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徳光 和夫

とくみつ かずお

徳光 和夫

85歳でもラジオの生放送に立ち続けている。長嶋茂雄に憧れて日本テレビに入り、『ズームイン!!朝!』の初代総合司会を務め、『24時間テレビ』には皆勤した。

昭和16年生まれ ・ 東京都目黒区出身 ・ 1941– ・ 満85歳

学歴立教大学社会学部 卒業 / 前職日本テレビアナウンサー(1963–1989年) / 愛称徳さん/ミスター24時間テレビ / 現在の出演『徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』(ニッポン放送)

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近況
2026(令和8)満85歳

85歳、ラジオの生放送と『24時間テレビ』サポーターを続ける

土曜早朝のニッポン放送『徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』に生出演を続け、8月29〜30日の『24時間テレビ49』には24時間テレビサポーターとして出演した(2025年の肩書はスペシャルサポーター)。テレビ朝日『路線バスで寄り道の旅』にも出演中で、「徳さん」の愛称で親しまれている。

1941(昭和16) 東京・目黒に生まれる1957(昭和32) 海城高校在学中、長嶋茂雄の本塁打を見て「人生の全てを長嶋茂雄に捧げよう」と決意1963(昭和38) 立教大学を卒業し、日本テレビにアナウンサーとして入社日テレ入社1968(昭和43) プロレス中継の実況を担当し、「BI砲」の名付け親になる1969(昭和44) 『NTV紅白歌のベストテン』の総合司会に就き、人気を得る1974(昭和49) 『新・底ぬけ脱線ゲーム』の司会を開始、長嶋茂雄の引退試合を観戦1978(昭和53) 『24時間テレビ「愛は地球を救う」』の第1回に出演1979(昭和54) 『ズームイン!!朝!』の初代総合司会にズームイン1980(昭和55) 長嶋監督解任の翌日、生放送で26分間の抗議1983(昭和58) 日本テレビの「おもしろまじめに4チャンネル」のイメージキャラクターに1988(昭和63) 『NNNニュースプラス1』の初代メインキャスターに1989(平成元) 日本テレビを退社し、フリーにフリー転身1990(平成2) 『クイズダービー』2代目司会と『徳光のTVコロンブス』を開始1992(平成4) 『THE・サンデー』の2代目総合司会に1995(平成7) 『世界ウルルン滞在記』の司会を開始1997(平成9) 船橋競馬場で20万馬券を的中2001(平成13) 急性心筋梗塞で緊急入院、同月末に復帰心筋梗塞2005(平成17) 名倉潤・渡辺満里奈の結婚式で司会2006(平成18) 『徳光和夫の感動再会!“逢いたい”』の司会を開始2010(平成22) ニッポン放送『徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』を開始2011(平成23) 『24時間テレビ』の総合司会を勇退、70歳でチャリティーマラソン63.2kmを完走70歳でマラソン2013(平成25) NHK『ファミリーヒストリー』で先祖のルーツが判明2013(平成25) BSテレ東『徳光和夫の名曲にっぽん 昭和歌謡人』の司会に2015(平成27) テレビ朝日『路線バスで寄り道の旅』にレギュラー出演2017(平成29) テレビ東京『3秒聴けば誰でもわかる名曲ベスト100』の司会に2020(令和2) 『プロ野球珍プレー好プレー大賞』の審査委員長に復帰2022(令和4) 『24時間テレビ』でアントニオ猪木と最後の対面2024(令和6) BSフジ『プロ野球 レジェン堂』の司会に2024(令和6) 肝炎対策の啓発活動で厚生労働大臣表彰2024(令和6) 『年忘れにっぽんの歌』で24年連続の司会、ひ孫の誕生を明かす2025(令和7) 『とくモリ!歌謡サタデー』15周年記念コンサートで司会2025(令和7) 長嶋茂雄の死去を、同日の『every.』で追悼2026(令和8) 85歳、ラジオの生放送と『24時間テレビ』サポーターを続ける昭和平成令和
誕生 1941現在
長嶋茂雄への憧れから放送の世界に入ったアナウンサーである。海城高校在学中に長嶋の本塁打を見て「人生の全てを長嶋茂雄に捧げよう」と決め、長嶋のいた立教大学に進み、1963年に日本テレビへ入社した。『ズームイン!!朝!』の初代総合司会として「プロ野球イレコミ情報」で巨人ファンぶりを見せ、1978年に始まった『24時間テレビ』には第1回から皆勤して「ミスター24時間テレビ」と呼ばれる。1989年、管理職への昇進話が出たことを機に「俺は事務職ではなく、現場で生きていきたい」と日本テレビを退社してフリーになり、70歳で『24時間テレビ』のチャリティーマラソンを完走した。85歳の今もニッポン放送の生放送に立ち続けている。

