目次
枚方のパンサーズジュニアから洛南の頂点へ
平成12〜
大阪府枚方市に生まれる
小学3年生で「何かスポーツがしたい」と思い始めたころ、家の近くにあったパナソニックパンサーズの下部組織「パンサーズジュニア」に入り、バレーボールを始める。地元の中宮中学校に進んでからも、パンサーズジュニアで続けた。
京都の洛南高校に進学
本人は「勉強もバレーも本気で打ち込める高校を選びました」と語る。洛南の細田哲也監督によれば、決め手は体育祭や文化祭がおもしろいという話だったという。監督は中学生の大塚を、パンサーズジュニアの合同練習で「ほんまに中学生? すごく好青年やな」と感じていた。
U-19日本代表でアジアユース金、世界ユース銅
ユース日本代表として、早稲田大の先輩となる宮浦健人とともにアジアユース選手権で金メダル、世界ユース選手権で銅メダルを獲得した。
2年生で春高バレー準優勝
2年生で臨んだ全日本高等学校選手権大会(春高バレー)で準優勝。その府予選決勝の東山戦は第2セットを41-43で落とす激戦で、細田監督は「最後は彼が全部決めて。あのあたりから男らしさが見えてきました」と振り返る。
春高バレーで優勝、大会MVPに
第71回春高バレーで洛南が全5戦ストレートで優勝する。決勝で両軍最多の25得点を挙げたエースが、最優秀選手賞に選ばれた。同じ2019年、早稲田大学スポーツ科学部に進んでいる。
東京五輪の12人、そして大学生Vリーガー
令和2〜
大学2年で日本代表に初選出
大学2年の年にシニアの日本代表に選ばれる。2019年のワールドカップをテレビで見ていた本人は、一緒にやれるチャンスが来たことに「驚きでした」と話す。ただ新型コロナウイルスの影響で、この年の国際大会は中止・延期となった。入学時から体重は10kg近く増え、12月には全日本インカレ4連覇の中心メンバーとなった。
東京オリンピックの代表12人に選ばれる
イタリアで開かれたネーションズリーグでは本来のポジションではないオポジットもこなし、6月21日に発表された東京五輪の出場内定選手12名に入った。男子バレーで早大の学生が五輪代表に内定したのは初めて。本番の出番はイタリア戦の途中出場1試合のみで、日本は7位。その後のアジア選手権にも出場し、準優勝した。
本人大会を通して出場機会が少なかった悔しさもありますが、だからこそ、『ここで終わりじゃない。パリ五輪に向けてもう一度頑張ろう』と思うことができました 出典
— 現役大学生のままパナソニックパンサーズに加入
大学3年の全日本インカレを終えたあと、早稲田に籍を置いたままパナソニックパンサーズへの加入が発表される。大学4年の内定選手以外の現役大学生が加わるのは、チームとして初めての取り組みだった。1月8日のFC東京戦でVリーグデビューし、2得点。8勝6敗のチームで6度VOM(試合のMVP)に選ばれ、ファイナルステージ進出に貢献した。サントリーの山村宏太監督は「若くしてチームの中心になれる選手」と評した。
本人東京2020オリンピックに出場して以降、高いレベルでバレーボールがしたい気持ちが強くなり、今回、パンサーズへの加入を実現することができました 出典
最優秀新人賞を受け、大学に戻る
2021-22シーズンの最優秀新人賞を受賞。アタック決定率55.6%は規定試合数未満ながら外国人選手を含めてトップだった。V1終了とともにいったん退団して早稲田に戻り、この年は日本代表でネーションズリーグと世界選手権に出場した。
改めてパナソニックの選手としてV1へ
2022-23シーズンはパナソニックに内定し、全日本インカレが終わるまで早稲田でプレーしてから、1月にパナソニックの選手としてV1に出る。このシーズンはV1男子のベスト6に選ばれた。早稲田大学スポーツ科学部は2023年に卒業している。
ネーションズリーグで46年ぶりのメダル
ネーションズリーグで日本は予選ラウンドを2位で通過し、7月20日からのファイナルラウンドに進む。その出場メンバーに入った。準決勝でポーランドに敗れたあと、3位決定戦でイタリアを3-1で破って銅メダルを獲得。日本の世界大会でのメダルは1977年以来46年ぶりだった。
パリ五輪予選の最終戦で先発
パリ五輪予選で、日本は最終戦の前日に五輪行きを決める。そのアメリカ戦では先発メンバーが入れ替わり、コートに立った(フルセットで惜敗)。同じアウトサイドヒッターの髙橋藍は、タイムアウトのたびに声をかけてくれる存在として大塚の名を挙げていた。
本人パリ・オリンピックには12名しか行けないわけですし、今日はそのサバイバルの場だと思ってプレーしました 出典
パリ五輪とミラノ移籍
令和6〜
セリエAのパワーバレー・ミラノへの移籍が発表される
