結成、太田プロからの独立
昭和63〜
— 日本大学芸術学部で出会った2人がコンビを結成
渡辺正行主催のラ・ママ新人コント大会でデビューし、その場で太田プロダクションにスカウトされた。同年7月にはテレビデビューも果たし、この結成・デビューがコンビとしての芸能活動の出発点となった。
太田プロダクションから独立、「スパイシーフルーツ」へ移籍
一方的な独立だったため、一時的に仕事が激減した。移籍先の事務所「スパイシーフルーツ」を経て、1993年に自らの事務所を設立する。
森田芳光プロデュースのオムニバス映画に出演・監督
「バカヤロー!4 YOU! お前のことだよ」の第一話「泊ったら最後」で太田光が映画初監督を務め、田中裕二はその話に俳優として出演した。
低迷期、オムニバスドラマへの出演で活動を継続
力関係のないNHK・テレビ東京の番組が中心だった時期、フジテレビのオムニバスドラマ「悪いこと」では太田が脚本・出演、田中も出演し、下積みの苦しい時期を乗り越えた。
タイタン設立、再ブレイク
平成5〜
— 自らの事務所「タイタン」を設立
社長には太田の妻・太田光代が就任。同年、NHK新人演芸大賞を受賞し、これが低迷期を脱して再ブレイクへ向かう起点となった。
「GAHAHAキング 爆笑王決定戦」で初代チャンピオンに
10週勝ち抜きを果たし、再ブレイクのきっかけとなった。同年、太田光は日本映画プロフェッショナル大賞・新人奨励賞も受賞している。
国民的コンビへ
平成9〜
「森田一義アワー 笑っていいとも!」などのレギュラーで国民的な知名度に
数々のバラエティ番組でレギュラーを務め、お笑い界を代表するコンビとなった。
— 「サンデージャポン」の総合司会に就任
TBSの情報番組として現在も続く、長寿レギュラー番組となり、総合司会として長年の顔を務めることで知名度と地位を確立した。
— 芸術選奨文部科学大臣賞(放送部門)を受賞
バラエティ番組での活躍としては史上初の受賞。タモリ・たけし・さんま・所ジョージら大物が並ぶ中、10年以上にわたり成長を続けてきたことが評価された。
太田光がゆうもあ大賞を受賞
翌2008年には出身校・日本大学芸術学部の「日藝賞」も受賞し、母校からもその活躍が評価された。
ベテランとして、そして現在
平成21〜
NHK Eテレ「2355」が始まる
田中が出演、太田がナレーションを担当するコーナーが長く続いた。同年6月20日には朝版「0655」も始まった。
喜劇人大賞特別賞を受賞
お笑い界の重鎮としての評価を確立していった。
結成30周年記念単独ライブ「O2-T1」を開催
約20年ぶりの単独ライブで、漫才ではなく超長尺のコント5本立てで構成された。全公演即日完売となった。
ギャラクシー賞ラジオ部門DJパーソナリティ賞、浅草芸能大賞奨励賞を受賞
長年のラジオ・寄席活動が改めて評価された。
田中裕二がくも膜下出血・脳梗塞で入院
1月19日深夜に体調不良を訴え、20日未明に緊急搬送・入院。前大脳動脈解離によるくも膜下出血・脳梗塞と診断されたが、27日に退院し、2月21日には「サンデージャポン」で仕事に復帰した。
浅草芸能大賞 大賞を受賞
1999年の新人賞、2020年の奨励賞に続く3部門完全制覇。漫才師としての大賞受賞は2023年のナイツ以来だった。
漫才ライブ「タイタンライブ」が30周年
2か月に1度新ネタの漫才を披露するライブシリーズが30周年を迎え、LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)で記念公演が開催された。長年にわたり漫才師としての活動を続けてきた集大成といえる節目となった。