新発田の少年、単身アメリカへ
平成5〜
新潟県新発田市に生まれる
小学1年生でミニバスケットボールを始める。地元・新発田市立本丸中学校では父が指導に関わり、中学3年時には全国大会で優勝、2年時と3年時にはそれぞれ年代別(U-15・U-16)の日本代表にも選ばれた。
— 中学卒業と同時に単身渡米、モントロス・クリスチャン高校へ留学
当時浜松・東三河フェニックスのヘッドコーチで父と交流のあった中村和雄から「バスケ界の三浦知良になれ」と早期の海外留学を勧められ渡米を決意。ケビン・デュラントらを輩出した名門モントロス・クリスチャン高校に進学した。「最初は、カズさんの提案を冗談半分・本気半分で聞いていました。そもそも日本を出る、という選択肢があることにびっくりしたのを覚えています」と振り返る。中学卒業と同時に単身で親元を離れる決断が、その後のキャリアの起点となった。
本人最初は、カズさんの提案を冗談半分・本気半分で聞いていました。そもそも日本を出る、という選択肢があることにびっくりしたのを覚えています。 出典
1年時からロスター入り、シックスマンとして全米ランキング2位に貢献
モントロス・クリスチャン高校で1年時からロスター入りし、主にシックスマン(控え)として起用され、同校の2010年全米ランキング2位入りに貢献した。
日本代表候補に選出、ウィリアム・ジョーンズ・カップに出場
日本代表候補に選出され、8月に開催されたウィリアム・ジョーンズ・カップに出場した。
bjリーグでの飛躍、そしてNBAの壁
平成24〜
NBA主催のBasketball Without BordersでMVP獲得
NBAが主催する国際育成キャンプ「Basketball Without Borders」に出場し、MVPを獲得。指導にあたった元NBA選手のローランド・ブラックマンから「このキャンプにおいてナンバーワンのガード」と評された。高校卒業後は目立った実戦の機会がないまま約10ヶ月間試合から遠ざかっており、万全ではない状態で2013年のシーズンを迎えることになる。
秋田ノーザンハピネッツでプロデビュー
大学に進学せず、bjリーグの秋田ノーザンハピネッツに入団。2013年2月2日の富山グラウジーズ戦で15得点11アシストを記録してデビューを飾った。恩師・中村和雄監督から「チビが点数取らなきゃ、いる意味ないだろ!」と直言され、それまでのパス中心のスタイルから得点への意識を高めていったという。この1年目でbjリーグ新人賞を受賞した。
2年目でアシスト王・ベストファイブ・オールスターMVPを獲得
2013年10月に月間MVPを受賞した後、2014年1月26日に秋田市立体育館で開催されたオールスターゲームで23得点5アシストを記録しMVPを獲得。2013-14シーズン終了時点では1試合平均7.9アシストでアシスト王を獲得しベストファイブにも選出され、bjリーグを代表するガードへ急成長した。
NBAサマーリーグに出場、日本人選手として契約
2014年6月にNBA挑戦を表明し、7月11日にダラス・マーベリックスの一員としてNBAサマーリーグのロスター入り(日本人4人目)。シャーロット・ホーネッツ戦で12得点を記録するなど注目を集めた。10月15日にマーベリックスと契約したが、これはNBA Dリーグのドラフト会議を回避しテキサス・レジェンズへ確実に送るための便宜的なものであり、10月21日に解雇。その後ドラフト会議でサンタクルーズ・ウォリアーズに指名され、直後にテキサス・レジェンズへトレードされた。167cmという小柄な体格で世界最高峰のリーグに挑んだ末の結果だった。2015年2月にリオグランデバレー・バイパーズ戦でシーズン最多の12得点を記録したが、同月20日の試合で足首を捻挫し、以後を欠場したままシーズンを終えた。
帰国、千葉ジェッツの顔として
平成27〜
千葉ジェッツふなばしと契約
NBA挑戦から帰国し、9月28日に当時NBL所属の千葉ジェッツと契約合意。翌シーズンからのB.LEAGUE発足を前に、チームの中心選手として新たなキャリアを歩み始めた。
B.LEAGUE初年度、ベストファイブとオールスターMVP
2016-17シーズンはベストファイブに選出され、1月15日開催のオールスターゲームでMVPも獲得。1月9日の第92回天皇杯決勝(国立代々木競技場第一体育館)では88-66で川崎ブレイブサンダースを下し千葉ジェッツのチーム初優勝に貢献、大会ベスト5にも選ばれた。
結婚していることを公表
インタビューの中で、飼い犬について聞かれた際に妻の実家の犬であると答え、結婚していることを明かした。相手の詳細については明らかにされていない。
— アルバルク東京戦でキャリアハイ42得点、リーグ最多の3P成功11本
