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長友 佑都

ながとも ゆうと

長友 佑都

日本選手初のW杯5大会連続出場。全国的には無名だった高校生は、明治大学でサイドバックに転向し、インテルで7年を過ごした。

昭和61年生まれ ・ 愛媛県西条市出身 ・ 1986– ・ 満40歳

所属FC東京 / ポジションDF(サイドバック) / 利き足右 / 学歴東福岡高校→明治大学政治経済学部 / 主要所属クラブチェゼーナ→インテル→ガラタサライ

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2026(令和8)満40歳

右膝のけがからの復帰を目指し、40歳でマクドナルドのCMに

40歳の誕生日だった9月12日、J1第7節のガンバ大阪戦に先発し、右ひざの前十字じん帯を損傷した。復帰を目指す中、10月7日公開のマクドナルドのWebCMに初出演する。小学生の頃は歌手にも憧れていたといい、怒髪天の『オトナノススメ』をカバーして歌った。撮影後には「今がずっと青春。ずっと続いている感覚です」と話している。

1986(昭和61) 愛媛県東予市(現・西条市)に生まれる1999(平成11) 愛媛FCのセレクションに落ち、西条北中学校へ2002(平成14) 東福岡高校へ進学2005(平成17) 明治大学で右サイドバックに転向2007(平成19) FC東京の特別指定選手として公式戦デビュー2008(平成20) 大学在学のままFC東京とプロ契約プロ契約2008(平成20) 日本代表デビュー2009(平成21) ナビスコカップ優勝、Jリーグベストイレブン2010(平成22) 南アフリカW杯で全4試合にフル出場W杯初出場2010(平成22) セリエAのチェゼーナへ期限付き移籍2011(平成23) アジアカップ優勝、決勝で決勝点をアシスト2011(平成23) インテルへ移籍インテルへ2013(平成25) AFC年間国際最優秀選手賞を受賞2014(平成26) ブラジルW杯、グループリーグで敗退2015(平成27) 余剰人員とされながらインテルに残る2016(平成28) 「アモーレ」が流行語トップ10に、平愛梨と婚約2017(平成29) 国際Aマッチ100試合出場2018(平成30) トルコのガラタサライへトルコへ2018(平成30) ロシアW杯で3大会連続出場2020(令和2) フランスのマルセイユへ2021(令和3) 11年ぶりにFC東京へ復帰FC東京復帰2022(令和4) カタールW杯、日本最多のW杯通算15試合に2023(令和5) 第4子が誕生し、4兄弟の父に2024(令和6) 37歳で日本代表に復帰し、翌年E-1で2年7カ月ぶりの代表戦に2026(令和8) W杯メンバーに選ばれ、5大会連続は日本選手で単独最多2026(令和8) スウェーデン戦に出場し、日本選手初のW杯5大会連続出場5大会連続2026(令和8) FC東京と再契約し、現役を続ける2026(令和8) 右膝のけがからの復帰を目指し、40歳でマクドナルドのCMに昭和平成令和
誕生 1986現在
母の地元の愛媛県西条市で育ち、小学6年で愛媛FCジュニアユースのセレクションに落ちた。東福岡高校でも全国的には無名で、明治大学には指定校推薦で入る。大学で右サイドバックに転向し、椎間板ヘルニアの再発でスタンドから太鼓をたたいて応援する時期もあった。2008年に在学のままFC東京とプロ契約し、同じ年に日本代表に入った。2010年の南アフリカW杯の後にイタリアへ渡り、インテルで7年を過ごす。トルコ、フランスを経て2021年にFC東京へ戻り、2026年のW杯で日本選手初のW杯5大会連続出場を果たした。大会後は一度引退に傾いたが、FC東京で現役を続けている。

同世代2010年、同い年の田中 みな実は、『サンデージャポン』の情報コーナーでリポーターを担当、「ぶりっ子キャラ… →

歩み

セレクション落選、そしてサイドバック転向

昭和61〜

昭和
1986昭和619月12日
満0歳

愛媛県東予市(現・西条市)に生まれる

小学1年でサッカーを始める。3年生の頃に両親が離婚し、母の地元である西条市の実家近くへ移った。

平成 1989
1999平成11
満12歳

愛媛FCのセレクションに落ち、西条北中学校へ

小学6年で愛媛FCジュニアユースのセレクションを受けたが不合格。進んだ西条北中学校で恩師の井上博と出会い、2001年のU-15全日本ユース選手権では県3位に入った。

