満州を流転した少年時代
昭和6〜
大阪府豊中市に生まれる
南満州鉄道(満鉄)の技師だった父のもと、大阪府豊中市に生まれた。
満州へ渡る ―― 奉天・大連を転々と
父の転勤に伴い一家で満州(現在の中国東北部)へ渡った。奉天(現・瀋陽)や大連など各地を転々として幼少期を過ごしたが、小学校時代には東京都大田区の小学校に通うなど一時日本へ戻った期間もあった。1943年5月、戦局悪化に伴い満州の旧制大連第一中学校へ移った。
大連で終戦を迎える
日本の敗戦により満州での暮らしは一変し、一家は食糧難に直面した。13歳だった山田は大連でこの終戦を迎えた。
引き揚げ船で日本へ ―― 山口・宇部での貧しい暮らし
1947年、引き揚げ船で大連から日本へ戻った。父は職を失い、一家は山口県宇部市の親戚宅に身を寄せ、山田自身もかまぼこの行商などをして家計を支えた。この時期の困窮した経験は、のちの市井の人々を見つめる作風の土台になったとされる。
東京大学法学部に入学
宇部で高校時代までを過ごした後、東京大学法学部に進学。1954年に卒業した。
松竹の助監督から、監督デビューへ
昭和29〜
松竹に入社、野村芳太郎らのもとで助監督に
大学卒業後、映画会社の松竹に入社。野村芳太郎や川島雄三、渋谷実といった監督たちのもとで助監督を務め、脚本や現場の実務を学んだ。この7年間の下積みが、1961年の監督デビュー以降半世紀以上に及ぶ映画作りの土台となった。
野村芳太郎『張込み』の助監督を務め、脚本家としても頭角を現す
野村芳太郎監督の『張込み』(1958年)で助監督を務め、その才覚を認められた。翌1959年には野村と共同で『月給一三、〇〇〇円』の脚本を執筆し、演出だけでなく脚本家としても実績を積み始めた。
— 『二階の他人』で監督デビュー
7年間の助監督生活を経て、『二階の他人』で映画監督としてデビューした。以後、庶民の生活を軽妙に描く喜劇や人情劇を次々と手がけていき、このデビューが半世紀以上にわたる監督としてのキャリアの起点となった。
『下町の太陽』 ―― 倍賞千恵子との名コンビが始まる
倍賞千恵子の同名ヒット曲を映画化した『下町の太陽』を発表。東京・墨田区の下町を舞台にしたこの作品で倍賞千恵子が主演し、以後『男はつらいよ』の“さくら”をはじめ生涯の常連俳優となる名コンビが始まった。
テレビドラマ『男はつらいよ』の脚本を執筆
渥美清主演でテレビドラマ版『男はつらいよ』の脚本を手がけた。渥美が語った、少年時代に見たテキヤ(的屋)の記憶をふくらませて生まれた企画で、最終回で主人公・寅次郎を死なせる結末に視聴者から大量の苦情が寄せられた。当時ヒット作に恵まれていなかった松竹がドラマの映画化に乗り出し、低視聴率だったことでテレビ局側の同意も得やすかったこともあり、翌1969年の映画化につながった。
寅さんの時代
昭和44〜
— 映画『男はつらいよ』第1作を公開
テレビ版の反響を受けて自ら映画化を企画し、1969年8月27日に第1作を公開。柴又の団子屋を舞台に、旅から旅への渡世人・車寅次郎(渥美清)の人情喜劇として国民的な人気シリーズとなり、以後27年間・全48作が製作された。試写を見た本人は当初「笑うところがない」と気落ちしたと後に語っているが、シリーズは以後、寅次郎を「出来の悪い、可愛い弟」のように見つめる作風で愛され続けた。
本人寅は確かに愚かなバカモノだけれど、僕は『どうしてもっと地道に生きるって考え方を覚えないんだ! なんでそんなに家族に迷惑ばかりかけているんだ! しっかりしろ!』と出来の悪い、可愛い弟を叱るように作っていたんですね。 出典
『故郷』 ―― 寅さんの合間に撮り続けた家族の物語
瀬戸内海の島で石を運ぶ一家が、時代の波の中で島を出る決断をするまでを描いた『故郷』を発表。1970年の『家族』、1980年の『遙かなる山の呼び声』とあわせて“民子三部作”と呼ばれ、年2本ペースだった『男はつらいよ』の合間を縫って庶民のリアリズムを描き続けた。
『幸福の黄色いハンカチ』で日本アカデミー賞6部門受賞
高倉健・倍賞千恵子主演のロードムービー『幸福の黄色いハンカチ』を発表。刑務所帰りの男が、妻が待っているかを黄色いハンカチで確かめる物語は大ヒットとなり、翌年の日本アカデミー賞で最優秀監督賞・最優秀脚本賞など主要部門を受賞し、寅さん以外の代表作としても広く知られるようになった。
『遙かなる山の呼び声』を発表
高倉健・倍賞千恵子が再び組んだ北海道を舞台の人情劇。『幸福の黄色いハンカチ』と並び、寅さんシリーズと並行して撮り続けたヒューマンドラマの代表作の一つとなった。
『男はつらいよ 寅次郎恋愛塾』(第35作)を公開
50代に入ってもシリーズは年2本ペースを保ち、この年公開の第35作で寅さんシリーズは折り返し点を超えた。渥美清・倍賞千恵子を中心とする顔ぶれで、柴又の日常を描く安定した人気を保ち続けた。
『息子』、『学校』シリーズを発表
岩手の農村を舞台に、都会に出た息子と老いた父の交流を描いた『息子』を発表。2年後の1993年には夜間中学を舞台にした『学校』を発表し、様々な事情を抱えた生徒と教師の交流を描くシリーズの第1作とした。
— 渥美清が死去、寅さんシリーズが幕を閉じる
