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浜松の少年、磐田の育成組織で
平成17〜
静岡県浜松市に生まれる
静岡県浜松市中央区の出身。兄に佑介さんがいる。小学校は浜松市立上島小学校、中学校は浜松市立曳馬中学校と、地元の学校に通った。
カワイ体育教室サッカークラブに入る
小学生年代は地元のカワイ体育教室サッカークラブでプレー。恩師の守屋賢吾は、当時のJリーグの大柄な日本人選手には足元が硬いというイメージがあったため、背の大きかった後藤に足元の技術を徹底してつけさせたという。
ジュビロ磐田U-18で磐田東高校に通う
中学3年の時点でU-18に上がっていたため、高校の部活でサッカーを続ける選択肢は持たなかった。U-18時代はボランチでもプレーしている。
高校生ルーキーとJ1昇格
令和4〜
天皇杯でトップチーム公式戦初出場
U-18在籍のまま2種登録選手としてトップチームに登録され、天皇杯4回戦・東京ヴェルディ戦に途中出場した。本人の計画では、16歳のうちにトップの公式戦に出ているはずだった。
J2開幕戦で2得点、クラブ最年少得点記録を更新
高校2年生ながらトップチームに昇格して迎えたJ2第1節のファジアーノ岡山戦。途中出場から後半44分とアディショナルタイム2分に得点し、Jリーグ初出場で2ゴールを挙げた。17歳260日での得点は、高原直泰の持っていたクラブ最年少得点記録(18歳290日)を25年ぶりに更新するもの。周囲が騒がしくなっても本人は「人が寄ってくるのは一瞬。その一瞬に浮かれていては自分の目標はかなえられない」と話していた。この年はリーグ戦33試合7得点を記録し、チームのJ1昇格に貢献した。
本人人が寄ってくるのは一瞬。その一瞬に浮かれていては自分の目標はかなえられない 出典
プロA契約を締結
6月11日の第20節ベガルタ仙台戦で出場時間の条件を満たし、18歳の誕生日から2週間後の17日にA契約を結ぶ。同年代では早い契約だったが、本人は「プロになれましたけど、正直、自分の中では遅かったと思います」と受け止めていた。
本人プロになれましたけど、正直、自分の中では遅かったと思います 出典
アンデルレヒトのセカンドチームで
令和5〜
アンデルレヒトへの期限付き移籍が決まる
プロ1年目のシーズンの終わりに、ベルギー1部アンデルレヒトへの期限付き移籍が発表された。期間は2024年1月から1年間。クラブを通じ「自分が決めた道なので必ず成功できるように頑張ってきます」とコメントしている。
セカンドチームでデビュー、PKで移籍後初ゴール
セカンドチームのRSCAフューチャーズ(ベルギー2部)でKベールスホットVA戦に先発し、後半13分にPKを決めた。
アンデルレヒトへ完全移籍
期限付き移籍から完全移籍に切り替わる。コメントでは「嬉しいことや楽しいことばかりではありませんでした」と海外での1年を振り返った。
トップチームで初先発、ダイビングヘッドで初ゴール
メヘレン戦でトップチームとして初めて先発し、センターフォワードに入る。前半24分、右からのクロスにダイビングヘッドで合わせてトップチーム初得点を挙げた。4日後の1月30日にはホッフェンハイム戦でヨーロッパリーグにデビューし、途中出場から1分後に得点して公式戦2試合連続ゴールとした。
シント=トロイデンへ期限付き移籍
新シーズンのアンデルレヒトでは開幕からベンチ外が続き、同じベルギー1部のシント=トロイデンへ期限付きで移った。アンデルレヒトのハシ監督は後に、FWのベルタッチーニの加入が見込まれ、ドルベリも残るなかで、後藤が出場機会を欲しがっていたと明かしている。加入直後は途中出場が中心だったが、10月半ばには直近3試合で先発していた。
得点ランク首位から、W杯の背番号9へ
令和7〜
ガーナ戦で日本代表デビュー
豊田スタジアムでのガーナ戦(2-0)に出場。金髪を黒く戻して臨み、理由を問われると「初代表ですし、もう1回スタートだと思っていたので、初心に戻るじゃないですけど、プロになった時の気持ちを思い出しながらという思いで黒にしました」と答えた。髪はクラブの同僚・谷口彰悟と一緒に切りに行ったという。
