★ STAR TIMELINE

さとう よしの

佐藤 淑乃

SVリーグの新人王を取り、世界選手権では34得点を挙げた。次はイタリア・セリエAに挑む。バレーボールは、千葉で姉を追って始めた。

平成13年生まれ ・ 千葉県千葉市出身 ・ 2001– ・ 満24歳

所属ヴェロ・バレー・ミラノ(イタリア) / ポジションアウトサイドヒッター / 身長178cm / 主要所属クラブNECレッドロケッツ川崎→ヴェロ・バレー・ミラノ / 学歴敬愛学園高等学校→筑波大学

近況
2026(令和8)満24歳

代表シーズンを終え、10月からセリエAへ

インスタグラムで代表シーズンを振り返り、厳しい声は真摯に受け止める一方、選手を否定する言葉や必要以上に傷つけるメッセージも多く届いたと明かした。9月26日には東京・五反田で初のファンミーティングを開くと発表している。10月からはイタリア1部リーグでプレーする。

2001(平成13) 千葉県千葉市に生まれる2008(平成20) 姉に続いて小学1年でバレーボールを始めるバレーを始める2017(平成29) 千葉の敬愛学園高校に進学2020(令和2) 筑波大学に進学、2年生から試合に出る2022(令和4) 大学3年で日本代表に初選出、ネーションズリーグで9得点代表初選出2022(令和4) 初の世界選手権、リリーフサーバーでミスが続く2023(令和5) ユニバーシアードで銀メダル2023(令和5) 全日本インカレで4年ぶりの優勝日本一2023(令和5) NECレッドロケッツの内定選手に2024(令和6) 筑波大学を卒業し、NECレッドロケッツ川崎に入団2024(令和6) 新しいSVリーグから、古賀紗理那の背番号2を引き継ぐと発表2024(令和6) アジアクラブ選手権で優勝、大会MVPに2024(令和6) 世界クラブ選手権でイタリアの強豪と対戦2025(令和7) ルーキーで日本人最多の895得点、最優秀新人賞2025(令和7) 地元・千葉開催を含むネーションズリーグで4位2025(令和7) 世界選手権3位決定戦で34得点、ミラノが獲得を即決34得点2025(令和7) 皇后杯決勝で大阪マーヴェラスに逆転負け2026(令和8) ミズノとブランドアンバサダー契約2026(令和8) NEC川崎がレギュラーシーズン1位に2026(令和8) イタリア・セリエAのヴェロ・バレー・ミラノへの移籍が決まるセリエAへ2026(令和8) ポニーキャニオンと専属マネジメント契約2026(令和8) チャンピオンシップ準決勝で大阪マーヴェラスに敗れる2026(令和8) アジアチャンピオンズリーグで優勝、大会MVPに2026(令和8) SVリーグのレギュラーシーズンMVPに2026(令和8) ネーションズリーグは決勝ラウンド初戦で敗退、ミラノでの背番号は5に2026(令和8) アジア選手権で銅メダル2026(令和8) アジア大会で銀メダル、決勝でチーム最多の14得点2026(令和8) 代表シーズンを終え、10月からセリエAへ平成令和
誕生 2001現在
佐藤淑乃は、ママさんバレーをしていた母のもと、2歳上の姉に続いて小学1年でバレーボールを始めた。高校まではアンダーカテゴリーの日本代表に選ばれたことがなく、初めての代表は筑波大学3年のとき。その年の世界選手権ではリリーフサーバーとしてミスが続き、試合の後に泣いた。NECレッドロケッツ川崎に入った1年目はSVリーグで日本人トップの895得点を挙げ、最優秀新人賞に選ばれる。2025年の世界選手権3位決定戦ではチーム最多の34得点。スタンドで見ていたイタリアのヴェロ・バレー・ミラノの首脳陣が試合直後に獲得へ動き、2026-27シーズンからセリエAでプレーする。

