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谷口 彰悟

たにぐち しょうご

谷口 彰悟

川崎フロンターレで主将を務めたセンターバックが、31歳でW杯に初出場し、ベルギーから2度目のW杯へ。

平成3年生まれ ・ 熊本県熊本市出身 ・ 1991– ・ 満35歳

所属シント=トロイデンVV(ベルギー) / ポジションDF(センターバック) / 利き足右 / 学歴熊本県立大津高校→筑波大学 / 日本代表国際Aマッチ41試合1得点(2026年W杯終了時)

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近況
2026(令和8)満35歳

9月、リーグ戦を負傷で退き、W杯後初の日本代表は選外に

9月には大腿四頭筋の問題でリーグ戦をハーフタイムで退いたと報じられた。9月17日に発表されたW杯後初の日本代表31人には入らず、JFAは選外の理由を発表していない。W杯後には「日本代表を引退すると簡単に言うことはできません。日本のためにプレーすることは私にとって非常に大きな意味があります」と語っていた。

1991(平成3) 熊本県熊本市に生まれる2007(平成19) 高校サッカーを選び、大津高校へ2008(平成20) 全国高校サッカー選手権で大会優秀選手に2010(平成22) 筑波大学に進学、1年からレギュラーに2013(平成25) 川崎フロンターレの特別指定選手に2014(平成26) 川崎フロンターレに入団、J1初出場プロ入り2015(平成27) イラク戦で日本代表デビュー2016(平成28) 天皇杯準決勝で決勝ゴール2017(平成29) クラブ史上初のタイトル、J1優勝J1初優勝2018(平成30) J1連覇、ベストイレブンに初選出2019(令和元) 連続出場が155試合で途切れる2020(令和2) 川崎の主将に就任、J1と天皇杯の2冠主将就任2021(令和3) 日本代表に復帰、川崎はJ1連覇2022(令和4) E-1選手権で主将として優勝、大会最優秀DFに2022(令和4) カタールW杯スペイン戦で、31歳139日のW杯初出場W杯初出場2022(令和4) 川崎フロンターレを退団、海外へ2023(令和5) カタールのアル・ラーヤンでデビュー2023(令和5) エルサルバドル戦で代表初ゴール2024(令和6) アジアカップ2023に出場2024(令和6) ベルギーのシント=トロイデンに完全移籍欧州へ2024(令和6) メヘレン戦で左アキレス腱を断裂2025(令和7) モデルの泉里香と結婚2025(令和7) シント=トロイデンの主将に2025(令和7) ブラジル戦で約1年ぶりに代表復帰2026(令和8) 北中米W杯に出場、ラウンド32でブラジルに敗れる2度目のW杯2026(令和8) シント=トロイデンと再契約2026(令和8) ELプレーオフ第1戦で決勝ゴール2026(令和8) 9月、リーグ戦を負傷で退き、W杯後初の日本代表は選外に平成令和
誕生 1991現在
熊本の大津高校、筑波大学を経て、2014年に川崎フロンターレに加わった。それまでタイトルの無かったクラブで2017年の初優勝から4度のJ1制覇に関わり、2020年からは主将を務めた。日本代表では2015年にデビューしたものの定着に時間がかかり、31歳139日で先発したカタールW杯のスペイン戦が、当時の日本代表で最年長のW杯初出場になった。大会後は「チャレンジをしなかったことの後悔はしたくない」と川崎を離れ、カタール、ベルギーへ。2024年に左アキレス腱を断裂したが、翌年10月のブラジル戦で代表に戻り、2026年の北中米W杯にも出場した。

同世代2017年、同い年の米津 玄師は、「打上花火」「ピースサイン」、アルバム『BOOTLEG』 →

歩み

熊本から筑波へ

平成3〜

平成
1991平成37月15日
満0歳

熊本県熊本市に生まれる

先にサッカーをしていた兄を見に行き、自分も幼稚園から始める。熊本ユナイテッドSCでプレーし、熊本市立長嶺小学校、長嶺中学校に通った。1歳下の車屋紳太郎とは小学校から大学まで同じ学校の幼なじみ。

2007平成19
満15歳

高校サッカーを選び、大津高校へ

中学時代は体の成長が遅く、身長やスピードで周りに抜かれていく時期に悩んだ。プロクラブのユースには進まず、全国高校サッカー選手権を目指して熊本県立大津高校へ。身長は高校1年から2年にかけて10cmほど伸びたという。

本人「高校サッカー選手権に出たい」という思いがあったので、熊本県でトップクラスの力があった大津高校に行くしかないだろう!みたいな感じで進学しました。 出典

2008平成20
満17歳

全国高校サッカー選手権で大会優秀選手に

大津高校で全国高校サッカー選手権に出場し、大会優秀選手に選ばれる。今はDFだが、高校では攻撃的なポジションを務め、本人いわく「結構得点を取っていました」。

2010平成22
満18歳

筑波大学に進学、1年からレギュラーに

スポーツの分野で水準が高く、国立でもある筑波大学を選ぶ。関東大学リーグで1年からレギュラーに定着し、大型ボランチとしてプレーした。2011年のユニバーシアードでは日本代表として金メダル獲得に貢献。在学中に保健体育の教員免許も取っている。

