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目次
出会いから結成、太田プロ時代
昭和59〜
日本大学芸術学部演劇学科で太田光と田中裕二が出会う
太田は大東文化大学第一高等学校から現役で、田中は東京都立井草高等学校から一浪で日芸の演劇学科に合格し、同期生になった。入学前の試験会場で担当者にヤジを飛ばしていた太田に、先に声を掛けたのは田中だった。太田は1985年に中退し、田中も2年で大学を離れた。
太田光小さくて、気さくで、ずいぶん親しみやすい人だな 出典
— 「爆笑問題」を結成、ラ・ママ新人コント大会でその場で太田プロにスカウトされる
テレビで渡辺正行主催の「ラ・ママ新人コント大会」に素人でも参加できると知り、今度は太田が田中に声を掛けた。応募の際に急いで決めたコンビ名が「爆笑問題」で、初舞台のネタは進路指導の先生(太田)が生徒(田中)を追い詰める毒気のあるコントだった。このネタが大ウケし、その場で太田プロダクションにスカウトされる。7月12日放送の深夜番組『笑いの殿堂』(フジテレビ)でテレビデビューし、ビートたけし退所後の太田プロのイチ押しとして順調にレギュラーを増やした。作り込んだコントで注目を集め、次第に漫才を主体にしていく。
独立の空白とタイタン設立
平成2〜
太田プロダクションから独立、仕事が途絶える
担当マネージャーから独立を唆されたことや、プロデューサーからもっとマイルドにと指示されたことへの反発から、一方的に辞める形で太田プロを離れ「スパイシーフルーツ」に所属した。太田プロの怒りを買い、一時的に仕事が無くなりテレビからも姿を消す。以後3年ほどは事務所の力関係のないNHKとテレビ東京の番組への出演が中心で、オムニバスドラマ『悪いこと』では太田が脚本、出演し、1991年には森田芳光総指揮のオムニバス映画『バカヤロー!4』の一編で太田が監督を務めている。
太田が松永光代と結婚
当時太田プロダクションに所属していた元芸人でタレントの松永光代(現・太田光代)と結婚した。太田の一目惚れだったという。光代は太田プロに残る道を選び、後に爆笑問題の事務所の社長となる。
NHK新人演芸大賞を受賞し、妻・光代が社長の事務所「タイタン」を設立
自分たちより若手が出る大会からやり直す道を選び、『NHK新人演芸大賞』で大賞を受賞した。復活の途上で光代は太田プロに戻る道を探り、事務所側も受け入れる姿勢を示したが、太田は「太田プロには帰れない」と拒む。11月、光代が社長となって現在の事務所「タイタン」を設立し、3人で新たな道を歩み始めた。
— 『GAHAHAキング』で10週勝ち抜き初代チャンピオン、『ボキャブラ天国』で再ブレイク
テレビ朝日系『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』で10週勝ち抜いて初代チャンピオンとなり、再ブレイクのきっかけをつかんだ。審査を務めた島田洋七は「ビートたけしよりハイレベルなネタをしている」と評した。同じ頃『タモリのSuperボキャブラ天国』の「ボキャブラ発表会 ザ・ヒットパレード」に出演し、ネプチューン、海砂利水魚らキャブラーと呼ばれた若手芸人の出世頭に。『黄金ボキャブラ天国』では初代名人となり、当時のキャッチフレーズは「不発の核弾頭」だった。ボキャブラのネタは、普段とは逆にダジャレの部分を田中が書いていた。
隔月の新ネタ漫才ライブ「タイタンライブ」が始まる
タイタン主催の定期ライブとして始まり、爆笑問題は2か月に1度、毎回新ネタの漫才でトリを務める。太田によれば「うちの客は厳しい」ので一番緊張する場所で、以後30年続くことになる。
太田光太田プロ辞めた後、タイタンを作って、社長(妻の太田光代さん)が「タイタンで定期的にライブをやりましょう」と言ったのがきっかけでした。最初の出演者は3組だけだったな。 出典
レギュラーを重ね、司会の顔に
平成9〜
TBSラジオ『爆笑問題カーボーイ』が始まる
