★ STAR TIMELINE

冨安 健洋

とみやす たけひろ

冨安 健洋

福岡の「7番手」から欧州最高峰へ。度重なる負傷を越え、なお競争を選び続けるDF。

平成10年 福岡県福岡市生まれ ・ 1998–

所属クリスタル・パレスFC ・ ポジションDF(CB/SB) ・ 身長187cm ・ 利き足 ・ 学歴九州産業大学付属九州高等学校

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最新
2026(令和8)

クリスタル・パレスへ、約1年ぶりプレミア復帰

アヤックスとの契約満了後、フリーでプレミアリーグ・クリスタル・パレスに加入。背番号17を託され、日本代表の同僚・鎌田大地とチームメイトになった。安住ではなくあえて競争の激しい環境を選んだ移籍だった。クラブ公式インタビューでは「競争力のある環境に身を置きたかった」とも語った。

1998(平成10) 福岡県福岡市博多区に生まれる2004(平成16) 水泳のはずがサッカーへ2011(平成23) アビスパ福岡U-15へ、「7番手」からの逆転2015(平成27) 16歳、天皇杯でプロ公式戦デビュープロデビュー2016(平成28) 高校卒業を待たずトップ昇格、J1でリーグ戦デビューJ1デビュー2017(平成29) J2初得点、左足首を骨折しながらプレーオフへ2018(平成30) ベルギー・シント=トロイデンVVへ移籍2018(平成30) 日本代表デビュー代表デビュー2019(令和1) AFCアジアカップ、サウジアラビア戦で代表初ゴールアジア杯初得点2019(令和1) セリエA・ボローニャへ完全移籍2020(令和2) ACミラン戦でセリエA初得点、「一段飛ばしは性に合わない」2021(令和3) 東京五輪に出場、準決勝で敗退2021(令和3) 移籍金約25.5億円でアーセナルへアーセナル移籍2022(令和4) W杯カタール大会、ドイツ戦の逆転勝利に貢献W杯カタール2023(令和5) 右膝を重傷、シーズン絶望2023(令和5) アーセナル移籍後初ゴール、亡き母に捧げる母へ捧げるゴール2024(令和6) アーセナルと契約延長2025(令和7) 右膝が再負傷、2度目の手術2025(令和7) アーセナル退団アーセナル退団2025(令和7) オランダ・アヤックスへ自由契約で加入2026(令和8) 484日ぶりの実戦復帰2026(令和8) W杯2026、2大会連続出場W杯20262026(令和8) クリスタル・パレスへ、約1年ぶりプレミア復帰平成令和
誕生 1998現在
水泳を始めるはずが怪我で延期になり、その間に走り回る姿を偶然見た地元クラブの監督に誘われてサッカーと出会った福岡の少年は、アビスパ福岡の下部組織で「7番手」から這い上がり、16歳でプロの舞台に立った。ベルギー、イタリアと着実にステップを重ねて欧州最高峰アーセナルの主力となるも、度重なる膝の負傷がキャリアを繰り返し翻弄する。それでも舞台に立ち続け、2026年、あえて競争の激しい環境を選んでプレミアリーグに帰ってきた。

歩み

福岡の少年、「7番手」からの逆転

平成10〜

平成
1998平成1011月5日
満0歳

福岡県福岡市博多区に生まれる

母・佳代子さんが「太平洋のように広い心を持った人間に育ってほしい」との願いを込めて「健洋」と命名した。

2004平成16
満5歳

水泳のはずがサッカーへ

姉たちの影響で水泳を始める予定だったが、練習中の転倒で口元を負傷し延期に。マンションの通路を走り回る姿を地元クラブ・三筑キッカーズの総監督が偶然見つけ、サッカーを始めることになった。

2011平成23
満12歳

アビスパ福岡U-15へ、「7番手」からの逆転

中学1年でアビスパ福岡U-15に加入。3学年ともキャプテンを務めた。入団当初は目立たない「7番手」の選手で、中学時代のあだ名は生真面目な性格から「課長」だったという。中学3年時(2013年)に飛び級でトップチームの練習に参加するようになり、頭角を現していった。