同世代1979年、同い年の宮崎 駿は、『ルパン三世 カリオストロの城』で劇場映画の監督デビュー →

歩み

長嶋茂雄への憧れ

昭和16〜

昭和
1941昭和163月10日
満0歳

東京・目黒に生まれる

父・徳光寿雄は映画監督から日本テレビの開局社員になった放送人で、母は松屋のデパートガールだった。実際に生まれたのは3月3日だが、厳格な父が男児が桃の節句の生まれでは格好が悪いとして、1週間後の陸軍記念日を戸籍上の誕生日にした。戦時中は福島県三春町の寺に疎開した。

1957昭和32
満16歳転機

海城高校在学中、長嶋茂雄の本塁打を見て「人生の全てを長嶋茂雄に捧げよう」と決意

元々は落語家志望で、高校時代に家出同然で柳家小さんの自宅前まで行ったが、弟子に大学へ行けと諭され、自信も無かったことから落語家をあきらめて進学を選んだ。進学先を立教大学にしたのは、長嶋茂雄への憧れからだった。プロ野球は中学まで西鉄・大下弘のファンだったが、高校在学中、長嶋が東京六大学野球の新記録となる本塁打を放ち、小躍りしながらベースを回る姿を見て感化された。長嶋のいた立教大学の全学部を受験し、社会学部に補欠合格した。

出典oricon.co.jp
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Wikipedia の出典

徳光和夫長嶋茂雄

日本テレビの局アナ時代

昭和38〜

1963昭和38
満22歳デビュー

立教大学を卒業し、日本テレビにアナウンサーとして入社

大学では長嶋のいた神宮球場で過ごしたいと応援団に入ったが、試合が見られず、スタンド最前列でテープレコーダーを持って取材する放送研究会に転じた。就職に悩んでいた4年の時、土居まさるに「お前、アナウンサーになればいいじゃないか」と勧められてアナウンサーを志し、卒業後の1963年に日本テレビへ入社。同期に青尾幸・今村倫子がいる。新人時代には「国家予算は、5円」と誤読してニュースを降ろされた。

本人けど長嶋茂雄さんの大ファンで、長嶋! 長嶋! と言っていたら大学の同級生である土居まさる(文化放送アナウンサー)にアナウンサーを勧められた 出典

1968昭和43
満27歳

プロレス中継の実況を担当し、「BI砲」の名付け親になる

入社直後からプロレス中継を長く担当し、ジャイアント馬場と深い親交を結んだ。馬場と猪木のタッグを指す「BI砲」は徳光の命名で、スポーツ中継の名文句「全国一千万人の○○ファンの皆様、こんばんは」も、自身の「全国一千万人のプロレスファンの皆様こんばんは」が元祖だった。日本プロレス時代から実況で接点のあったアントニオ猪木のことは、本名の猪木寛至にちなむ若手時代の愛称「寛ちゃん」で呼ぶ。

1969昭和4410月
満28歳

『NTV紅白歌のベストテン』の総合司会に就き、人気を得る

歌番組の総合司会で人気を得る。この頃はアナウンス部には週1度しか顔を出さず、自分でシフトを決めて動く勤務形態で、社内では「徳光にはニュース読ますな」が定説だったという。

1974昭和4910月
満33歳

『新・底ぬけ脱線ゲーム』の司会を開始、長嶋茂雄の引退試合を観戦

10月から『新・底ぬけ脱線ゲーム』の司会を務める。10月14日の長嶋茂雄の引退試合(後楽園球場、対中日戦)は、当日に生放送があった『NTV紅白歌のベストテン』のリハーサルをすっぽかし、ほとんど誰にも明かさず球場で観戦してスタッフにずいぶん捜された。

