宇部での生い立ちと家業継承
昭和24〜
山口県宇部市に生まれる
父・等は紳士服小売「メンズショップ小郡商事」を営んでいた。
早稲田大学を卒業し、ジャスコに入社するも9か月で退社
小売の現場が性に合わず、実家の小郡商事に入った。以後10年余り、家業で経験を積んだ。
ユニクロ創業、苦境からの転換
昭和59〜
— 父の後を継いで社長就任、「ユニクロ」1号店を広島に開店
「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」を略した店名で、当初は有名ブランドを安価で販売する形態だった。模造品が混入する騒動で評判を落としたことを機に、オリジナル商品の開発へ路線を転換していった。
社名を「ファーストリテイリング」に変更
中国地方を中心に店舗網を広げ、ユニクロの路線が徐々に軌道に乗っていった。
— フリースが大ヒット、全国区の企業へ
低価格・高品質のフリースが社会現象的なヒットとなり、ユニクロは一気に全国的な知名度を獲得した。
海外展開とヒット商品の広がり
平成11〜
ロンドンに海外初出店
一時は21店舗まで拡大したが不採算店が相次ぎ、海外展開の難しさを経験した。
代表取締役会長兼CEOに就任、中国・上海に進出
ロンドンでの苦戦とは対照的に、中国市場は後にユニクロ最大の海外市場へ成長していく足がかりとなった。
機能性インナー「ヒートテック」を発売
フリースに続くヒット商品となり、後年には累計販売数十億枚を超える定番商品に成長した。
持株会社制への移行に伴い社長に復帰
グループ各社の会長職も兼務するようになった。
「ジーユー」を設立、米ニューヨークに旗艦店を開業
低価格カジュアルの新ブランドを立ち上げる一方、ニューヨーク・ソーホーにユニクロの大型グローバル旗艦店をオープンし、世界戦略を本格化させた。
— フォーブス「日本の億万長者」で初めて首位に
世界的な不況で資産を減らした富裕層が多い中、低価格路線のユニクロが業績を伸ばし、前年1位だった任天堂の山内溥相談役(3位に後退)を抜いて初の首位となった。
— 売上高が初めて2兆円を超える
国内外への展開が実を結び、世界的なアパレル企業としての地位を固めた。
長者番付トップ、そして継承期へ
令和1〜
— フォーブス日本長者番付の首位に返り咲き
保有資産3兆500億円で、2020年以来2年ぶりの首位。2025年まで4年連続で首位を維持し、日本を代表する資産家としての地位を確立した。
塚越大介氏が取締役に就任
47歳の塚越氏が取締役に就任し、次世代の経営体制づくりが進められている。