2015平成2710月
満16歳プロデビュー

— 16歳、天皇杯でプロ公式戦デビュー

5月に2種登録されると、10月14日の天皇杯でプロ公式戦デビュー。高校2年生での抜擢は、後に続くステップの最初の一段となった。

2016平成287月
満17歳

高校卒業を待たずトップ昇格、J1でリーグ戦デビュー

アビスパ福岡のトップチームに昇格し、7月13日のJ1・2ndステージ第3節でリーグ戦デビュー。当時のメインポジションはボランチだったが、後にチームの守備強化のためセンターバックへ転向し、必要なスキルを短期間で身につけていった。

2017平成293月
満18歳

J2初得点、左足首を骨折しながらプレーオフへ

3月19日のJ2第4節でプロ初得点を記録。シーズン終盤はJ1昇格プレーオフ決勝に左足首の疲労骨折を抱えながら出場し、若くしてチームの重要な戦力となっていた。

欧州へ、着実な階段

平成30〜

2018平成301月
満19歳

ベルギー・シント=トロイデンVVへ移籍

1月8日、ベルギー1部シント=トロイデンへの移籍を発表。7月29日にリーグ戦初出場を果たし、11月25日には移籍後初ゴールを記録するなど着実に欧州の舞台に適応していった。

2018平成3010月
満19歳

日本代表デビュー

キリンチャレンジカップのパナマ戦(デンカビッグスワンスタジアム)で19歳にしてA代表デビュー。以後、代表の中心的なDFとして定着していく。

令和 2019
2019令和11月21日
満20歳代表初ゴール

— AFCアジアカップ、サウジアラビア戦で代表初ゴール

大会最年少で出場したAFCアジアカップ2019で、決勝トーナメント1回戦のサウジアラビア戦にて代表初得点。20歳77日での得点は、同大会トルクメニスタン戦での堂安律の記録(20歳207日)を約2週間で更新するアジアカップ日本人最年少ゴールとなった。

2019令和17月
満20歳

セリエA・ボローニャへ完全移籍

移籍金約12億円でイタリア・ボローニャへ。8月25日のヴェローナ戦でセリエAデビューを果たし、名門相手でも堂々としたプレーで評価を高めていった。

2020令和27月18日
満21歳

ACミラン戦でセリエA初得点、「一段飛ばしは性に合わない」

ACミラン戦でセリエA初ゴールを記録し、ビッグクラブへの移籍も噂されるようになった。約10ヶ月後、2021年5月のインタビューで自身のキャリア観をこう語っている。

本人やっぱり、サッカー選手は試合に出てなんぼだと思うんです。試合に出ないとわからないことがあるし、試合に出ることで成長できる部分がある。自分の力が追いついていないのに、一段飛ばしをしたことで出場機会を失ってしまったら、それこそ成長を止めてしまいますよね。 出典

アーセナルの主力、そして負傷との闘い

令和3〜

2021令和37月
満22歳

東京五輪に出場、準決勝で敗退

地元開催の東京五輪代表に選出。負傷の影響で出遅れる場面もあったが3試合に出場し、チームは準決勝でスペインに敗れ4位に終わった。

2021令和38月31日
満22歳アーセナル移籍

— 移籍金約25.5億円でアーセナルへ

イングランド・プレミアリーグの名門アーセナルへ完全移籍。移籍市場最終日の慌ただしい決定だったが、9月11日のノリッジ・シティ戦でプレミアリーグデビューを果たし、以後センターバックとサイドバックをこなす主力DFとしてクラブに定着していった。

2022令和411月23日
満24歳W杯カタール

— W杯カタール大会、ドイツ戦の逆転勝利に貢献

グループ初戦のドイツ戦(11月23日)に途中出場し、日本の歴史的な逆転勝利に貢献。第3戦のスペイン戦にも終盤出場し、決勝トーナメント1回戦のクロアチア戦では先発して延長120分をフル出場した。この大会、冨安は同年に亡くなった母への想いを胸に戦っていたことを、翌年になって初めて公にしている。