本人初代表ですし、もう1回スタートだと思っていたので、初心に戻るじゃないですけど、プロになった時の気持ちを思い出しながらという思いで黒にしました 出典
今季10点目で、リーグ得点ランキングのトップに
ズルテ・ワレヘム戦の40分、ボックス内でこぼれ球に反応して引き倒され、PKを獲得。これを自ら中央に蹴り込み、今季10点目でリーグの得点ランキングのトップに立つ。この活躍が認められ、フライブルクへのステップアップ移籍とW杯日本代表のメンバー入りにつながったと報じられている。
soccer-king.jp×2
スコットランド戦で日本代表初先発
敵地ハムデン・パークでのスコットランド戦(1-0)で1トップとして先発した。試合後は「綺世くん(上田綺世)ほどのポストプレーの能力はまだないです」と課題を口にしつつ、前線からのプレスは「自分の良さだと思う」と語った。
プレーオフで保有元アンデルレヒトから先制点
プレーオフ1の第4節、保有元アンデルレヒトとの一戦の75分に、伊藤涼太郎のクロスに右足を伸ばして先制点を奪う(2-0)。試合後にシント=トロイデンのエンブレムを示して喜び、相手選手に詰め寄られた。本人は「ゴールと勝利にとても満足していたのでピッチ上で祝いたかったんです」と説明している。
北中米W杯の日本代表メンバーに最年少で選出
26人のメンバーに最年少で入った。選出は代理人からの電話で知り、「緊張がほぐれ、ホッとした気持ちになった」という。兄の佑介さんは「本人の目標はW杯優勝だと小さい頃からずっと言っていた」と話した。背番号は、中山雅史や高原直泰、岡崎慎司らが背負ってきた9。チームから託された番号だった。
soccer-king.jp×2
チュニジア戦でW杯初出場
グループF第2戦のチュニジア戦(4-0)の後半39分、2得点の上田綺世と代わってピッチに立つ。21歳17日での出場は、第1戦の塩貝健人を抜いて日本のW杯出場選手で歴代2番目の若さ。1トップに入り、前線からのプレッシャーで相手のファウルを誘ってFKを得た。出番の無い試合でもハーフタイムに水のボトルを仲間に手渡すなどしてチームを支えた。
決勝トーナメント1回戦でブラジルに敗れる
グループFを2位で突破した日本は、佐野海舟のゴールで先制したが、後半アディショナルタイムに勝ち越され1-2で敗れた。大会後、同じ2005年生まれの塩貝健人と並べて「このW杯を経験した俺と(塩貝)健人がロス世代を引っ張っていかないといけない」と語り、2028年ロサンゼルス五輪の優勝を次の目標に掲げた。長友佑都は後藤と塩貝健人について「この1カ月の変わりようが違いすぎて、鳥肌」と驚きを口にしている。
本人このW杯を経験した俺と(塩貝)健人がロス世代を引っ張っていかないといけない 出典
フライブルクでの初陣で初ゴール
UEFAカンファレンスリーグのプレーオフ、マザーウェル戦が新天地での初陣。途中出場からヴィンチェンツォ・グリフォのCKを頭で決め、3点目を挙げた。本人は「『最初の5試合』で結果を残さないといけないと思っていました」と振り返る。27日の第2戦でも85分に得点し、チームのリーグフェーズ進出に関わった。8月30日のブレーメン戦ではブンデスリーガにデビューしている。
シャルケ戦でブンデスリーガ初ゴール
ブンデスリーガ第5節のシャルケ戦に69分から途中出場し、85分に左からのクロスを頭で合わせる。64分に鈴木唯人が退場して10人となったなかで生まれたこのブンデスリーガ初ゴールが決勝点となり、フライブルクは2-1で勝って首位に立った。
フライブルクのFWとして、2030年W杯を見据える
ユリアン・シュスター監督のもとで、前線からのプレス後の戻りまで求められている。「『戻れるだろう!』って怒られるんです」とシント=トロイデン時代との違いを語る。web Sportivaでは、2030年W杯に向けた歩みを追う本人の連載も始まった。