モンゴルから来た留学生
平成11〜
モンゴル・ウランバートルに生まれる
本名スガラグチャー・ビャンバスレン。第68代横綱・朝青龍の長兄の次男として生まれる。5歳から柔道、11歳頃からレスリングを始めた。
レスリング留学生として来日
中等教育を終えた後、日本体育大学柏高校からレスリング選手としてスカウトを受け来日。相撲に自信が持てずレスリングを選んだ甥に、朝青龍は当初渋々ながら留学を認めた。来日時の体重は66kgだった。
本人校外学習で大相撲の取組を見学したことをきっかけに、相撲部へ転部することを決めた。
新弟子検査に合格、立浪部屋へ入門
11月1日に新弟子検査を受検し、12日に合格発表。入門時の体重は100kg程度だった。四股名「豊昇龍」は師匠・立浪(元小結・旭豊)の「豊」と、叔父・朝青龍の「龍」を一字ずつ取ったもの。
初土俵から入幕、そして三役へ
平成30〜
— 初土俵を踏む
序ノ口から相撲人生をスタート。同年のうちに序二段では7戦全勝で優勝を果たすなど、着実に番付を駆け上がった。
新十両に昇進
新十両の場所は7勝8敗で終えたが、叔父・朝青龍からの叱咤や、当時43度目の幕内優勝を決めた白鵬から声をかけられるなど、印象深い経験を重ねた。
— 新入幕を果たす
幕内デビューを果たし、以後着実に力をつけていく。
新小結に昇進
初めて三役の地位に上がり、上位陣との対戦が本格化した。
新関脇に昇進
関脇として安定した成績を残し、大関昇進をうかがう位置につけた。
初優勝、そして大関へ
令和5〜
— 名古屋場所で幕内初優勝、大関昇進へ前進
関脇として12勝3敗で幕内初優勝。本割で伯桜鵬を破り、優勝決定戦でも平幕・北勝富士を下した。直近3場所の三役通算勝ち星が大関昇進の目安を満たし、場所後に大関昇進が確実となった。
世間「元横綱・朝青龍の甥」として注目を集めながらの快挙に、角界が沸いた。
第254代大関に昇進
新大関の初め場所は13日目終了時点で6勝7敗と苦しんだが、14日目・千秋楽と連勝し8勝7敗で勝ち越し、角番を免れた。
第74代横綱へ、そして試練
令和7〜
— 初場所で2度目の優勝、横綱昇進が決定
綱取りの初場所は序盤3敗を喫し昇進絶望と見られたが、そこから粘り強く連勝を続けて12勝3敗。優勝決定巴戦で金峰山・王鵬に連勝し、大関昇進後初となる2度目の優勝を果たした。1月27日に横綱審議委員会が全会一致で推薦を決定し、29日の番付編成会議・臨時理事会で第74代横綱への昇進が正式に決まった。
世間初土俵から42場所での横綱昇進は、年6場所制以降では歴代5位の速さだった。
新横綱として土俵に立つ
新横綱として迎えた春場所は初日に黒星を喫するなど苦しい立ち上がりとなったが、横綱として初めての皆勤を果たした。
名古屋場所を左足親指のけがで途中休場
5日目から左足親指の捻挫と骨挫傷のため休場。場所後の夏巡業も当初休場していたが、8月7日から合流した。
西横綱として秋場所に臨む
大関から昇進した琴櫻とともに三役上位を形成し、横綱として角界を牽引する立場を担い続けた。
春場所を11勝4敗で終える
東横綱として臨んだ春場所を11勝4敗の成績で終えた。
夏場所を2日目から途中休場、東西両横綱不在に
初日の高安戦で右太もも裏(右ハムストリングス)を負傷し、2週間の安静を要する診断書を提出して2日目から休場。同時期に大の里も休場しており、5年ぶりに東西の横綱が不在となる事態となった。自身にとっては前年の名古屋場所以来、8度目の途中休場だった。
名古屋場所での再起を期す
けがの回復に努めながら、7月の名古屋場所に向けて調整を進めている。度重なる休場を乗り越え、横綱としての立場を取り戻せるかが問われている。