小樽・石狩の生い立ちと「働きたくない」二十代
昭和35〜
北海道小樽市に生まれる
本名は朝倉香純。小学生の頃、小樽市の読書感想文コンクールで『東海道中膝栗毛』の感想文が賞をもらったが、本人によれば本文は読まず巻末の解説だけで書いたという。小学校の卒業文集の将来の夢には「結婚したい」と書いた。
北海道札幌手稲高校に進学、中学時代は『ヘレン・ケラー』を読みふける
中学の3年間は伝記『ヘレン・ケラー』ばかりを、版を変えて何度も読んだ。高校1年の時に村上龍『限りなく透明に近いブルー』が芥川賞を受賞したが、当時はいやらしい小説のように思えて良さが分からず、後に読み返してすごくいいと思ったと語っている。高校では詩を読むようになり、ハイネの詩に惹かれて集英社に葉書を出したところ、若い人向けの詩集が送られてきた。高校・短大時代は石狩市で過ごし、北海道武蔵女子短期大学教養学科を卒業した。
短大卒業後は就職せず、25歳を過ぎて勤め始める
短大の学内推薦で銀行の面接に進んだが、どうしても働きたくなくて「働きたくないけれどそれでもいいですか」と言い、不採用になった。不採用のあとはしばらく実家にこもっていたが、小遣いが尽きてアルバイトに出るようになった。稼いだ金で古本屋の5円10円の文庫を買い、働かずに読み続け、読む本がなくなるとまた働きに行く生活を送る。正社員の採用試験に落ち続けて長期のパートに出るようになり、本人によれば25歳を過ぎてから勤め始め、その会社で契約社員になった。
30歳の執筆開始から、40代のデビューへ
平成2〜
30歳で小説を書き始める
結婚できないと思い、契約社員で定年まで働けるかも分からず、資格の通信教育も続かないと考えて小説を書くことを決めた。直前に、北海道内のJALの作文懸賞に選ばれ、写真が道内紙の全面広告に載っていた。広告を見た友人から電話があり、作文を書いたのだと伝えると「作文ぐらいで広告に出るの、小説じゃなくって?」と聞かれ、「小説なんか書かないよ」と答えた。会社の便箋に横書きで書き、原稿用紙に清書すると70枚ほどになった。ふらふらした女の子が転落していき、最後に覚せい剤で捕まる話だった。
本人「小説なんか書かない」って言ったことが自分でショックだったんですよ。本当はずっと、書きたかったのかもしれないですね。それで、いきなり書き始めたの。突然。 出典
31歳で創作教室に通い始めるが、執筆から離れる
名作と自分の書いたものがあまりに違うので、何かあるはずだと思って創作教室に通った。そこで交際相手が見つかり、交際しているうちに小説よりそちらが大事になって、執筆は止まった。結婚したのは39歳で、それまでは何もしなかったと本人は語っている。執筆から離れていた30代も読書は続き、会社の帰りに毎日本屋に寄ってはページをめくってぴんとくるものを買った。幸田文、カポーティ『クリスマスの思い出』、フィリップ・マーロウのシリーズ、『源氏物語』などをこの頃に読んでいる。
39歳で結婚、40歳で執筆を再開
39歳で結婚した年に創作教室の講師が亡くなった。藤堂志津子に『マドンナのごとく』を書かせたその講師から「君も藤堂さんみたいになれ」と言われ続けていたのに、結婚して移る時に持ってきた本は料理の本ばかりで小説が1冊もなかったと思い至り、悪いことをしているような気がして40歳で再び書き始めた。再開後の最初の作品が『ほかに誰がいる』で、以後は毎年どこかの賞に応募した。
本人このままじゃいけない。絶対作家になるんだと決め「月に1本は書こう」と本腰を入れ始めたのは40歳の頃です。 出典
「コマドリさんのこと」で北海道新聞文学賞を受賞
