仙台の少年、氷の上へ
平成6〜
宮城県仙台市に生まれる
4歳上の姉がおり、2歳ごろから気管支喘息を患っていた。
4歳でスケートを始める
ほこりが少ない氷上は喘息の症状に良いとされ、スケートを習っていた姉についていったこともあって、コナミスポーツクラブ泉のリンク(現アイスリンク仙台)で元選手・佐野稔が開いていた子供向けスケート教室に入門したのが始まりだった。
全日本ノービス選手権で初優勝
Bクラスで初めて全国の頂点に立つ。同じ年の12月にはホームリンクの閉鎖に伴い、練習拠点を勝山スケーティングクラブに移した。
— ジュニアグランプリファイナルで史上最年少優勝、世界ジュニア選手権も制覇
14歳でジュニアグランプリファイナルの総合優勝を果たし、当時の最年少記録を樹立。年が明けた2010年3月の世界ジュニア選手権でも優勝し、ジュニアの主要タイトルを総なめにした。これにより中学生でのジュニア世界一という国内外で注目を集める存在となり、シニア移行後のエースとしての期待が高まった。翌4月には東北高校へ進学している。
震災を越えて、ソチの金メダルへ
平成22〜
— 東日本大震災で被災、避難所で4日間を過ごす
地震発生時はアイスリンク仙台で練習中だった。リンクは被災して営業を休止し、自宅も大きな被害を受けて避難所で4日間を過ごした。3月中に横浜のリンクで練習を再開し、4月からは青森県八戸市のリンクを仮拠点とするなど各地を転々としながら滑り続け、地元のアイスリンク仙台が営業を再開した7月24日に拠点を戻した。この経験は、のちのプロ転向後に手がけるアイスショー『notte stellata』の原点となる。
世界選手権で銅メダル、日本男子最年少記録
ニースで行われた世界選手権でシニア初のメダルとなる銅を獲得。17歳3か月での表彰台は当時の日本男子最年少記録だった。翌2012-13シーズンはグランプリファイナルで2位、世界選手権は4位に終わっている。
グランプリファイナルで初優勝
福岡大会で自身初のグランプリファイナル制覇。ソチ五輪シーズンを最良の状態で迎える足がかりとなった。
— ソチオリンピックで金メダル、アジア人男子初の五輪王者に
ショートプログラム首位から逃げ切り、合計280.09点で優勝。フィギュアスケート男子シングルでアジア出身選手が五輪王者になるのはこれが初めてだった。19歳での金メダルは、東日本大震災から3年での到達点でもあった。
世界選手権で初優勝
さいたまで行われた世界選手権で、ショート首位の町田樹を0.33点差で逆転して初優勝。オリンピックと世界選手権を同じシーズンに制する、いわゆる「二冠」を19歳で達成した。
怪我と向き合いながらの絶頂期
平成26〜
『SEIMEI』でグランプリファイナル3連覇
2014年12月に尿膜管遺残症の手術を受け、約3か月後の2015年3月の世界選手権(上海、銀メダル)で競技に復帰。2015-2016シーズンには安倍晴明をテーマにしたフリープログラム『SEIMEI』で世界記録を更新しながらグランプリファイナル3連覇を達成した。以後、『SEIMEI』は羽生の代名詞となる演目の一つになった。
グランプリファイナル4連覇
男子史上初の4連覇を達成。この間の同年4月には左足リスフラン関節靭帯を損傷し全治2か月の診断を受けるなど、怪我と隣り合わせのシーズンでもあった。
世界選手権で2度目の優勝、ショート5位から逆転
ヘルシンキで行われた世界選手権で、ショートプログラム5位という出遅れからフリーで逆転し、2度目の世界王者に。同年11月、NHK杯開幕前の公式練習中(大阪、11月9日)に4回転ルッツで転倒して右足関節外側靱帯を損傷し、同大会を欠場。以後この右足首の怪我が慢性的に付きまとうことになる。
— 平昌オリンピックで連覇、66年ぶりの快挙
右足首の怪我からの調整が不安視される中、合計317.85点でソチに続く連覇を達成。男子シングルでの連覇は1948年・1952年のディック・バトン以来66年ぶり、アジア勢としては初めてだった。震災から7年、二度目の金メダルという結果に、羽生は「非常に非常にたくさんの思いを込めてこの金メダルを取りに行きました」と振り返っている。
本人ソチオリンピックの時とは違って、非常に非常にたくさんの思いを込めてこの金メダルを取りに行きました。そして最終的に、自分が思い描いていた結果になり、自分が思い描いていたメダルをかけていることが本当に幸せです。 出典
国民栄誉賞を受賞
五輪連覇を受けて国民栄誉賞を受賞。23歳6か月での受賞は、個人としての最年少記録だった。2014年に続き紫綬褒章も受けている。
四大陸選手権を制し、男子シングル史上初のスーパースラムを達成
2018年11月のロシア杯で右足首を再負傷するなど怪我を抱えながらも、2019年世界選手権で銀メダルを挟んでソウルの四大陸選手権で優勝。オリンピック・世界選手権・グランプリファイナル・四大陸選手権(または欧州選手権)・世界ジュニア選手権・ジュニアグランプリファイナルの主要タイトルをすべて制する「スーパースラム」を、男子シングルでは史上初めて達成した。同年7月にはISUスケーティングアワードの最優秀選手賞にも選ばれている。