1978昭和53
満37歳

『24時間テレビ「愛は地球を救う」』の第1回に出演

日本テレビ開局25周年の1回限りの番組として始まったチャリティー番組の第1回に出演。締めに小林與三次社長を呼び出したところ社長コールが起こり、社長の「ご支持いただくなら何度でもやります!」という発言につながった。以後、第1回から皆勤している唯一の人物として「ミスター24時間テレビ」と呼ばれる。

1979昭和543月5日
満37歳ブレイク

— 『ズームイン!!朝!』の初代総合司会に

新設の朝の情報番組の初代総合司会に就く。初日は「皆さんおはようございます。徳光和夫、37歳、顔も背丈も標準よりちょっと下回っているようでございますが、そんな私が司会を致します『ズームイン!!朝!』が今からスタートいたします」と挨拶し、最初のニュースは前日に起きた騎手・福永洋一の落馬事故だった。人気コーナー「プロ野球イレコミ情報」で「巨人ファン徳光」のキャラクターが定着し、1982年には「巨人が優勝できなかったら丸坊主になる」と発言して中日の優勝で本当にバリカンで丸坊主にされた。総合司会は1988年3月まで9年間務めた。

出典
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1980昭和5510月22日
満39歳

長嶋監督解任の翌日、生放送で26分間の抗議

長嶋茂雄が巨人監督を解任された翌日の『ズームイン!!朝!』で、「これは辞任ではない、解任だ」と球団や川上哲治に抗議した。スタッフから与えられた5分を大幅に超え、抗議は放送開始から26分に及んだ。放送を見た長嶋から「もし、徳光さんがどんなことに巻き込まれても私が面倒を見る」と声がかかり、後日六本木で会食して以来、長嶋のことを「憧れから神になった」と話している。この年から『24時間テレビ』の総合司会も務め、新設の『NNSアナウンス大賞』第1回最優秀賞を受けた。

1983昭和582月
満41歳

日本テレビの「おもしろまじめに4チャンネル」のイメージキャラクターに

局のキャッチフレーズのイメージキャラクターを、自身が「おもしろ」、小林完吾が「まじめ」として1985年6月まで務めた。このコンビで4月1日に『太陽にほえろ!』第550話「俺はプロだ!」に出演し、4月5日には局の垣根を越えてフジテレビ『笑っていいとも』の「テレフォンショッキング」にも登場した。

1988昭和634月
満47歳

『NNNニュースプラス1』の初代メインキャスターに

夕方の報道番組のメインキャスターに就任。『ズームイン!!朝!』は10年目に入った3月7日が最後の担当となり、後任の福留功男とバトンタッチを兼ねた放送で締めた。現場の話し合いでは後任に全員が辛坊治郎の名を挙げていたが、社内調整で福留に決まったと後年明かしている。『プラス1』はフリー転身後の1991年9月まで担当した。

本人『プラス1』の3年間は世界的にも激動の3年間で、人にものを伝える難しさというものを学んだ 出典

出典daily.co.jp
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平成 1989
1989平成元9月
満48歳転機

日本テレビを退社し、フリーに

9月末に日本テレビを退社し、10月からフリーになる。本当は「定年退職まで日本テレビにいるつもりだった」が、『プラス1』への異動の頃から「俺はバラエティ番組・情報番組に慣れていたからニュースキャスターは合わない」と感じ、さらにアナウンス部副部長への昇進の話が出たことで、数字の管理が苦手な自分に事務職は務まらないと考えたのがきっかけだった。フリー最初の仕事は古巣・日本テレビで、10月1日夜に生放送された特番『徳光和夫の面白生放送 プロ野球バンザイ!』だった。

本人俺は事務職ではなく、現場で生きていきたい 出典

フリーとして各局へ

平成元〜

1990平成24月
満49歳

『クイズダービー』2代目司会と『徳光のTVコロンブス』を開始

TBS『クイズダービー』の2代目司会(1992年12月まで)と、テレビ東京『徳光のTVコロンブス』(1995年3月まで)を皮切りに各局の番組を担当する。『クイズダービー』は初代司会・大橋巨泉の推薦で就いたが、収録が進むにつれ出演者との折り合いが悪くなり、後年ラジオで「あんな名番組を終了させてしまったのは俺が悪い」と自省した。1991年8月には3日間だけ『ズームイン!!朝!』の総合司会に復帰した。

