名古屋の少年、氷の上へ
平成9〜
愛知県名古屋市に生まれる
出生体重900グラムほどの超低出生体重児として生まれ、幼少期は喘息で入退院を繰り返した。身体を強くしようと両親がさまざまなスポーツをさせるなかで、本人が「もう一度やりたい」と言ったのがフィギュアスケートだった。祖父に日本画家・洋画家の宇野藤雄、4歳下の弟にフィールドホッケー選手・モデルの宇野樹がいる。
5歳、浅田真央に誘われてフィギュアを選ぶ
名古屋スポーツセンターのスケート教室に参加した際、スピードスケート・アイスホッケー・フィギュアの選択肢があるなかで、偶然居合わせた浅田真央に声をかけられたことがきっかけでフィギュアを選んだ。以降、浅田が海外に拠点を移すまでの5年ほど練習を共にする。グランプリ東海クラブで山田満知子・樋口美穂子の指導を受け、この師弟関係は2019年まで続いた。
本人憧れの選手は高橋大輔で、その滑りを見てフィギュアスケートをやりたいと思った。最終シーズンの開幕当初には「小さい頃に憧れたフィギュアスケートがどうだったか。それは、“高橋大輔さんのようなスケーターになりたい”でした。ジャンプだけでなく表現も両方あって、それが、自分がやりたいと最初に目指したスケートでした」と、目指したスケート像を語っている。
ジュニアグランプリシリーズに初参戦
2009年と2010年に全日本ノービス選手権を連覇した実力者として、13歳でジュニアグランプリシリーズへ。初戦のバルティック杯は4位、続くタリン杯で3位に入り、2戦目でシリーズ初のメダルを手にした。同年12月には初めてシニアの全日本選手権に出場し9位となる。
ユースオリンピックで銀メダル
インスブルックで開かれた冬季ユースオリンピックに出場。ショートプログラム6位からフリーで2位に巻き返し、銀メダルを獲得した。3月の世界ジュニア選手権は10位。
ジュニアグランプリファイナルで優勝
バルセロナのジュニアグランプリファイナルで、ショート3位からフリーで逆転し、小塚崇彦・羽生結弦に続く日本男子3人目の優勝。フリーと合計でジュニアの歴代最高得点を更新した。前月の全日本ジュニア選手権では3回転アクセルを初めて成功させて初優勝、月末の全日本選手権でも羽生結弦に次ぐ2位に入っている。
世界ジュニア選手権で優勝
タリンで行われた世界ジュニア選手権で、ショートでジュニア世界初の80点台を記録するなどして優勝。日本男子5人目の世界ジュニア王者となり、銅メダルの山本草太とともに日本勢初の2人同時表彰台となった。この結果を置き土産に、翌シーズンからシニアへ移る。
シニアの衝撃、平昌の銀
平成28〜
— 国際スケート連盟公認大会で史上初の4回転フリップに成功
シニア移行1年目の2015–16シーズンは、グランプリシリーズ初参戦で10月のスケートアメリカ2位、11月のエリック・ボンパール杯でシリーズ初優勝(パリ同時多発テロでフリーが中止となり、ショートの順位が最終結果となった)、2015年12月のバルセロナのグランプリファイナルでも3位に入っていた。そのシーズン最終戦、スポケーンのコーセー・チームチャレンジカップのショートで、国際スケート連盟公認大会では誰も跳んだことのなかった4回転フリップを成功させ、フリーでも決めた。のちにギネス世界記録に認定され、新しいジャンプを跳ぶ選手として世界に名前が知られる契機となった。
全日本選手権で初優勝
門真で行われた全日本選手権で初めて頂点に立ち、世界選手権・四大陸選手権・アジア冬季競技大会の代表に選ばれた。この季はグランプリファイナルでも2年連続の3位に入っている。
世界選手権で初のメダル、銀
2月の四大陸選手権では試合初挑戦の4回転ループを含む3種類4本の4回転を着氷して3位に入り、国際スケート連盟のチャンピオンシップで初めて表彰台に上がった。続く札幌アジア冬季競技大会も制し、3月末から4月にかけてヘルシンキで行われた世界選手権では、自己ベストを31.26点更新する319.31点で初の銀メダル。この成績は翌年の平昌五輪代表枠3を日本が確保することにも大きく貢献した。
トヨタ自動車に入社
従業員アスリートとしてトヨタ自動車に入社。以降、競技生活を同社の所属選手として送ることになる。
— 平昌オリンピックで銀メダル
団体戦のショートで出場選手唯一の100点超えを記録してチームの5位入賞に貢献。個人戦では最終滑走のフリーで4回転フリップなど7本のジャンプを着氷し、合計306.90点で銀メダルを獲得した。翌3月のミラノ世界選手権も、右足甲を痛めながら2年連続の銀メダルで終えている。日本男子3人目の五輪メダリストとなり、金メダルの羽生結弦とともに日本フィギュア史上初の五輪ワンツーフィニッシュを果たした大会だった。
コーチ不在の迷い、北京と世界の頂点
令和1〜
四大陸選手権で初優勝、初の主要国際タイトル
前年12月の全日本選手権を右足首の捻挫を抱えたまま制して3連覇。その後1か月の間に同じ足首を3度捻挫する状態でアナハイムの四大陸選手権に臨み、ショート4位からフリーでルール改正後の世界最高得点197.36点を出して逆転優勝した。シニア4年目で初めて手にした主要国際タイトルだった。
5歳から続いた師弟関係を離れ、ランビエールに師事
