生い立ちと長嶋茂雄への憧れ
昭和16〜
東京・目黒に生まれる
父・徳光寿雄は映画監督を経て日本テレビの開局社員となった人物で、放送の世界が身近な家庭に育った。
長嶋茂雄に憧れ、立教大学へ
海城高校在学中、東京六大学野球で活躍する長嶋茂雄の姿に感化され「人生の全てを長嶋茂雄に捧げよう」と決意。長嶋がいた立教大学社会学部に進んだ。のちに巨人ファンとして知られる原点となる。
本人長嶋さんがいた神宮球場に通いたい一心だった、と振り返っている。
日本テレビアナウンサー時代
昭和38〜
日本テレビにアナウンサーとして入社
大学卒業後、日本テレビへ入社。放送の現場で長いキャリアを歩み始める。
プロレス・プロ野球などの実況で経験を積む
全日本プロレス中継をはじめとするスポーツ実況や情報番組を担当し、現場のアナウンサーとして実力を磨いた。
『24時間テレビ』第1回に出演
この年に始まったチャリティー番組『24時間テレビ「愛は地球を救う」』に出演。以後すべての回に関わり続けることになる。
— 『ズームイン!!朝!』初代総合司会に
朝の情報番組の初代総合司会を務め、人気コーナー「プロ野球イレコミ情報」で熱狂的な巨人ファンぶりを見せて茶の間の人気者となる。1988年まで“朝の顔”を担った。
世間明るく人情味のある進行で、朝の定番として親しまれた。
『24時間テレビ』の総合司会に就任
看板チャリティー番組の総合司会を任され、以後2010年まで長年にわたり中心人物を務める。涙を見せる司会ぶりは番組の名物となった。
『NNNニュースプラス1』初代メインキャスターに
『ズームイン!!朝!』を離れ、夕方の報道番組の初代メインキャスターを務めた。アナウンス部の管理職(課長)も担う立場となっていた。
フリー転身、国民的司会者へ
平成1〜
— 日本テレビを退社しフリーに
「事務職ではなく現場で生きていきたい」との思いから日本テレビを退社し、翌10月よりフリーアナウンサーに。各局の番組や結婚式の司会など、活動の場を一気に広げた。
本人本当は定年まで日本テレビにいるつもりだった、とも語っている。
『THE・サンデー』2代目総合司会に
日曜朝の情報番組の総合司会を2008年まで務め、フリー転身後も“日曜の顔”として定着した。
競馬で高額配当を的中させ話題に
大の競馬好きとしても知られ、この時は南関東公営競馬で史上最高配当とされる馬券を的中。スポーツ紙の一面を飾った。
急性心筋梗塞で緊急入院、月末に復帰
急性心筋梗塞を患い緊急入院したが、同月末には現場へ復帰。以後は健康管理の大切さを発信するようになる。
70代・80代も現役
平成23〜
— 『24時間テレビ』総合司会を勇退、70歳でマラソン走者に
総合司会を後進(羽鳥慎一)に譲って勇退。同時に70歳で番組史上最高年齢のチャリティーマラソンランナーを務め、大きな感動を呼んだ。翌年からはスペシャルサポーターとして番組に関わり続ける。
『徳光和夫の名曲にっぽん 昭和歌謡人』開始
BSテレ東で昭和歌謡をテーマにした音楽番組の司会を務め、歌謡曲への深い愛情を発信する。
『路線バスで寄り道の旅』レギュラー出演
テレビ朝日の旅番組にレギュラー出演。各地を巡る旅の魅力を伝え、新たな世代のファンも獲得した。
『3秒聴けば誰でもわかる名曲ベスト100』司会
テレビ東京の音楽特番・レギュラー番組の司会を務め、名曲を語り継ぐ役割を担い続ける。
『プロ野球珍プレー好プレー大賞』審査委員長に復帰
長年親しまれてきた野球バラエティの審査委員長を再び務めるなど、スポーツへの情熱は健在だった。
肝炎対策の啓発活動で厚生労働大臣表彰
「知って、肝炎プロジェクト」の広報大使として、肝炎ウイルス検査の必要性などを呼びかけてきた活動が評価され、厚生労働大臣から表彰を受けた。
ラジオ番組が15周年、『24時間テレビ』にも復帰
『とくモリ!歌謡サタデー』が放送15周年を迎え、記念コンサートも企画された。『24時間テレビ』にもスペシャルサポーターとして参加した。
85歳、ラジオの生放送で現役を続ける
ニッポン放送『とくモリ!歌謡サタデー』のパーソナリティを続けるなど、80代半ばを迎えた今も現役のアナウンサー・司会者として活動を継続している。