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ふじた でん

藤田 田

銀座の輸入雑貨店から日本マクドナルドを一代で築き上げ、「ユダヤの商法」で後進の経営者たちに影響を与えた稀代の商売人。

昭和1年 大阪府大阪市生まれ ・ 1926–2004

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1926(昭和1) 大阪府大阪市東淀川区に生まれる1944(昭和19) 旧制松江高校を経て東京大学法学部へ入学1950(昭和25) 在学中に輸入雑貨販売店「藤田商店」を設立藤田商店設立1951(昭和26) 東京大学法学部を卒業1960(昭和35) 株式会社化し、ロンシャンやディオールの輸入を開始1968(昭和43) 納期厳守のためボーイング707をチャーター1970(昭和45) 東京タワー蝋人形館を開設1971(昭和46) 日本マクドナルドを設立、代表取締役社長に就任1971(昭和46) 日本マクドナルド第1号店を銀座にオープン銀座1号店1972(昭和47) 著書『ユダヤの商法 世界経済を動かす』を出版1976(昭和51) 店舗数105店に拡大1979(昭和54) 店舗数212店に拡大1984(昭和59) 外食産業で初めて売上高1,000億円を突破売上高1000億円突破1986(昭和61) 藍綬褒章を受章1987(昭和62) 藤田商店代表取締役会長に就任1989(平成1) 日本トイザらスを設立1991(平成3) 日本ブロックバスターを展開1993(平成5) 日本マクドナルド1,000号店を出店2000(平成12) 「平日半額セール」で客足を伸ばす平日半額セール2000(平成12) 日本トイザらスが店頭登録2001(平成13) 日本マクドナルドがジャスダック市場に上場2002(平成14) 経営不振と体調不良により日本マクドナルド社長を辞任社長辞任2003(平成15) 日本マクドナルドホールディングス会長を退任2004(平成16) 心不全のため死去昭和平成
誕生 1926歿 2004
大阪に生まれ、東京大学在学中にユダヤ人商人たちとの交流から独自の商法を学んだ青年は、卒業前に輸入雑貨店「藤田商店」を興す。1971年、周囲の反対を押し切って日本マクドナルドを設立し、銀座に第1号店を開いて日本の外食産業に革命を起こした。著書『ユダヤの商法』はベストセラーとなり、柳井正や孫正義ら後進の経営者にも影響を与えた。日本トイザらスの展開など事業を広げる一方、晩年は業績悪化により経営の第一線を退き、2004年に78歳で世を去った。

歩み

大阪の少年期と東京大学時代

昭和1〜

昭和
1926昭和13月
満0歳

大阪府大阪市東淀川区に生まれる

母がキリスト教徒だったことから「口」に「十字架」を組み合わせ「田」と名付けられたという。3歳の時に千里山へ移住した。

1944昭和19
満18歳

旧制松江高校を経て東京大学法学部へ入学

旧制北野中学卒業後、戦火が激しくなり大阪を離れる。旧制松江高校を経て東京大学法学部に進んだ。

1950昭和254月
満24歳

在学中に輸入雑貨販売店「藤田商店」を設立

学費と生活費を稼ぐための通訳の仕事を通じてユダヤ人商人たちと交流し、独自の「ユダヤ商法」を学んだ。東大2年の時に割り当てられた外貨でヨーロッパへ渡り輸入業を始め、在学中に藤田商店を興す。

1951昭和26
満25歳

東京大学法学部を卒業

在学中に始めた輸入雑貨業を本格化させ、経営者としての道を歩み始める。

輸入商からマクドナルド創業へ

昭和36〜

1960昭和35
満34歳

株式会社化し、ロンシャンやディオールの輸入を開始

藤田商店を株式会社に改組。ハンドバッグや旅行鞄など海外ブランド品の輸入を手がけ、ブランド商品のパイオニア的存在となった。

1968昭和43
満42歳

納期厳守のためボーイング707をチャーター

アメリカンオイルから受注したナイフ・フォーク300万本の納品が国内生産の遅れで間に合わなくなり、採算度外視で航空機をチャーターして納期を守った。この一件が世界のユダヤ人商人の間で信用を広め、「銀座のユダヤ人」と呼ばれる由来になったという。

