★ STAR TIMELINE

ごとう けいすけ

後藤 啓介

ブンデスリーガのフライブルクへ。高校2年で磐田の最年少得点記録を塗り替え、シント=トロイデンで二桁得点を挙げ、背番号9でW杯を戦った。

平成17年生まれ ・ 静岡県浜松市中央区出身 ・ 2005– ・ 満21歳

所属SCフライブルク(ドイツ) / 主要所属クラブジュビロ磐田→シント=トロイデンVV→SCフライブルク / ポジションFW / 身長191cm / 学歴磐田東高等学校

近況
2026(令和8)満21歳

フライブルクのFWとして、2030年W杯を見据える

ユリアン・シュスター監督のもとで、前線からのプレス後の戻りまで求められている。「『戻れるだろう!』って怒られるんです」とシント=トロイデン時代との違いを語る。web Sportivaでは、2030年W杯に向けた歩みを追う本人の連載も始まった。

2005(平成17) 静岡県浜松市に生まれる2012(平成24) カワイ体育教室サッカークラブに入る2018(平成30) ジュビロ磐田U-15に加入2021(令和3) ジュビロ磐田U-18で磐田東高校に通う2022(令和4) 天皇杯でトップチーム公式戦初出場トップ初出場2023(令和5) J2開幕戦で2得点、クラブ最年少得点記録を更新最年少ゴール2023(令和5) 静岡ダービーで初先発、前半2分に得点2023(令和5) プロA契約を締結2023(令和5) アンデルレヒトへの期限付き移籍が決まる2024(令和6) セカンドチームでデビュー、PKで移籍後初ゴールベルギーへ2024(令和6) 一時帰国し、古巣の練習場とカワイ体育教室へ2024(令和6) アンデルレヒトへ完全移籍2025(令和7) トップチームで初先発、ダイビングヘッドで初ゴール2025(令和7) シント=トロイデンへ期限付き移籍シント=トロイデンへ2025(令和7) 日本代表に初招集2025(令和7) ガーナ戦で日本代表デビュー2026(令和8) 今季10点目で、リーグ得点ランキングのトップに2026(令和8) スコットランド戦で日本代表初先発2026(令和8) プレーオフで保有元アンデルレヒトから先制点2026(令和8) 北中米W杯の日本代表メンバーに最年少で選出2026(令和8) ドイツのSCフライブルクへ完全移籍2026(令和8) チュニジア戦でW杯初出場W杯出場2026(令和8) 決勝トーナメント1回戦でブラジルに敗れる2026(令和8) フライブルクでの初陣で初ゴール2026(令和8) シャルケ戦でブンデスリーガ初ゴール2026(令和8) フライブルクのFWとして、2030年W杯を見据える平成令和
誕生 2005現在
浜松で育ち、ジュビロ磐田の育成組織からトップチームに上がった191cmのFW。高校2年生だった2023年、J2開幕戦で2得点を挙げ、高原直泰が持っていたクラブ最年少得点記録を25年ぶりに塗り替えた。その年の11月にベルギーの強豪アンデルレヒトへの期限付き移籍が決まったが、主な出場の場はセカンドチームだった。2025年夏、出場機会を求めてシント=トロイデンに期限付きで移り、リーグの得点ランキングで首位に立つまで得点を重ねる。その間に日本代表にも初めて招集された。シント=トロイデンでの1年を本人は「移籍を正解にできたかなと思います」と振り返る。2026年6月にドイツのフライブルクへの完全移籍が決まり、同じ月の北中米W杯で、背番号9を着けて初めてW杯のピッチに立った。

同世代2023年、同い年の上坂 樹里は、『生理のおじさんとその娘』でヒロインに →

つながり後藤 啓介のつながりを図で見る →

歩み

浜松の少年、磐田の育成組織で

平成17〜

平成
2005平成176月3日
満0歳

静岡県浜松市に生まれる

静岡県浜松市中央区の出身。兄に佑介さんがいる。小学校は浜松市立上島小学校、中学校は浜松市立曳馬中学校と、地元の学校に通った。

2012平成24
満6歳

カワイ体育教室サッカークラブに入る

小学生年代は地元のカワイ体育教室サッカークラブでプレー。恩師の守屋賢吾は、当時のJリーグの大柄な日本人選手には足元が硬いというイメージがあったため、背の大きかった後藤に足元の技術を徹底してつけさせたという。

2018平成30
満12歳

ジュビロ磐田U-15に加入

中学進学とともにジュビロ磐田U-15へ。2019年にはU-15日本代表に選ばれている。

令和 2019
2021令和3
満15歳

ジュビロ磐田U-18で磐田東高校に通う

中学3年の時点でU-18に上がっていたため、高校の部活でサッカーを続ける選択肢は持たなかった。U-18時代はボランチでもプレーしている。

高校生ルーキーとJ1昇格

令和4〜

2022令和47月20日
満17歳

天皇杯でトップチーム公式戦初出場

U-18在籍のまま2種登録選手としてトップチームに登録され、天皇杯4回戦・東京ヴェルディ戦に途中出場した。本人の計画では、16歳のうちにトップの公式戦に出ているはずだった。

