尼崎の少年、ガンバの至宝
平成10〜
兵庫県尼崎市に生まれる
二人の兄の影響でボールを蹴り始め、小学生時代は浦風FCに所属。途中から西宮少年SS(西宮少年サッカースクール)へ所属を移し、サッカーに打ち込んだ。
ガンバ大阪のアカデミーへ
中学進学とともにガンバ大阪ジュニアユースに入団。名門の育成組織で、左足の技術と勝負強さを磨いていく。
— 16歳でクラブ史上2番目の若さで公式戦デビュー
ユース所属のままトップチームに絡み、AFCチャンピオンズリーグのFCソウル戦に16歳344日で出場。かつて宇佐美貴史が記録したのと同じ状況でのデビューとなり、早くから“ガンバの至宝”と注目された。
U-23でゴールを量産し、飛躍の足がかりに
ガンバ大阪U-23でJ3のピッチに立ち、10得点を記録。実戦経験を積み重ね、世界へ羽ばたく準備を整えていく。
海を渡る
平成29〜
U-20ワールドカップで3得点、世界に名を知られる
U-20日本代表として世界の舞台を経験し、4試合で3得点。若き才能として国際的にも名前が知られ始める。
オランダ・フローニンゲンへ移籍
ガンバ大阪から期限付き移籍でヨーロッパへ。翌年には完全移籍となり、エールディヴィジで主力としてゴールを重ねた。
アジアカップ準優勝、大会のブレイクスターに
AFCアジアカップ2019でA代表の中心の一人として準優勝に貢献。同年夏には名門PSVアイントホーフェンへ活躍の場を移した。
ブンデスリーガ・アルミニア・ビーレフェルトへ期限付き移籍
1シーズンをドイツで過ごし、34試合5得点を記録してクラブの残留に貢献。翌年PSVへ復帰した。
東京五輪に背番号10で出場、4位
地元開催のオリンピックでオーバーエイジに頼らない世代の中心として戦い、メダルまであと一歩の4位。悔しさを次への糧とした。
ドイツで主力、W杯の金星
令和4〜
ドイツ・SCフライブルクへ完全移籍
ブンデスリーガの中堅クラブで主力に定着。安定した出場機会の中で得点力と守備の貢献を両立させていく。
— カタールW杯、ドイツ・スペインから同点弾
グループ初戦のドイツ戦(11月23日)で途中出場から値千金の同点ゴール。さらにグループ第3戦のスペイン戦(12月1日)でも途中出場からわずか3分で強烈な左足の同点弾を突き刺し、日本は2つの強豪を撃破してグループ首位で決勝トーナメントへ進んだ。
世間「あそこはオレのコース」——強心臓の一言とともに、日本中が沸いた。
国際Aマッチ50試合に到達
代表に欠かせない存在として出場を重ね、2次予選でも得点を挙げるなど中心選手としての地位を固めた。
背番号10、そしてキャプテン格へ
令和7〜
アイントラハト・フランクフルトへ完全移籍
移籍金約2200万ユーロで5年契約を締結。長谷部誠が背負った背番号20を受け継ぎ、移籍直後から得点を重ねてチャンピオンズリーグの舞台にも立った。
イギリス遠征でキャプテンを任命される
負傷離脱した遠藤航に代わり、ウェンブリーでのイングランド戦でキャプテンマークを巻いて先発。チームを束ねる役割も担うようになった。
— W杯2026に背番号10で出場、決勝トーナメント1回戦(ラウンド32)で敗退
2大会連続出場となる北中米W杯に日本代表の背番号10として臨み、初戦オランダ戦ではキャプテンマークを巻いて先発。第2戦チュニジア戦は4-0と大勝、第3戦スウェーデン戦は1-1で引き分けグループ2位で決勝トーナメント進出。ラウンド32(決勝トーナメント1回戦)でブラジルに敗れ、大会を終えた。背番号10とキャプテンマークを担い、日本代表の象徴的存在としての地位を確立した大会となった。
世間背番号10とキャプテンマーク——名実ともに日本代表の象徴となった。
「U-21 Jリーグ」アンバサダーに就任
8月22日開幕の2026-27シーズン「U-21 Jリーグ」のアンバサダーにJリーグから任命される。自身がG大阪U-23(当時のU-23チーム制度)出身で、若手育成の理念との親和性が評価された。
本人あのステージがあったから、今の僕があると言っても過言ではない。自分のサッカーキャリアにおいてすごく意味のあるステージだった 出典