生い立ちとアマチュア時代
平成12〜
石川県河北郡津幡町に生まれる
本名は中村泰輝。当初は「大輝」と名付ける予定だったが、画数の関係で「泰輝」となったという。
小学1年で津幡町少年相撲教室に入り、相撲を始める
地元で相撲に親しみながら育つ。小学6年のわんぱく相撲全国大会では、のちに柔道でオリンピックのメダリストとなる村尾三四郎と対戦したこともあった。
新潟・能生中学校へ相撲留学(推定)
相撲どころの石川を離れての留学に、周囲からは心ない言葉も浴びせられた。のちに新潟県立海洋高校へ進む。
— 日本体育大学1年で「学生横綱」に
10月の国民体育大会青年の部個人戦で優勝し、11月の全国学生相撲選手権でも頂点に立ち学生横綱となる。大学屈指の実力者として頭角を現した。
世間学生横綱として全国に名が知られていく。
全日本相撲選手権で優勝し「アマチュア横綱」に
アマチュア最高峰のタイトルを獲得。翌2022年はワールドゲームズでも金メダルを得て、全日本相撲選手権も連覇し、幕下付け出しの資格を手にした。のちに相撲部の友人に、中学転校時の日々を振り返って打ち明けたという。
本人オレたち親子は、本当につらかった――友人に涙ながらそう打ち明けたという。
初土俵から大関へ ―― 史上最速の出世
令和5〜
— 二所ノ関部屋に入門、幕下10枚目格付け出しで初土俵
師匠は元横綱・稀勢の里。3月30日の日本相撲協会理事会で幕下10枚目格付け出しでの入門が承認され、豊富なアマ実績が認められて幕下上位からのスタートとなった。5月場所で初土俵を踏み、わずか2場所で十両昇進を決める。
新十両に昇進
新十両の場所で初日から9連勝を記録するなど、関取として鮮烈な滑り出しを見せた。
新入幕
入幕の場所では12日目に横綱・照ノ富士と対戦するなど注目を集め、以後も三賞の常連となっていく。
— 新小結で幕内初優勝
千秋楽に12勝目を挙げて初の賜杯を抱く。初土俵から7場所目での優勝は、幕下付け出し力士として史上最速だった。
新関脇に昇進
三役で安定した相撲を見せ、新入幕から続く連続三賞受賞の記録も伸ばしていった。
2度目の優勝、大関昇進が確実に
千秋楽を待たず14日目に13勝1敗で優勝を決め、昭和以降最速となる初土俵から9場所での大関昇進を確実にした。千秋楽は阿炎に敗れ、最終成績は13勝2敗で2場所ぶり2度目の優勝。
大関に昇進
9月25日の伝達式では「大関の地位を汚さぬよう、唯一無二の力士を目指し、相撲道に精進します」と口上を述べた。11月場所、出世の早さに髪が追いつかず、大銀杏を結えない“ちょんまげ大関”として初めて大関の土俵に上がった。
第75代横綱へ
令和7〜
初めて大銀杏を結って土俵へ
優勝額の贈呈式で初めて大銀杏姿を披露。場所は10勝5敗で、優勝争いには届かなかった。
髙安との決定戦を制し3度目の優勝
千秋楽の優勝決定戦を勝ち抜き、師匠・二所ノ関(稀勢の里)の幕内優勝回数を超える3度目の賜杯。横綱昇進への期待が一気に高まった。
— 第75代横綱に昇進
夏場所でも優勝を果たし、5月28日に横綱昇進が決定。初土俵から13場所での昇進は、昭和以降では羽黒山・照國の16場所を上回り最速、年6場所制以降では輪島の21場所を上回り史上最速。石川県出身の横綱は1973年の輪島以来52年ぶりだった。
世間石川知事も『郷土の誇りだ』と祝福した。
新横綱として土俵に立つ
豊昇龍に続く昇進で、2人同時の横綱誕生は1987年以来38年ぶり。番付の「横綱」の文字を見て、ようやく実感が湧いたという。
秋場所で優勝、年間最多勝を確定
この年3度目の優勝を飾り、9月27日には年間最多勝を確定。横綱として名実ともに角界の主役となった。後日12月26日には報知年間最優秀力士賞にも初選出された。
横綱としての試練
令和7〜
九州場所の千秋楽を休場、左肩を負傷
左肩鎖関節脱臼により千秋楽を休場。これ以降、左肩のけがが長く尾を引くことになる。
初場所はフル出場し10勝5敗
横綱として土俵を務めるも、本来の相撲には今ひとつ届かず、左肩の状態への不安を残した。
春場所、3連敗のすえ途中休場
初日から自己ワーストの3連敗。左肩関節脱臼で安静加療を要するとの診断書を提出し、4日目から休場した。
夏場所を初日から休場、自身初の2場所連続休場
左肩のけがが癒えず、初日から休場。横綱としての連続休場は重く受け止められた。
名古屋場所での再起を目指す
左肩の治療と稽古を重ね、7月の名古屋場所での復帰に向けて調整を続けている。横綱としての真価が問われる正念場を迎えている。
本人強い姿を見せるためにもしっかり稽古して、土俵に戻れるようにやっていく。
名古屋場所を9勝6敗で終える、優勝は逃す
左肩のけがから復帰した名古屋場所は、千秋楽に琴勝峰を押し倒しで下し9勝6敗で終了。横綱として二桁勝利には届かず、優勝は安青錦・霧島・熱海富士の三つ巴決定戦を制した安青錦(12勝3敗、3度目の賜杯)に譲った。八角理事長からは「横綱という意識を捨て、毎日泥だらけにならないと復活できない」と苦言を呈され、場所後は高安との厳しいぶつかり稽古を厳命された。
本人負けは負け。ちょっとしたところでああなった。内容は悪くなかった。