富山の少年、バスケの道へ
平成10〜
富山市に生まれる
ベナン人の父と日本人の母の長男として誕生。幼少期は陸上の短距離と野球に打ち込み、100m走では全国大会に出場した。野球ではイチローに憧れ投手・捕手を兼任したが、成長痛による膝の痛みで野球から離れた。
中学でバスケを始め、全国大会準優勝
同級生に勧められ富山市立奥田中学校でバスケットボールを始める。全国中学校バスケットボール大会で準優勝し、大会ベスト5に選出された。2学年上には後にプロ選手となる馬場雄大、同学年には笹倉怜寿がいた。
明成高等学校(宮城)へ進学
バスケの強豪・明成高等学校に進学。1年生から主力としてチームを牽引していく。
— 高校三冠を達成、U-17世界選手権で得点王
在学中にウインターカップ3連覇(2013〜2015年)、全国高校選抜優勝大会2連覇、2015年夏のインターハイ初優勝と高校三冠を成し遂げた。ウインターカップ2015決勝では34得点19リバウンドを記録。高校2年時のU-17世界選手権では、チームは16チーム中14位に終わったが自身は1試合平均22.6得点で大会得点王に輝き、翌春にはジョーダン・ブランド・クラシックに日本人として初めて選出された。
世間16歳、世界の強豪相手に得点王——将来のNBA挑戦を予感させる活躍だった。
渡米、ゴンザガでの飛躍
平成28〜
ゴンザガ大学でNCAAデビュー
単身渡米しゴンザガ大学に進学。11月5日のNCAAデビュー戦で11分出場、9得点、3リバウンドを記録した。チームはこの年NCAAトーナメントで準優勝し、八村自身も日本生まれの男性として初めてNCAAトーナメントで3ポイントシュートを成功させた。
2年目はスウィート16まで進出
2017-18シーズンは37試合に出場し11.6得点、4.7リバウンドを記録。NCAAトーナメントは2年連続出場も、3月22日にフロリダ州立大学に敗れスウィート16で終えた。
3年目に大学屈指の選手へ、NBAドラフトへエントリー表明
3年目のシーズンは大学トップクラスの成績を残しオールアメリカンに選出。4月15日にNBAドラフトへのエントリーを表明した。
NBAデビュー、日本人開拓者の道
令和1〜
— NBAドラフト1巡目9位でウィザーズから指名、日本人史上初
6月20日、ワシントン・ウィザーズから1巡目9位指名を受けた。日本人選手のNBAドラフト1巡目指名は史上初の快挙。背番号は8。2日後には日本人として初めてナイキのジョーダン・ブランドと契約したことが発表された。
本人「皆さんやりました。NBAです」
FIBAワールドカップ2019、日本代表として出場
ドラフト直後に日本代表へ選出。強化試合ではドイツに逆転勝利しチーム最多31得点。本大会は1試合平均13.3得点、5.7リバウンドを記録したが、膝の不安のため大会途中で日本チームを離脱した。
NBAデビュー戦でダブルダブル
10月23日の開幕戦ダラス・マーベリックス戦にスターターとして出場し、14得点10リバウンドのダブルダブルを記録。翌シーズン、NBAオールルーキーセカンドチームに選出された。
— 東京五輪開会式で旗手を務める
地元開催となる東京オリンピック日本代表に選出され、開会式では日本選手団の旗手を務めた。予選リーグは1試合平均22.3得点、6.7リバウンドを記録し、スロベニア戦では両チーム最多となる34得点を挙げた。
出遅れを経てシーズン復帰、3P成功率が向上
2021-22シーズンは調整の遅れとオミクロン株感染拡大の影響でシーズン初出場が2022年にずれ込んだが、1月9日のオーランド・マジック戦で復帰。以降ほぼ全試合に出場し、3ポイント成功率44.7%まで向上させた。
ウィザーズ最終シーズン
契約延長には至らずシーズン終了後の制限付きFAが決まる中、30試合に出場し13.0得点、4.3リバウンドを記録した。
レイカーズ、背番号28の主力へ
令和5〜
— ロサンゼルス・レイカーズへトレード
1月23日、ケンドリック・ナンとドラフト2巡目指名権3つとのトレードでレイカーズへ移籍。ウィザーズ時代の背番号8は永久欠番だったコービー・ブライアントに由来するため、新たな背番号は自身の誕生日(2月8日)とコービー親子の背番号(2と8)にちなみ28を選んだ。プレーオフ第1戦ではベンチ出場からチーム最多29得点を記録し、レイカーズのベンチ選手として1996年のマジック・ジョンソン以来の活躍となった。夏には3年総額5100万ドルで契約を延長した。
地元開催のFIBAワールドカップ、代表入りを辞退
日本でも開催されたFIBAバスケットボールワールドカップ2023への代表入りが期待されたが、NBAでの契約状況やコンディション等を総合的に勘案し辞退した。
— キャリアハイ36得点、通算3000得点も達成
1月29日のヒューストン・ロケッツ戦でアジア選手として2人目となるNBA通算3000得点を達成。2月14日のユタ・ジャズ戦では3ポイント6本を含むキャリアハイ36得点をマークし、この試合ではアンソニー・デイビスも37得点と活躍、シャキール・オニールとコービー・ブライアント以来となる同一試合35得点超えのペアとなった。シーズンを通じて68試合出場、13.6得点を記録し自己最高のシューティング効率を残した。
パリ五輪、日本唯一のNBA選手として出場
パリオリンピック日本代表に選出され、大会には日本唯一のNBA選手として臨んだ。ドイツ戦はチームトップの20得点10リバウンド、フランス戦は24得点と好調も2つの反則で退場となり、延長の末チームは敗れた。
日本代表のあり方について率直な発言、国内で賛否
グリズリーズ戦後の記者会見で日本代表について問われ、JBAの運営姿勢や練習環境への率直な不満を口にし、国内で大きな賛否を呼んだ。
先発定着、レイカーズでの安定した1年
2024-25シーズンは59試合中57試合に先発出場、平均31.7分とキャリア最長のプレータイムを与えられ、13.1得点、5.0リバウンド、スティール0.8とキャリアを通じて最も安定した成績を残した。
クリッパーズ、3球団目の挑戦
令和8〜
— ロサンゼルス・クリッパーズへ移籍
レイカーズを離れフリーエージェントとなり、複数球団からのオファーを受けつつロサンゼルス残留を望んでクリッパーズと2年総額2800万ドルで契約合意。ウィザーズ、レイカーズに続くNBAキャリア3球団目での挑戦が始まった。2025-26シーズンはレイカーズで68試合に出場し平均11.5得点、プレーオフでは3ポイント成功率56.9%を記録していた。