本人もう完全に空回りしましてですね。会話はかみ合わない、頭は回らないっていうことですね。 出典

出典hochi.news
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1992平成410月
満51歳

『THE・サンデー』の2代目総合司会に

日曜朝の情報番組の2代目総合司会に就き、2008年9月まで務めた。大の箱根駅伝好きで、毎年、復路8区が通る地元・茅ヶ崎の沿道で、独自に集めた選手のデータを手に応援する姿は名物となり、その模様は同番組の新年1回目の放送で毎年流された。

1995平成74月
満54歳

『世界ウルルン滞在記』の司会を開始

MBS・TBS系の紀行番組の司会を開始。番組は『世界ウルルン滞在記“ルネサンス”』『世界ウルルン滞在記2008』と題を変えながら2008年9月まで続き、続く『世界ウルルン滞在記リターンズ』(BS-i→BS-TBS)でも2013年3月まで司会を務めた。

1997平成92月17日
満55歳

船橋競馬場で20万馬券を的中

船橋競馬場の馬複(馬連)で、当時の南関東公営競馬史上最高配当となる20万馬券を的中し、約800万円の払い戻しを受けた。馬券はウインズ新橋で購入。大々的に報じられたが、徳光と気づかず「初老の男性が換金に来た」と書いたスポーツ紙もあった。

2001平成136月
満60歳健康

急性心筋梗塞で緊急入院、同月末に復帰

急性心筋梗塞で緊急入院し、集中治療室に3日間入ったが、同月末に現場へ復帰した。妻と泊まったホテルで異変が起き、妻の機転で病院に運ばれて一命を取り留めたと後に語っている。7月7日に司会を約束していた西城秀樹の結婚式が回復の支えになった。この経験から2008年にはアステラス製薬のコレステロール適正管理キャンペーンに起用され、健康管理の大切さを呼びかけた。

本人秀樹ちゃんのおかげで、心筋梗塞から立ち直れたわけですよね 出典

2005平成17
満64歳

名倉潤・渡辺満里奈の結婚式で司会

この年に結婚したネプチューン・名倉潤と渡辺満里奈の結婚式で司会を務めた。名倉は後年、取材した内容をノートにとってエピソードを司会に挟んでくれたと振り返っている。結婚式・披露宴の司会はこれまでに500組以上にのぼる。

2006平成1810月
満65歳

『徳光和夫の感動再会!“逢いたい”』の司会を開始

TBS系の同番組の司会を2009年3月まで務めた。TBSアナウンサー・安住紳一郎と司会を務めた特番「徳光&安住の感動再会“逢いたい!”スペシャル」がレギュラー化したものだった。

2010平成227月
満69歳

ニッポン放送『徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』を開始

初のラジオ生放送レギュラー番組を開始。当初は約6時間の長丁場を担当し、その後放送時間は2時間40分に短縮されたが、現在まで続く看板番組になった。巨人戦の実況のほかに美空ひばりの曲紹介がしたくてアナウンサーになったというほどの歌好きで、この番組では歌謡曲を軸に据えている。

70代・80代も現場に

平成23〜

2011平成238月21日
満70歳節目

— 『24時間テレビ』の総合司会を勇退、70歳でチャリティーマラソン63.2kmを完走

『24時間テレビ34』で総合司会を羽鳥慎一に譲って勇退し、同時に70歳で番組史上最高年齢のチャリティーマラソンランナーを務めた。2001年に心筋梗塞を経験した身での挑戦に多くの人が「無茶だ」と感じたが、7月に神奈川県内で2泊3日の合宿を行い、30キロ以上を走破して備えた。スタートには長嶋茂雄が応援に駆けつけ、走行中は被災地の人々から声援を受け、21日20時44分に63.2キロを走って日本武道館にゴール。ステージ上でスクワットを披露した。翌2012年からはスペシャルサポーターとして番組に関わり続ける。