2023令和53月16日
満24歳

右膝を重傷、シーズン絶望

ヨーロッパリーグのスポルティングCP戦で右膝を負傷。手術は成功したものの、今シーズン中の復帰は叶わないと発表され、長期離脱を強いられた。

2023令和510月28日
満24歳亡き母へ

— アーセナル移籍後初ゴール、亡き母に捧げる

シェフィールド・ユナイテッド戦の後半アディショナルタイムに移籍後初ゴールを記録。試合後、自身のSNSに「And this goal is for my mom who passed away last year(このゴールは去年亡くなった母にささげる)」と綴り、2022年に母・佳代子さんを亡くしていたことを初めて公にした。

本人And this goal is for my mom who passed away last year 出典

2024令和63月
満25歳

アーセナルと契約延長

2026年夏までの契約延長で合意。年俸10億円超とも報じられ、クラブの中心選手としての評価を確固たるものにした。ただし7月には再び膝を負傷して米国ツアーを欠場し、8月には右膝の手術を受けた。10月5日、サウサンプトン戦で一度は復帰したが、その試合直後に再び離脱。以後、詳しい説明のないまま長期間コンディション不透明な状態が続いた。

2025令和72月19日
満26歳

右膝が再負傷、2度目の手術

右膝の負傷が再発し、2度目の手術を受けることに。復帰目標は同年末とされ、故障の連鎖がキャリアの大きな壁となっていった。

2025令和77月4日
満26歳

アーセナル退団

アーセナルとの契約解除で双方合意し発表。4シーズンで公式戦84試合出場・2得点、直近シーズンは負傷でわずか1試合の出場にとどまっていた。クラブは「貢献に感謝」とのコメントを発表し、冨安自身も後に「改めて愛されていたんだなというところを感じた上で出て行くことができたので、そこは良かったかなと思います」と退団の経緯を振り返っている。

本人改めて愛されていたんだなというところを感じた上で出て行くことができたので、そこは良かったかなと思います 出典

再起、そしてプレミア復帰

令和7〜

2025令和712月16日
満27歳

オランダ・アヤックスへ自由契約で加入

7月のアーセナル退団以来無所属だったが、2026年6月30日までの半シーズン契約でアヤックス・アムステルダムに加入。プレー機会を求めての決断で、負傷からの本格復帰を目指す場となった。

2026令和82月1日
満27歳

484日ぶりの実戦復帰

エールディヴィジのエクセルシオール戦で、実に484日ぶりとなる公式戦復帰を果たす。長い負傷生活から再びピッチに立った瞬間だった。

2026令和86月
満27歳W杯2026

— W杯2026、2大会連続出場

北中米W杯の日本代表メンバーに2大会連続で選出。「ワールドカップという舞台に立ちたくても立てない選手もいる中で、選出してもらったこと、そこに責任を感じながら日本のサポーターの為にプレーします」とコメントした。6月14日のグループステージ第1戦・オランダ戦に途中出場で約1年8ヶ月ぶりの公式戦代表復帰を果たすと、6月20日の第2戦・チュニジア戦ではセンターバックとして先発。グループステージを突破したが、決勝トーナメント1回戦(48カ国制でのラウンド32)でブラジルに1-2で敗れ、大会を終えた。

本人ワールドカップという舞台に立ちたくても立てない選手もいる中で、選出してもらったこと、そこに責任を感じながら日本のサポーターの為にプレーします 出典

2026令和88月7日
満27歳現在

クリスタル・パレスへ、約1年ぶりプレミア復帰

アヤックスとの契約満了後、フリーでプレミアリーグ・クリスタル・パレスに加入。背番号17を託され、日本代表の同僚・鎌田大地とチームメイトになった。安住ではなくあえて競争の激しい環境を選んだ移籍だった。クラブ公式インタビューでは「競争力のある環境に身を置きたかった」とも語った。

本人このクラブは良い時期にあり、2シーズンで3つのタイトルを獲得している。ここが自分のいたかった場所だ 出典

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