沖縄でのアマチュア時代
昭和60〜
沖縄県国頭郡東村に生まれる
兄の宮里聖志、宮里優作とともに3兄妹全員がのちにプロゴルファーとなり「宮里3兄妹」と呼ばれた。4歳でゴルフを始める。
仙台の東北高校へ進学
兄・優作が東北福祉大学で活躍していた縁もあり、同じ仙台市にある東北高校へ進学。
釜山アジア大会で金メダル
アジア競技大会の女子ゴルフ競技で金メダルを獲得した。
日本女子アマチュア選手権で優勝
日本女子アマチュアゴルフ選手権競技を制した。
— ミヤギテレビ杯でアマチュア優勝、史上初の高校生プロ宣言へ
「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント」でアマチュアとして実に30年ぶりとなるツアー優勝を果たすと、10月9日にプロ宣言。高校3年生のままプロ転向するという日本ゴルフ史上初の決断だった。
日本ツアーで活躍
平成16〜
プロ4戦目で初優勝、賞金1億円を突破
地元開催のダイキンオーキッドレディスでプロ入り後初優勝。この年だけで5勝を挙げ、賞金1億円を突破した。
日本女子オープンで公式戦初優勝、史上最年少で通算10勝
日本女子オープンを制し公式戦初優勝。この年6勝を挙げ、20歳3か月という史上最年少でツアー通算10勝に到達した。
単身渡米、米ツアーへの挑戦
平成18〜
ロサンゼルスを拠点に米ツアーへ本格参戦
拠点をロサンゼルスに移し、米ツアーに本格参戦。同年導入された世界ランキングの初回発表で6位につけた。
— エビアンマスターズで米ツアー初優勝
エビアンマスターズを制し、米ツアー初優勝を果たした。この年は米国賞金ランキング3位を記録し、飛躍の年となった。
世界ランキング1位へ
平成22〜
米ツアー開幕から2週連続優勝
開幕戦ホンダLPGA(タイ)で最終日6打差を逆転優勝すると、第2戦のHSBC女子チャンピオンズ(シンガポール)でも優勝。1966年のマリリン・スミス以来44年ぶり、日本人として史上初の開幕から2週連続優勝を達成した。
— 岡本綾子の記録に並び、世界ランキング日本人初の1位に
ショップライト・クラシックで米国本土初優勝を果たし、1987年に岡本綾子が記録した日本人最多のシーズン4勝に並んだ。翌21日付で世界ランキング1位に到達し、日本人として初めて世界ランキング1位に立った。
セーフウェークラシック優勝で日本人単独最多勝記録を樹立
セーフウェー・クラシックで優勝し、日本人最多となるシーズン5勝目、米ツアー通算6勝目を挙げた。この年は岡本綾子の記録を更新するシーズンとなった。
LPGAロッテ選手権など2勝を挙げるも、この年を最後に優勝から遠ざかる
LPGAロッテ選手権とウォルマートNWアーカンソー選手権で優勝しシーズン2勝。これが現役生活における最後の優勝となり、以降はモチベーションの維持に苦しむ長いスランプに入っていく。
スランプと引退
平成25〜
— 涙の引退会見、現役生活に幕
都内で記者会見を開き、現役引退を正式表明。「モチベーションを維持していくことが、どんどん難しくなっていった」と涙ながらに理由を語り、高校生プロから14年間のキャリアに幕を下ろした。
引退後、次世代育成へ
平成30〜
自身の誕生日に入籍
マネジャーを務める座親匠氏と、33歳の誕生日である6月19日に入籍。6月21日、そのことを発表した。
自身主催のジュニアゴルフ大会をスタート
女子ジュニアゴルファーを対象にした招待大会を初開催。
第一子を出産
同年に妊娠を発表し、12月に第一子を出産。母としての新しい生活が始まった。
「宮里藍インビテーショナル」を沖縄で初開催
自身が主催するジュニアゴルフ大会・宮里藍インビテーショナルSUNTORYの第5回大会を、携わりたいと考えていた沖縄で初めて開催。「私の経験を生かし、選手としてだけでなく人間性の成長の助けにもなれば」と大会への思いを語った。
「宮里藍サントリーレディスオープン」終了後の会見で近況を語る
大会アンバサダーを務める「宮里藍サントリーレディスオープン」終了後の会見で、育児との両立について「娘の人生軸、私の人生軸などを考えると、今はまだこれぐらいが精いっぱいですね」と語った。
第6回「宮里藍インビテーショナル」を開催、ジュニア育成を継続
自身が主催するジュニアゴルフ大会「宮里藍インビテーショナル」の第6回大会を開催し、育成活動を続けている。