11月12日のアルバルク東京戦で42得点を記録し自己最多を更新。同時にB.LEAGUE史上最多となる3ポイントシュート11本成功をマークし、167cmの小柄なガードが得点力でもリーグを代表する存在であることを印象づけた。
— 第94回天皇杯で延長終了間際の逆転3P、大会MVPに
延長終了2.7秒前に逆転の3ポイントシュートを決めてチームを勝利に導き、大会MVPを受賞。同年のB.LEAGUEシーズンでは60試合に先発出場し838得点・328アシストを記録してシーズンMVPも受賞、リーグ屈指のポイントガードとしての地位を確立した。
Bリーグで日本人初の年俸1億円プレーヤーに
6月3日に千葉ジェッツと契約更改し、Bリーグで日本人選手として初めて年俸1億円に到達した。同年11月にはプロ通算4000得点も達成している。
日本代表キャプテンとして世界へ
令和1〜
ワールドカップ直前に右手を骨折
自国開催となった2019年ワールドカップ前の代表合宿中に右手を骨折するアクシデントに見舞われた。その影響で本大会には出場できず、代表チームを離脱した。
アミューズとマネージメント契約
3月8日からアミューズとマネージメント契約を開始し、競技活動以外での露出も広がっていった。
東京五輪に出場、開催国としてグループステージで全敗
地元開催となった東京オリンピックの男子代表に選出され出場。結果はグループステージで全敗となったが、世界最高峰の舞台での経験は次の日本代表キャプテンとしての活動につながっていく。
— ワールドカップで主将、史上初の勝ち越しでアジア1位・パリ切符を獲得
2023年ワールドカップで主将を務め、3勝2敗と大会史上初となる勝ち越し成績でアジア最上位の成績を収めた。この結果、日本は実に48年ぶりとなる自力でのオリンピック出場権をパリ2024大会に向けて獲得。小柄なキャプテンがコート内外でチームを牽引した大会として評価された。
パリ五輪に主将として出場、グループステージ4位
パリ2024オリンピックに男子代表キャプテンとして出場。グループステージ最終戦のブラジル戦は84-102で敗れ3連敗となり、グループB4位で予選敗退となった。試合後「この経験が次の世代に生きてくると思っています」とコメントした。
代表引退を否定し、ロス五輪へ挑戦する意志を表明
パリ五輪後、代表としての今後を問われ「自分から“引退”という形で、オリンピックで終わるのがもちろん綺麗であるかもしれないですけど、自分から機会を手放すよりはチャレンジしたいなという気持ちなので」と語り、2028年ロサンゼルス五輪を見据えて競技を続ける考えを示した。
本人自分から“引退”という形で、オリンピックで終わるのがもちろん綺麗であるかもしれないですけど、自分から機会を手放すよりはチャレンジしたいなという気持ちなので。 出典
記録更新、そして現在地
令和6〜
B1リーグ通算アシスト2500回を達成
12月29日、B1リーグ通算アシスト2500回を達成。ポイントガードとしてリーグを支え続けてきた実績を積み重ねた。
2024-25シーズン、Bリーグ2nd TEAMに選出
B1リーグ戦50試合に出場し、1試合平均13.9得点・5.0アシストを記録。シーズンを通じてBリーグ2nd TEAMに選出された。
オールスターファン投票で10大会連続1位、史上初の10回目選出を決める
11月13日発表の『Bリーグオールスターゲームウィークエンド2026 in長崎』(2026年1月16-18日開催)のファン投票で27万8043票を集めて1位を獲得し、史上初となる10大会連続10回目の選出を決めた。
B1リーグ通算3ポイント成功1300本、史上初の到達
5月3日、B1リーグ史上初となる通算3ポイントシュート成功1300本を達成。CS(チャンピオンシップ)でも史上初の通算3P成功100本・250アシストを記録するなど、リーグ屈指のシューターとしての記録を更新し続けている。
千葉ジェッツと契約継続
千葉ジェッツは複数年契約に基づき、2026-27シーズンも富樫との契約継続を発表。新B1「Bプレミア」初年度となる2026-27シーズンも契約を継続し、4年契約の3年目に入る。
日本代表で韓国戦に出場、河村勇輝との「Wユウキ」で活躍
8月16日、FIBAバスケットボールワールドカップ2027アジア地区予選(Window4)に向けた強化試合「買取大吉カップ2026(東京大会)」の韓国戦(有明アリーナ)に出場し、日本は95-66で勝利。2年ぶりに代表復帰した河村勇輝とともにポイントガードとしてコートに立ち、10分48秒の出場で3ポイントシュート4本を含む12得点をマーク。試合後「与えられた時間で活躍できるようにするだけ」と語った。8月27日サウジアラビア戦・31日カタール戦の予選に向けた強化試合として位置づけられている。
本人与えられた時間で活躍できるようにするだけ 出典