泉佐野の少年、セレッソの至宝
平成7〜
大阪府泉佐野市に生まれる
幼少期からボールを追い、関西の強豪育成組織で頭角を現していく。
セレッソ大阪U-15に加入
名門の下部組織でキャリアの礎を築き、ジュニアユース・ユースと段階を踏んで才能を磨いた。
高校在学中にJ1デビュー
2種登録選手としてトップチームの公式戦のピッチに立ち、早くから将来を嘱望された。
— トップ昇格、開幕スタメンでベストヤングプレーヤー賞
柿谷曜一朗から背番号13を受け継ぎ、開幕節・アルビレックス新潟戦からスタメン入り。高卒ルーキーとしてはクラブ史上初の開幕先発を果たし、リーグ戦29試合5得点の活躍でJリーグ・ベストヤングプレーヤー賞に輝いた。
海を渡り、欧州で開花
平成27〜
ザルツブルクへ完全移籍、A代表デビュー
オーストリア・ブンデスリーガの強豪レッドブル・ザルツブルクへ。クラブ史上5人目のアジア人選手となり、移籍初年度からリーグ優勝を経験した。同年には日本代表にも初招集され、A代表デビューを果たす。
本人若いうちに世界で勝負したい——その一心で単身ヨーロッパへ飛び込んだ。
リオ五輪に出場、U-23アジア制覇
AFC U-23選手権2016優勝を経てリオデジャネイロ五輪のピッチに立つ。世代の中心として国際舞台の経験を重ねた。
森保ジャパンで主力に台頭
新体制となった日本代表で攻撃の軸を任され、この年だけで4得点をマーク。所属クラブでも欧州での実績を積み上げていった。
アジアカップ準優勝、ザルツブルクで黄金期を支える
AFCアジアカップ2019で日本代表の準優勝に貢献。ザルツブルクではリーグ5連覇に名を連ねる主力として、攻撃を牽引した。
CLで王者リヴァプールから1ゴール1アシスト
チャンピオンズリーグ・グループステージで前回王者リヴァプールを相手に1ゴール1アシストの活躍。この躍動が、ほどなく名門への扉を開くことになる。
世界最高峰、リヴァプールでの栄光と葛藤
令和2〜
— 憧れの名門リヴァプールへ移籍
前年のCLで対戦したばかりの世界最高峰のクラブへ。世界中が注目する移籍となったが、激しいポジション争いの中で出場機会の確保という新たな壁にも直面した。
サウサンプトンへ期限付き移籍
より多くの出場時間を求め、シーズン終了までプレミアリーグのサウサンプトンへ。経験を積み、リヴァプールへ戻る。
— カラバオ杯・FA杯の二冠、両大会でチーム得点王
リーグ杯では準々決勝レスター戦で土壇場の同点弾を決めるなど5試合4得点、FA杯でも3得点を挙げ、いずれもチーム最多得点を記録。リヴァプールの国内カップ二冠を陰で支え、「カップ戦の主役」と称えられた。
世間「優勝はタキのおかげ」——決勝ベンチ外でも、その貢献はファンに刻まれた。
モナコ、失意からの完全復活
令和4〜
ASモナコへ完全移籍
新天地をフランス1部リーグ・アンに求め、ASモナコへ。プレー時間を求めての決断だった。
カタールW杯に出場
自身初のワールドカップの舞台へ。ドイツ・スペインを破ってのグループ突破を果たした森保ジャパンの一員として戦った。
移籍初年度は評価が伸び悩む
加入1年目はなかなか調子が上がらず、現地メディアから厳しい評価を受ける苦しい時期を過ごした。
— 恩師の下で完全復活、リーグ9得点6アシスト
ザルツブルク時代の恩師アドルフ・ヒュッター監督が就任すると、攻撃の中心として躍動。2023-24シーズンはリーグ戦9得点6アシストを記録し、チームを6季ぶりのチャンピオンズリーグ本戦出場権獲得(2位)へ導いた。前年のワースト評価から、見事に這い上がってみせた。
リーグ・アン年間ベストイレブン、契約を2027年まで延長
2024-25シーズンも中心選手として活躍し、フランス紙『レキップ』の年間ベストイレブンに選出。モナコと2027年までの契約延長を結んだ。日本代表でもキャプテンを任される試合が増え、10月のブラジル戦では逆転勝利を呼ぶゴールを決めた。
大怪我を越えて、再起へ
令和7〜
左膝前十字靭帯を損傷、長期離脱へ
リーグ戦で左膝前十字靭帯を損傷する大怪我を負い、約半年に及ぶ長期離脱を強いられた。翌年のワールドカップへ向け、回復との戦いが始まった。
— W杯はメンバー外、メンターとしてチームに帯同
2大会連続出場が期待されたが、怪我からの回復が間に合わず北中米W杯のメンバー入りは叶わなかった。それでも森保監督がこれまでの貢献を高く評価し、本人の強い思いもあって、メンターとしてチームに帯同。6月8日にベースキャンプ地のアメリカ・ナッシュビルで合流した。
本人どういう形であれ、チームと一緒に戦いたい——その思いで決戦の地へ向かった。
再起の日々
大怪我からの復帰を目指し、リハビリに励む日々。ASモナコの中心選手として、そして日本代表の一員として、ピッチへの帰還とさらなる高みを見据えている。