10歳でバルセロナの下部組織へ
平成13〜
神奈川県川崎市に生まれる
2歳からサッカーを始め、地元の少年団でプレーした。
— 日本人初、FCバルセロナの下部組織に入団
川崎フロンターレU-10からの加入で、当時10歳。バルセロナの育成組織「ラ・マシア」に外国人選手が加入するのは通常13歳以上とされ、例外的な早さでの入団だった。
バルセロナを退団し帰国
FCバルセロナが18歳未満の外国人選手の獲得・登録に関するFIFAの規定に違反したとして制裁を受け、その影響で公式戦に出場できなくなったため退団。帰国してFC東京の下部組織に入った。
FC東京でのデビューと飛躍
平成28〜
中学3年で飛び級し、クラブユース選手権で史上初の中学生得点王
中学生ながらFC東京U-18に飛び級で昇格し、日本クラブユースサッカー選手権では大会史上初めて中学生が得点王となった。同年はU-16日本代表としてAFC U-16選手権にも出場し、大会得点ランキング2位の4得点でFIFA U-17ワールドカップ出場権獲得に貢献。11月にはU-19日本代表アルゼンチン遠征に飛び級で初選出され、15歳5か月20日という史上最年少・中学生では史上初の選出となった。
— FC東京とプロ契約、J1リーグ史上歴代3位の若さでJ1デビュー
プロ契約後、トップチームの公式戦に出場。早熟な才能として大きな注目を集めた。
横浜F・マリノスへ期限付き移籍
出場機会を求めて移籍し、経験を積んだ。
レアル・マドリードへ、そして武者修行
令和1〜
— レアル・マドリードへの完全移籍が決定
FC東京・横浜F・マリノス双方への感謝を述べて移籍。5月23日にA代表候補として初招集され、その翌日の5月24日にはコパ・アメリカ代表にも選出された。6月9日のエルサルバドル戦(キリンチャレンジカップ)で市川大祐に次ぐ史上2番目の若さで日本代表A代表デビューを果たし、コパ・アメリカ本大会ではチリ戦で代表初スタメンを果たしグループリーグ全3試合に出場、ラストパス本数はグループリーグ終了時点で大会最多の8本と存在感を示した。
マヨルカへ期限付き移籍
7シーズンぶりに1部昇格したマヨルカへ加入し、日本人としては大久保嘉人・家長昭博に次ぐ史上3人目の在籍選手に。9月2日にリーグ戦デビュー、11月10日のビジャレアル戦では欧州4大リーグのアジア出身選手最年少記録(18歳5か月6日)となるミドルシュートを決めた。チームは2部降格したが、リーグ戦35試合4得点4アシストと結果を残し、UEFA選出の「ブレイクした11人」にも選ばれた。
ビジャレアルへ期限付き移籍
さらなる経験を積むため、移籍を重ねていった。
ヘタフェへ期限付き移籍、東京オリンピックにも出場
1月に19歳でヘタフェへ移籍。リーガでの武者修行を続け、同年7月には20歳で東京オリンピックの五輪世代代表としても活躍した。
マヨルカへ再び期限付き移籍
ヘタフェでの出場機会が限られたため、シーズン途中にかつて所属したマヨルカへ再度期限付き移籍した。
レアル・ソシエダの主力として、W杯2大会へ
令和4〜
— レアル・ソシエダへ完全移籍
5年契約で加入し、ダビド・シルバとの出会いもあって急成長。8月14日の開幕戦(カディス戦)では先制ゴールを決めてスタメンに定着し、キャリアを好転させる移籍となった。
ワールドカップカタール大会に初出場
日本代表の中心選手としてW杯の舞台に立った。
AFCアジアカップ2023に出場
アジアの舞台でも日本代表の主力として戦った。
ワールドカップ2026、オランダ戦で負傷しチームを欠場
中村敬斗のゴールをアシストしたのち、後半71分にオランダのダンフリースとの接触で左膝を負傷。プレーを続けたが75分に自ら交代を要求してピッチを退いた。MRI検査の結果、日本代表チームから離脱することはないと発表されたが、治療とリハビリのため以降のグループステージ2試合と、ブラジルに1-2で敗れたラウンド32(ベスト32)を欠場したまま大会を終えた。