2013平成258月
満22歳

川崎フロンターレの特別指定選手に

4年生で筑波大学の主将を務めながら、8月に川崎フロンターレの特別指定選手として登録される。この年は2011年に続き、2大会連続でユニバーシアード日本代表として大会に出場した。

川崎の主将に

平成26〜

2014平成263月23日
満22歳

川崎フロンターレに入団、J1初出場

複数クラブの競合の末に川崎へ正式入団し、J1第4節のFC東京戦でプロデビュー。それまで経験のなかった左サイドバックでの出場だったが、以後は先発に名を連ね、センターバックもこなした。8月30日の名古屋グランパス戦でプロ初得点を挙げる。

2015平成276月11日
満23歳代表デビュー

イラク戦で日本代表デビュー

3月にバックアップメンバーとして初めて日本代表に選ばれ、幼なじみの車屋紳太郎と同時の初選出だった。5月の合宿を経て、6月11日のイラク戦で初出場し、8月の東アジアカップ北朝鮮戦にも出た。次の代表戦出場は2017年12月9日のE-1サッカー選手権までない。

本人プロ2年目で、当時はまだ代表の重みを全く理解しておらず、ただのお客さんで(活動が)終わった感じでした。 出典

2016平成2812月29日
満25歳

天皇杯準決勝で決勝ゴール

大宮アルディージャとの天皇杯準決勝で決勝点を挙げ、川崎にとって初めての天皇杯決勝進出を決めた。この年は新加入選手に押され、先発を外れる試合もあった。

2017平成29
満26歳J1初優勝

— クラブ史上初のタイトル、J1優勝

過密日程のなか、チームでただ一人リーグ戦の全試合にフル出場し、センターバックとして年間7得点。川崎にとって初めてのタイトルとなるJ1優勝に貢献した。この年に就任した鬼木達監督に、最終ラインの要として意識を高く保つよう促され、声で周りを鼓舞する選手になる。Jリーグ公式サイトはこの意識の変化が、4度のJ1制覇と4度のベストイレブン選出につながったと紹介している。

2018平成30
満27歳

J1連覇、ベストイレブンに初選出

この年もリーグ戦にフル出場して3得点を挙げ、川崎のJ1連覇に貢献。Jリーグベストイレブンに初めて選ばれる。以後2022年までに計4回、ベストイレブンに名を連ねた。

令和 2019
2019令和元4月
満27歳

連続出場が155試合で途切れる

4月10日の蔚山現代戦で膝を痛め、14日のサガン鳥栖戦は本人の申し出でメンバー外に。2014年8月から続いた連続出場は155試合で止まった。フィールドプレーヤーのJ1歴代2位の記録。この年はルヴァン杯を制した。

2020令和2
満28歳主将

川崎の主将に就任、J1と天皇杯の2冠

このシーズンからキャプテンを任される。J1と天皇杯を制して2冠を達成し、自身も2度目のベストイレブンに選ばれた。Jリーグ公式サイトは主将就任を谷口のターニングポイントの一つに挙げ、この年の活躍が翌年の日本代表復帰につながったと記している。

2021令和36月7日
満29歳

日本代表に復帰、川崎はJ1連覇

6月7日のタジキスタン戦で、2017年12月以来となる国際Aマッチに出場し、11日のセルビア戦にも出た。クラブでは主将2年目で再びJ1連覇を果たし、2年連続3度目のベストイレブンに選ばれた。

2022令和47月27日
満31歳

E-1選手権で主将として優勝、大会最優秀DFに

東アジアの大会でキャプテンを務めて優勝し、大会ベストDFに選ばれた。これに先立ち、1月の中国戦、2月のサウジアラビア戦とW杯最終予選にも先発フル出場し、2試合とも無失点で勝っている。

2022令和412月1日
満31歳W杯初出場

— カタールW杯スペイン戦で、31歳139日のW杯初出場

11月にW杯メンバー入りし、グループリーグ最終節のスペイン戦で、吉田麻也、板倉滉と3バックを組み左センターバックとして先発した。31歳139日でのW杯初出場は当時の日本代表最年長記録。2-1の勝利で日本は決勝トーナメントに進み、12月5日のクロアチア戦にも先発したが、チームはPK戦で敗れた。

2022令和412月19日
満31歳

川崎フロンターレを退団、海外へ

海外クラブへの移籍を前提に、9年在籍した川崎を離れると発表した。在籍中にJ1優勝4回、天皇杯とルヴァン杯を1回ずつ経験している。移籍先のアル・ラーヤンとは、W杯の前にほぼ話がまとまっていたという。

