目次
東村のゴルフ一家に生まれて
昭和60〜
沖縄県国頭郡東村に生まれる
ゴルフ一家の3きょうだいの末っ子。父・優はレッスンプロで、2人の兄・聖志と優作ものちにプロゴルファーになる。「藍」は辞書で最初の方に出てくる名前で、トップがとれるようにと父が名付けた。
初めてのホールインワンで、ピアノをやめる
3歳でピアノを習い始め、夢は「ピアノの先生」だった。兄たちのゴルフについていくうちに4歳でゴルフを始め、小学1年でコースに出る。1994年に初めてのホールインワンを経験すると、ピアノをやめた。
世界ジュニアで5位に入り、海外を目指す
東村立東中学校ではバスケットボール部に入りながら、ゴルフを続けた。中学1年で、英語の話せない父と2人で米国サンディエゴに乗り込み、世界ジュニア選手権(13〜14歳の部)で5位に入る。九州や全国の大会よりも、世界での初舞台の方が早かった。この時から、海外で活躍する夢を描くようになる。
本人世界で戦う喜びを知った。そういう選手になりたい 出典
兄を追った仙台で、高校生プロに
平成13〜
兄を追って仙台の東北高校へ進学
全国中学選手権を2連覇し、ゴルフの名門・東北福祉大学に通う次兄の優作を追って沖縄を出る。同じ仙台市の東北高校に進み、1年で全国高校選手権の夏季大会を制した。
釜山アジア大会で金メダル
高校2年で、釜山アジア競技大会の個人の部で金メダルを獲得。アマチュアのまま日本女子ツアーのフジサンケイレディスクラシックにも出場して優勝を争い、4位に入った。次兄の優作とともに、仙台のテレビで「天才兄妹」として紹介されるようになる。
ミヤギテレビ杯をアマチュアで制し、史上初の高校生プロに
6月に日本女子アマチュア選手権を制し、9月には東北高校のある宮城県で開かれたミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンで優勝した。18歳の高校3年生のアマチュアが、並み居るプロを抑えての勝利だった。10月にプロ宣言し、史上初の高校生プロゴルファーとなる。ほどなくテレビCMに引っ張りだことなり、ゴルフに縁の薄い人々にも知られる存在になった。
地元沖縄のダイキンオーキッドでプロ初優勝
3月1日に東北高校を卒業。その直後、地元沖縄で開かれたツアー初戦のダイキンオーキッドレディスに次兄の優作をキャディにして臨み、プロ4戦目で初優勝を挙げた。この年は5勝し、11月には年間獲得賞金が1億円を突破、賞金ランキングは2位。テレビ中継の視聴率は10%を超えた。
第1回女子ワールドカップで日本代表として優勝
南アフリカで開かれた第1回の女子ワールドカップに、北田瑠衣と組んで日本代表として出場し、韓国やアメリカ、オーストラリアを抑えて初代の女王になる。最終日は不調だった北田を、宮里のバーディーラッシュが補った。
日本女子オープンを大会史上最年少で制す
国内メジャーの日本女子オープンで公式戦初優勝。大会史上最年少の優勝で、20歳3か月でのツアー通算10勝も史上最年少だった。4日間で4万8677人の観客が詰めかけ、女子ツアーの史上最多動員記録になる。この年は6勝したが、米ツアーの最終予選会に出るため国内の最終戦を欠場し、賞金ランキングは2位。
スランプ、初優勝、世界1位
平成18〜
ロサンゼルスを拠点に米ツアーへ
前年12月の米ツアー最終予選会を、2位に12打差をつける1位で通過。ロサンゼルスを拠点に米ツアーを主戦場にする。この年始まった女子の世界ランキングでは、最初の発表で6位。全米女子プロ選手権で3位に入り、賞金ランキング22位で1年目を終えた。
ドライバーの不振で「人生初のスランプ」
シーズン途中からドライバーが乱れ、5試合続けて予選落ち(うち1試合は棄権)するなど、これまでにない不振に陥る。このオフ、カリフォルニアの自宅を訪ねた記者への第一声は「人生初のスランプに陥りました!」。それでも笑顔だった。
