★ STAR TIMELINE

もりやす はじめ

森保 一

選手としてドーハの悲劇を味わい、サンフレッチェ広島で三度のJ1制覇。日本代表を2大会連続で世界の舞台へ導いてきた監督。

昭和43年 長崎生まれ ・ 1968–

現職サッカー日本代表監督 ・ 選手時代MF(ボランチ) ・ 代表監督就任2018年 ・ 監督実績J1優勝3回(広島)

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最新
2026(令和8)

決勝トーナメント1回戦でブラジルと対戦

ラウンド32で優勝候補のブラジルと顔を合わせる。選手・監督として歩んできた森保一が、日本代表をさらなる高みへ導けるかが注目されている。

1968(昭和43) 静岡県掛川市に生まれる1987(昭和62) 長崎日本大学高校からマツダ(現サンフレッチェ広島)へ1989(平成1) 日本サッカーリーグ2部でデビュー1990(平成2) 高校の同級生と結婚1991(平成3) マツダとプロ契約、1部昇格に貢献1992(平成4) クラブはサンフレッチェ広島に、日本代表へ定着1993(平成5) ワールドカップ初出場を逃した「ドーハの悲劇」ドーハの悲劇1995(平成7) サンフレッチェ広島の中盤を支え続ける1998(平成10) 京都パープルサンガへ移籍2002(平成14) ベガルタ仙台でプレー2004(平成16) 現役を引退し、指導者の道へ2007(平成19) サンフレッチェ広島トップチームのコーチに2010(平成22) アルビレックス新潟のヘッドコーチに就任2012(平成24) サンフレッチェ広島の監督に就任、初年度でJ1優勝広島J1優勝2013(平成25) J1リーグ連覇2015(平成27) 三度目のJ1優勝2017(平成29) 広島の監督を退任、五輪代表の監督へ2018(平成30) サッカー日本代表(SAMURAI BLUE)監督に就任日本代表監督就任2021(令和3) 自国開催の東京オリンピックでベスト42022(令和4) W杯カタール大会、ドイツ・スペインを撃破しベスト16ドイツ・スペイン撃破2022(令和4) 続投が決定 ―― W杯後も指揮を継続する初の監督に2025(令和7) アジア最終予選を突破、いち早く2026年大会出場を決める2026(令和8) 北中米W杯、グループFを2位で突破北中米W杯2026(令和8) 決勝トーナメント1回戦でブラジルと対戦昭和平成令和
誕生 1968現在
父の転勤で各地を移り、6歳から長崎で育った。長崎日本大学高校からマツダ(のちのサンフレッチェ広島)に進み、ボランチとして日本代表に定着。1993年には、あと一歩で初のワールドカップ出場を逃した「ドーハの悲劇」をピッチで経験した。引退後は広島で指導者の道を歩み、監督として三度のJ1優勝を達成。2018年に日本代表監督へ就任すると、2022年カタール大会でドイツとスペインを破る歴史的な勝利を収め、チームをベスト16へ導いた。2026年の北中米大会でも指揮を執り、日本サッカーの歩みを更新し続けている。

CHRONICLE

歩み

長崎の少年、マツダの一員へ

昭和43〜

昭和
1968昭和438月
満0歳

静岡県掛川市に生まれる

造船関係の仕事に就く父の転勤で各地を移り住み、小学校に上がる頃から長崎市で育った。本人も「長崎生まれ広島育ち」と語るほど、長崎を故郷と感じている。

1987昭和62
満18歳

長崎日本大学高校からマツダ(現サンフレッチェ広島)へ

高校の監督と日本サッカーリーグのマツダの関係者が知り合いだった縁で入団。社業と両立しながら、サッカー部の一員として歩み始めた。

平成 1989
1989平成1
満20歳

日本サッカーリーグ2部でデビュー

守備的MF(ボランチ)として実戦経験を積み、徐々にチームに欠かせない存在となっていった。

1990平成2
満21歳

高校の同級生と結婚

のちに3人の息子に恵まれ、息子たちはいずれもサッカーの道へ進んだ。

1991平成3
満22歳

マツダとプロ契約、1部昇格に貢献

プロ契約を結び、チームの日本サッカーリーグ1部昇格に貢献。翌年のJリーグ開幕を前に、プロ選手としての土台を固めた。

サンフレッチェと日本代表 ―― 選手として

平成4〜

1992平成4
満23歳日本代表

クラブはサンフレッチェ広島に、日本代表へ定着

所属するマツダはこの年サンフレッチェ広島となり、翌1993年のJリーグ開幕へ向かう。オランダ人指揮官ハンス・オフトに見出されて日本代表に定着し、運動量豊富なボランチとして中盤を支えた。