8月末でパナソニックを退団し、ミラノに入団することが発表される。海外移籍を意識したのは東京五輪から。ただ大学では教員資格の授業があり、在籍しながらイタリアへ行くのは無理だった。パンサーズのティリ監督からは「日本で頑張って、パリオリンピックでしっかりとアピールしてから海外挑戦しても遅くないんじゃないか?」と言われていた。ミラノからのオファーは2月で、他チームの話もあったなかで最も惹かれたのがミラノだった。
ネーションズリーグで銀メダル
パリ五輪に先立って開かれたネーションズリーグでは、故障した髙橋藍に代わって出場し、日本の銀メダル獲得に貢献した。
本人VNLは自分の力で獲った銀メダルという気持ちが大きかったです 出典
パリ五輪のアメリカ戦、第3セットから流れを作る
2度目の五輪。予選リーグ最終戦のアメリカ戦で、日本は0-2と追い込まれる。第3セットに石川祐希に代わって先発した大塚が4得点を挙げ、日本はこのセットを取った。試合は1-3で落としたが、日本はセット率で準々決勝に進む。この試合6得点の大塚を、バレーボール・ワールドの公式Xは「ゲームチェンジャー」と称賛した。
ミラノに到着し、イタリアでの生活を始める
ミラノに着いたその日の午前から練習に顔を出す。チームメートとは英語で話し、日本でのプレー経験があるカジスキは日本語で助けてくれた。イタリア語は練習中に単語を聞いてはノートに書き留めて覚えていった。
本人毎日が本当に濃くて、楽しくて。一足先にイタリア入りしている垂水選手とも連絡を取り合っているし、予想に反してホームシックはほとんどありません 出典
セリエAで初得点
シーズン序盤は腹部を痛めて出遅れる。日本時間10月28日にスパイカー登録され、11月10日のグロッタッツォリーナ戦でセリエA初得点を挙げた。
ミラノでの2シーズン、ロス五輪の切符まで
令和7〜
吉本興業とマネジメント契約
バレーボールに集中できる環境づくりと、オフシーズンのメディア出演やSNS発信の支援を目的に、吉本興業とマネジメント契約を結ぶ。前年には地元・枚方市のPR大使にも就いていた。
セリエAの5位決定戦を終え、古巣でACLへ
日本時間5月11日(現地10日)、ミラノはプレーオフ5位決定戦の決勝でモデナを破り、翌季のCEVチャレンジカップ出場権を得る。先発した大塚はそのまま帰国し、ミラノと大阪ブルテオン(旧パナソニック)の契約成立を受け、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)に準々決勝から古巣の一員として出場した。背番号は51。
右肘の手術を経て、世界選手権のメンバーに
7月上旬に右肘関節の手術を受け、日本代表を離れる。9月2日・3日のブルガリアとの壮行試合のメンバーで代表に戻り、背番号5をつけた。続いてフィリピンで開かれた世界選手権のメンバーにも入ったが、日本は23位に終わった。
ミラノでCEVチャレンジカップ優勝
欧州の各クラブが参加するCEVチャレンジカップで、ミラノが優勝した。イタリア2シーズン目は先発で起用される機会が増える。ベテランが抜けたチームで、本人は「年齢に関係なく、2年目の選手としてチームを引っ張っていきたい」と臨んだ。2025年12月末に腹筋を痛めて約2ヵ月離れたが、リーグ戦93セットに出て251得点。
地元・枚方でファンミーティング
枚方市総合文化芸術センターで「大塚達宣SUPPORTERS MEETING 2026」を開く。同じ枚方出身のCOWCOWをゲストに迎え、コラボコントも披露した。
ネーションズリーグの大阪での試合で、チーム最多18得点
ネーションズリーグの大阪での試合で、第2セット途中から髙橋藍に代わって入り、チーム最多18得点で逆転勝利を呼び込む。日本は1次リーグを12戦全勝で首位通過したが、準決勝で米国に敗れ、8月2日の3位決定戦もスロベニアに1-3で落としてメダルには届かなかった。
本人アタックが決まった・決まらなかったで一喜一憂するのではなく、気持ちの面でもしぶとく、しつこく、常に『強く・長く』打ち続けることができたのはよかったと思います 出典
アジア選手権で優勝、ロサンゼルス五輪の出場権を得る
北九州で開かれたアジア選手権で途中出場を中心に戦い、サービスエースで悪い流れを断ち切っている。9月13日の決勝では日本がイランを3-0で破って優勝し、2028年ロサンゼルス五輪の出場権を得た。開催国枠を除き、五輪の前年を待たずに出場権を得たのは54年ぶり。
本人パッと見の立場では、“スタートじゃないアウトサイドヒッター”のままかもしれないですけど、自分の中では全然違う 出典
ミラノで3シーズン目へ
ミラノではピアッツァ監督が退任し、ファラスカ監督のもとで3シーズン目に入る。日本代表での出場機会について、本人はアジア選手権のあと「試合に出る機会が増えればもっと自信がつくと思うし、それをつかみたい」と話している。