本人カッコいい自分を見てもらいたいわけじゃない。"それでもプレーしたいんです"っていうのを見てほしかった 出典
エビアン・マスターズで米ツアー初優勝
ショットの感覚を取り戻すことに専念した2008年から2009年序盤を経て、参戦4年目のこの年、フランスのエビアン・マスターズでソフィー・グスタフソンとのプレーオフを1ホール目で制し、米ツアー初優勝を挙げた。続く全英女子オープンでもメジャーでの自己最高に並ぶ3位に入り、米ツアーの賞金ランキングは3位。翌2010年には、世界ランキング1位まで上り詰める。
本人これまで、ずっと走り続けてきた。スランプに陥って、プライドとか、見栄とかはなくなったけれども、"プロとしてのプライド"は失うことはなかった 出典
開幕から2週連続優勝
開幕戦のホンダLPGAタイランドで最終日の6打差をひっくり返し、続くHSBC女子チャンピオンズも制した。米ツアーの開幕2週連続優勝は1966年のマリリン・スミス以来44年ぶり5人目で、日本人では初めて。第5戦のトレスマリアス選手権では、この大会を最後に引退するロレーナ・オチョアと予選を回って優勝し、表彰式でそっと優勝ボールを手渡した。
日本人で初めて世界ランキング1位に
6月20日のショップライト・クラシックで米国本土での初勝利を挙げ、1987年の岡本綾子に並ぶ日本人最多のシーズン4勝目。翌21日付の世界ランキングで、日本人として初めて1位になった。8月22日のセーフウェー・クラシックでは、米女子ツアーで日本人最多となるシーズン5勝目を挙げる。2017年の引退会見では、1位に就いたこの時をキャリアで最高の瞬間として振り返った。
本人私のような小さい子でも、世界ナンバー1になれるんだ、そう身近に感じてくれればうれしい 出典
エビアン・マスターズで2勝目
2年前に米ツアー初優勝を挙げたエビアン・マスターズを、再び制す。米ツアーで初めて、両親の目の前で勝った大会になった。欧州女子ツアーとの共催大会で、この1勝の賞金により、欧州ツアーには2試合しか出ていないにもかかわらず、その年の欧州女子ツアーの賞金ランキングで1位になった。
ロッテ選手権で米ツアー8勝目
ハワイで初めて開かれたLPGAロッテ選手権を4打差で制し、米ツアー8勝目。7月にはウォルマートNWアーカンソー選手権で、縁戚関係のない宮里美香を1打差で退けて優勝し、これが米ツアーでの最後の優勝になった。11月には、模範的な選手に贈られるウィリアム&モージー・パウエル賞を日本人で初めて受けた。
victorysportsnews.com×2
victorysportsnews.com の出典
宮里藍が引退表明後初の米ツアー 2012年優勝大会に出場 | VICTORY笑顔の裏で抱き続けた苦悩 宮里藍が引退を決めるまでの4年間 | VICTORY勝てない4年と、32歳の引退
平成25〜
メジャーに手が届かず、迷いが生まれる
2012年シーズンの後半から、心に迷いが生まれていた。好調でもメジャー大会で勝てないことを、どう消化すればいいか分からなくなったという。2013年以降は優勝から遠ざかり、メンタルコーチの助言を受けても、米ツアー通算10勝目には届かない状態が続いた。
賞金ランキング86位でシード権を逃す
米ツアーの賞金ランキングは86位にとどまり、シード権を逃した。この年はインターナショナル・クラウンに日本代表として出場している。
リオ五輪の期間中に、引退を決める
モチベーションの低下は4年ほど続いていた。8月、リオデジャネイロ五輪の開催で米ツアーが3週間休みになった期間に考え、クラブを置くことを心に固める。親しいプロ仲間には引退を口にしていた。
引退会見で、モチベーションの維持の難しさを語る