2002平成14
満15歳

東福岡高校へ進学

サッカーの強豪、東福岡高校に進む。2年生でボランチのレギュラーになったが、地区選抜などには選ばれず全国的には無名で、スポーツ推薦は得られなかった。明治大学政治経済学部へは指定校推薦で入学する。

2005平成17
満18歳

明治大学で右サイドバックに転向

明治大学サッカー部に入り、神川明彦監督のもとで右サイドバックに転向する。入部早々に発症した椎間板ヘルニアが再発し、試合に出られずスタンドで太鼓をたたいて出場選手を応援した。2006年8月に復帰し、後期リーグの開幕戦で初めて先発。全日本大学選抜やユニバーシアード代表にも選ばれた。

2007平成197月8日
満20歳デビュー

FC東京の特別指定選手として公式戦デビュー

3月のFC東京との練習試合で、FWリチェーリとのマッチアップが原博実監督らFC東京関係者の目に留まる。5月から特別指定選手として練習に参加し、7月8日のナビスコカップ準々決勝・横浜F・マリノス戦に途中出場した。この年は関東大学リーグのベストイレブンにも選ばれている。

大学在学のままプロ、そして南アフリカ

平成20〜

2008平成203月8日
満21歳

大学在学のままFC東京とプロ契約

大学卒業を待たず、サッカー部を1年残して退部し、在学したままFC東京と契約した。理由の一つに「女手一つで自分を含む3兄弟を育てる母に経済的に早く楽をさせたかった」ことを挙げている。3月8日の開幕戦・ヴィッセル神戸戦で先発し、この年のJリーグ優秀新人賞を受けた。

2008平成205月24日
満21歳

日本代表デビュー

4月12日の東京ダービーで東京ヴェルディのフッキを密着マークで封じ、警告2回での退場に追い込んだ。この活躍が岡田武史監督の目に留まり、5月に代表へ初招集される。5月24日のキリンカップ・コートジボワール戦にフル出場した。同年の北京五輪にも出たが、チームはグループリーグで3戦全敗に終わった。

2009平成21
満23歳

ナビスコカップ優勝、Jリーグベストイレブン

フィジカルコーチの土斐﨑浩一とともに走法の改良に取り組む。FC東京のナビスコカップ優勝に貢献し、この年のJリーグベストイレブンに選ばれ、Jリーグ優秀選手賞も受けた。プロになってからも大学に籍を置き、2009年度に明治大学政治経済学部を卒業している。

2010平成226月
満23歳初出場

— 南アフリカW杯で全4試合にフル出場

初めてのワールドカップで、全4試合に左サイドバックとしてフル出場した。グループリーグ初戦のカメルーン戦では、のちにチームメイトとなるサミュエル・エトオを徹底マークして無得点に抑える。相手のエースを封じる役回りで、日本の決勝トーナメント進出に貢献した。この大会での活躍が評価され、翌7月にはセリエAに昇格したばかりのチェゼーナへ、買い取りオプション付きの期限付き移籍が決まった。

2010平成227月14日
満23歳

セリエAのチェゼーナへ期限付き移籍

FC東京の退団セレモニーでは、涙ながらにサポーターへ別れを告げた。チェゼーナでは自ら希望した背番号5を付け、左サイドバックとして開幕戦のローマ戦からフル出場する。

本人みなさんと別れるつもりはありません。世界一のサイドバックになって、また青赤のユニホームを着たいです 出典

インテルの7年

平成23〜

2011平成231月
満24歳

アジアカップ優勝、決勝で決勝点をアシスト

アジアカップで全6試合に先発フル出場した。決勝のオーストラリア戦では試合途中に左サイドバックから左サイドハーフに上がり、李忠成の決勝点をアシスト。日本代表のアジア制覇に貢献し、優勝の立役者の1人になった。