2023令和52月18日
満17歳デビュー

J2開幕戦で2得点、クラブ最年少得点記録を更新

高校2年生ながらトップチームに昇格して迎えたJ2第1節のファジアーノ岡山戦。途中出場から後半44分とアディショナルタイム2分に得点し、Jリーグ初出場で2ゴールを挙げた。17歳260日での得点は、高原直泰の持っていたクラブ最年少得点記録(18歳290日)を25年ぶりに更新するもの。周囲が騒がしくなっても本人は「人が寄ってくるのは一瞬。その一瞬に浮かれていては自分の目標はかなえられない」と話していた。この年はリーグ戦33試合7得点を記録し、チームのJ1昇格に貢献した。

本人人が寄ってくるのは一瞬。その一瞬に浮かれていては自分の目標はかなえられない 出典

2023令和53月18日
満17歳

静岡ダービーで初先発、前半2分に得点

J2第5節、清水エスパルスとの静岡ダービーで初めてスタメンに起用され、前半2分にゴールを決めた。

2023令和56月17日
満18歳

プロA契約を締結

6月11日の第20節ベガルタ仙台戦で出場時間の条件を満たし、18歳の誕生日から2週間後の17日にA契約を結ぶ。同年代では早い契約だったが、本人は「プロになれましたけど、正直、自分の中では遅かったと思います」と受け止めていた。

本人プロになれましたけど、正直、自分の中では遅かったと思います 出典

アンデルレヒトのセカンドチームで

令和5〜

2023令和511月28日
満18歳

アンデルレヒトへの期限付き移籍が決まる

プロ1年目のシーズンの終わりに、ベルギー1部アンデルレヒトへの期限付き移籍が発表された。期間は2024年1月から1年間。クラブを通じ「自分が決めた道なので必ず成功できるように頑張ってきます」とコメントしている。

2024令和61月12日
満18歳

セカンドチームでデビュー、PKで移籍後初ゴール

セカンドチームのRSCAフューチャーズ(ベルギー2部)でKベールスホットVA戦に先発し、後半13分にPKを決めた。

2024令和66月17日
満19歳

一時帰国し、古巣の練習場とカワイ体育教室へ

初の海外シーズンを終えて帰国し、磐田市の大久保グラウンドを訪れる。体重は半年で5、6キロ増えた。小学生時代のカワイ体育教室の練習にも顔を出し、子どもたちと一緒にグラウンドの水はけから始めている。

本人去年はジュビロのトップチームで常に当たり負けしていましたが、(海外で)筋力アップや筋トレをして日本に帰ってきて、スピードや強度も全然やれるなと感じたので、海外でいい経験ができているなと思います 出典

出典at-s.com
2024令和612月5日
満19歳

アンデルレヒトへ完全移籍

期限付き移籍から完全移籍に切り替わる。コメントでは「嬉しいことや楽しいことばかりではありませんでした」と海外での1年を振り返った。

2025令和71月26日
満19歳

トップチームで初先発、ダイビングヘッドで初ゴール

メヘレン戦でトップチームとして初めて先発し、センターフォワードに入る。前半24分、右からのクロスにダイビングヘッドで合わせてトップチーム初得点を挙げた。4日後の1月30日にはホッフェンハイム戦でヨーロッパリーグにデビューし、途中出場から1分後に得点して公式戦2試合連続ゴールとした。

2025令和78月7日
満20歳転機

シント=トロイデンへ期限付き移籍

新シーズンのアンデルレヒトでは開幕からベンチ外が続き、同じベルギー1部のシント=トロイデンへ期限付きで移った。アンデルレヒトのハシ監督は後に、FWのベルタッチーニの加入が見込まれ、ドルベリも残るなかで、後藤が出場機会を欲しがっていたと明かしている。加入直後は途中出場が中心だったが、10月半ばには直近3試合で先発していた。

得点ランク首位から、W杯の背番号9へ

令和7〜

2025令和711月6日
満20歳

日本代表に初招集

ガーナ、ボリビアとの国際親善試合に臨む日本代表に初めて名を連ねる。この時点でシント=トロイデンでは今季11試合3得点だった。

2025令和711月14日
満20歳

ガーナ戦で日本代表デビュー

豊田スタジアムでのガーナ戦(2-0)に出場。金髪を黒く戻して臨み、理由を問われると「初代表ですし、もう1回スタートだと思っていたので、初心に戻るじゃないですけど、プロになった時の気持ちを思い出しながらという思いで黒にしました」と答えた。髪はクラブの同僚・谷口彰悟と一緒に切りに行ったという。