5月26日に2017年シーズン限りでの現役引退を表明し、29日に都内で会見を開いた。理由に挙げたのは、モチベーションを保つことが難しくなったこと。米ツアーでは岡本綾子の17勝に次ぐ9勝を挙げたが、メジャー大会の優勝はなかった。会見では涙を浮かべる場面もあった。
本人自分の武器が武器でなくなっていった。ツアーに勝ち続けていても、メジャーで勝てずに悩みはじめてしまった。自分を見失い、どう立て直せば良いのかが一番難しかった 出典
エビアン選手権で現役最後のラウンド
8月30日のブログで、最も思い出深いエビアン選手権(「エビアン・マスターズ」として創設された大会)を最後の試合にすると明かす。過去2度勝った大会で、主催者からは予選の同伴競技者を指名する権利が特別に与えられた。32位タイで終えた最終ホールでは、ポーラ・クリーマーやヤニ・ツェンら仲間が見守り、ゲーリー・プレーヤーから花束が贈られた。
本人14年間、プレッシャーの中で戦ってきた。心身ともにすごくがんばってきたので、まずは『お疲れさま』と自分に言いたい 出典
大会を作る側として
平成30〜
サントリーレディスの大会アンバサダーに就任
サントリーレディスオープンの大会アンバサダーに就き、大会名は宮里藍 サントリーレディスオープンに改められた。中学3年だった2000年に初めて出場した大会でもある。以後はコースセッティングを担当し、ジュニアクリニックなどのイベントにも加わっている。
33歳の誕生日に入籍
33歳の誕生日の6月19日、かねて交際していた男性と入籍した。2日後の21日、自身のブログで結婚を報告している。
第1回宮里藍インビテーショナルを開催
3月のジャパンゴルフフェアで、自身の名を冠したジュニア大会の創設を発表し、9月22日〜23日に松島チサンカントリークラブ仙台コースで第1回を開いた。アメリカで出会い自分のゴルフが劇的に変わったというメンタルトレーニングのビジョン54を伝えるため、師事するピア・ニールソンとリン・マリオットを日本に招いた。
本人引退して、ジュニアに何かしら携わりたいという思いがずっとあったので、それがようやく『宮里藍インビテーショナル』というジュニア大会という形として本格的に動けるかなと思っていて、9月22日と23日と日程も決まりましたし、私にしかできないジュニアとの関わり方というのがこの大会でできると思うので、すごくワクワクしています 出典
第1子の長女が誕生
7月13日にインスタグラムで第1子の妊娠を公表し、12月に長女が生まれた。12日に出産を報告している。
インビテーショナルを初めて沖縄で開く
念願だった地元沖縄での開催が、5度目で実現した。恩納村のPGMゴルフリゾート沖縄に全国から35人の女子中高生が集まり、ビジョン54を基にしたメソッドを伝えたほか、保護者向けの講習会も開く。最終日は沖縄カトリック高の吉﨑マーナが優勝し、宮里は最終18番の決めのパットを見届けた。
サントリーレディスの総括会見で近況を語る
大会アンバサダーとしてコースセッティングを担う宮里藍 サントリーレディスの最終日、優勝スコアを通算18アンダーと予想した設定について、狙いどおりだったと総括した。優勝は、自身の国内引退試合だった2017年の同大会で、予選2日間を一緒に回った高橋彩華。ただ、国内ツアー全体とは、一定の距離を置いている。
本人娘の人生軸、私の人生軸などを考えると、今はまだこれぐらいが精いっぱいですね 出典
第7回宮里藍インビテーショナルを開催
引退後にまず取り組みたかったというジュニア大会は、2025年9月に栃木県のサンヒルズカントリークラブで開いた第6回を経て、2026年9月に第7回を迎えた。自身の経験から一番大きな自信になったというメンタルトレーニングを、ジュニア選手に伝え続けている。