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はちむら るい
日本人史上初のNBAドラフト1巡目指名から、東京五輪の旗手を経て、いまも3球団目でフォワード。
平成10年生まれ ・ 富山出身 ・ 1998– ・ 満28歳
所属ロサンゼルス・クリッパーズ / ポジションPF / SF / 身長203cm / 学歴明成高等学校(宮城)→ゴンザガ大学 / 主要所属チームワシントン・ウィザーズ→ロサンゼルス・レイカーズ→ロサンゼルス・クリッパーズ
8月6日の記者会見で「僕がずっと言っている“黄金時代”、今僕らがやらないと日本のバスケは良くなっていかないと思うので、僕も責任を感じて、これからの大会に臨んでいきたいと思います」と代表活動への決意を語り、パリ2024オリンピック以来約2年ぶりに男子日本代表へ復帰した。FIBAワールドカップ2027アジア地区予選Window4では、8月28日のサウジアラビア戦(106-78で勝利)に3ポイント3本を含むフィールドゴール13本中11本成功、フリースロー4本全成功で29得点、31日のカタール戦(123-70で勝利)に3ポイント8本中6本成功で30得点を挙げ、連勝に貢献した。
平成10〜
ベナン人の父と日本人の母の長男として誕生。幼少期は陸上の短距離と野球に打ち込み、100m走では全国大会に出場した。野球ではイチローに憧れ投手・捕手を兼任したが、成長痛による膝の痛みで野球から離れた。
同級生に勧められ富山市立奥田中学校でバスケットボールを始める。全国中学校バスケットボール大会で準優勝し、大会ベスト5に選出された。2学年上には後にプロ選手となる馬場雄大、同学年には笹倉怜寿がいた。
在学中にウインターカップ(全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会)3連覇(2013〜2015年)、2015年夏のインターハイ初優勝を成し遂げた(同年の国体は決勝で土浦日大に敗れ、三冠は逃した)。ウインターカップ2015決勝では34得点19リバウンドを記録。高校2年時のU-17世界選手権では、チームは16チーム中14位に終わったが自身は1試合平均22.6得点で大会得点王に輝き、翌春にはジョーダン・ブランド・クラシックに日本人として初めて選出された。
世間16歳、世界の強豪相手に得点王。
平成28〜
単身渡米しゴンザガ大学に進学。11月5日のNCAAデビュー戦で11分出場、9得点、3リバウンドを記録した。チームはこの年NCAAトーナメントで準優勝し、八村自身も日本生まれの男性として初めてNCAAトーナメントで3ポイントシュートを成功させた。
2017-18シーズンは37試合に出場し11.6得点、4.7リバウンドを記録。NCAAトーナメントは2年連続出場も、3月22日にフロリダ州立大学に敗れスウィート16で終えた。
3年目のシーズンは大学トップクラスの成績を残しオールアメリカンに選出。4月15日にNBAドラフトへのエントリーを表明した。
令和元〜
6月20日、ワシントン・ウィザーズから1巡目9位指名を受けた。日本人選手のNBAドラフト1巡目指名は史上初の快挙。背番号は8。2日後には日本人として初めてナイキのジョーダン・ブランドと契約したことが発表された。
本人「皆さんやりました。NBAです」 出典
ドラフト直後に日本代表へ選出。強化試合ではドイツに逆転勝利しチーム最多31得点。本大会は1試合平均13.3得点、5.7リバウンドを記録したが、膝の不安のため大会途中で日本チームを離脱した。
10月23日の開幕戦ダラス・マーベリックス戦にスターターとして出場し、14得点10リバウンドのダブルダブルを記録。同シーズン終了後、NBAオールルーキーセカンドチームに選出された。
地元開催となる東京オリンピック日本代表に選出され、開会式では日本選手団の旗手を務めた。予選リーグは1試合平均22.3得点、6.7リバウンドを記録し、スロベニア戦では両チーム最多となる34得点を挙げた。
2021-22シーズンは調整の遅れとオミクロン株感染拡大の影響でシーズン初出場が2022年にずれ込んだが、1月9日のオーランド・マジック戦で復帰。以降ほぼ全試合に出場し、3ポイント成功率44.7%まで向上させた。
令和5〜
1月23日、ケンドリック・ナンとドラフト2巡目指名権3つとのトレードでレイカーズへ移籍。ウィザーズ時代の背番号8は永久欠番だったコービー・ブライアントに由来するため、新たな背番号は自身の誕生日(2月8日)とコービー親子の背番号(2と8)にちなみ28を選んだ。プレーオフ第1戦ではベンチ出場からチーム最多29得点を記録し、レイカーズのベンチ選手として1996年のマジック・ジョンソン以来の活躍となった。夏には3年総額5100万ドルで契約を延長した。
日本でも開催されたFIBAバスケットボールワールドカップ2023への代表入りが期待されたが、NBAでの契約状況やコンディション等を総合的に勘案し辞退した。
1月29日のヒューストン・ロケッツ戦でアジア選手として2人目となるNBA通算3000得点を達成。2月14日のユタ・ジャズ戦では3ポイント6本を含むキャリアハイ36得点をマークした。この試合ではアンソニー・デイビスも37得点と活躍し、レイカーズの2選手が同一試合で35得点以上を挙げたのは2003年のシャキール・オニールとコービー・ブライアント以来となった。シーズンを通じて68試合出場、13.6得点を記録した。
パリオリンピック日本代表に選出され、大会には日本唯一のNBA選手として臨んだ。ドイツ戦はチームトップの20得点10リバウンド、フランス戦は24得点と好調も2つの反則で退場となり、延長の末チームは敗れた。
グリズリーズ戦後の記者会見で日本代表について問われ、JBAの運営姿勢や練習環境への率直な不満を口にし、国内で大きな賛否を呼んだ。
2024-25シーズンは59試合中57試合に先発出場、平均31.7分、13.1得点、5.0リバウンド、スティール0.8を記録した。
令和8〜
レイカーズを離れフリーエージェントとなり、クリッパーズと2年総額2800万ドルで契約合意。ウィザーズ、レイカーズに続くNBAキャリア3球団目での挑戦が始まった。2025-26シーズンはレイカーズで68試合に出場し平均11.5得点、プレーオフでは3ポイント成功率56.9%を記録していた。
8月6日の記者会見で「僕がずっと言っている“黄金時代”、今僕らがやらないと日本のバスケは良くなっていかないと思うので、僕も責任を感じて、これからの大会に臨んでいきたいと思います」と代表活動への決意を語り、パリ2024オリンピック以来約2年ぶりに男子日本代表へ復帰した。FIBAワールドカップ2027アジア地区予選Window4では、8月28日のサウジアラビア戦(106-78で勝利)に3ポイント3本を含むフィールドゴール13本中11本成功、フリースロー4本全成功で29得点、31日のカタール戦(123-70で勝利)に3ポイント8本中6本成功で30得点を挙げ、連勝に貢献した。
本人「日本で今一番のコーチが集まっていると思うので、そういう中でやっぱり僕がずっと言っている“黄金時代”、今僕らがやらないと日本のバスケは良くなっていかないと思うので、僕も責任を感じて、これからの大会に臨んでいきたいと思います」 出典