本人初代表ですし、もう1回スタートだと思っていたので、初心に戻るじゃないですけど、プロになった時の気持ちを思い出しながらという思いで黒にしました 出典

2026令和82月
満20歳ブレイク

今季10点目で、リーグ得点ランキングのトップに

ズルテ・ワレヘム戦の40分、ボックス内でこぼれ球に反応して引き倒され、PKを獲得。これを自ら中央に蹴り込み、今季10点目でリーグの得点ランキングのトップに立つ。この活躍が認められ、フライブルクへのステップアップ移籍とW杯日本代表のメンバー入りにつながったと報じられている。

2026令和83月28日
満20歳

スコットランド戦で日本代表初先発

敵地ハムデン・パークでのスコットランド戦(1-0)で1トップとして先発した。試合後は「綺世くん(上田綺世)ほどのポストプレーの能力はまだないです」と課題を口にしつつ、前線からのプレスは「自分の良さだと思う」と語った。

2026令和84月
満20歳

プレーオフで保有元アンデルレヒトから先制点

プレーオフ1の第4節、保有元アンデルレヒトとの一戦の75分に、伊藤涼太郎のクロスに右足を伸ばして先制点を奪う(2-0)。試合後にシント=トロイデンのエンブレムを示して喜び、相手選手に詰め寄られた。本人は「ゴールと勝利にとても満足していたのでピッチ上で祝いたかったんです」と説明している。

2026令和85月15日
満20歳

北中米W杯の日本代表メンバーに最年少で選出

26人のメンバーに最年少で入った。選出は代理人からの電話で知り、「緊張がほぐれ、ホッとした気持ちになった」という。兄の佑介さんは「本人の目標はW杯優勝だと小さい頃からずっと言っていた」と話した。背番号は、中山雅史や高原直泰、岡崎慎司らが背負ってきた9。チームから託された番号だった。

2026令和86月11日
満21歳

ドイツのSCフライブルクへ完全移籍

W杯の直前、アンデルレヒトからブンデスリーガのフライブルクへの完全移籍が発表された。冬の段階でGMが直接会いに来たといい、クラブの熱意や理念が自分の求めるものと合致したことを決め手に挙げた。シント=トロイデンでのシーズンは公式戦40試合13得点8アシストで終えた。チームは欧州大会の出場権を得ており、本人はその1年を「移籍を正解にできたかなと思います」と振り返った。

本人決断したタイミングでどうかは言えないですけど、決断を正解にしていくことはできるので。移籍を正解にできたかなと思います 出典

2026令和86月20日
満21歳W杯

チュニジア戦でW杯初出場

グループF第2戦のチュニジア戦(4-0)の後半39分、2得点の上田綺世と代わってピッチに立つ。21歳17日での出場は、第1戦の塩貝健人を抜いて日本のW杯出場選手で歴代2番目の若さ。1トップに入り、前線からのプレッシャーで相手のファウルを誘ってFKを得た。出番の無い試合でもハーフタイムに水のボトルを仲間に手渡すなどしてチームを支えた。

2026令和86月30日
満21歳

決勝トーナメント1回戦でブラジルに敗れる

グループFを2位で突破した日本は、佐野海舟のゴールで先制したが、後半アディショナルタイムに勝ち越され1-2で敗れた。大会後、同じ2005年生まれの塩貝健人と並べて「このW杯を経験した俺と(塩貝)健人がロス世代を引っ張っていかないといけない」と語り、2028年ロサンゼルス五輪の優勝を次の目標に掲げた。長友佑都は後藤と塩貝健人について「この1カ月の変わりようが違いすぎて、鳥肌」と驚きを口にしている。

本人このW杯を経験した俺と(塩貝)健人がロス世代を引っ張っていかないといけない 出典

2026令和88月20日
満21歳

フライブルクでの初陣で初ゴール

UEFAカンファレンスリーグのプレーオフ、マザーウェル戦が新天地での初陣。途中出場からヴィンチェンツォ・グリフォのCKを頭で決め、3点目を挙げた。本人は「『最初の5試合』で結果を残さないといけないと思っていました」と振り返る。27日の第2戦でも85分に得点し、チームのリーグフェーズ進出に関わった。8月30日のブレーメン戦ではブンデスリーガにデビューしている。

2026令和810月
満21歳

シャルケ戦でブンデスリーガ初ゴール

ブンデスリーガ第5節のシャルケ戦に69分から途中出場し、85分に左からのクロスを頭で合わせる。64分に鈴木唯人が退場して10人となったなかで生まれたこのブンデスリーガ初ゴールが決勝点となり、フライブルクは2-1で勝って首位に立った。

出典goal.com
2026令和8
満21歳近況

フライブルクのFWとして、2030年W杯を見据える

ユリアン・シュスター監督のもとで、前線からのプレス後の戻りまで求められている。「『戻れるだろう!』って怒られるんです」とシント=トロイデン時代との違いを語る。web Sportivaでは、2030年W杯に向けた歩みを追う本人の連載も始まった。