失点に抑えてプロ初勝利を挙げた。9月26日には日本ハムの大谷翔平と初対戦し、大谷から「今年(2017年)、対戦した投手で一番」と評された。1年目は5試合で1勝1敗、防御率5.32。
本人ほっとした気持ちと、うれしい気持ちでいっぱいです。前回の初登板の時よりも、冷静に試合に入ることができた。 出典
リリーフで54試合登板、10代で62年ぶりのオールスター出場
前年オフに筒香嘉智らとの合同自主トレで体の使い方を学び、投球フォームの変更に取り組んだ2年目。開幕は二軍だったが、救援陣が不安定なチーム事情から4月にリリーフとして一軍に上がり、5月1日にプロ初セーブ。7月2日に監督推薦でオールスターに初選出され、球団の10代での球宴出場は1956年の米田哲也以来62年ぶりだった。54試合すべて救援で4勝2敗32ホールド1セーブ、防御率2.89。新人王投票はリーグ2位で、オフの契約更改では先発への転向を訴えた。
先発に再転向し、西武戦でプロ初完投初完封
本人の希望に加え、金子千尋と西勇輝が移籍したチーム事情もあって先発に再転向し、初の開幕ローテーション入りを果たした。6月28日の西武戦では9回5安打2四球11奪三振無失点、124球でプロ初完投初完封勝利。8月に左外腹斜筋損傷で離脱したが、最終戦で規定投球回に到達し、8勝6敗ながら防御率1.95で自身初のタイトルとなる最優秀防御率を獲得した。11月には背番号を18に変更した。
プレミア12で日本代表として大会初優勝に貢献
3月にメキシコ代表との強化試合で日本代表に初めて招集され、救援で実戦デビュー。11月の第2回プレミア12では、故障で辞退した松井裕樹・森原康平に代わり、その年の公式戦で一度も経験していないセットアッパーとして起用され、日本の大会初優勝に貢献した。
無四死球完投と25イニング連続奪三振、最多奪三振のタイトル
新型コロナウイルスの影響で120試合制となったシーズン。7月12日の日本ハム戦で9回13奪三振1失点、自身初の無四死球完投勝利を挙げ、7月26日から8月25日にかけては25イニング連続奪三振で日本人投手の最長記録を更新した。9月は4勝1敗・防御率0.73で自身初の月間MVP。18試合で8勝4敗、防御率2.20、千賀滉大と並ぶ149奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得した。
オリックスのエース、3年連続投手四冠
令和3〜
東京オリンピック準決勝の韓国戦に先発、日本代表は金メダル
6月に東京オリンピックの野球日本代表に選出。予選第1戦のドミニカ共和国戦に先発して6回2安打9奪三振無失点と好投し、準決勝の韓国戦でも先発して5回1/3を2失点で降板した。チームは金メダルを獲得した。WBSCが発表したベストナインの右投手部門に選出された。12月には備前市のJR伊部駅北口に記念のゴールドポストが設置された。
— 投手四冠・沢村賞・パ・リーグMVPを初受賞、25年ぶりのリーグ優勝
初の開幕投手を務めたこの年、26試合で18勝5敗、防御率1.39、勝率.783、206奪三振で史上12人目、球団史上初の投手四冠を達成。5月28日からの15連勝でシーズンを完走し、6月度から4か月連続で月間MVPを受賞した。2年連続最下位だったチームは25年ぶりのリーグ優勝を果たし、CSファイナル第1戦では無四球完封、日本シリーズは敗れたものの15イニング20奪三振で敢闘選手賞を受けた。11月22日に沢村賞に全会一致で初選出され、12月15日にはパ・リーグMVPを初受賞した。
本人今シーズンは応援の力を感じるシーズンでした。 出典
— 西武戦でノーヒットノーラン達成
9回1四球9奪三振無失点で、史上86人目のノーヒットノーランを達成。球団では2012年の西勇輝以来9人目で、岡山県出身者として初めての快挙と地元紙に報じられた。試合後の会見では、連敗中だったチームについて「悪い流れを止めたり、チームをいい流れに乗せられたり、そういう選手になっていけるように」と語った。この年は2年連続の開幕投手として12年ぶりの開幕戦勝利をチームにもたらし、4月9日には前年から続く18連勝で球団最長記録を更新していた。
