川崎フロンターレ育ち、大学進学という選択
平成9〜
神奈川県川崎市に生まれる
兄の影響でサッカーを始め、地元のクラブを経て川崎フロンターレの下部組織に入った。
川崎フロンターレU-10に加入
高校卒業まで川崎の下部組織でプレーを続けた。
トップ昇格を断り、筑波大学へ進学
川崎フロンターレからトップチーム昇格の打診を受けたが、まだプロで活躍できる確信が持てないという理由で進学を選んだ。
特別指定選手として川崎フロンターレの試合に出場
大学に在籍しながら、特別指定選手として複数シーズンにわたりトップチームの試合経験を積んだ。
プロ入りとブライトンへの挑戦
令和2〜
— 川崎フロンターレに正式加入、J1新人記録の13得点でリーグ優勝
プロ1年目からJ1新人記録となる13得点をマークし、チームのリーグ優勝・天皇杯優勝に貢献した。
ブライトンへ完全移籍を発表
移籍金はJリーグから海外へ渡った史上最高額。ただA代表経験がなく労働許可証が発給されず、ベルギー1部のユニオン・サン=ジロワーズへ期限付きで移籍した。
東京オリンピック出場、A代表に初選出
U-24代表としてオリンピックに出場し、同年A代表にも初めて選出された。
ブライトンでプレミアリーグデビュー
プレミアリーグの舞台でも持ち味のドリブルと突破力を発揮し始めた。
— ワールドカップカタール大会に出場
スペイン戦では幼馴染の田中碧へアシストを送り、ゴールを演出。少年時代から共に育った2人がW杯の舞台で結果を残したエピソードが話題となった。
プレミアリーグでの活躍
令和5〜
ブライトンでの2シーズン目
リーグ戦・カップ戦を含め安定した出場機会を得て、チームの主力としての地位を固めた。
— 1シーズン自己最多の10得点、日本人選手のプレミア最多得点記録を更新
リーグ戦36試合に出場し10ゴールをマーク。日本人選手によるプレミアリーグ1シーズンの最多得点記録を更新した。
2026年、負傷とワールドカップ
令和8〜
左脚の負傷でワールドカップ代表メンバーを外れる
5月15日に発表されたワールドカップ2026大会の日本代表26名に、左脚の負傷により選出されなかった。大会期間中の復帰は難しいとされ、回復に専念している。