★ STAR TIMELINE

はちむら るい

八村 塁

日本人史上初のNBAドラフト1巡目指名から、東京五輪の旗手を経て、いまも3球団目で先発を張り続ける万能フォワード。

平成10年 富山生まれ ・ 1998–

所属ロサンゼルス・クリッパーズ ・ ポジションPF / SF ・ 身長203cm ・ 学歴明成高等学校(宮城)→ゴンザガ大学

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2026(令和8)

ロサンゼルス・クリッパーズへ移籍

レイカーズを離れフリーエージェントとなり、複数球団からのオファーを受けつつロサンゼルス残留を望んでクリッパーズと2年総額2800万ドルで契約合意。ウィザーズ、レイカーズに続くNBAキャリア3球団目での挑戦が始まった。2025-26シーズンはレイカーズで68試合に出場し平均11.5得点、プレーオフでは3ポイント成功率56.9%を記録していた。

1998(平成10) 富山市に生まれる2012(平成24) 中学でバスケを始め、全国大会準優勝2013(平成25) 明成高等学校(宮城)へ進学明成高校へ2015(平成27) 高校三冠を達成、U-17世界選手権で得点王2016(平成28) ゴンザガ大学でNCAAデビュー渡米・ゴンザガへ2018(平成30) 2年目はスウィート16まで進出2019(令和1) 3年目に大学屈指の選手へ、NBAドラフトへエントリー表明2019(令和1) NBAドラフト1巡目9位でウィザーズから指名、日本人史上初1巡目指名2019(令和1) FIBAワールドカップ2019、日本代表として出場2019(令和1) NBAデビュー戦でダブルダブル2021(令和3) 東京五輪開会式で旗手を務める五輪旗手2022(令和4) 出遅れを経てシーズン復帰、3P成功率が向上2022(令和4) ウィザーズ最終シーズン2023(令和5) ロサンゼルス・レイカーズへトレードトレード2023(令和5) 地元開催のFIBAワールドカップ、代表入りを辞退2024(令和6) キャリアハイ36得点、通算3000得点も達成2024(令和6) パリ五輪、日本唯一のNBA選手として出場パリ五輪2024(令和6) 日本代表のあり方について率直な発言、国内で賛否2025(令和7) 先発定着、レイカーズでの安定した1年2026(令和8) ロサンゼルス・クリッパーズへ移籍クリッパーズ移籍平成令和
誕生 1998現在
富山市でベナン人の父と日本人の母のもとに生まれ、中学でバスケットボールと出会う。宮城・明成高校で高校三冠を成し遂げると単身アメリカへ渡り、ゴンザガ大学を経て2019年、日本人史上初のNBAドラフト1巡目指名を受けた。東京五輪では開会式の旗手を務め、ワシントン・ウィザーズ、ロサンゼルス・レイカーズと渡り歩きながらキャリアハイを更新し続け、2026年にはロサンゼルス・クリッパーズへ。3球団目でも先発を張る、日本バスケ界の開拓者である。

歩み

富山の少年、バスケの道へ

平成10〜

平成
1998平成102月
満0歳

富山市に生まれる

ベナン人の父と日本人の母の長男として誕生。幼少期は陸上の短距離と野球に打ち込み、100m走では全国大会に出場した。野球ではイチローに憧れ投手・捕手を兼任したが、成長痛による膝の痛みで野球から離れた。

2012平成24
満14歳

中学でバスケを始め、全国大会準優勝

同級生に勧められ富山市立奥田中学校でバスケットボールを始める。全国中学校バスケットボール大会で準優勝し、大会ベスト5に選出された。2学年上には後にプロ選手となる馬場雄大、同学年には笹倉怜寿がいた。