1995年公開の第48作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』を最後に、主演の渥美清は1996年8月に68歳で死去。渥美は5年前からがんを告知されながらも病名を伏せたまま撮影を続けており、27年間・全48作で寅次郎を演じ通したシリーズは、渥美の死をもって事実上幕を閉じた。同年(1996年)、紫綬褒章を受章。
時代劇三部作から文化勲章へ
平成9〜
『十五才 学校IV』でシリーズを完結
不登校の少年が旅の中で成長していく姿を描いた『十五才 学校IV』を発表し、1993年の第1作から続く『学校』シリーズを完結させた。渥美清亡き後も庶民の暮らしを見つめる作風を貫いた。
— 『たそがれ清兵衛』で初の本格時代劇、日本アカデミー賞12部門受賞
藤沢周平原作、真田広之主演で初めて本格時代劇に挑んだ『たそがれ清兵衛』を公開。禄の低い下級武士の実直な暮らしを描いた本作は、翌2003年の第26回日本アカデミー賞で助演女優賞を除く全12部門を制する快挙となり、70代に入ってなお新境地を切り開いたことを示した。
『隠し剣 鬼の爪』で時代劇2作目、文化功労者に
藤沢周平原作の時代劇2作目『隠し剣 鬼の爪』を発表。同年、文化功労者に選出された。
『武士の一分』で藤沢周平時代劇三部作が完結
木村拓哉を主演に迎えた『武士の一分』で、『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』に続く藤沢周平原作の時代劇三部作を完結させた。
『母べえ』を発表
戦時下、思想犯として夫を拘束された母子の暮らしを描いた作品。自身の満州体験にも通じる戦争と家族のテーマに、2010年代以降も繰り返し向き合い続けた。
— 文化勲章を受章
半世紀にわたる映画作りの功績が認められ、文化勲章を受章した。文化の発展に貢献した人物に贈られる国の栄典であり、81歳を迎えてなお現役で撮り続けていることも高く評価された。
本人そして、渥美さんが生きていたら、きっと喜んでくれたでしょう 出典
小津安二郎『東京物語』を『東京家族』としてリメイク
小津安二郎の名作『東京物語』の設定を現代に置き換えた『東京家族』を発表。橋爪功・吉行和子ら夫婦を演じたキャストは、2016年からの『家族はつらいよ』シリーズにそのまま引き継がれた。
『小さいおうち』でベルリン国際映画祭主演女優賞
戦前の東京を舞台にした本作で、若き日の女中を演じた黒木華が第64回ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞した。
90代を迎えてなお、現役で撮り続ける
平成28〜
『家族はつらいよ』シリーズを開始
『東京家族』のキャストを引き継ぎ、老夫婦の離婚騒動を軸にしたコメディ『家族はつらいよ』を公開。2017年に第2作、2018年に第3作『妻よ薔薇のように 家族はつらいよ III』を発表し、90代を目前にしても新たなシリーズを立ち上げる旺盛な創作意欲を示した。
— 『男はつらいよ お帰り 寅さん』でシリーズが22年ぶりに復活
1995年の第48作、渥美清没後に総集編的な新場面を加えた1997年の第49作『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』に続き、22年ぶりとなる新作・通算第50作『男はつらいよ お帰り 寅さん』を公開。渥美清亡き寅次郎を過去作の映像で登場させつつ、満男(吉岡秀隆)を中心にした新たな物語として完成させ、88歳にしてシリーズ生誕50周年を自ら締めくくった。
『キネマの神様』を発表
映画館主とその家族、そして一本のシナリオを軸にした映画愛の物語。志村けんが主演予定だったが新型コロナウイルス感染症により急逝したため、沢田研二が代役を務めて完成させた。
『こんにちは、母さん』を発表
永井愛の戯曲を原案に、下町で暮らす母と息子夫婦の姿を描いた作品。90代に入ってからも年1本のペースに近い旺盛な創作を続けた。
— 『TOKYOタクシー』公開、木村拓哉と19年ぶりのタッグ
フランス映画『パリタクシー』を翻案し、東京のタクシー運転手と老婦人の心の交流を描いた『TOKYOタクシー』を2025年11月21日に公開。『武士の一分』(2006年)以来19年ぶりに木村拓哉を主演に迎え、倍賞千恵子と共演させた。2025年10月22日に第38回東京国際映画祭の特別功労賞受賞者選出が発表され、実際の授与は同映画祭のクロージングセレモニー(11月5日)で行われた。倍賞千恵子は本作で2026年3月の第49回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞し、90代半ばに至ってもなお第一線の俳優と組んで高い評価を得られることを示した。
本人他の作品であまり見ることができないような、彼のやさしい面や温かい面を盗み取りたい 出典
現在 ―― 90代でなお現役の映画監督として
2025年11月、第38回東京国際映画祭のクロージングセレモニーで長年の映画界への貢献に対し特別功労賞を受賞した(受賞者選出の発表は同年10月22日)。同年11月には木村拓哉と19年ぶりに組んだ新作『TOKYOタクシー』を公開している。同作で主演した倍賞千恵子は、2026年3月の第49回日本アカデミー賞で最優秀主演女優賞を受賞した。