本人残りの自分のサッカー人生の中で、チャレンジをしなかったことの後悔はしたくないと考えました。 出典

31歳からの海外挑戦

令和5〜

2023令和51月6日
満31歳

カタールのアル・ラーヤンでデビュー

2022年12月28日にカタール1部アル・ラーヤンへの加入が発表され、年明けのアル・スィーリーヤ戦で新天地の初試合を迎える。2年目の2023-24シーズンはリーグ戦の全試合にフル出場し、リーグ2位に貢献した。

2023令和56月15日
満31歳

エルサルバドル戦で代表初ゴール

W杯後最初の代表活動は選外だったが、6月に復帰。エルサルバドル戦に先発し、前半1分に久保建英のセットプレーを頭で合わせて代表初得点を挙げた。

2024令和61月
満32歳

アジアカップ2023に出場

2024年1月にカタールで開かれた大会で、グループリーグのベトナム戦(4-2)とイラク戦(1-2)に出場した。

2024令和67月19日
満33歳

ベルギーのシント=トロイデンに完全移籍

33歳でベルギー1部のシント=トロイデン(STVV)に加わり、初めて欧州でプレーする。クラブからは「リーダーになれる存在を求めていた」と伝えられた。本人は後に、チャレンジしている状態で2026年のW杯を迎えたかったと、欧州行きの理由を語っている。

本人カタールで1年半を過ごし、今季は異なる環境、特にヨーロッパに挑戦したいという気持ちはより強くなっていたので、何としても叶えたいと思っていました 出典

2024令和611月8日
満33歳負傷

メヘレン戦で左アキレス腱を断裂

ベルギーリーグ第14節、前半11分に相手FWへの対応で体の向きを変えた瞬間に負傷した。日本に戻って手術を受け、プロ11年目で初めての長期離脱に。2025年5月10日、シーズン最終戦で6カ月ぶりにピッチへ戻った。

本人最初は歩くのもままならない状態で、「どうやったら復活できるのか」と不安を抱えながら過ごしていました。 出典

2025令和76月25日
満33歳私生活

モデルの泉里香と結婚

インスタグラムで、モデル・女優の泉里香との結婚を発表した。二人の交際はそれまでも一部週刊誌で報じられていた。

2025令和77月26日
満34歳

シント=トロイデンの主将に

加入2年目の2025-26シーズンのキャプテンに就く。前季は負傷もあって公式戦15試合1得点にとどまっていた。就任にあたり「模範となり、チームをリードします」とコメント。

2025令和710月14日
満34歳代表復帰

— ブラジル戦で約1年ぶりに代表復帰

DF陣に故障者が相次ぐなか、10月の親善試合で約1年ぶりに招集された。初戦のパラグアイ戦は出番がなく、続くブラジル戦に先発して3バックの中央で最終ラインを統率する。日本は3-2で逆転勝ちし、過去11戦で勝てなかったブラジルから初めて白星を挙げた。11月のガーナ戦、ボリビア戦にも先発し、翌年5月、2度目のW杯メンバーに選ばれることになる。

本人自分のキャリアが懸かった試合だと覚悟を決めて臨みました。 出典

2度目のW杯、その先へ

令和8〜

2026令和86月
満34歳W杯

北中米W杯に出場、ラウンド32でブラジルに敗れる

5月15日にメンバー入り。グループリーグ初戦のオランダ戦に先発してフル出場し、第3戦のスウェーデン戦は板倉滉の負傷で前半39分から入った。6月29日、ヒューストンでの決勝トーナメント1回戦はブラジル戦。3バックの中央で先発したが、1-2の逆転負けに終わる。

本人ここまで歩んできたプロセスも、この試合(ブラジル戦)に対する3日間も、このW杯に向けての3年半も、そこに対してなにかネガティブな感情というか、何が足りなかったとか間違っていたとかは正直思いつかない。 出典

2026令和87月28日
満35歳

シント=トロイデンと再契約

2025-26シーズンで契約が切れていたが、STVVと再び契約を結ぶ。川崎フロンターレも復帰のオファーを出していたと、同クラブの竹内弘明強化本部長が明かした。前季のSTVVはリーグ3位で、日本資本経営のクラブとして初めてUEFA大会の出場権を得ている。

2026令和88月20日
満35歳

ELプレーオフ第1戦で決勝ゴール

クラブ史上初のヨーロッパリーグ・プレーオフで、キプロス王者オモニアとのホーム戦に主将として先発。0-0で迎えた90+4分、前線に上がってクロスに合わせ、1-0の勝利を呼び込んだ。ただ第2戦はアウェーで2-4と敗れ、STVVはカンファレンスリーグに回った。

2026令和89月
満35歳近況

9月、リーグ戦を負傷で退き、W杯後初の日本代表は選外に

9月には大腿四頭筋の問題でリーグ戦をハーフタイムで退いたと報じられた。9月17日に発表されたW杯後初の日本代表31人には入らず、JFAは選外の理由を発表していない。W杯後には「日本代表を引退すると簡単に言うことはできません。日本のためにプレーすることは私にとって非常に大きな意味があります」と語っていた。

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