吃音(きつおん)の少年、アニメーターへ
昭和42〜
富山県上市町に生まれる
鉄道職員の父のもと、富山県中新川郡上市町に一人っ子として生まれた。幼い頃から吃音(きつおん)があり、小学校1、2年は特別支援学級に通った。コミュニケーションが苦手で、絵を描くことだけが救いだったという。
自主制作アニメ、東映のオーディションで最終候補に
中学3年生の頃、NHK教育のトーク番組で同世代の学生が自主制作アニメを作っていることを知って触発され、アニメ雑誌『アニメージュ』などを参考にペーパーアニメを作り始めた。高校1年生の頃、東映動画制作の角川映画『少年ケニヤ』(1984年公開、大林宣彦監督)のアニメーター公募を知り、自作のペーパーアニメで応募。最終候補3人に残り東映動画から上京を求める電話がかかってきたが、学校の中間テストのため上京を断念した。
美大で実写映画を制作、ジブリ研修生には不合格
進学した金沢美術工芸大学で油絵を専攻。所属サークルで50本近い映像作品を手がけ、大学時代には「言葉」が人間関係を破壊していく物語の実写映画『SILENT』(1989年)を制作した。同年、スタジオジブリの新人アニメーター研修生の採用試験を大学卒業のタイミングで受け最終選考まで残るが、結果は不採用。宮崎駿から「君のような人間を入れるとかえって才能を削ぐと考えて入れるのをやめた」と不合格理由を記した直筆の手紙が届いた。
東映動画に入社、アニメーターとしてデビュー
大学卒業後、『少年ケニヤ』のオーディションで連絡をくれた田宮武プロデューサーに改めて連絡を取り、東映動画(現・東映アニメーション)に入社。本人は演出を志望していたが、田宮の勧めでまずはアニメーターとしてデビューすることになった。
初めて絵コンテを担当
金子伸吾の紹介で、シャフト制作の『十二戦支 爆烈エトレンジャー』にて初めて絵コンテを担当。アニメーターとして山下高明に師事しながら、演出の仕事へも足がかりを広げていった。
演出採用試験に合格、演出家に転身
東映社内で初めて実施された演出採用試験に合格し、アニメーターから演出家へと転身した。
劇場版デジモンアドベンチャーで映画監督デビュー
劇場短編『劇場版デジモンアドベンチャー』(1999年3月6日公開、上映時間20分)で映画監督デビューを果たす。監督料は46万5千円、製作期間で割るとひと月10万円以下と生活は苦しく、他の仕事を掛け持ちしながら乗り切った。
ハウルの挫折、雌伏の日々
平成12〜
ぼくらのウォーゲーム!が話題に
監督2作目の劇場中編『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』(2000年3月4日公開)の先進性が話題となり、各方面から注目を集める。この作品を見た現代アーティストの村上隆から声がかかり、ルイ・ヴィトンの2003年春夏コレクションの店頭プロモーション用アニメ『SUPERFLAT MONOGRAM』の監督も務めた。
『ハウルの動く城』の監督を制作中止という形で去る
2000年8月、スタジオジブリに『ハウルの動く城』の監督として招かれ、東映アニメーションから出向。2001年12月には東宝が細田守監督作品として正式発表し、絵コンテもCパートまで完成していたが、2002年4月21日に制作中止が決まった。自ら集めたスタッフとの信頼関係も壊れる形になり、以後、東映に復帰しても企画を出し続けるが一本も通らない時期が続く。
ONE PIECEを最後に東映を退社、フリーへ
東映での最後の作品となる長編アニメーション映画初監督作『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』(2005年3月5日公開)を手がける。この頃、マッドハウスの丸山正雄社長(当時)から『時をかける少女』の監督オファーが来ており、映画完成後、14年間勤めた東映アニメーションを退社してフリーになった。
フリー転身、世界へ羽ばたく
平成18〜
— 『時をかける少女』でフリー第一作、ロングランヒット
フリーになって初めて手がけた劇場長編アニメーション映画『時をかける少女』(2006年7月15日公開)が全国21館という小規模公開ながら口コミで人気を博し、40週間にわたる異例のロングランヒットとなった。
『サマーウォーズ』が大ヒット、同年に母を失う
