成田屋の御曹司として
昭和52〜
十二代目市川團十郎の長男として生まれる
本名・堀越寶世。屋号は成田屋。
歌舞伎座『源氏物語』で初お目見え
歌舞伎役者としての第一歩を踏み出した。
七代目市川新之助を襲名
父・十二代目市川團十郎の襲名披露興行の中で襲名した。以後10代を通じて舞台に立ち続けた。
『仮名屋小梅』『鏡獅子』で新人賞を受賞
眞山青果賞新人賞と松竹会長賞をそれぞれ受賞し、若手として評価を高めていった。
青山学院高等部から堀越高等学校に編入
厳しい稽古と家柄の重責に耐えかねて反発を繰り返していたが、祖父・十一代目市川團十郎が『勧進帳』の弁慶を勤める舞台をフィルムで見て感動し、歌舞伎役者として生きる決意を固めたと後に語っている。1997年3月に卒業した。
『勧進帳』『天守物語』で読売演劇大賞杉村春子賞を受賞
弁慶役、図書之助役での演技が評価された。
松尾芸能賞新人賞・芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞
若手歌舞伎役者としての地位を確立していった。
市川海老蔵として
平成16〜
— 十一代目市川海老蔵を襲名
歌舞伎座『暫』で襲名。同年10月にはパリ国立シャイヨー宮劇場で襲名披露を行った。その後、パリ・オペラ座公演(2007年)や六本木歌舞伎(2015年)など、海外公演や現代的な演出にも取り組んでいった。
重要無形文化財(総合認定)に認定
伝統歌舞伎保存会会員となった。
パリ・オペラ座(ガルニエ宮)で歌舞伎公演
父・十二代目市川團十郎とともに渡仏し、『勧進帳』の弁慶を勤めた。歌舞伎座以外の欧州の由緒ある劇場でも上演を重ね、海外への発信を続けた。
ドラマ「MR.BRAIN」で民放連続ドラマに初出演
現代劇への出演も積極的に重ねていった。
結婚、そして死別
平成22〜
— フリーアナウンサーの小林麻央と結婚
2010年1月に婚約を発表し、2010年3月3日に婚姻届を提出。同年7月29日に結婚式を挙げた。後に2子をもうけることになる結婚だった。
西麻布の飲食店で暴行を受け負傷
頭部・顔面に負傷し虎の門病院に搬送された。同年12月に加害者との示談が成立し、2011年7月に新橋演舞場「七月大歌舞伎」で舞台復帰した。
長女・麗禾(市川ぼたん)誕生
妻・麻央との第一子女児が誕生した。
長男・勸玄(八代目市川新之助)誕生
妻・麻央との第二子長男が誕生した。
「六本木歌舞伎」第一弾『地球投五郎宇宙荒事』に主演
脚本・宮藤官九郎、演出・三池崇史による新作歌舞伎で、中村獅童と共演。伝統の枠を超えた現代的な演出に挑戦した。
妻・麻央が乳がんを公表
麻央自身もブログで闘病を綴り、多くの人に勇気を与えた。
妻・麻央が他界
自宅で家族に見守られながら息を引き取った。最後の言葉は「愛してる」だったという。二人の子を残しての死別であり、以後は父として子どもたちを育てながら歌舞伎役者としての道を歩むことになった。
十三代目團十郎襲名へ
令和1〜
十三代目市川團十郎の襲名を発表
長男・勸玄とともに記者会見を開いた。
襲名披露公演を延期
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、5〜7月に予定していた十三代目襲名披露公演の延期を発表した。
文化庁長官表彰を受ける
海外公演の実施や東京オリンピック開会式への出演など、伝統文化の発信への貢献が評価された。
— 十三代目市川團十郎白猿を正式に襲名
新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期されていた襲名が、ついに実現した。成田屋当主として歌舞伎界を代表する大名跡を継いだ。
長男・勸玄が八代目市川新之助を襲名し初舞台
歌舞伎座「十一月吉例顔見世大歌舞伎」で、父の十三代目襲名披露にあわせて息子も八代目市川新之助を襲名、初舞台を踏んだ。
テレビ特番が「成田屋に、ござりまする。」に改題
2014年から日本テレビ系で放送されてきた密着番組が、十三代目襲名にあわせ屋号にちなんだ番組名に変わった。
松竹創業130周年記念「市川團十郎特別公演」(南座)に出演
京都・南座で昼夜通しの特別公演を行い、『伊達競阿國戯場』などの演目を上演した。
長女・長男と『春興鏡獅子』で親子3人共演
新橋演舞場「初春大歌舞伎」で、市川ぼたん・八代目市川新之助とともに舞台に立った。
TBSドラマ「リブート」に出演
十三代目襲名後、初めての連続ドラマ出演となった。舞台では2月28日から全国21会場・26公演にわたる「市川團十郎特別公演」にも取り組んでいる。