京都・西宮での生い立ちと早稲田時代
昭和24〜
京都府京都市に生まれる
生後まもなく兵庫県西宮市に転居し、西宮市・芦屋市で育った。両親はともに国語教師だった。
早稲田大学第一文学部に進学、映画を専攻
兵庫県立神戸高等学校を卒業後、早稲田大学第一文学部演劇科に進学し、映画のシナリオを学んだ。
在学中に学生結婚
在学中に結婚。夫婦で昼はレコード店、夜は喫茶店でアルバイトをして開業資金を貯めた。
国分寺にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開業
大学在学中、両親と銀行からの借金も加えた総額500万円を元手に、国分寺駅南口のビル地下にジャズ喫茶を開いた。店名は当時飼っていた猫にちなむ。1977年には千駄ヶ谷に移転した。
— 神宮球場でプロ野球観戦中、小説を書くことを思い立つ
明治神宮野球場でヤクルトの開幕戦を観ていた際、先頭打者のデイブ・ヒルトンが左中間に二塁打を放った瞬間、「自分にも小説が書けるかもしれない」と直感。その夜から毎晩、閉店後のジャズ喫茶のキッチンテーブルで執筆を始めた。
デビューと専業作家への転身
昭和54〜
— 『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー
ジャズ喫茶を経営しながら書き上げた処女作が第22回群像新人文学賞を受賞し、作家としてデビューした。
ジャズ喫茶を閉店し、専業作家に転身
7年間経営した「ピーター・キャット」を閉店し、執筆一本の生活に入った。
『羊をめぐる冒険』で野間文芸新人賞を受賞
「鼠三部作」の完結編となる長編で野間文芸新人賞を受賞。デタッチメント(関わりのなさ)を基調とした初期の作風を代表する作品となった。
アテネ・マラソンで初マラソンを完走
ギリシャのアテネからマラトンまでを走る大会で自身初のマラソンを完走。以後、日々の長距離走を執筆生活の一部とする習慣が続くことになる。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で谷崎潤一郎賞を受賞
1980年発表の中編「街と、その不確かな壁」の主題を発展させた長編で谷崎潤一郎賞を受賞。この“壁の街”というモチーフは、約40年後の『街とその不確かな壁』で再び書き直されることになる。
海外生活と国民的作家へ
昭和61〜
ヨーロッパに移住、ローマを拠点に執筆生活
ギリシャ・イタリア・イギリスなど各地に滞在しながら執筆する生活を始めた。ローマで『ノルウェイの森』を書き上げている。この時期の記録はのちにエッセイ『遠い太鼓』にまとめられた。
— 『ノルウェイの森』刊行、上下巻430万部超の空前のベストセラーに
講談社より上下巻で刊行されるとたちまちベストセラーとなり、長編小説として空前の430万部超(のちに単行本・文庫累計で1000万部を超える)を売り上げた。一躍国民的作家となった一方、本人は当時「自分がひどく孤独になったように感じた」と後年振り返っている。
米プリンストン大学の客員研究員として渡米
ニュージャージー州のプリンストン大学に客員研究員として招かれ、翌年からは客員講師として大学院でセミナーも担当した。滞米生活は『やがて哀しき外国語』に記されている。
阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件を機に日本へ帰国
在米中に起きた阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件という二つの出来事を機に日本への帰国を決意。この体験がのちの『アンダーグラウンド』『神の子どもたちはみな踊る』執筆につながった。
地下鉄サリン事件の被害者証言をまとめた『アンダーグラウンド』を刊行
事件の被害者へのインタビューをまとめたノンフィクションで、社会に距離を置いてきたそれまでの作風から一転し、社会問題に正面から向き合う姿勢を示した。
阪神・淡路大震災を題材にした連作短編集『神の子どもたちはみな踊る』を刊行
収録作はいずれも、震災が起きた1995年1月と地下鉄サリン事件が起きた3月に挟まれた「2月」の出来事を意図的に描いている。
『海辺のカフカ』刊行、国内で30万部超のヒットに
15歳の少年を主人公にした長編で、刊行時点で約30万部を売り上げ、後に英訳が米「ニューヨーク・タイムズ」紙の年間ベストブックに選ばれるなど海外でも高く評価された。
世界的評価の確立、1Q84と国際的な賞
平成15〜
サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の新訳を刊行
青春期に読んで影響を受けたアメリカ文学の新訳を本格的に手がけ始め、以後フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』、チャンドラーのマーロウ・シリーズなど多くの翻訳を刊行していくことになる。
チェコのフランツ・カフカ賞をアジア圏で初受賞
前年・前々年の受賞者が続けてノーベル文学賞を受賞していたことから、以後「村上春樹がノーベル賞に近づいた」との見方が広まるきっかけとなった。
ランニングをめぐるエッセイ『走ることについて語るときに僕の語ること』刊行
1983年のアテネ・マラソン初完走から2005年のニューヨークシティマラソンまでを振り返り、走ることと小説執筆の関わりを綴った。世界25か国語に翻訳されている。
— エルサレム賞を受賞、「壁と卵」スピーチが世界的な反響を呼ぶ
ガザ侵攻を背景に受賞辞退論も出るなか出席を選び、「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵があるなら、私は常に卵の側に立つ」と述べたスピーチが世界的な反響を呼んだ。
— 『1Q84』BOOK1〜3を刊行、シリーズ累計300万部超の大ヒットに
BOOK1・2を2009年5月に、BOOK3を2010年4月に刊行。発売直後から重版が相次ぎ、シリーズ累計発行部数は300万部を突破した。
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』刊行
発売1週間で100万部を突破するなど大きな話題を呼んだ長編小説。
近年の活動、村上春樹ライブラリー、そして最新作へ
平成29〜
長編小説『騎士団長殺し』刊行
第一部・第二部の2冊構成で刊行された長編小説。
早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)が開館
母校・早稲田大学に、自身の蔵書や資料を収蔵する文学館が開館。建築家・隈研吾が設計を手がけ、経営していたジャズ喫茶「ピーター・キャット」で使われていたグランドピアノも展示されている。
— 6年ぶりの長編『街とその不確かな壁』刊行
1980年の中編、1985年の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を経て温め続けてきた“壁の街”というモチーフを、約40年越しに書き改めて完成させた長編小説。2020年3月から約3年をかけて執筆した。
— 3年ぶりの長編小説『夏帆 The Tale of KAHO』を刊行
女性を主人公にした初の長編小説。26歳の絵本作家・夏帆が見知らぬ男から告げられた一言をきっかけに、身の回りで奇妙な出来事が続いていく物語。2024年から雑誌「新潮」で連載され、単行本・電子版が同時発売された。
77歳の現在も新作を発表し続け、ノーベル文学賞候補として名前が挙がり続ける
『夏帆 The Tale of KAHO』刊行で改めて話題を集めるとともに、この秋も例年同様にノーベル文学賞の受賞予想でその名が取り沙汰されている。作品は世界40以上の言語に翻訳され、国内外で読み継がれている。