同世代2025年、同い年の高橋 文哉は、『あんぱん』で連続テレビ小説に初出演 →

歩み

千葉で、姉を追って

平成13〜

平成
2001平成1311月12日
満0歳

千葉県千葉市に生まれる

千葉県千葉市生まれ。母の祥子さんはママさんバレーの経験者。2歳上の姉・彩乃ものちにバレーボール選手となり、アリーザ愛知(旧クインシーズ刈谷)でプレーしている。

2008平成20
満6歳原点

姉に続いて小学1年でバレーボールを始める

小学1年のとき、地元のクラブチームに入った姉・彩乃に続いて競技を始める。母は、全国の強豪クラブに入った姉妹を支えた。

本人ママさんバレーをやっていた母の影響で、自然と興味を持つようになりました。でも最初にやりたいと言い出したのは2つ上の姉です。姉が地元のクラブチームに入ったのを機に、私も気づいたらバレーを始めていました。 出典

2017平成29
満15歳

千葉の敬愛学園高校に進学

千葉市立松ケ丘中学校から、地元・千葉の敬愛学園高校へ進む。

筑波大学、初めての日本代表

令和2〜

令和 2019
2020令和2
満18歳

筑波大学に進学、2年生から試合に出る

リーグ戦を観に行った時に筑波の選手たちのオーラに圧倒され、ここでプレーするのは面白そうだと感じて筑波大学を選んだ。2年生から試合に出るようになり、2年次の2021年には秋季関東リーグで優勝。ただ3年生までは思うような結果を残せなかったと振り返っている。

2022令和43月
満20歳代表初選出

大学3年で日本代表に初選出、ネーションズリーグで9得点

大学3年で女子日本代表の登録メンバーに選ばれる。高校まではアンダーカテゴリーの代表経験が無く、これが初めての日本代表だった。合宿では当時最年少。ネーションズリーグは予選ラウンド初戦の韓国戦で先発し、ファイナルラウンドの14人にも入って、準々決勝の東京五輪銀メダル・ブラジル戦で9得点を挙げた。

2022令和49月
満20歳

初の世界選手権、リリーフサーバーでミスが続く

世界選手権のメンバーに選ばれる。与えられた役割はリリーフサーバー。大会前半は相手を崩せずミスが続き、2戦目のチェコ戦の後には悔しさで泣いた。当時の主将・古賀紗理那からは「ミスを怖がって打つよりも、思いきって打ってくれたほうがチームに勢いがつく」と声をかけられた。

本人全然ダメだ、と思ってしまって。もともと私、すごくネガティブなのでうまくいかないと落ち込むタイプなんですけど 出典

2023令和58月6日
満21歳

ユニバーシアードで銀メダル

FISUワールドユニバーシティゲームズ(成都)では、8月6日の決勝で開催国の中国に敗れて銀メダル。佐藤は16得点を挙げた。この年のシニア代表は最初のメンバーには選ばれたものの、合宿ですぐに外れた。

2023令和512月3日
満22歳

全日本インカレで4年ぶりの優勝

4年次は春季・秋季の関東リーグを制し、全日本インカレでも筑波大学に4年ぶりの優勝をもたらす。本人にとって「人生で初めて」の日本一だった。代表から外れたことやユニバーシアードでの敗戦などの悔しい経験に加え、大学の先生とよく話すようになったことで、自分の考え方やバレーへの姿勢を見つめ直せたと語っている。

2023令和512月4日
満22歳プロ入り

NECレッドロケッツの内定選手に

NECレッドロケッツが2024年度の内定選手として発表した。代表で活躍する選手の多さを決め手に選び、すぐには試合に出られないことも覚悟していたという。内定選手のままV1女子の試合に出てVリーグにデビューし、このシーズンのNECの優勝を経験した。

