津山の少年、ボランチの原点
平成12〜
岡山県津山市に生まれる
元スキー選手の父・龍一の指導のもと、幼少期からボールに親しむ。地元クラブ「FCヴィパルテ」でU-12・U-15を過ごし、フィジカルより技術を重視する指導の中で守備的ミッドフィールダーとしての基礎を築いた。2歳下の弟・航大も後にプロサッカー選手となる。
米子北高校へ進学
1年次から早くもレギュラーの座を確保。ボランチとして守備能力を活かし、3年連続で全国高校総体・全国高校サッカー選手権に出場した。
町田でのプロキャリア始動と苦難
令和1〜
— FC町田ゼルビアでプロデビュー
高校卒業後にFC町田ゼルビアへ加入。5月5日のJ2第12節・水戸ホーリーホック戦で途中出場し、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。
プロ初ゴール
J2リーグ第17節のFC琉球戦でプロ初ゴールを記録し、徐々にチームの主力へと成長していった。
腰痛とオーバートレーニング症候群でシーズン途中離脱
シーズン中盤、腰痛とオーバートレーニング症候群のため長期にわたりチームを離脱。半年近くプレーできない苦しい時期を経験した。
鹿島で覚醒、日本代表へ
令和5〜
鹿島アントラーズへ完全移籍
「自分のこれからのキャリアを考え、この決断をし、挑戦することにしました」とコメントし、FC町田ゼルビアから鹿島アントラーズへ完全移籍。オーバートレーニング症候群を克服しての新天地移籍だった。
— 加入即レギュラー定着、J1ベストイレブン受賞
鹿島加入後すぐにレギュラーの座を掴み、シーズン通してリーグ戦27試合に出場。中盤でのボール奪取力が高く評価され、JPFAアワードJ1ベストイレブンを受賞した。
サッカー日本代表に初選出、初出場
2026年W杯アジア2次予選のメンバーに初選出。11月16日のミャンマー戦で日本代表デビューを果たした。
AFCアジアカップ2023に出場
1月1日発表のアジアカップ日本代表メンバーに選出。初戦のベトナム戦で後半途中に守田英正と交代出場し、大会デビューを果たした。
ブンデスリーガへ、そしてW杯
令和6〜
ブンデスリーガ・1.FSVマインツ05へ完全移籍
7月3日に完全移籍が発表され、8月1日にチーム合流。「アントラーズの存在がなければ僕のサッカー人生は終わっていた」と鹿島への感謝を語った。1年目から主力として34試合に出場した。
私生活を巡る報道、後に不起訴
マインツ移籍発表の直後、私生活を巡る報道があったが、同年8月に不起訴処分となったことが公表された。マインツは声明でその旨を明らかにし、選手はオーストリアでの合宿に合流した。以降、同年8月発表のW杯最終予選メンバーからは外れ、日本代表への招集が途絶えた。
約10か月ぶりに日本代表復帰
マインツでの活躍が評価され、弟・航大とともに2026年W杯アジア最終予選のメンバーに選出。復帰後初の会見で謝罪し、招集には賛否の声もある中での復帰となった。
結婚を公表
モデル・ピラティスインストラクターの木下桜との結婚を、妻がInstagramで公表。2024年のうちに入籍していたことが明らかになった。
FIFAワールドカップ2026、日本代表メンバーに選出
5月15日、北中米ワールドカップに臨む日本代表26人に選出された。
— W杯決勝トーナメント1回戦、ブラジル戦で代表初ゴール
ラウンド32のブラジル戦でボランチとして鎌田大地とコンビを組んで先発。中盤で相手のパスをカットしてドリブルで持ち上がり、右足ミドルで先制点を記録した。国際Aマッチ16試合目での代表初ゴールとなったが、試合は1-2で逆転負けを喫した。
世間「理想としていたところ」——圧巻の代表初ゴールも、勝利にはつながらなかった。
近況:プレミアリーグ移籍が焦点に
W杯での活躍を経て、ブライトンやブレントフォード、リバプール、アーセナルなど複数のプレミアリーグクラブが獲得に関心を示していると報じられている。マインツとの契約は2028年6月まで残っており、今後の去就が注目されている。