毎月どこかの賞に応募していた時期に、未発表の小説「コマドリさんのこと」で第37回北海道新聞文学賞を受賞した。受賞者名簿では稚内市在住の主婦とされている。30代後半になってもひけ目でいっぱいで自分の殻に閉じこもる女性が主人公の作品で、選評に「達者」という言葉があったことから、自分はエンターテインメントの方が強いと判断し、以後エンタメ一本で書くことを決めた。
— 「肝、焼ける」で小説現代新人賞を受賞、43歳で作家デビュー
エンタメに絞ると決めてから『小説すばる』『小説新潮』『小説現代』『オール讀物』を1年ほど毎月隅から隅まで読み、その間に書いた「肝、焼ける」で第72回小説現代新人賞を受賞した。遠距離恋愛中の31歳の女性が、彼の住む稚内をこっそり訪れる物語。
短編集『肝、焼ける』刊行、単行本デビュー
小説現代新人賞受賞作を含む全5編の短編集を講談社から刊行し、単行本デビューを果たした。
初の長編『ほかに誰がいる』刊行
執筆を再開して最初に書いた作品を幻冬舎から刊行。翌2007年には『そんなはずない』(6月)『好かれようとしない』(11月)と長編が続いた。
連作短編集『田村はまだか』刊行
深夜のバー、小学校のクラス会の三次会。大雪で列車が遅れて間に合わない同級生「田村」を男女5人が待ちながら、それぞれの過去の人物を思い出す連作短編集を光文社から刊行した。同年は『タイム屋文庫』(5月)『夫婦一年生』(8月)『エンジョイしなけりゃ意味ないね』(11月)も刊行している。
吉川英治文学新人賞と多作の日々
平成21〜
『田村はまだか』で吉川英治文学新人賞を受賞
第30回吉川英治文学新人賞を柳広司『ジョーカー・ゲーム』とともに受賞した。同年1月には『ロコモーション』も刊行している。文章のうまさに驚いたという作家・宮下奈都の声が、後に光文社の特設サイトに寄せられた。
単行本を相次いで刊行、多作期に
『玩具の言い分』(5月)『ともしびマーケット』(7月)『静かにしなさい、でないと』(9月)『深夜零時に鐘が鳴る』(11月)と刊行が続いた。本人によれば、依頼を断ることも待ってもらうこともできず、書店の平台にいつも自分の本があるようにすれば名前を覚えてもらえると最初に言われたことも背景にあった。
『感応連鎖』『声出していこう』『夏目家順路』、初のエッセイ集を刊行
長編『感応連鎖』(2月)、連作短編集『声出していこう』(8月)『夏目家順路』(10月)に加え、3月には初のエッセイ集『ぜんぜんたいへんじゃないです。』を朝日新聞出版から刊行した。
『とうへんぼくで、ばかったれ』『幸福な日々があります』『少しだけ、おともだち』刊行
新潮社の『とうへんぼくで、ばかったれ』(5月、のち文庫化で『恋に焦がれて吉田の上京』に改題)、集英社の『幸福な日々があります』(8月)、筑摩書房の『少しだけ、おともだち』(10月)を刊行した。
『てらさふ』『遊佐家の四週間』『地図とスイッチ』刊行
文藝春秋の『てらさふ』(2月)、祥伝社の『遊佐家の四週間』(7月)、実業之日本社の『地図とスイッチ』(11月、のち文庫化で『ぼくとおれ』に改題)を刊行した。
『満潮』刊行
光文社から長編『満潮』を刊行した。前年の『乙女の家』(2015年2月)、同年6月の『少女奇譚 あたしたちは無敵』など、この時期も毎年複数冊を刊行している。
『満潮』で山本周五郎賞候補に
第30回山本周五郎賞の候補となった。受賞には至らなかった。
『平場の月』と直木賞候補
平成30〜
『平場の月』刊行
