生い立ちと渡米
平成9〜
大阪府大阪市中央区に生まれる
ハイチ共和国出身の父と日本人の母の次女として誕生。3歳の頃、ウィリアムズ姉妹に憧れた父と姉・大坂まりの影響でテニスを始め、テニス経験のない父の独自の指導のもと、近所の靱テニスセンターなどで練習に打ち込んだ。
家族でアメリカ合衆国へ移住
父方の祖父母がいるニューヨーク州ロングアイランドのエルモントに移り住む。育った環境から日本語はほとんど話せず、英語を主に使って育った。
フロリダ州ペンブロークパインズへ移住
家族でフロリダ州ペンブロークパインズへ移り、姉とともに公共のテニスコートで父の指導を受けながら腕を磨いた。
ITFサーキットでプロデビュー
プロツアー出場資格が得られる14歳になり、ジャマイカのモンテゴ・ベイ大会でデビュー。ジュニア大会には目を向けず、より厳しい環境を求めてツアー下部大会での経験を積む道を選んだ。同時期、全米テニス協会がほとんど関心を示さなかったことから、父の判断でテニス選手としての国籍に日本を選択した。
プロに転向
同年6月のITFエルパソ大会で準優勝するなど力をつけ、9月に正式にプロ転向した。
下積みから全米初制覇へ
平成26〜
バンク・オブ・ウェスト・クラシックでストーサーを撃破
6月に飛び級で高校を卒業し、テニスに専念する環境を整えたばかりだった。予選を初めて突破して本戦出場を果たすと、1回戦で2011年全米オープン女王のサマンサ・ストーサーを破り、無名の16歳が一躍脚光を浴びた。
全豪オープンでグランドスラム初出場
予選を突破して本戦初出場を果たし、2回戦で第18シードを破る勝利も収めた。この年、世界ランキングでトップ50入りを果たす。
サーシャ・バインをコーチに迎える
セリーナ・ウィリアムズらトップ選手を長年支えてきたヒッティングコーチと契約。この師弟関係が翌年からの飛躍を後押しすることになる。
BNPパリバ・オープンでツアー初優勝
インディアンウェルズで行われたプレミア・マンダトリー大会でキャリア初のツアータイトルを獲得し、世界的な強豪への仲間入りを印象づけた。
— 全米オープンで日本人史上初のグランドスラム制覇
決勝で憧れの存在だったセリーナ・ウィリアムズを6-2、6-4のストレートで破り優勝。第20シードの20歳が日本人史上初のグランドスラムシングルス制覇という歴史的快挙を成し遂げた。この優勝で世界ランキングは一気にトップ10入りを果たした。試合中の審判とセリーナの間のトラブルを発端に会場はブーイングに包まれ、表彰式ではセリーナが観客に静粛を呼びかける一幕もあったが、大坂は涙をこらえながら「こんな終わり方になってごめんなさい」と謝罪し、セリーナへの感謝と敬意を語った。
本人コートに立ったら、私は別人。セリーナのファンでなくなって、テニス選手になる。 出典
世界女王、そしてコート外の発信
令和1〜
— 全豪オープン初優勝、アジア人史上初の世界ランキング1位に
決勝でペトラ・クビトバを破り、グランドスラム初優勝からの連続優勝という18年ぶりの快挙を達成。1月28日付のランキングで男女を通じてアジア人史上初の世界ランキング1位に到達し、名実ともに世界の頂点に立った。
地元・東レパンパシフィックオープンで優勝
生まれ故郷の大阪を含む日本国内での開催大会で、3度目の出場にして初優勝を飾った。
黒人銃撃事件に抗議、マスクに犠牲者名を記して全米2度目の優勝
ウィスコンシン州での黒人銃撃事件に抗議する意を込め、ウエスタン・アンド・サザン・オープン準決勝の棄権を一時表明(大会側が日程を延期したため撤回)。続く全米オープンでは、勝ち進む7試合ごとに異なる犠牲者の名前を記したマスクを着用し続けて社会的議論を喚起しながら、2年ぶり2度目の優勝を果たした。アスリートの社会的発言のあり方に一石を投じた出来事として大きな注目を集めた。
全豪オープン2度目の優勝
決勝でジェニファー・ブレイディをストレートで下し、四大大会通算4勝目を挙げた。
心の健康への配慮を欠くと訴え、全仏オープンを途中棄権
5月27日、全仏オープン開幕直前に試合後の記者会見へ一切出席しないことをSNSで表明。5月30日には1回戦を勝利しながらも会見を拒否し罰金15,000ドルを科されたのち、5月31日に大会からの棄権を正式に表明した。アスリートのメンタルヘルスを巡る世界的な議論のきっかけとなった転機であり、他競技のトップ選手からも支持や理解の声が寄せられた。
東京オリンピック開会式で聖火の最終点火者に
聖火リレーの最終走者として聖火台に点火し、大会を象徴する存在となった。テニス競技本番では女子シングルス3回戦で敗退した。
全米オープン3回戦で敗退、無期限の休養を表明
レイラ・フェルナンデスに3回戦で敗れた直後、次に大会に出場する時期は分からないとして無期限の休養に入ることを表明した。
スキンケアブランド「KINLÒ」を立ち上げ
自身がCEOを務め、メラニン色素の濃い肌に向けた製品を展開するブランドとしてオンライン発売を開始した。
離脱、出産、そして復帰へ
令和4〜
不調と故障が相次ぎ、5年ぶりに無冠のシーズンに
前年に続く全豪オープン連覇はならず、3回戦で敗退。その後も各地の負傷が続発し、世界ランキングは42位まで後退。2017年以来5年ぶりに、年間を通じて優勝のないシーズンとなった。
第1子妊娠を発表
自身のSNSで妊娠を公表し、2024年1月の復帰を目標に掲げた。
長女シャイが誕生
パートナーのラッパー、コーデーとの間に第1子となる長女が誕生。約1年間ツアーを離脱したため、世界ランキングは一度消滅した。
産後復帰、ブリスベン国際で復帰戦
宣言通り2024年年始に復帰。8月には世界ランキングでトップ100に復帰するなど、着実に調子を取り戻していった。
産後初優勝、自身初のクレーコートでの優勝も達成
WTA125シリーズの大会で決勝までストレートで勝ち進み優勝。出産後初めての優勝であるとともに、キャリア初となるクレーコートでのタイトルでもあった。
— ウィンブルドンで世界1位サバレンカを撃破、自身初のベスト8へ
女子シングルス4回戦で第1シード・世界ランキング1位のアリーナ・サバレンカに6-2、7-6のストレートで勝利。世界ランク1位選手から6年9か月ぶりに金星を挙げ、自身初のウィンブルドン準々決勝進出を果たした。出産・休養を経ての本格復調を強く印象づけた一戦となった。
本人母がたくさん料理を作ってくれる。母の料理が私にパワーを与えてくれていると感じている。日本の料理をたくさん作ってくれる。 出典
準々決勝でムチョバに敗れる
第10シードのカロリナ・ムチョバに6-7、4-6で敗れ、1996年の伊達公子以来となる日本女子の4強進出はならなかった。
コート内外で第一線への復帰を目指し転戦を続ける
8月1日のムバダラDCオープン準決勝ではアレクサンドラ・イアラ(フィリピン)にストレートで敗れた一方、ウィンブルドンでの躍進を経て世界ランキングも上昇傾向にある。東京・有明で10月24日に開催される東レ パン パシフィック オープン2026への出場を表明しており、4年ぶりとなる古巣での凱旋出場が予定されている。