本人9回を投げていた時もドキドキしていましたし、こんなに最後まで緊張するものなんだなと投げながら思っていました。 出典
史上初の2年連続投手四冠、チームは26年ぶりの日本一
26試合で15勝5敗、防御率1.68、勝率.750、205奪三振を記録し、プロ野球史上初の2年連続投手四冠を達成。後半戦は無敗で、最大11.5ゲーム差からの逆転リーグ連覇に貢献した。日本シリーズ第1戦で左わき腹を痛めて第6戦の先発を回避したが、チームは26年ぶりの日本一。10月24日にパ・リーグ所属選手では史上初となる2年連続の沢村賞、11月25日に2年連続のMVPを受賞し、12月の契約更改では球団史上最高となる推定年俸6億5000万円でサインした。
WBCで日本代表として世界一
1月に第5回WBCの日本代表に選出。1次ラウンドのオーストラリア戦に先発し、4回1安打無失点8奪三振で1位突破に貢献した。準決勝のメキシコ戦は3点ビハインドの5回から登板して3回1/3を2失点。日本は6x-5のサヨナラ勝ちで決勝に進み、大会優勝を果たした。
本人野球人生の中でも最高の経験だなと思います。 出典
— ロッテ戦で2年連続のノーヒットノーラン
9回を無失点に抑え、戦後初となる2年連続、プロ野球通算100度目のノーヒットノーランを達成。許した走者は四死球の2人だけだった。この年はWBCから開幕1週間前に合流し、5月に発熱で10日間離脱したものの、6月13日の阪神戦で自身初の甲子園勝利、7月8日の西武戦でシーズン初完投勝利を挙げていた。9月24日の西武戦では3年連続の15勝目に到達。ダルビッシュ有以来14年ぶり、球団では山田久志以来44年ぶりの記録だった。
3年連続の投手四冠・沢村賞・MVP、日本シリーズで14奪三振の完投
16勝6敗、パ・リーグ歴代2位の防御率1.21、勝率.727、169奪三振で自身の記録を塗り替える3年連続の投手四冠を達成し、チームのリーグ3連覇の立役者となった。阪神との日本シリーズは第1戦で7失点と打たれたが、王手をかけられた第6戦で9回138球1失点の完投勝利。14奪三振は日本シリーズ1試合の新記録だった。10月30日に3年連続の沢村賞(金田正一以来65年ぶり史上2人目)、11月28日に山田久志・イチローに続く史上3人目の3年連続MVPを受賞した。
— ドジャースと12年総額3億2500万ドルで契約
11月5日にポスティングシステムでのMLB挑戦が承認され、「ここでいければ一番いい。世界一のリーグで一番になりたい」と語っていた山本は、ドジャースと12年総額3億2500万ドル(約465億円)で契約した。ゲリット・コールの9年3億2400万ドルを抜くMLB投手史上最高額で、オリックスへの譲渡金は5062万5000ドル。背番号はオリックス時代と同じ18になった。12月28日の入団会見では英語で挨拶し、決め手を「勝ち続けられる球団でプレーしたい」と述べ、大谷翔平の加入も「決断の理由の一つになった」と説明した。
本人ワールドチャンピオンになるために、もっと野球がうまくなれるよう、新しい毎日を過ごしていくことをファンに約束する 出典
ドジャースで世界一、そしてシリーズMVP
令和6〜
ソウルでMLBデビュー、初回5失点で降板
MLB史上初の韓国・ソウル開催となった開幕カード第2戦のパドレス戦に先発したが、初回に43球を投げて5失点で降板。4月6日のカブス戦で5回3安打無失点に抑え、メジャー初勝利を挙げた。6月15日のロイヤルズ戦では右肩痛を訴えて緊急降板し、球団は回旋腱板の損傷と発表。長期離脱を挟み、1年目は18試合で7勝、防御率3.00、105奪三振だった。
ダルビッシュとの日本人先発対決を制し、1年目でワールドシリーズ優勝
パドレスとの地区シリーズ第1戦は3回5失点で降板したが、ダルビッシュ有と投げ合った第5戦で5回無失点、ポストシーズン初勝利。MLBのポストシーズンで日本人先発投手同士が対戦したのは史上初だった。ヤンキースとのワールドシリーズ第2戦では7回途中1失点で、2007年の松坂大輔以来2人目となる日本人投手のシリーズ白星を挙げ、チームは世界一。26歳でのワールドシリーズ優勝は日本人最年少だった。
東京ドームの開幕戦でMLB初の開幕投手、今永昇太と投げ合い勝利