『サマーウォーズ』(2009年8月1日公開)は観客動員126万人、興行収入16億5000万円と前作を大きく上回るヒットとなった。舞台となった長野県上田市は、妻の実家に結婚のあいさつに行った際の空の青さや風景の心地よさが強く心に残り、そのまま作品の舞台に選ばれたもの。一方、制作中の同年7月には母親を亡くしている。
「スタジオ地図」を設立
自身のアニメーション映画制作会社「スタジオ地図」を設立(代表取締役は齋藤優一郎)。以後の長編作品はここを拠点に製作されていく。
スタジオ地図、国際的評価の確立
平成24〜
『おおかみこどもの雨と雪』で小説家デビューも
スタジオ地図第一作『おおかみこどもの雨と雪』(2012年7月21日公開)は観客動員340万人、興行収入42億2000万円の大ヒットとなった。本作で初めて自ら脚本にも参加(奥寺佐渡子と共同)し、公開前の同年6月には自ら執筆した原作小説で小説家としてもデビューした。
『バケモノの子』が興収58億円のヒット
『バケモノの子』(2015年7月11日公開)は原作・脚本・監督・一部キャラクターデザインを担当。観客動員400万人、興行収入58億5000万円の大ヒットとなった。
『未来のミライ』を公開、カンヌ監督週間でも上映
日本公開(2018年7月20日)に先立つ同年5月16日、『未来のミライ』はカンヌ国際映画祭の監督週間で上映され、国際的に評価された。
— 『未来のミライ』、ジブリ以外で日本アニメ初のアカデミー賞候補に
前年公開の『未来のミライ』が、2019年2月3日に行われた第46回アニー賞の授賞式で長編インディペンデント作品賞を受賞。ゴールデングローブ賞アニメ映画賞と第91回アカデミー賞長編アニメ映画賞にもノミネートされたが、2月25日の同賞授賞式では受賞を逃した。日本のアニメ映画がアカデミー賞候補に名を連ねるのは、スタジオジブリ作品以外では初めてのことだった。
— 『竜とそばかすの姫』、カンヌ・プリミエール選出で自己最高興収
『竜とそばかすの姫』(2021年7月16日公開)は観客動員460万人、興行収入66億6000万円と細田自身・スタジオ地図としても最大のヒットとなった。第74回カンヌ国際映画祭で新設された「カンヌ・プリミエール」部門に日本映画として唯一選出され、ワールドプレミア上映された。アニメーション作品がカンヌ映画祭で公式に選出されるのは極めて稀なことだった。
『果てしなきスカーレット』、新たな挑戦
令和6〜
4年ぶりの新作『果てしなきスカーレット』公開決定
スタジオ地図として『竜とそばかすの姫』以来4年ぶりとなる新作アニメ映画『果てしなきスカーレット』の公開が発表された。父を殺され復讐に取りつかれていく中世の王女を描く物語で、「人は何のために生きるのか」を問う作品と紹介された。
ヴェネツィア国際映画祭でワールドプレミア
『果てしなきスカーレット』は第82回ヴェネツィア国際映画祭のアウト・オブ・コンペティション部門でワールドプレミア上映された。同映画祭ではFanheart3 Award銀の船賞(最優秀賞OTP賞)を受賞している。
日本公開も興行は苦戦
東宝とソニー・ピクチャーズ エンタテインメントの配給により2025年11月21日に日本公開。オープニング3日間の興行収入は2億1000万円で、最終興収66億円を記録した前作『竜とそばかすの姫』の同期間の23.5%にとどまり、公開2週目には週末動員ランキングのトップ10からも外れた。2026年2月16日の日本テレビ定例会見では、同社専務が国内興行成績の不振を認めている。一方、映画レビューサイトRotten Tomatoesでは批評家支持率71%・観客支持率80%(いずれも肯定的評価の目安である60%を上回る)と、海外の評価は概ね好意的だった。
アニー賞3部門にノミネート
第53回アニー賞で『果てしなきスカーレット』が長編インディペンデント作品賞に、細田自身も最優秀監督賞(長編映画部門)と長編脚本賞にノミネートされた。
現在 ―― 展覧会「細田守の原点/展」で自身の原点を振り返る
2026年6月20日から8月31日にかけて、自身の作家性の原点をたどる展覧会「細田守の原点/展」が開催された。中学時代の自主制作アニメや大学時代の実写映画『SILENT』などが並び、自身の表現の源流を見つめ直す機会となった。