1993平成510月
満25歳ドーハの悲劇

— ワールドカップ初出場を逃した「ドーハの悲劇」

アメリカ大会のアジア最終予選最終戦、試合終了間際の失点で初のW杯出場を逃した。日本サッカー史に刻まれるこの一戦を、ピッチの上で味わった。

1995平成7
満27歳

サンフレッチェ広島の中盤を支え続ける

Jリーグ草創期の広島で、運動量と読みを武器にした守備的MFとして主力を担い、リーグ屈指の中盤の一角として存在感を示し続けた。

1998平成10
満29歳

京都パープルサンガへ移籍

広島で6シーズンを過ごしたのち、環境を変えてプレーを続けた。

2002平成14
満33歳

ベガルタ仙台でプレー

ベテランとして経験をチームに還元しながら、現役生活の終盤を過ごした。

2004平成161月
満35歳

現役を引退し、指導者の道へ

選手生活に区切りをつけ、古巣サンフレッチェ広島のコーチに就任。同年にJFA公認S級コーチライセンスを取得した。

指導者の道、広島で三度の頂点

平成16〜

2007平成19
満39歳

サンフレッチェ広島トップチームのコーチに

育成年代の代表コーチなども経験しながら、トップチームの現場で指導者としての引き出しを増やしていった。

2010平成22
満41歳

アルビレックス新潟のヘッドコーチに就任

古巣を離れて新潟で研鑽を積み、監督就任への準備を整えた。

2012平成24
満43歳監督初優勝

— サンフレッチェ広島の監督に就任、初年度でJ1優勝

古巣の監督に復帰すると、就任1年目でいきなりJ1リーグ年間優勝を達成。限られた戦力を組織で機能させる手腕が高く評価された。

2013平成25
満44歳

J1リーグ連覇

翌シーズンも年間優勝を果たし、広島を常勝チームへと押し上げた。

2015平成27
満47歳

三度目のJ1優勝

在任中3度目となるリーグ優勝を達成。広島での約5年半で、クラブに黄金期をもたらした。

2017平成29
満49歳

広島の監督を退任、五輪代表の監督へ

サンフレッチェ広島の監督を退任し、2020年東京オリンピックを目指すU-20世代の五輪代表監督に就任した。

日本代表監督、歴史を更新する

平成29〜

2018平成307月
満49歳代表監督就任

— サッカー日本代表(SAMURAI BLUE)監督に就任

ロシア大会後、五輪代表監督との兼任という形で日本代表の指揮官に就任。選手として、そして監督として日本代表を率いることになった。

令和 2019
2021令和38月
満52歳

自国開催の東京オリンピックでベスト4

兼任していた五輪代表を率いて準決勝に進出。メダルには一歩届かず4位に終わったが、若い世代を世界の上位へと導いた。

2022令和411月
満54歳W杯カタール

— W杯カタール大会、ドイツ・スペインを撃破しベスト16

優勝経験国のドイツとスペインから日本代表史上初の勝利を挙げ、グループEを首位で突破。決勝トーナメント1回戦ではクロアチアにPK戦の末に敗れたが、2大会連続のベスト16入りを果たした。

2022令和412月
満54歳

続投が決定 ―― W杯後も指揮を継続する初の監督に

本大会で指揮を執った監督がそのまま継続するのは日本代表史上初。長期的なチームづくりを託された。

2025令和73月
満56歳

アジア最終予選を突破、いち早く2026年大会出場を決める

アジア最終予選を勝ち抜き、開催国を除いて世界に先駆けて北中米ワールドカップの出場権を獲得した。

北中米ワールドカップ

令和8〜

2026令和86月
満57歳W杯北中米

— 北中米W杯、グループFを2位で突破

48チームに拡大された大会で、オランダと2-2、チュニジアに4-0、スウェーデンと1-1。1勝2分の勝ち点5でグループFを2位通過し、3大会連続の決勝トーナメント進出を決めた。

2026令和8
満57歳近況

決勝トーナメント1回戦でブラジルと対戦

ラウンド32で優勝候補のブラジルと顔を合わせる。選手・監督として歩んできた森保一が、日本代表をさらなる高みへ導けるかが注目されている。

WORKS

この人を知る代表作

著書森保一の決める技法 サッカー日本代表監督の仕事論見る → 著書逆転監督 森保一見る →

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