世界選手権で銅メダル
ストックホルムで行われた世界選手権で銅メダル。同年11月には右足関節靭帯を損傷し、北京五輪へ向けた準備は再び怪我との闘いとなった。
— 北京オリンピックで4位、4回転アクセルがオリンピック史上初認定
3連覇のかかったフリーで、公式戦未成功だった4回転半(4回転アクセル)に挑戦。回転不足の判定で転倒したが、オリンピックの舞台でこのジャンプが試みられ認定を受けたのは史上初のことだった。総合順位は4位でメダルには届かなかった。羽生は同年3月の世界選手権を右足首の負傷で欠場し、これが結果として競技会最後の演技となった。5か月後の7月にプロ転向を表明している。
プロ転向、アイスストーリーの始まり
令和4〜
— 記者会見でプロ転向を表明
北京五輪から5か月後、競技会からプロのアスリートへの転向を正式に表明。競技結果ではなく自らの表現でスケートを見せていく道を選んだ。8月には公式YouTubeチャンネルを開設し、練習風景のライブ配信「SharePractice」には世界中から10万人以上が視聴するなど、発信の形も競技者時代から大きく変わった。
本人何か不思議ですよね、フィギュアスケートって。現役がアマチュアしかないみたいで不思議だなと僕は思っているんですけど、実際、甲子園(高校野球)の選手が野球を頑張っていて甲子園で優勝しました。プロになりました。それは引退なのかなと言われたらそんなことないじゃないですか。僕はそれと同じだと思っていて、むしろここからがスタートで、これからどうやって自分が見せていくのか、どれだけ頑張っていけるかというところが大事だと思っているので。 出典
『GIFT』で東京ドーム単独公演、フィギュアスケーターとして前例のない試み
自ら企画・制作総指揮を務めるアイスストーリー第1弾『GIFT』を東京ドームで単独公演。フィギュアスケーターが単独でドーム公演を行うのはこれが初めてで、約3万5000人を動員した。
『notte stellata』を宮城で初開催
イタリア語で「満天の星」を意味する『notte stellata』を地元・宮城で初開催。震災の停電の夜に見た星空にちなむ演目名で、東日本大震災の鎮魂と復興を主題にしたこのショーを、以後毎年宮城で続けていくことになる。11月からは単独ツアー『ICE STORY 2nd “RE_PRAY”』を開催し、2023年11月のさいたま公演から、佐賀(2024年1月)、横浜(2024年2月17日・19日)を経て、宮城での追加公演(2024年4月7日・9日)まで、計4都市8公演を2024年4月まで巡った。
結婚を発表、3か月後に離婚
8月4日、一般女性との結婚を自身のSNSで発表。しかし11月17日、およそ3か月後に離婚をSNSで報告した。理由として、結婚相手やその親族、自身の親族に対する誹謗中傷やストーカー行為、無許可の取材・報道が続いたことを挙げた。同年9月末には、2013年から10年続いたANAとの所属契約も満了している。
30歳の誕生日に単独ツアー『Echoes of Life』開幕
アイスストーリー第3弾となる単独ツアー『ICE STORY 3rd -Echoes of Life-』を、30歳の誕生日である12月7日に開幕。埼玉・広島・千葉の3都市を巡り、翌2025年2月まで続けた。「生きる」ことの本質を問う物語として構成された。
「メンテナンス期間」入りを発表
「より進化するためメンテナンス期間を設けることにしました」とSNSで発表し、公演活動を一時休止。学びと肉体改造に取り組む期間とした。
メンテナンス明け、現在
令和8〜
『notte stellata 2026』で活動を再開、震災15年を演目に
宮城のセキスイハイムスーパーアリーナで『notte stellata』の4回目となる公演を開催し、メンテナンス期間を経て活動を再開した。東日本大震災15年の節目にあわせ、自ら振り付けた新演目『Happy End』などを披露。ハビエル・フェルナンデスや宮原知子、鈴木明子ら国内外のスケーターも出演した。
本人自分自身の悲しみや傷への向き合い方だったり、付き合い方であったり、そういったことをちょっとずつ理解しながら前に進んできたつもりの15年間でした。 出典
新企画『REALIVE』を宮城で開催
1月に発表した新企画『Yuzuru Hanyu “REALIVE” an ICE STORY project』を、地元宮城のセキスイハイムスーパーアリーナで4月11日・12日の2日間開催。これまでのアイスストーリーで生まれたプログラムを、いまの身体でもう一度立ち上げる公演として企画した。
音楽番組出演や発信を継続
8月15日放送のNHK「うたであえたら2026」(NHK総合/BSP4K)でフォークデュオ「ゆず」と共演、8月22日にはNHK総合の特番「ゆず×羽生結弦 “表現”のその先へ」で対談するなど、競技の枠を超えた活動を続けている。2027年版カレンダーは全カット完全撮り下ろしで制作され、羽生結弦自らポーズのアイディアを提案する場面もあった。