2011平成231月31日
満24歳移籍

— インテルへ移籍

チェゼーナが買い取りオプションを行使し、同じ日にダビデ・サントンと200万ユーロを対価とする契約で、インテルへ期限付きで移った。5月29日のコッパ・イタリア決勝・パレルモ戦に右サイドバックでフル出場し、イタリアでの初タイトルを手にする。7月1日には5年契約での完全移籍が発表され、以後7年間の在籍で公式戦210試合に出場した。

2013平成25
満27歳

AFC年間国際最優秀選手賞を受賞

アジアサッカー連盟の国際最優秀選手賞に選ばれる。12月のミラン戦では、移籍4シーズン目で初めてゲームキャプテンを任された。2013-14シーズンは自己最多の5得点6アシストを記録している。

2014平成266月
満27歳

ブラジルW杯、グループリーグで敗退

2大会連続のワールドカップで、グループリーグ全試合にフル出場。初戦のコートジボワール戦では本田圭佑の先制ゴールをアシストした。だが日本は1分け2敗で敗退する。敗退が決まったコロンビア戦では両チーム最多の11.3kmを走り、試合後はピッチに座り込んだ。

本人夢破れて挫折を味わってきて……ただ(次を)目指すチャンスがある、と。そこに向けて、最後になるぐらいの気持ちで懸けていきたいというのがある。 出典

2015平成27
満28歳

余剰人員とされながらインテルに残る

2015-16シーズンの初め、サイドバックの補強で余剰人員となる。国内外から複数のオファーが届いたが、インテル残留を望んで移籍を断った。第3節から第8節までは出場機会が無かったが、2016年4月には2019年6月末までの契約延長を発表した。

2016平成2812月
満30歳私生活

「アモーレ」が流行語トップ10に、平愛梨と婚約

女優の平愛梨との交際宣言で使った「僕のアモーレですね」が、12月1日発表の新語・流行語大賞でトップ10に入る。12月24日には平と都内で婚約会見を開き、インテルの本拠地サン・シーロのフィールドでプロポーズした映像を公開した。2017年1月29日に入籍。

2017平成2911月10日
満31歳

国際Aマッチ100試合出場

9月にインテルでの通算200試合を達成し、11月10日の国際親善試合ブラジル戦では、日本代表で7人目となる国際Aマッチ100試合出場に到達した。

トルコ、フランスを経て東京へ

平成30〜

2018平成301月31日
満31歳

トルコのガラタサライへ

2017年11月ごろからインテルで出場機会が激減し、トルコのガラタサライへ期限付きで移った。2月には第1子が生まれている。2月5日の第20節以降はリーグ戦の全試合に先発し、クラブの3年ぶり21度目のリーグ優勝に貢献。シーズン終了後には完全移籍が発表された。

本人このシャツを7年間、身にまとったことを誇りに思っています 出典

2018平成306月
満31歳3大会目

ロシアW杯で3大会連続出場

大会前に髪を金色に染めて話題を集めた。グループリーグ3試合にフル出場し、第2戦のセネガル戦では乾貴士の得点をアシスト。日本は決勝トーナメント1回戦で敗れ、ベスト16で終わった。3大会でのW杯11試合出場は、川島永嗣・長谷部誠と並ぶ日本人最多になった。

令和 2019
2020令和28月31日
満33歳

フランスのマルセイユへ

ガラタサライでは2018-19シーズンもリーグを制した。2020年、外国人選手の人数規定でガラタサライから戦力外とされ、6月30日の契約満了で退団した。8月31日にリーグ・アンのオリンピック・マルセイユへ加入し、背番号は25。左サイドバックの控えとしての加入だった。2021年7月に退団が発表された。

本人来月で34歳になりますけど、まだまだ若手以上に走れると思っていますし、去年のガラタサライでも、データを見ても若手の誰よりも走っていました。 出典

2021令和39月12日
満35歳復帰

11年ぶりにFC東京へ復帰

マルセイユを離れた後は無所属で、欧州でのプレー続行を望んでいた。35歳の誕生日の9月12日、FC東京への完全移籍が発表される。背番号は初めて付ける50で、FC東京と日本代表で付けてきた5に、原点に戻る意味の0を合わせた。翌2022シーズンからは5に変えている。

