生い立ちと商社時代
昭和26〜
東京都に生まれる
東京で生まれ育った。
東京大学工学部を卒業し、日商岩井に入社
工学部(石油工学専攻)を卒業後、総合商社の日商岩井(現・双日)に入社し、社会人としての第一歩を踏み出した。
米カーネギーメロン大学でMBAを取得
20代の終わりに渡米し、カーネギーメロン大学テッパー・スクール・オブ・ビジネスでMBAを取得。アメリカの規模の大きさや多様性に触れ、「いつかアメリカで勝負したい」との思いを強くした。同大学の評議員(ボード・オブ・トラスティー)には2004年から名を連ねている。
GE時代 ―― アジア人初の要職へ
昭和61〜
— 日本ゼネラル・エレクトリック(GE)に入社
日商岩井を経て、当時「世界最強の企業」と評されたGEの日本法人に転職。商社での経験を経ても消えなかった「アメリカでアメリカ人と戦い、そして勝ちたい」という思いが転職の原動力になったという。
本人アメリカでアメリカ人と戦い、そして勝ちたい。
GEカンパニー・オフィサーに
GEの経営中枢を担う「カンパニー・オフィサー」に就任し、アジア地域のヘルスケア事業を率いる立場に加わった。GEでは「自分ができると思う3倍ほどのアサインメントを3年でやり切る」という高すぎる目標を課される育成方針の中で経営者としての力を鍛えられたと振り返っている。
本人自分ができると思っている3倍ぐらいのアサイメントが来るんです。それを3年間でやらなくちゃいけない。
— GEプラスチックスCEO兼、アジア人として初のシニア・バイス・プレジデントに
GEプラスチックスのCEOに就任すると同時に、アジア出身者として初めてGE本社のシニア・バイス・プレジデント(上席副社長)に上り詰めた。
GEアジア・パシフィックのCEOに就任
アジア太平洋地域全体の事業を統括する立場に就き、日本国外での経営経験をさらに積んだ。
GEマネー(金融部門)シニア・バイス・プレジデント、日本GE会長を兼務
グローバルな金融事業の要職を担う一方、日本GEの会長にも就任し、日米双方での経営責任を負った。
— 日本GE代表取締役会長兼社長兼CEOに就任
日本法人のトップとして経営の全権を握り、以後2011年まで務めた。25年間のGEでの経験は、後のLIXIL経営の土台となった。
LIXIL社長 ―― 世界企業への挑戦
平成23〜
— 住生活グループ(現LIXILグループ)社長兼CEOに就任
同社会長だった潮田洋一郎氏との対話の中で「国内事業中心のこの会社を、GEで学んだ経験を活かしてグローバル化できないか」という挑戦意欲に火が着き、GEから転じた。入社直後から「Diversity、Equal Opportunity、Meritocracy(多様性・機会均等・実力主義)」を掲げ、全国の社員に語りかけたという。
本人60歳になったら、日本の会社で日本のために何かしたい。
東京電力の社外取締役に就任
東日本大震災後の経営体制の中、東京電力(現・東京電力ホールディングス)の社外取締役として10年以上にわたり関与した。
独グローエ・グループの買収を発表
アメリカンスタンダードに続く海外M&Aとして、欧州の水栓大手グローエ・グループの買収を発表。2014年12月から2015年4月にかけて段階的に子会社化した。
— 中国子会社ジョウユウの不正会計が発覚
グローエ傘下で衛生陶器を手がける中国のジョウユウ(Joyou AG)で、簿外債務を伴う長年の不正会計が発覚。中国の銀行からの指摘を機にLIXILが調査に乗り出し、藤森自身が調査委員会の委員長を務めた。最終的に累計660億円規模の特別損失計上を迫られ、2016年3月期は6年ぶりの連結最終赤字に転落した。
社長退任を発表、後任は瀬戸欣哉氏
後任社長となるモノタロウの瀬戸欣哉氏を欠席させたまま単独で記者会見に臨み、退任はジョウユウの問題とは無関係だと説明。5年間の在任を一つの区切りと考えていたと述べたが、不正会計発覚から半年余りというタイミングから、事実上の引責と受け止める見方も広がった。
LIXILグループ社長を退任、相談役に
在任中に海外売上高比率を3%から30%へ拡大し、営業利益を約4割伸ばした実績を残しつつ、代表権のない相談役に退いた。相談役は2019年12月まで務めた。
退任後 ―― 国際経営への関与を継続
平成28〜
米ボストン・サイエンティフィックの取締役に就任
米国の医療機器大手の取締役に選任され、以後リスク・サイエンス・アンド・テクノロジー委員会の委員長を務めるなど、米国企業のガバナンスにも携わった。
日本オラクルの取締役会長に就任
外資系IT企業・日本オラクルの取締役会長に就き、クラウド事業を軸とした経営に助言する立場となった。
東芝の社外取締役に就任
経営再建中の東芝で、外国人取締役の登用が進む中、株主総会で社外取締役の一人に選任された。2021年6月まで務めた。
ICCサミットKYOTOで経営哲学を語る
経営者が集うカンファレンス「ICCサミット KYOTO 2019」に登壇し、「最初の100日で戦略を描き、3年で結果を出す」という自らの経営スタイルを語った。目的地を定め、戦略を立て、必要な人材とチームを100日で組み立てるという姿勢は、GE時代から一貫している。
本人アメリカでは「The First 100 Days」つまり最初の100日で何をするかを考えます。どういう会社になっていくのか、どんな戦略を作って3年後の形を作るのかということを最初の100日で考えるのです。
資生堂の社外取締役に就任
化粧品大手・資生堂の社外取締役として経営に関与し、2022年3月まで務めた。
デジタルインフラ投資会社デジタルブリッジのシニア・エグゼクティブ・アドバイザーに就任
米デジタルブリッジ・グループが、日本およびアジア太平洋地域での事業拡大を後押しする顧問として藤森を招いたと発表。武田薬品工業とボストン・サイエンティフィックの取締役、日本オラクル取締役会長、CVCキャピタルパートナーズ日本法人最高顧問を務めながら、新たな役割を引き受けた。
ボストン・サイエンティフィック取締役の退任を表明
2016年から10年近く務めた取締役について、2026年の株主総会をもって改選に立候補しない意向を表明。会社との対立によるものではないとされた。武田薬品工業の社外取締役、日本オラクル取締役会長、デジタルブリッジのシニア・エグゼクティブ・アドバイザーなど、国内外の経営への関与は現在も続けている。