TBSラジオで始まった2人のラジオ番組で、以後も続く番組になる。同年2月には歴史や時事問題を漫才形式で書いた『爆笑問題の日本原論』(宝島社)を刊行し、以後シリーズ化した。爆笑問題名義だが執筆はほとんど太田1人で、田中は「名前貸しみたいなもんです」と話す。『笑っていいとも!』への出演も多くなっていった。
第15回浅草芸能大賞で新人賞を受賞
前年1998年の国立演芸場花形演芸会金賞とゴールデン・アロー賞芸能賞、翌2000年の笑芸人大賞銀賞(金賞はビートたけし)と、賞が続いた時期にあたる。
『笑っていいとも!』の水曜レギュラーに正式加入
1997年頃から出演が増えていたフジテレビ『森田一義アワー 笑っていいとも!』に、4月から水曜レギュラーとして正式に加入し、水曜レギュラー陣のリーダーを務めた。2012年4月のレギュラー陣の変動で田中が月曜日に移り、レギュラー13年目で初めて別々の曜日に出ることになる。出演は番組が終わる2014年3月まで続いた。
— TBS『サンデージャポン』の総合司会に就任
日曜の情報番組で総合司会に就き、以後も続く現在の代表番組になった。2000年代からは司会・MCが仕事の主軸となり、テレビ・ラジオのレギュラーを多数抱える。太田は、独立で仕事が無くなった経験から「なんでもやりたい」と余計なこだわりを捨てたといい、情報・教養・クイズ・音楽・政治と幅広いジャンルの番組に露出していく。
冠番組『爆笑問題のバク天!』が始まり、共演する若手が次々にブレイク
TBSで始まった冠番組からは友近やアンガールズ、レイザーラモンHGがブレークした。2005年10月からはテレビ朝日『爆笑問題の検索ちゃん』、2007年4月からはNHK総合『爆笑問題のニッポンの教養』のMCも務めている。2007年には太田がゆうもあ大賞を受賞した。
芸術選奨文部科学大臣賞(放送部門)を受賞、バラエティーから史上初
2005年度の芸術選奨文部科学大臣賞に選ばれ、3月15日に東京都港区で記者会見を開いた。放送部門のバラエティージャンルからは史上初の受賞で、理由は「タモリ、たけし、さんま、所の存在が圧倒的な中、10年以上もポジションを得て常に成長しながら抜群の安定感を見せている」というものだった。受賞発表の直前に急逝した演出家・久世光彦の強い推薦によるものとされ、2005年12月に2人が進行する『爆笑問題のススメ』へ久世がゲスト出演したことがきっかけと伝えられる。
結成20周年、TBSラジオ『爆笑問題の日曜サンデー』が始まる
日曜のラジオ番組『爆笑問題の日曜サンデー』がこの日に始まり、『カーボーイ』と並ぶもう一本の生放送になった。結成20周年にあたり、6月25日・26日にはテレビ朝日で「爆笑問題結成20周年記念 2夜連続特別企画」として『クイズ雑学王』『爆笑問題の検索ちゃん』の2時間特番が放送された。母校からは第2回日藝賞も贈られている。2009年10月からは、「タイタンライブ」を全国のTOHOシネマズ系映画館へ同時生中継する「爆笑問題 with タイタンシネマライブ」も始まった。
ベテランの漫才師として
平成22〜
田中がタレントの山口もえと結婚
田中がMCを務める『サンデージャポン』に生出演し、同日に入籍したことを番組冒頭で報告した。プロポーズは前年の夏、山口の自宅で子どもたちが寝た後に「結婚しよう」と伝えたという。田中は2009年に離婚しており、山口には前夫との間に長女と長男がいる。
田中裕二きょう、山口もえさんと結婚しました 出典
結成30周年記念の単独ライブ「O2-T1」を全編コントで開催
8月30日から9月1日までの3日間、東京・EX THEATER ROPPONGIで開いた単独ライブは、漫才を一切やらず太田の脚本による5本のコント(「数字男」「二人の兵士」「医者と患者」など)だけで構成し、2時間を超える公演になった。同年9月には結成30周年記念として『時事漫才 爆笑問題の日本原論』も刊行されている。
太田光やっぱり、コントは楽しいですね。また、30年後に 出典
第57回ギャラクシー賞ラジオ部門DJパーソナリティー賞、浅草芸能大賞奨励賞を受賞
