目次
ラグビー部の同級生、3年越しのコンビ結成
平成8〜
富澤が仙台のオーディション番組を勝ち抜く
富澤は高校卒業後、芸人を目指してアルバイトを続けた。仙台吉本への所属を目標に伊達を誘うが断られ、別の友人と「ゆやゆよん」を組む。1996年、仙台のテレビ局の芸人オーディション番組を10週勝ち抜いた。だが番組はまもなく打ち切りになり、仙台吉本も撤退する。
伊達が会社を辞め、2人で初舞台
富澤は、福祉用具の会社で働いていた伊達を3年にわたって口説き続けた。伊達は祖父の死をきっかけに会社を辞める決意をする。7月12日、同郷の先輩芸人ワッキー貝山が主催する仙台駅前のライブで、富澤の前のコンビ名「ゆやゆよん」のまま2人で初舞台を踏んだ。
伊達限りある人生、どうせなら好きな事をやらないと 出典
「親不孝」を結成して上京、改名を重ねる
富澤は貝山に、前に話していた相方をやっと口説けたので東京へ行くと告げ、9月にコンビ「親不孝」を結成して上京する。先に上京していた仙台の芸人仲間と同じホリプロの預かりになった。のちにフリーになると「銭と拳(かねとこぶし)」に改名。一度だけ「バイキング」の名で舞台に出たが、同じ名前の芸人(バイきんぐ)がいると言われて元に戻した。
トリオ「サンドウィッチマン」から浜田が抜け、2人に
「銭と拳」の後、ホリプロでの同期だった浜田ツトムを入れてトリオ「サンドウィッチマン」を結成した。当時は浜田がツッコミで、伊達と富澤は2人ともボケ。9月に浜田が抜けたが、コンビ名は元に戻さず「サンドウィッチマン」のまま続けた。
ja.wikipedia.org×2
『M-1グランプリ』に初めて出場
結成当初はコント専門だったが、お笑いコンビ・東京ダイナマイトの漫才を見て漫才も始めており、この年『M-1グランプリ』に初めて出場した。2人はアパートで同居し、アルバイトをしながらネタを作ってライブに出る日々だった。
勝負の年から、敗者復活の頂点へ
平成17〜
「勝負の年」に『エンタの神様』へ初登場
30歳になった2人は2005年を「勝負の年」と決め、アルバイトを減らし、生活費を借金でまかなって片っ端からライブに出た。そこでテレビ関係者の目に留まり、5月28日に日本テレビ『エンタの神様』に初登場する。ネタは「ピザのデリバリー」。収録ではウケすぎて客席の笑い声がピンマイクに入り、同じネタをもう一度演じて撮り直した。ボケとツッコミはネタごとに替えていたが、番組の五味一男に「伊達がツッコミで富澤がボケが一番見やすい」と助言され、今の形に決まる。2人はのちに、人生を変えてくれた人として五味の名を挙げている。
M-1は2年続けて準決勝で敗退
『M-1グランプリ』は2005年、2006年と2年続けて準決勝で敗れた。5月に新宿シアターモリエール、7月に仙台141で開いた単独ライブは満員になる。一方、福島の500人入るホールでのライブは、観客が4人だった。
『M-1グランプリ2007』で敗者復活から優勝
この年も準決勝で敗れ、準決勝敗退の数十組が集まる敗者復活戦に回った。会場は寒い大井競馬場の野外ステージ。勝ち上がった決勝のファーストラウンドでは、敗者復活戦と同じネタ「街頭アンケート」で、すでに最終決戦進出を決めていたトータルテンボスとキングコングを上回り、1位で最終決戦へ進む。最終決戦は「ピザのデリバリー」を演じ、審査員7人中4人の票を得た。敗者復活からの優勝は大会で初めてだった。富澤は「生活が一変しました」と語り、優勝後は数多くのレギュラー番組を持つようになる。
富澤夜の生中継の結果発表で僕らの名前が呼ばれて「ガチなんだ」と思いました 出典
宮城県の「みやぎ夢大使」に
村井嘉浩・宮城県知事から、みやぎ夢大使を委嘱される。1月26日には仙台のイトーヨーカドーでFMいずみのラジオ番組を公開収録し、2000人が集まった。9月には著書『敗者復活』を幻冬舎から出した。
『キングオブコント2009』で準優勝、初の全国ツアーへ
『M-1』との2冠を目指して『キングオブコント2009』に初めて出場し、決勝へ進む。ファーストステージは首位で折り返したが、セカンドステージで東京03に高得点を出されて準優勝に終わった。夏から秋にかけて初めての全国ツアーを開く。以後、新ネタだけで全国を回るツアーがコンビ活動の柱になった。
グレープカンパニーを立ち上げる
約5年所属したフラットファイヴを離れ、7月1日、担当マネージャーと現在の事務所グレープカンパニーを立ち上げる。フラットファイヴにいた芸人のほとんども一緒に移った。
気仙沼での被災と「東北魂」
平成23〜
気仙沼でのロケ中に東日本大震災に遭う
東北放送の番組『サンドのぼんやり〜ぬTV』のロケで、宮城県気仙沼市の気仙沼港の市場にいた時に地震が起きた。立っていられないほどの揺れの中で高台の安波山へ逃げ、津波を目の当たりにする。町は浸水したうえ火災で火の海になり、山を下りられなかった。2人はそれぞれの実家で家族の無事を確かめ、10時間かけて東京へ戻った。この後、毎年3月11日には気仙沼を訪れて14時46分に黙祷を捧げるようになった。ネタの中で使っていた「死ぬ」という言葉も、震災後は一切やめている。
