愛媛から東福岡・明治大学へ
昭和61〜
愛媛県東予市(現・西条市)に生まれる
地元の少年団でサッカーを始め、西条北中学校を経て進路を選ぶ。
サッカー名門・東福岡高校へ進学
全国屈指の強豪校で技術と体力を磨き、全国大会の舞台を経験した。
明治大学に進学し体育会サッカー部へ
関東大学リーグの強豪で実力を伸ばし、2007年には大学生として関東大学サッカーリーグ戦ベストイレブンに選ばれた。
FC東京の特別指定選手として公式戦デビュー
練習試合での出来が評価されて特別指定選手となり、大学在学中にJリーグの公式戦デビューを果たした。
FC東京からセリエAへ
平成20〜
FC東京に正式加入
大学卒業を待たずにプロ入りを決断し、明治大学サッカー部を退部してFC東京と正式契約(大学自体は中退しておらず、2009年度に政治経済学部を卒業)。1年目からJリーグ優秀新人賞・優秀選手賞を受賞する活躍を見せた。
Jリーグベストイレブンに初選出
サイドバックとして主力に定着し、リーグを代表する選手としての評価を確立した。
— ワールドカップ南アフリカ大会に出場
日本代表として初めてのワールドカップに臨み、全4試合に出場した。以後、海外移籍を志向する契機となった。
セリエAのチェゼーナへ期限付き移籍
ヨーロッパへの第一歩として、イタリア1部リーグでのプレーを開始した。
インテルでの7年とブラジルW杯
平成23〜
アジアカップ優勝に貢献
決勝のオーストラリア戦では途中からサイドハーフに上がり、決勝点をアシストした。
— インテル・ミラノへ加入
期限付きでの加入後、同年7月に完全移籍。世界的な名門クラブの主力サイドバックとして7年間プレーすることになる。
AFC年間国際最優秀選手賞を受賞
ヨーロッパで活躍する日本人選手として高い評価を得た。
— ワールドカップブラジル大会に出場
2大会連続でワールドカップの舞台に立ち、代表定着を印象づけた。
タレントの平愛梨と婚約
翌2017年1月に婚姻届を提出。同年9月には第1子の妊娠を発表した。
第1子が誕生
以後、2019年・2021年・2022年にも子をもうけ、4人の子の父となった。
ガラタサライ・マルセイユを経てFC東京復帰
平成30〜
トルコのガラタサライへ完全移籍
同年1月の期限付き移籍を経て完全移籍が決定。所属したシーズンにはリーグ優勝も経験し、同年6月にはワールドカップロシア大会にも出場した。
フランスのマルセイユへ加入
リーグ・アンでも持ち味の運動量とサイド突破を発揮した。
— 11年ぶりにFC東京へ復帰
復帰時の背番号は、かつての5番と原点に戻る意味を込めた0を組み合わせた「50」。2022シーズンから背番号を「5」に変更し、以降J1リーグの主力左サイドバックとして出場を重ね、豊富な運動量とムードメーカーとしての存在感でチームを支える存在となった。
37歳での代表復帰、そしてアジア人史上初の5大会連続出場
令和4〜
— ワールドカップカタール大会に出場
フィールドプレーヤーとしては史上初の4度目のW杯出場。グループリーグでドイツ・スペインを破る歴史的な勝利に貢献し、「ブラボー!」のインタビューが話題となった。
37歳で日本代表に復帰
安定したプレーと周囲への好影響が評価されて選出。同月のJ1リーグでは14年ぶりとなるゴールを記録した。
E-1サッカー選手権に出場
中国戦にフル出場し、代表での存在感を示し続けた。
ワールドカップ日本代表に選出、5大会連続選出はアジア人史上初
2026年大会の日本代表に選出され、アジア人として史上初の5大会連続選出となった。フィールドプレーヤーでは唯一の国内組として、FC東京の主力を続けながら大会に臨んだ。
— 5大会連続出場を達成、日本人最年長出場記録も更新
スウェーデン戦に出場し、アジア人として史上初の5大会連続ワールドカップ出場を達成。自身が持っていた日本人最年長のワールドカップ出場記録も39歳286日に更新した。
— FC東京と契約更新、現役続行を決断
ワールドカップ後は引退も一時は考えたが、FC東京と新たに契約を更新し現役続行を表明。背番号は「5」を継続し、日本代表への意欲も示した。