6月3日に所属クラブのグランプリ東海を卒業すると発表し、5歳から指導を受けた樋口美穂子・山田満知子のもとを離れてメインコーチ不在でシーズンに入った。グランプリシリーズでシニア転向後最低の成績に沈んだのち、12月18日にスイスのステファン・ランビエールへの師事を発表。直後の全日本選手権ではフリーで逆転して4連覇を果たし、羽生結弦との直接対決を初めて制した。
コロナ禍でYouTubeチャンネルを開設
新型コロナウイルスの影響で海外渡航が難しく国内で自主練習を続けるなか、自身のYouTubeチャンネルを開設。「フィギュアスケート普及に少しでも貢献したい」と開設理由を語った。ゲーム実況などを通じて、競技以外の顔が知られるようになる。翌2021年の世界選手権では4位に入った。
— 北京オリンピックで団体銀・個人銅
団体戦ではチームの先陣を切ってショートに登場し、自己ベストを更新する105.46点で2位。日本の表彰台(のちの繰り上げで銀)に貢献した。個人戦でも銅メダルを獲得し、2大会連続の五輪メダルは羽生結弦に次ぐ日本フィギュア2人目。五輪メダル3個は当時の日本フィギュア最多だった。
世界選手権で初優勝
モンペリエの世界選手権で、ショートで自己ベストを更新して首位発進。フリーでも5本の4回転を着氷して自己ベストを更新し、初の世界王者となった。日本男子では2017年の羽生結弦以来5年ぶり、史上3人目の優勝。同年12月のグランプリファイナルも2位に30点以上の差をつけて初制覇し、主要タイトルを網羅するキャリアグランドスラムを達成した。
本田真凜との交際を公表
9月15日に一部週刊誌が交際を報じたのを受け、18日に自身の公式サイトでコメントを出し、同じフィギュアスケーターの本田真凜と交際していることを公表した。
本人公式サイトでは「この度の一部報道にもありましたように、私、宇野昌磨は本田真凜さんと以前より良いお付き合いをさせて頂いております」と記した。
— 世界選手権連覇、日本男子で初の快挙
さいたまで行われた世界選手権で、前日の練習で右足首を痛めながらショートをノーミスでまとめて首位発進。フリーでも1位となり、日本男子として初めて世界選手権を連覇した。長く羽生結弦の後ろにいた選手が、日本男子の記録を自ら塗り替えた大会となった。
引退、そして二度目の現役
令和6〜
世界選手権4位、現役最後の大会に
前年12月の全日本選手権で本田武史・羽生結弦と並ぶ日本男子歴代2位の6度目の優勝を飾ったあと、モントリオールの世界選手権へ。ショートはシーズン世界最高の107.72点で首位に立ったが、フリーでミスが続いて総合4位。これが競技者としての最後の大会となった。
— 現役引退を発表、プロスケーターへ
5月9日に自身のSNSで現役引退を発表し、14日の記者会見で今後はプロスケーターとして活動することを明らかにした。2017年から続いたトヨタ自動車との社員契約は満了となったが、同社は引き続き支援を続けることになった。競技の第一線を離れ、演技を見せる側へ立場を移した節目だった。
本人会見では「まさか、ぼくがこういう選手になれると思ってなかったですし、まさか人前で、こうやって喋れる人間になれるとも思ってなかったので、もう本当にフィギュアスケートと出会えて、すごく感謝とともに驚きのことばかりですね」と振り返った。
初プロデュースのアイスショー「Ice Brave」を開幕
前年9月には『ONE PIECE ON ICE』の座長公演に立ち、フジテレビ系のフィギュアスケートスペシャルアンバサダーにも就任した。3月19日に発表した自身初プロデュースのアイスショー「Ice Brave」は、6月に愛知・福岡、7月に新潟で開催。現役時代の使用曲で構成し、滑る側だけでなく作り手としてもショーに立った。同年11月から2026年2月にかけては「Ice Brave2」として京都・東京・山梨・島根・宮城・神奈川の6会場19公演を巡り、その新横浜公演は2026年4月に劇場版として全国公開された。
プロeスポーツチーム「VARREL」に加入
現役時代から親しみ、引退後に本格化した配信で知られるようになったゲームの世界で、プロeスポーツチームVARRELのGAMER部門に加入。スケートとゲームの二足のわらじで活動することになった。
— 本田真凜とアイスダンスのカップルを結成、競技へ復帰
都内で会見し、本田真凜とアイスダンスのカップル「しょまりん」を結成して2026–27シーズンから現役復帰することを発表した。オファーは2024年10月に宇野から出したもので、公表せずに準備を重ねてきたという。改めてトヨタ自動車と所属契約を結び、2030年冬季五輪出場を目標に掲げる。一度は退いた競技の舞台へ、種目を変えて戻る決断だった。
本人会見で「2人だからこそつらい日々も楽しくなる。2人の目標だからこそ強くかなえたい」と語った。
アイスショーと競技復帰の準備を並行
7月14日には東京辰巳アイスアリーナで結成後初の公開練習を行い、フリーダンスの「四季」や、シングル時代に披露していたクリムキンイーグルを生かしたリフトを披露した。パートナーを支えるため増量にも取り組んでいる。アイスショー「Ice Brave -A TURNING SEASON-」は愛知公演が7月31日〜8月2日、東京公演が8月8日〜11日の全6公演で、アイスダンスの初戦は今秋の全日本選手権予選会を予定している。
本人公開練習後、増量について「今、確実に体重が増えてきているので、それがだんだん筋力になっていったら、真凜も乗っていて安心できる土台になったらいいなと思っています」と話した。