富澤生きて帰ってこられたことは偶然じゃない。すごく気持ちが落ち込みますが、下ばっかり見ていても始まらない 出典
義援金口座「東北魂義援金」を開く
3月16日に都内で会見を開き、「東北魂」と名付けた義援金口座の開設と、4月9日のチャリティーライブを発表した。伊達は「今(できること)は募金しかない。笑いも届けたいが、今は違うなと思う」と説明。2人で1000万円を寄付する。5月27日には宮城県庁で、村井知事に義援金9000万円の小切手を手渡した。最初の義援金は青森から千葉までの6県に、合わせて2億9722万円余りを届けている。
伊達僕らの使命です 出典
初めて『オールナイトニッポン』を担当
以前から目標にしていたニッポン放送『オールナイトニッポン』のパーソナリティを、一日限りで初めて務めた。届いたメールは通常の約5倍の1万通で、半数は被災地からだった。
日本財団の「芸能人ベストサポート」に選ばれる
月に何度も被災地を訪れ、義援金を各県に届けてきた活動が評価され、日本財団の「被災地で活動した芸能人ベストサポート」に選ばれた。10月からは震災孤児・遺児の支援を目的に寄付を募り、宮城・福島・岩手の県庁に直接届けるようになった。
ロンドンで初の海外公演
全国ツアーの一環として、結成20周年目を記念したロンドン特別公演を開き、チケットは即日完売した。この年の3月までに、東北魂義援金の寄付は合わせて4億164万円を超えている。
好きな芸人の1位から、休養を経てラジオの生放送へ
平成30〜
「好きな芸人」で明石家さんまを抜いて1位
6月4日発売の『日経エンタテインメント!』の芸人ランキングで、「一番好きな芸人」の1位になった。過去14回の調査で1位だった明石家さんまを僅差で抜いたもので、前年は2位だった。誌面で伊達は「僕らがさんまさん抜いたらダメでしょ」、富澤は「事件ですね」とコメントしている。8月には、2008年の著書『敗者復活』を加筆修正して文庫化した『復活力』(幻冬舎)を出した。
『バナナサンド』『博士ちゃん』が始まる
4月にTBS『バナナサンド』、10月にテレビ朝日『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』のMCに就く。この年は、ピアニストの川上ミネと組んで初めてスペインで公演した。
ギャラクシー賞のテレビ部門個人賞を受ける
震災から10年の3月には、2人で福島第一原発の中に入り、NHK総合『サンドのお風呂いただきます』で廃炉作業の現状を伝えた。3月11日深夜には『オールナイトニッポン』を担当している。4月30日、2020年度の第58回ギャラクシー賞でテレビ部門の個人賞を受けることが発表された。贈賞の言葉は「好きな芸人ランキング」での3年連続1位と、震災以来の東北の支援に触れている。
テレビとラジオの冠番組がギャラクシー賞の選奨に
第60回ギャラクシー賞で、テレビ部門は『博士ちゃん』の新春3時間SP、ラジオ部門は2021年10月に始まったニッポン放送『サンドウィッチマン ザ・ラジオショーサタデー』が選奨に入った。
50歳を記念し、初のロサンゼルス単独公演
2人の50歳を記念した一夜限りのライブで、チケットは即完売した。会場にはアメリカ人の観客も多く、最新ネタと英語のショートコントを演じた。
サブスクサイト「サンドウィッチマン倶楽部」を開く
前年のツアーで開始を予告していたサイトで、過去のライブ映像や撮影の裏側を配信する。月額2200円のプレミアム会員には、ライブチケットの先行抽選も付く。
『ラジオ・チャリティ・ミュージックソン』のメインパーソナリティに
目の不自由な人のための「音の出る信号機」の募金を呼びかける、ニッポン放送の24時間特別番組で、12月24日正午から25日正午までのメインパーソナリティを初めて務めた。
伊達いつか「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」のパーソナリティをやりたいと思っていたので、とても嬉しいです。 出典
伊達が休養、ライブツアー2026は全公演中止
10月から12月に全国8都市12公演を回る「サンドウィッチマンライブツアー2026」を発表していた。伊達は8月22日の『ザ・ラジオショーサタデー』を体調不良で欠席。28日、事務所が脳梗塞と診断されたことを発表する。大事には至らず入院して治療を受け、当面は富澤が1人で活動することになった。ツアーは全公演が中止になる。ラジオでは、狩野英孝が伊達の助っ人として富澤と並んだ。
伊達が『ザ・ラジオショーサタデー』の生放送で復帰
番組の冒頭から出演し、「お待たせしました。どうも、帰ってきました!」と伝えた。脳梗塞の後遺症で、発音やろれつがうまく回らない構音障害がまだ残り、リハビリに通いながら少しずつ仕事に戻る。今後はロケにも出るといい、言葉がうまく出ていなければ指摘してほしいと富澤に頼んだ。
伊達言えない言葉もリハビリの先生と一緒に勉強して。まあ2月くらいには完璧にしゃべれるようになるんじゃないかと。それも全部さらけ出していこうかなと 出典