目次
少年相撲と相撲留学
平成12〜
石川県河北郡津幡町に生まれる
本名は中村泰輝。父によれば、当初は「大輝」と名付ける予定だったが、画数の関係で「泰輝」が選ばれたという。家族は父、母、妹。
7歳で津幡町少年相撲教室に入る
小学1年の7歳で、地元の津幡町少年相撲教室に入り相撲を始める。小学6年のわんぱく相撲全国大会では、ベスト8をかけた5回戦で村尾三四郎と対戦して敗れた。
小学校を卒業し、新潟・能生中学校へ相撲留学
12歳、小学6年生で他県への「相撲留学」を決め、新潟県糸魚川市の能生中学校へ進む。穴水町出身の三輪隼斗の姿をテレビで見て志した道だった。相撲どころの石川を離れたことで周囲から「裏切り者」と言われたと、父がのちに手記で明かしている。本人も友人に「オレたち親子は、本当につらかった」と打ち明けた。高校は県立海洋高校へ。
日体大、アマチュアの頂点へ
令和元〜
日本体育大学1年で学生横綱に
海洋高校から日本体育大学へ進む。1年次の10月に国民体育大会の個人戦で優勝し、11月の第97回全国学生相撲選手権では学生横綱となった。
全日本相撲選手権で優勝し、アマチュア横綱に
大学3年の12月、両国国技館で行われた第70回全日本相撲選手権の決勝で近畿大学の神崎大河を寄り切り、アマチュア横綱となる。この称号は翌年、大相撲へ幕下10枚目格付出で入る資格の一部になった。
アマチュア横綱を連覇
10月の国民体育大会成年の部個人戦を2019年に続いて制し、前年のアマチュア横綱と合わせて幕下10枚目格付出の資格を得る。12月の全日本相撲選手権では、決勝で日体大職員の松園大成をはたき込み、アマチュア横綱を連覇。日体大では1年時の学生横綱を含め、個人13冠を数えた。
初土俵から大関まで
令和5〜
二所ノ関部屋入門を発表、四股名は「大の里」
3月30日の日本相撲協会理事会で、幕下10枚目格付出での入門が承認される。4月6日、母校の海洋高校で入門会見に臨み、四股名は大正時代の大関・大ノ里萬助にちなむ「大の里」と発表された。部屋を選んだ理由には、茨城県阿見町にあり、誘惑や娯楽の無い環境で相撲に集中できることを挙げている。
幕下10枚目格付出で初土俵
5月場所で初土俵。初日は大学の先輩・石崎に敗れたが、6連勝して6勝1敗とする。7月26日の番付編成会議で新十両昇進が決まる。角界入りの際に父から言われた「関取になるまで帰ってくるな」は、幕下2場所で果たした。10枚目格の付出はこの年の9月場所後に廃止され、この格で初土俵を踏んだ最後の力士になった。
本人誰からも愛される関取になりたいですし、小さい子に憧れを持たれるような力士になりたいです 出典
新十両の場所で初日から9連勝
新十両の9月場所で初日から9連勝。新十両力士では2008年の翔天狼以来、3人目の記録だった。十両2場所目の11月場所は12勝3敗で琴勝峰との優勝決定戦に進んだが、上手投げに敗れた。
新入幕、11勝4敗で敢闘賞
元日に故郷の石川県が能登半島地震に見舞われるなか、新入幕の初場所を迎える。12日目には横綱照ノ富士と対戦した。新入幕で横綱と当たるのは史上10人目。11勝4敗で敢闘賞を受ける。2月に予定していた地元の祝賀会は地震で延期され、のちに「三役昇進祝賀会」として開かれた。
新小結で初優勝、初土俵から7場所目
新小結で迎えた夏場所。初日に照ノ富士を掬い投げで破って横綱戦初白星を挙げ、千秋楽は阿炎を下して12勝目、初優勝を決める。殊勲賞と技能賞も受けた。幕下付け出しで初土俵から所要7場所での賜杯は、輪島の15場所を大幅に更新する史上最速。大銀杏も結えないほどの若手の優勝に、現職親方や角界OBからは「番付の意味がなくなっている」との声も出た。
関脇で2度目の優勝、大関昇進を確実に
新関脇の7月場所は2桁勝利を逃したが、照ノ富士と貴景勝を破り、満票で2度目の殊勲賞を受ける。夏巡業中には、9月場所で12勝以上なら大関昇進の目安に届くと報じられるようになる。9月場所は初日から11連勝し、14日目に豊昇龍を破って千秋楽を待たずに2度目の優勝を決めた。千秋楽は阿炎に敗れて13勝2敗。新入幕から5場所連続の三賞受賞となった。
大関に昇進
臨時理事会が全会一致で大関昇進を承認。初土俵から所要9場所は昭和以降最速で、二所ノ関部屋からの大関は1970年の大麒麟以来となる。口上の「唯一無二」は、父が取材のたびに口にしてきた言葉でもある。髪の伸びが出世に追いつかず、大銀杏を結えない“ちょんまげ大関”として臨んだ11月場所は9勝6敗に終わった。