放送批評懇談会が6月1日に発表したギャラクシー賞では、『爆笑問題カーボーイ』『爆笑問題の日曜サンデー』を長年ほぼ休むことなく続け、radikoで全国の番組を聴いて各地のパーソナリティーと交流を深めた点が評価された。同年、第37回浅草芸能大賞の奨励賞も受けている。
還暦を越えて、漫才の向こう側へ
令和3〜
田中がくも膜下出血・脳梗塞で緊急入院、約1か月で復帰
1月19日深夜に自宅で頭痛を訴え、20日午前2時ごろ都内の病院へ救急搬送された。前大脳動脈解離によるくも膜下出血・脳梗塞と診断されたが手術の必要はなく、27日に退院。2月21日の『サンデージャポン』に総合司会として生出演し、約1か月ぶりに仕事に復帰した。
公式YouTubeチャンネル「テレビの話」を開設
漫才ではなくコントで時事問題を扱うチャンネルで、太田がワイドショーのディレクター、田中が局のプロデューサーという設定。日本エレキテル連合やウエストランド井口のほか、社長の太田光代も出演者に名を連ねた。
太田が11年ぶりの長編小説『笑って人類!』を刊行
『マボロシの鳥』『文明の子』に続く書き下ろし長編で、東京・紀伊國屋書店新宿本店で刊行記者会見を開いた。最初は映画を作ろうとシナリオとして書き始めたものだと明かしている。
『お笑いの日2025』で太田が明石家さんまと漫才コンビ「古希還暦」を結成
TBS系の生放送で第1部のトリに登場し、センターマイクの前でさんまと太田が漫才を披露した。タモリ、ビートたけしとも漫才をしている太田は、お笑いBIG3全員と漫才をした唯一の芸人になった。田中は後に「僕は見てて、さんまさんが一生懸命、軌道修正してくれて。見てて泣きそうになって。」と語っている。
第42回浅草芸能大賞の大賞に選ばれる
1999年の新人賞、2020年の奨励賞に続く受賞となった。漫才師で大賞に選ばれたのは2023年のナイツ以来。授賞式は2026年3月14日に東京・浅草公会堂で受賞者記念公演と併せて開かれた。
『爆笑問題のツーショット』で自己最長1時間57分の漫才
第21弾となる恒例の漫才ライブ「爆笑問題のツーショット」の2025年度版で、過去最長の1時間57分にわたる時事ネタ漫才を披露した。後半は太田が58分の一人コントを展開し、声を枯らした。2人が還暦を迎えた年だった。
太田光まさか還暦を迎えるとは思わなかった。驚いちゃってね、還暦迎えてこんな漫才やってていいのかなって 出典
「タイタンライブ」30周年記念公演をLINE CUBE SHIBUYAで2日間開催
1996年2月から2か月に一度、新ネタ漫才を披露してきた「タイタンライブ」が30周年を迎え、2月6日・7日に東京・LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)で記念公演を開いた。映画館へ同時生中継する「爆笑問題 with タイタンシネマライブ」も99回目・100回目にあたる。会場チケットは完売し、生中継はTOHOシネマズなど全国26館で上映された。ウエストランドらタイタンの後輩に加え、他事務所のゲストも出演している。
太田光そろそろ新しいステージに行きたいですよ。漫才の向こう側に。何にも発見できてない感じがするんだよね。 出典
結成38年、テレビとラジオのレギュラーを続ける
『サンデージャポン』『爆笑問題カーボーイ』『爆笑問題の日曜サンデー』はいずれも続いている。5月31日の『笑点60周年スペシャル』では演芸コーナーに約27年ぶりに出演し、新作漫才を披露した。太田は8月19日放送のNHK連続テレビ小説『風、薫る』第103回に、長屋に暮らす身寄りのない男・遠藤平蔵として登場し、朝ドラ初出演を果たした。11月20日には第22弾となる撮り下ろし漫才「爆笑問題のツーショット」2026年度版のライブを、東京・セシオン杉並ホールで開く。
太田光若い頃『おしん』の泉ピン子さんを見て、いつか朝ドラに出たいと思い、その為に漫才師になりました。ようやく念願が叶ってうれしいです 出典