6年ぶりに日本で開催されたカブスとの開幕戦「MLB東京シリーズ」で、自身MLB初の開幕投手を務め、同じく開幕投手の今永昇太と投げ合って5回1失点で勝利投手に。3・4月は6先発でメジャー1位の防御率1.06を記録し、日本人投手5人目のピッチャー・オブ・ザ・マンスを初受賞した。
12勝・201奪三振、被打率はメジャー1位、あと1死でノーヒットノーランを逃す
7月にMLBオールスターに初選出。8月2日のレイズ戦でMLB初の2桁勝利を挙げ、9月6日のオリオールズ戦では9回2死までノーヒットノーランを続けながらジャクソン・ホリデイに本塁打を浴びた。9月は防御率0.67でシーズン2度目のピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞し、日本人投手として初めて同一シーズンで複数回受賞。30試合で12勝、防御率2.49、201奪三振。被打率.183はメジャー1位だった。
— ワールドシリーズ第7戦で中0日の救援登板、日本人投手初のシリーズMVP
ブルワーズとのリーグ優勝決定シリーズ第2戦で111球9回1失点、日本人投手初のポストシーズン完投勝利。ブルージェイズとのワールドシリーズ第2戦でも105球で完投勝利を挙げた。第6戦で6回1失点と投げて3勝3敗に戻すと、翌11月1日の第7戦は同点の9回1死一、二塁で中0日の救援登板。2回2/3を無失点に抑えて胴上げ投手となり、シリーズ3勝0敗・防御率1.02で、松井秀喜以来2人目、日本人投手では初のワールドシリーズMVPに選ばれた。11月にはサイ・ヤング賞投票3位、オールMLBファーストチーム、12月には日本人初のベーブ・ルース賞も受けた。
本人もともと僕が19歳くらいの時に日本の1軍の試合で初めて投げて、1試合投げたら10日くらい、肘が伸びないくらい(張って)パンパンだったんですけど、そこからトレーニングだったり、フォームをちょっと変えてりして、どんどん負担なく、全身を使ったフォームで投げられるようになった。今日こんな結果になったので、積み重ねてきたのは間違いじゃなかったんだな、と思いました 出典
WBC準々決勝ベネズエラ戦に先発、日本は初の8強敗退
1月に第6回WBCの日本代表に選出され、1次ラウンドのチャイニーズタイペイ戦と準々決勝のベネズエラ戦に先発。準々決勝は初回にアクーニャに先頭打者本塁打を浴び、4回2失点で降板した。日本は5-8で逆転負けを喫し、準決勝進出を逃したのは大会史上初めてだった。
2年連続の開幕投手で、日本人初の2年連続開幕戦白星
本拠地でのダイヤモンドバックス戦に2年連続の開幕投手として先発し、6回2失点無四死球6奪三振の好投で勝利投手に。日本人投手として初めて2年連続で開幕戦の白星を挙げた。
— 完全試合まであと4人、45者連続アウトのメジャー歴代2位タイ
敵地のホワイトソックス戦で7回まで89球のパーフェクト。8回2死に遊撃ムーキー・ベッツの失策で完全試合は消えたが安打は許さず、9回先頭のピーターズに本塁打を浴びてノーヒットノーランも逃した。8回1/3を1安打1失点で7勝目。前回登板の22者連続アウトから続く45者連続アウトは、1920年以降ではヤスメイロ・ペティットの46者に次ぎ、マーク・バーリーと並ぶメジャー歴代2位タイの記録となった。7月4日には2年連続でオールスターに選出されている。
ヤンキース戦でレギュラーシーズン初完投、日米通算100勝も達成
敵地ヤンキースタジアムでのダブルヘッダー第1戦に先発し、102球で9回4安打2失点無四球、メジャー3年目で初のレギュラーシーズン完投勝利。2年連続の2桁勝利となる10勝目で、チームは救援陣を温存して第2試合に臨めた。25日のメッツ戦では6回1失点で11勝目を挙げ、オリックスでの70勝と合わせて日米通算100勝に到達した。
本人無駄な力みがなく投げていけた。良いコースにいっていたので、それも好結果につながったと思います 出典
地区5連覇を決め、自己最多の14勝でポストシーズンへ
9月中旬のレッズ戦で7回1安打無失点、自己最多を更新する14勝目を挙げた。17日にはチームが5年連続のナ・リーグ西地区優勝を決めた。
本人シーズンはもう終わりますけど、やっぱりこう、『やっと始まるな』というような、そういう気持ちになってます 出典