本人大関の地位を汚さぬよう、唯一無二の力士を目指し相撲道に精進いたします 出典
第75代横綱
令和7〜
髙安との決定戦を制し3度目の優勝
千秋楽の本割でともに12勝3敗とした髙安との優勝決定戦を制し、3度目の優勝。師匠の二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)の優勝回数を超えた。相手の髙安は、入門前から稽古をつけてくれていた叔父弟子。大関での優勝で、翌5月場所は横綱昇進がかかる場所になった。
能登の被災地、珠洲市と輪島市を訪ねる
春場所の千秋楽から5日後、大阪から約6時間をかけて、能登半島地震で大きな被害を受けた石川県珠洲市と輪島市へ向かう。現地で「能登を忘れないで」と訴えられたことが強く印象に残ったという。
本人あの日に見た光景は、絶対に忘れてはいけない。改めて日本の皆さんに知ってほしい 出典
第75代横綱に昇進
夏場所は初日から白星を重ね、13日目に琴櫻を破って大関で2場所連続の優勝を決める。千秋楽は豊昇龍に敗れて14勝1敗。横綱審議委員会の全会一致の推薦を経て、5月28日に第75代横綱への昇進が正式に決まった。初土俵から所要13場所は輪島の21場所を抜き、年6場所制となった1958年以降に初土俵を踏んだ力士で最速。日本出身の新横綱は師匠の稀勢の里以来8年ぶり、石川県出身は輪島以来52年ぶりとなる。土俵入りは師匠と同じ雲竜型を選んだ。
本人横綱の地位を汚さぬよう稽古に精進し、唯一無二の横綱を目指します 出典
新横綱の名古屋場所は11勝4敗
4日目に王鵬に押し出され、横綱として初の黒星と初の金星配給。新横綱として昭和以降ワーストとなる4個の金星を許し、11勝4敗で終えた。場所後は「初めてのことだらけの15日間だった」と振り返っている。
横綱として初優勝、年間最多勝も
千秋楽の本割で豊昇龍に敗れ、13勝2敗で並ばれる。優勝決定戦では豊昇龍に勝ち、横綱として初、通算5度目の優勝を果たした。この場所で2021年の照ノ富士以来となる年間最多勝も確定。2025年は3月、5月、9月と3度の優勝を重ねた。
左肩の負傷から6度目の優勝へ
令和7〜
九州場所で左肩を痛め、千秋楽を休場
初日から9連勝と好調だったが、13日目の安青錦戦で左肩を痛める。優勝争いの先頭に並んでいたものの、千秋楽は「左肩鎖関節脱臼で1カ月の安静加療が必要」との診断書を出して休場した。2023年の初土俵以来、初めての休場だった。
左肩の不安を抱えて初場所を皆勤、10勝5敗
左肩の負傷で出場が危ぶまれたが、初日から土俵に立つ。10日目までの4敗のうち3敗は金星配給だった。11日目から4連勝で立て直したものの、千秋楽は豊昇龍に敗れて10勝5敗で終えた。
本人こんなに長くてつらい15日間は初めて。(精神的に)プラスになった。これを糧に大阪に向けて頑張りたい 出典
春場所を途中休場、夏場所は全休
春場所は初日から自己ワーストの3連敗で、4日目から休場。初土俵からの連続勝ち越しもここで途切れた。5月の夏場所は左肩腱板損傷の診断で、初めて初日から休んだ。
名古屋場所は9勝6敗、15日間を取り切る
12日目を終えて6勝6敗となり、途中休場もささやかれたが、「どうなろうと15日間出ると決めていた」と最後まで土俵に上がる。千秋楽は琴勝峰を押し倒して9勝6敗。場所後、八角理事長からは「覚悟がなかったら復活できない」と苦言を呈された。
秋場所で6度目の優勝、左肩の負傷から復活
左肩を痛めてからの1年は、10勝、途中休場、全休、9勝と不本意な成績が続いた。秋場所は2024年9月の能登半島豪雨から2年の場所で、1年ぶりの優勝を故郷に届けると誓って臨む。千秋楽は大関安青錦との3敗同士の直接対決を制し、12勝3敗で6場所ぶり6度目の優勝を果たした。表彰式で君が代が流れると、涙をこらえられなかった。
本人本当にまた優勝できんのかなって考えた時期もありました。師匠が支えになってくれた。 出典
横綱として「ハイレベルな優勝」を目標に掲げる
6度目の優勝のあとは表情を引き締め、13勝以上、まだ経験のない全勝での優勝を次の目標に掲げている。秋巡業では相撲を取らない日も、腕を伸ばして手のひらを上下に返す地道な肩のトレーニングを続けてきた。