本人他のチームと比べて選手の世代も幅広く、代表で活躍している方々の多さが決め手になりました。 出典

NECのエースとして

令和6〜

2024令和6春
満22歳

筑波大学を卒業し、NECレッドロケッツ川崎に入団

大学を卒業し、NECレッドロケッツ川崎でプロ生活を始める。同じチームの古賀紗理那からは、ブロックで相手と駆け引きするための「目を切るタイミング」を教わった。

2024令和68月5日
満22歳

新しいSVリーグから、古賀紗理那の背番号2を引き継ぐと発表

NECレッドロケッツ川崎が、新しく始まる大同生命SVリーグから佐藤の背番号を22から2に変更すると発表。パリ五輪を最後に現役を引退した古賀紗理那の番号を引き継いだ。

2024令和69月29日
満22歳

アジアクラブ選手権で優勝、大会MVPに

タイで開かれたアジア女子クラブ選手権で、NECは準決勝のナコーンラーチャシーマ戦をフルセットで制し、9月29日の決勝に勝って全勝で優勝した。佐藤は大会MVPに選ばれる。この優勝で、NECは12月に中国で開かれる世界クラブ選手権への出場権を得た。

2024令和612月
満23歳

世界クラブ選手権でイタリアの強豪と対戦

中国での世界クラブ選手権で、イタリアのイモコ・コネリアーノに0-3で敗れる。相手には、佐藤が「憧れ」と語るブラジルのエース、ガビがいた。

本人1年目の時に世界クラブに行かせてもらって、その経験がターニングポイントになるほど刺激をもらいました。 出典

2025令和75月
満23歳新人賞

— ルーキーで日本人最多の895得点、最優秀新人賞

1年目のSVリーグのレギュラーシーズンで895得点を挙げる。全体3位、日本人ではトップの数字だった。チャンピオンシップ決勝は大阪マーヴェラスに2連敗して準優勝に終わったが、5月3日の第2戦の15得点は両チームを通じて最多。同じ月、最優秀新人賞とベスト6(アウトサイドヒッター)に選ばれた。2025年は日本代表でも中心メンバーとなった。

本人でも、NECに入って自分が想像した以上にいろいろな経験をして、成長することができたのかなと思っています 出典

2025令和77月
満23歳

地元・千葉開催を含むネーションズリーグで4位

出身地の千葉市でも試合が組まれたネーションズリーグを前に、「攻撃で日本は世界に劣る。その突破口として貢献したい」と誓った。大会は4位。メダルを目前に勝ちきれなかった悔しさを口にしながらも、「サーブは世界に通用する武器にできた」と手ごたえを示した。

2025令和79月7日
満23歳転機

— 世界選手権3位決定戦で34得点、ミラノが獲得を即決

タイ・バンコクでの世界選手権3位決定戦で、日本はブラジルに2-3で敗れ、2010年大会以来の銅メダルに一歩届かなかった。佐藤はアタック29点、ブロック2点、サービスエース3点のチーム最多34得点。スタンドではイタリア・セリエAのヴェロ・バレー・ミラノの会長とスポーツディレクターが見ており、試合終了直後に佐藤の代理人へ連絡を取った。その後の話し合いを経て、契約合意に至る。

本人最後の集大成という気持ちだった。100%すべて出そうとコートに入った 出典

2025令和712月21日
満24歳

皇后杯決勝で大阪マーヴェラスに逆転負け

皇后杯決勝で大阪マーヴェラスにフルセットの末、2-3で敗れる。第5セットは14-11とマッチポイントを握ってからの逆転だった。チームはこの後、最後の場面の映像を全員で見返した。

2026令和82月18日
満24歳

ミズノとブランドアンバサダー契約

ミズノとブランドアンバサダー契約を結び、バレーボールシューズ「ウエーブモーメンタムエリート」を着用する。用具の改良や開発への助言、宣伝・広報活動にも協力する。

2026令和83月
満24歳

NEC川崎がレギュラーシーズン1位に

最終第22節を残して、NEC川崎のレギュラーシーズン優勝が決まる。佐藤はエースとして40試合でベンチ入りし、633得点を挙げた。

セリエAへ

令和8〜

2026令和83月30日
満24歳海外移籍

イタリア・セリエAのヴェロ・バレー・ミラノへの移籍が決まる

NEC川崎が、来シーズンからのヴェロ・バレー・ミラノへの移籍を発表した。同じNECの和田由紀子もブスト・アルシーツィオへ移る。同日、ミラノも2026-27シーズンからの加入を発表した。ミラノでは2024-25シーズンに日本代表リベロの福留慧美もプレーしていた。