本人11年ぶりに僕の愛するこの場所に帰ってくることができとても嬉しく思います。 出典

5度目のW杯と、40歳の現役

令和4〜

2022令和411月
満36歳4大会目

— カタールW杯、日本最多のW杯通算15試合に

日本代表のフィールドプレーヤーでは史上初となる4度目のW杯メンバーに選ばれた。日本はグループリーグで優勝経験のあるドイツとスペインを破った。試合後のインタビューで「ブラボー!」と連呼して話題を集める。全4試合に先発し、W杯通算15試合は日本代表で歴代最多になった。決勝トーナメント1回戦でクロアチアにPK戦の末に敗れ、「PKは別競技だと思っている」と語った。

2023令和55月
満36歳

第4子が誕生し、4兄弟の父に

2月に妻・平愛梨の第4子妊娠を発表し、5月12日に誕生を報告して、4兄弟の父になった。

出典mdpr.jp
2024令和63月
満37歳

37歳で日本代表に復帰し、翌年E-1で2年7カ月ぶりの代表戦に

カタールW杯以来となる日本代表に招集される。森保一監督は「どんな時もポジティブで前向きに振舞ってくれる。彼がもたらしてくれるエネルギーに期待したい」と述べた。同じ月の16日には、J1で14年ぶりのゴールを決めている。2025年7月のE-1選手権ではチームキャプテンを任され、中国戦にフル出場。2022年12月のクロアチア戦以来、約2年7カ月ぶりの代表戦で、38歳303日での出場は日本代表で歴代3位の年長記録だった。日本は大会を制した。

2026令和85月15日
満39歳

W杯メンバーに選ばれ、5大会連続は日本選手で単独最多

W杯アジア最終予選は全活動に招集されたものの、全10試合でベンチ外だった。3月14日の水戸戦で右ハムストリングの肉離れを負い、53日ぶりに実戦へ戻る。5月15日にW杯のメンバーに選ばれ、5大会連続のメンバー入りは川島永嗣らを上回る日本選手単独最多。フィールドプレーヤーで唯一の国内組だった。

本人気持ちは感謝1000パーセント。それ以外の感情はないです 出典

2026令和86月25日
満39歳5大会目

スウェーデン戦に出場し、日本選手初のW杯5大会連続出場

今大会で5回目以上の出場となる選手に贈られるレガシーパッチの対象5人の1人として大会に臨んだ。グループリーグ最終戦のスウェーデン戦、75分に中村敬斗と交代で入り、日本選手初のW杯5大会連続出場を果たす。39歳286日での出場は日本人最年長記録を更新し、W杯通算16試合はアジア最多に並んだ。日本は1-1で引き分けて決勝トーナメントに進んだが、ラウンド32でブラジルに逆転負けした。

本人4年前の自分におまえ、やめなくてよかったなって。 出典

2026令和88月8日
満39歳

FC東京と再契約し、現役を続ける

FC東京との契約は6月末で終わっていた。8月8日に再契約を発表し、2026/27シーズンもプレーを続ける。戻ってから5年、クラブにタイトルをもたらせていないことが悔しく、「またこのFC東京で優勝してシャーレを掲げたい」と思うようになったという。日本代表も、選手である以上は目指したいと語った。

本人FIFAワールドカップ2026™が終わった後は正直、4年間懸けてきた想いがとても強かったので、敗戦を受けて引退の方向に気持ちが傾いていました。 出典

2026令和810月
満40歳最新

右膝のけがからの復帰を目指し、40歳でマクドナルドのCMに

40歳の誕生日だった9月12日、J1第7節のガンバ大阪戦に先発し、右ひざの前十字じん帯を損傷した。復帰を目指す中、10月7日公開のマクドナルドのWebCMに初出演する。小学生の頃は歌手にも憧れていたといい、怒髪天の『オトナノススメ』をカバーして歌った。撮影後には「今がずっと青春。ずっと続いている感覚です」と話している。

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