本人俺みたいな男でもできるんだから、誰でもできるんだよ 出典

2013平成251月21日
満71歳私生活

NHK『ファミリーヒストリー』で先祖のルーツが判明

NHK『ファミリーヒストリー』で、先祖が江差でニシン漁をし、のちに現在のえりも町へ移った漁師だったことが判明した。

2013平成2510月2日
満72歳

BSテレ東『徳光和夫の名曲にっぽん 昭和歌謡人』の司会に

昭和歌謡を語る番組の司会を始め、現在も続けている。

2015平成274月5日
満74歳

テレビ朝日『路線バスで寄り道の旅』にレギュラー出演

不定期出演を経て旅番組のレギュラーになる。この年からはフジテレビ『中居正広のプロ野球珍プレー好プレー大賞』の審査委員長も務めた(2017年まで)。

2017平成2910月8日
満76歳

テレビ東京『3秒聴けば誰でもわかる名曲ベスト100』の司会に

音楽番組の司会を務める。この年から2019年までの『24時間テレビ』では、自身と福留功男・福澤朗に羽鳥慎一・桝太一を加えた歴代司会者で『復活ズームイン!!』を放送した。

出典
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令和 2019
2020令和2
満79歳

『プロ野球珍プレー好プレー大賞』の審査委員長に復帰

2015〜2017年に務めたフジテレビ『中居正広のプロ野球珍プレー好プレー大賞』の審査委員長に再び就く。

2022令和48月21日
満81歳

『24時間テレビ』でアントニオ猪木と最後の対面

『24時間テレビ』に出演したアントニオ猪木と対面。猪木にとって生前最後のテレビ出演となり、徳光は「正直ショックを受けた。見たくない現実だった」と言いつつ握手を交わした。10月1日に猪木が死去すると、「心よりご冥福をお祈りいたしますが、本心は悔しい。もう一度、逢いたかった」とコメントを寄せた。

2024令和64月2日
満83歳

BSフジ『プロ野球 レジェン堂』の司会に

2023年11月の単発放送を経てレギュラー化した野球番組の司会を務める。この年の『24時間テレビ』には「24時間テレビ」をつなぐメンバーとして出演した。

2024令和69月20日
満83歳受賞

肝炎対策の啓発活動で厚生労働大臣表彰

「知って、肝炎プロジェクト」の肝炎対策広報大使として、肝炎の知識や肝炎ウイルス検査の必要性を訴えてきた普及啓発活動に対し、武見厚生労働大臣から肝炎対策事業功労者の表彰状を授与された。同年7月28日の第12回世界・日本肝炎デーフォーラムでは冒頭の挨拶に立ち、各自治体を回ると肝炎ウイルス検査への認識が低いと感じることが多いと語った。

2024令和612月
満83歳私生活

『年忘れにっぽんの歌』で24年連続の司会、ひ孫の誕生を明かす

テレビ東京系『第57回年忘れにっぽんの歌』で2001年から連続の司会を務め、収録時の未放送オフトークで、10月に長男の娘が出産してひ孫が生まれたことを明かした。83歳でひいおじいちゃんになったと年明けに報じられた。

2025令和74月17日
満84歳

『とくモリ!歌謡サタデー』15周年記念コンサートで司会

日本のラジオ放送開始から100年、昭和100年の節目に、番組の15周年を記念する「昭和100年!人生の名曲に喝采を!コンサート」が東京国際フォーラム ホールAで開かれ、司会を務めた。井上芳雄、井上順、岡崎友紀、小椋佳、堺正章、渡辺真知子らが出演した。

2025令和76月3日
満84歳

長嶋茂雄の死去を、同日の『every.』で追悼

長嶋茂雄が89歳で死去。同日の日本テレビ系『every.』に出演して追悼し、長嶋に憧れて立教大学と日本テレビに入ったと振り返った。同月25日には、王貞治の現役最後の本塁打となった通算868号のバットを所有していた徳光が野球殿堂博物館に寄贈したと発表され、7月16日から常設展示「王貞治コーナー」で公開すると告知された。

本人本当に第一報は悲しかったです。自然に涙がわいてきたんですけど、そこからこの番組に来るまでは、言葉にはできない喪失感っていうんですかね?そういう気持ちでいっぱいですね。偉大なものを失ってしまったと言いましょうかね。 出典

2026令和8現在
満85歳近況

85歳、ラジオの生放送と『24時間テレビ』サポーターを続ける

土曜早朝のニッポン放送『徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』に生出演を続け、8月29〜30日の『24時間テレビ49』には24時間テレビサポーターとして出演した(2025年の肩書はスペシャルサポーター)。テレビ朝日『路線バスで寄り道の旅』にも出演中で、「徳さん」の愛称で親しまれている。

出典hochi.news
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