本人自分のバレーボール人生の中の1つの目標である「海外挑戦」を出来ることをとても楽しみにしています。 出典

2026令和84月1日
満24歳

ポニーキャニオンと専属マネジメント契約

ポニーキャニオンと専属マネジメント契約を結ぶ。競技に集中できる環境づくりをしながら、オフシーズンを中心にメディア出演やSNS発信などを支える体制になった。

2026令和84月18日
満24歳

チャンピオンシップ準決勝で大阪マーヴェラスに敗れる

チャンピオンシップ準決勝で、昨季のファイナルと今季の皇后杯で敗れた大阪マーヴェラスと当たる。4月17日の第1戦に続き、18日の第2戦も0-3で落として敗退した。

2026令和84月30日
満24歳

アジアチャンピオンズリーグで優勝、大会MVPに

タイ・バンコクのアジアチャンピオンズリーグ女子で、NECは4月30日の決勝でナコーンラーチャシーマにストレート勝ちし、2年ぶり3回目の優勝を飾る。佐藤は15得点を挙げ、MVPとベストアウトサイドヒッターに選ばれた。NECは女子クラブ世界選手権への出場権も得て、佐藤は1年目に自分が経験した世界クラブの機会をチームに残せたと喜んだ。

2026令和85月
満24歳

SVリーグのレギュラーシーズンMVPに

2025-26シーズンのレギュラーシーズンMVPとベスト6(アウトサイドヒッター)に選ばれる。ベスト6は2年連続。MVPには「私がこのような賞をいただけると思っていなかった」と驚き、チーム全員が常に向上心を持って練習していたことが自分の成長につながったと話した。

2026令和87月
満24歳

ネーションズリーグは決勝ラウンド初戦で敗退、ミラノでの背番号は5に

ネーションズリーグ予選ラウンド最終戦のポーランド戦では、マッチポイントの直後に自らのサービスエースで決着をつけ、決勝ラウンド進出を決めてコートに座り込んで泣いた。決勝ラウンドは初戦でブラジルに1-3で敗れる。ミラノは佐藤の背番号を日本代表と同じ5と発表した。

2026令和88月30日
満24歳

アジア選手権で銅メダル

優勝すれば2028年ロサンゼルス五輪の出場権が得られるアジア選手権(中国・天津)は、準決勝でタイに敗れた。8月30日の3位決定戦でイランにストレート勝ちして銅メダル。五輪切符はタイが手にし、日本は2027年のワールドカップの出場権を得た。佐藤は試合の後、悔し涙を流した。

2026令和89月22日
満24歳

アジア大会で銀メダル、決勝でチーム最多の14得点

愛知・名古屋アジア大会の決勝で中国に0-3で敗れ、2大会連続の銀メダル。1978年バンコク大会以来、48年ぶりの金メダルには届かなかった。佐藤は決勝でチーム最多の14得点を挙げる。大会前の合宿では、チームのコミュニケーションの取り方が曖昧だと課題を口にしていた。

2026令和89月24日
満24歳近況

代表シーズンを終え、10月からセリエAへ

インスタグラムで代表シーズンを振り返り、厳しい声は真摯に受け止める一方、選手を否定する言葉や必要以上に傷つけるメッセージも多く届いたと明かした。9月26日には東京・五反田で初のファンミーティングを開くと発表している。10月からはイタリア1部リーグでプレーする。

本人今の自分に全く満足していませんし、必ず成長して帰ってきます 出典