1970昭和45
満44歳

東京タワー蝋人形館を開設

本業の輸入業に加え、事業の幅を広げた(2013年9月に閉館)。

1971昭和465月
満45歳

日本マクドナルドを設立、代表取締役社長に就任

アメリカ本社の反対を押し切り、「McDonald's」の表記を発音に忠実な「マクダーナルズ」ではなく、日本語で馴染みやすい3・3の韻を踏む「マクドナルド」に決めるなど、独自の判断で日本進出を主導した。

1971昭和467月
満45歳

日本マクドナルド第1号店を銀座にオープン

銀座三越との1年に及ぶ交渉の末、百貨店1階への出店が決定。開業初日から1日1万人が来店する社会現象となり、日本のファストフード市場の出発点となった。

1972昭和47
満46歳

著書『ユダヤの商法 世界経済を動かす』を出版

「78:22の法則」など独自の商売哲学を説いた同書はベストセラーとなり、後に実業家となる柳井正や孫正義らにも大きな影響を与えたとされる。

多角展開とハンバーガー王の時代

昭和51〜

1976昭和51
満50歳

店舗数105店に拡大

直営・都市圏(東京・大阪・名古屋)集中出店・専用工場による安定供給の三位一体戦略で、1971年の5店舗から急拡大した。

1979昭和54
満53歳

店舗数212店に拡大

テレビ広告と出店網を連動させる戦略が奏功し、業界内でも独自の経営手法として注目された。

1984昭和59
満58歳

外食産業で初めて売上高1,000億円を突破

低ロイヤリティ・直営中心の独自路線が実を結び、日本マクドナルドは外食産業のトップ企業に成長した。

1986昭和61
満60歳

藍綬褒章を受章

実業家としての功績が評価された。

1987昭和621月
満60歳

藤田商店代表取締役会長に就任

日本マクドナルド社長と兼務しながら、創業の藤田商店の経営にも引き続き携わった。

平成 1989
1989平成111月
満63歳

日本トイザらスを設立

米国トイザらスとの合弁で玩具小売業に参入。既存の商店街との摩擦から出店を巡る規制緩和論争を招くなど、日米の流通摩擦の象徴的な事例ともなった。

1991平成3
満65歳

日本ブロックバスターを展開

レンタルビデオ事業にも進出し、輸入雑貨・外食・玩具小売に続く新たな事業の柱とした。

1993平成5
満67歳

日本マクドナルド1,000号店を出店

名古屋市瑞穂区に1,000号店をオープン。積極出店は続き、1999年には全国3,000店を突破した。

デフレの勝ち組から退任、そして晩年

平成12〜

2000平成122月
満73歳

「平日半額セール」で客足を伸ばす

デフレ下でハンバーガーの平日半額など値下げ戦略を展開。日本マクドナルドは「デフレ時代の勝ち組」、藤田は「ハンバーガー王」と称された。

2000平成124月
満74歳

日本トイザらスが店頭登録

日本証券業協会への店頭登録を果たし、事業拡大が続いた。

2001平成137月
満75歳

日本マクドナルドがジャスダック市場に上場

一方で「インフレが来る」と半額セールを打ち切ると客数が減少して再値下げに転じるなど価格戦略が迷走し、BSE(牛海綿状脳症)問題の影響も重なって、この年に創業以来初の赤字となった。

2002平成147月
満76歳

経営不振と体調不良により日本マクドナルド社長を辞任

同年3月に持株会社・日本マクドナルドホールディングスの代表取締役会長兼CEOに就任していたが、7月には事業会社の社長を退いた。この期の連結決算は創業以来の最終赤字となった。

2003平成153月
満77歳

日本マクドナルドホールディングス会長を退任

株主総会後に会長職を退き、創業から32年にわたる日本マクドナルドの経営から退いた。以降、公の場に姿を見せる機会は少なくなった。

2004平成164月
満78歳

心不全のため死去

都内の病院で78歳で死去。葬儀と告別式は近親者で営まれた。遺産総額は約491億円で歴代6位だったと報じられた。長男・元と次男・完は藤田商店の経営を引き継いだ。

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