50歳になった男女の恋愛を描いた長編を光文社から刊行した。互いに離婚を経験した二人が偶然再会し、心のすき間を埋めるように求め合う物語で、本人は執筆当時「男の人が女の人をケアするという作品が珍しいと思って書いた」と語っている。前月には潮出版社から『ぼくは朝日』も刊行した。
— 『平場の月』で山本周五郎賞を受賞、直木賞候補にも
5月15日に発表された第32回山本周五郎賞を、2度目の候補で受賞した。6月21日に贈呈式が行われた。同作は第161回直木賞の候補にもなり、第4回北海道ゆかりの本大賞も受賞した。発行部数は後に18万部を超え、映画化へとつながる。
『にぎやかな落日』刊行
光文社から長編『にぎやかな落日』を刊行した。
小樽を舞台にした『よむよむかたる』刊行
故郷の北海道・小樽を舞台に、月に一度の読書会〈坂の途中で本を読む会〉に集う老人たちと、小説家の夢に挫折して喫茶店「シトロン」の雇われ店長になった主人公・安田を描く長編を文藝春秋から刊行した。
『よむよむかたる』が第172回直木賞候補に
第172回直木賞の候補作に選ばれた。選考会は2025年1月15日に開かれ、受賞には至らなかった。小樽市の全面協力で「北海道・小樽プロジェクト」と題した販促企画も展開された。
映画『平場の月』公開
堺雅人主演、井川遥共演で『平場の月』が実写映画化され、全国公開された。監督は土井裕泰、脚本は向井康介。同年4月にはU-NEXTから短編集『棺桶も花もいらない』を刊行している。
『けんぐゎい』で直木賞、そして現在
令和8〜
初の時代小説『けんぐゎい』刊行
江戸を舞台に、醜さゆえに世間の「圏外(けんぐゎい)」に生きる主人公・ふゆが、運命的な出会いをきっかけに自らの人生を切り拓く物語を光文社から刊行した。学生の頃から落語や講談が好きで、デビュー当初から時代小説を書きたいと言っていたが真面目に受け取ってもらえず、光文社の担当編集者の了承でようやく実現した。連載時はラストシーンから書き始めており、単行本化にあたって時系列順に書き直した。占いの本で「4月が(運勢)いい」と見て、4月刊行にこだわったという。
本人デビュー当初からずっと時代小説を書きたかったのですが、真面目に受け取ってもらえなくて(笑)。やっと光文社の担当さんから『書いてみます?』とGOが出て、『藤沢周平みたいなの書くからね!』と意気込みました 出典
『けんぐゎい』が第175回直木賞候補に
3度目の直木賞候補。本人は、受賞の連絡よりも候補に選ばれた時の方が感情が動いたと語っている。友人と待ち合わせた店の前で電話を受け、店に入ってからもずっと泣いていたという。
本人候補に上がった時は本当にうれしくて。泣いちゃったんです。それもただ泣くんじゃなくて、結構な号泣レベルで泣いてしまって(笑) 出典
— 『けんぐゎい』で第175回直木賞を受賞
7月15日、東京・築地の料亭「新喜楽」で開かれた選考会で、第175回直木賞に選ばれた。65歳、女性では直木賞史上最年長の受賞で、選考委員を代表して選評を述べた辻村深月によれば満場一致だった。同日夜の記者会見では、時代小説を書くのは初めてで、夢中で好きなように書いたことを評価されたのがうれしいと語り、43歳デビューだったので「老婆作家になりたかった」とも話した。
本人時代小説を書くのは初めて。夢中で好きなように書いていたことを評価してもらいすごくうれしい 出典
直木賞作家として札幌で執筆を続ける
受賞後の7月30日、北海道新聞の単独インタビューに「これからも変わらず書いていきたい」と語った。次作については、『よむよむかたる』にも登場した看取りの人、死に伴走する「デスドゥーラ」を題材にした現代ものを書きたいと明かしている。