目次
浜松から日本航空へ
昭和23〜
東京大学経済学部を卒業し、日本航空に入社
東京大学経済学部を卒業し、日本航空株式会社に入社した。入社後はフランクフルト支店で、空港所・営業所の総務セクションマネージャーを務めている。のちに社長となるまで、資金の部門を中心に歩むことになる。
資金部長から取締役へ
平成11〜
日本航空インターナショナルと日本航空ジャパンの取締役に
日本航空インターナショナルと日本航空ジャパンの取締役に就いた。2005年3月に発表された役員人事では、資金部と調達部の担当とされている。
社長就任と倹約経営
平成18〜
次期社長に決まる
2005年から運航・整備面のヒューマンエラーが続くなか、2月には新町敏行社長ら経営トップ3人に対し、グループの役員や幹部が業績悪化などを理由に退陣を求めていたことが報じられた。3月1日、日本航空は2006年度の役員体制を発表。新町は定時株主総会後に代表取締役を退いて会長となり、社長兼CEOには西松が就くことになった。西松は一連の騒動の根源に「風通しの悪さ」があるとみる。
本人一気に爆発するような体制でなく、日頃から見解の相違も含めて意見交換をする『ものを言える風土』が必要 出典
日本航空の社長兼CEOに就任
6月28日の定時株主総会を経て、持株会社の日本航空と日本航空インターナショナルの社長兼CEOに就いた。総会2日後の6月30日、発行済み株式の約37%にあたる7億株の公募増資を発表すると、総会で明確な説明が無かったとして株主軽視との批判を受ける。集まった資金は1400億円程と目標を下回り、株価も一時大きく下げた。この就任から2010年1月まで、日本航空の社長を務めることになる。
「再生中期プラン」を公表、自らの年収を960万円に
2月6日、2007〜2010年度の中期経営計画「再生中期プラン」を公表した。人件費500億円の削減と、2006年から連結で4300人の人員削減が柱。役員報酬を社長60%などと削り、自身の報酬は「管理職として最下限の年収」となる年960万円とした。同社パイロットの平均年収1954万円の約半分にあたる。社長室を廃止し、原則として電車通勤と社員食堂での昼食に切り替える。
本人計画策定者として、退路を断って取り組んでいく 出典
『ガイアの夜明け』がJALの改革を取材
テレビ東京『ガイアの夜明け』が「巨大航空会社の苦闘 ~JALは復活するか?~」を放送。崖っぷちからの復活に向かうJALの改革の現場を、6か月間にわたって取材した。
東洋経済のインタビューでリストラは「まだ1、2割」と語る
7月に掲載された東洋経済のインタビューで、500億円規模の人件費削減をテコに予測を上回る決算を発表し営業利益で全日本空輸を上回ったことについて、その半分くらいはリストラで出てきている利益だと語る。まだ40機あるジャンボ機は「今の時代にそぐわない飛行機」だとした。
本人社員には本当に申し訳ないと思っていますが、広い意味でのリストラの到達度は、まだ1、2割です。 出典
米CNNが倹約ぶりを報道
米CNNが東京発のレポートで、都バスで出勤し、社員食堂の列に並んで昼食をとる西松の姿を放送した。記者に「世界でトップ10に入る航空会社のCEOの生活としては奇妙なのでは」と問われ、「そんなおかしいですかね?」と答えている。YouTubeに転載された動画は、12月3日時点で6万9000回以上再生された。
経営危機と破綻
平成21〜
有楽町で社員とともにビラを配る
有楽町で、社員と一緒に日本航空の利用を呼びかけるビラ配りに参加した。
ja.wikipedia.org×2
国土交通相直轄の「JAL再生タスクフォース」が発足
9月の政権交代で国土交通相となった前原誠司は、前政権下の有識者会議を廃止し、事業再生の専門家5名による「JAL再生タスクフォース」を設けた。資産査定を行わせ、政治主導で再生計画を策定させる狙いだった。前原はのちのインタビューで、当時の西松社長と国交省航空局を基本的に信用しない姿勢で始めたと振り返っている。
企業再生支援機構に事前相談、タスクフォースは解散
日本航空は企業再生支援機構に、再生支援の事前相談の申請を始めた。同じ日、タスクフォースは資産査定を終えて再生計画を提出し、設置から約1か月で解散。再建は企業再生支援機構に引き継がれることになる。
ja.wikipedia.org×2
1,312億円の最終赤字と事業再生ADRの申請を発表
第2四半期の決算発表で1,312億円の最終赤字を計上し、事業再生ADRの申請を発表した。11月24日にはテレビ東京『ガイアの夜明け』の「徹底追跡…JAL危機」に出演し、自主再建に向けた取り組みを語っている。
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日本航空が会社更生法を申請、同日付で社長を退任
日本航空は企業再生支援機構から支援決定を受け、東京地方裁判所に会社更生手続の開始を申し立てた。3社合計の負債総額は2兆3221億8100万円で、金融機関を除く事業会社では戦後最大の倒産となる。西松は経営責任を取り、同日付で退任した。鳩山政権内では京セラの稲盛和夫をCEOに据えることが内定していた。新社長の大西賢は西松たっての願いで誕生したと報じられている。
2010年、同世代の人は
尾崎 将司(スポーツ選手・1947年生まれ)世界ゴルフ殿堂入りが決まる、日本人4人目退任後
平成22〜
日航財団の理事長に無報酬で就任
財団法人「日航財団」(現・公益財団法人JAL財団)の理事長に無報酬で就いた。同じ2010年には、城西国際大学の客員教授にも就任した。
TBS「ニュースの巨人」で社長就任の経緯を語る
TBSの深夜番組「ニュースの巨人」に出演し、社長就任の経緯や破綻の原因について語った。日刊ゲンダイは4年ぶりの表舞台への登場と報じ、肩書きを城西国際大学客員教授と伝えている。
近況
1月に78歳を迎えた。日本航空の社長在任は2006年6月から2010年1月まで。同社はその後、2012年9月19日に再上場を果たしている。