2013平成254月
満15歳

明成高等学校(宮城)へ進学

バスケの強豪・明成高等学校に進学。1年生から主力としてチームを牽引していく。

2015平成2712月
満17歳高校三冠

— 高校三冠を達成、U-17世界選手権で得点王

在学中にウインターカップ3連覇(2013〜2015年)、全国高校選抜優勝大会2連覇、2015年夏のインターハイ初優勝と高校三冠を成し遂げた。ウインターカップ2015決勝では34得点19リバウンドを記録。高校2年時のU-17世界選手権では、チームは16チーム中14位に終わったが自身は1試合平均22.6得点で大会得点王に輝き、翌春にはジョーダン・ブランド・クラシックに日本人として初めて選出された。

世間16歳、世界の強豪相手に得点王——将来のNBA挑戦を予感させる活躍だった。

渡米、ゴンザガでの飛躍

平成28〜

2016平成2811月
満18歳

ゴンザガ大学でNCAAデビュー

単身渡米しゴンザガ大学に進学。11月5日のNCAAデビュー戦で11分出場、9得点、3リバウンドを記録した。チームはこの年NCAAトーナメントで準優勝し、八村自身も日本生まれの男性として初めてNCAAトーナメントで3ポイントシュートを成功させた。

2018平成303月
満20歳

2年目はスウィート16まで進出

2017-18シーズンは37試合に出場し11.6得点、4.7リバウンドを記録。NCAAトーナメントは2年連続出場も、3月22日にフロリダ州立大学に敗れスウィート16で終えた。

令和 2019
2019令和14月
満21歳

3年目に大学屈指の選手へ、NBAドラフトへエントリー表明

3年目のシーズンは大学トップクラスの成績を残しオールアメリカンに選出。4月15日にNBAドラフトへのエントリーを表明した。

NBAデビュー、日本人開拓者の道

令和1〜

2019令和16月
満21歳1巡目指名

— NBAドラフト1巡目9位でウィザーズから指名、日本人史上初

6月20日、ワシントン・ウィザーズから1巡目9位指名を受けた。日本人選手のNBAドラフト1巡目指名は史上初の快挙。背番号は8。2日後には日本人として初めてナイキのジョーダン・ブランドと契約したことが発表された。

本人「皆さんやりました。NBAです」

2019令和17月
満21歳

FIBAワールドカップ2019、日本代表として出場

ドラフト直後に日本代表へ選出。強化試合ではドイツに逆転勝利しチーム最多31得点。本大会は1試合平均13.3得点、5.7リバウンドを記録したが、膝の不安のため大会途中で日本チームを離脱した。

2019令和110月
満21歳

NBAデビュー戦でダブルダブル

10月23日の開幕戦ダラス・マーベリックス戦にスターターとして出場し、14得点10リバウンドのダブルダブルを記録。翌シーズン、NBAオールルーキーセカンドチームに選出された。

2021令和37月
満23歳東京五輪旗手

— 東京五輪開会式で旗手を務める

地元開催となる東京オリンピック日本代表に選出され、開会式では日本選手団の旗手を務めた。予選リーグは1試合平均22.3得点、6.7リバウンドを記録し、スロベニア戦では両チーム最多となる34得点を挙げた。

2022令和41月
満23歳

出遅れを経てシーズン復帰、3P成功率が向上

2021-22シーズンは調整の遅れとオミクロン株感染拡大の影響でシーズン初出場が2022年にずれ込んだが、1月9日のオーランド・マジック戦で復帰。以降ほぼ全試合に出場し、3ポイント成功率44.7%まで向上させた。

2022令和4
満24歳

ウィザーズ最終シーズン

契約延長には至らずシーズン終了後の制限付きFAが決まる中、30試合に出場し13.0得点、4.3リバウンドを記録した。

レイカーズ、背番号28の主力へ

令和5〜

2023令和51月
満24歳トレード

— ロサンゼルス・レイカーズへトレード

1月23日、ケンドリック・ナンとドラフト2巡目指名権3つとのトレードでレイカーズへ移籍。ウィザーズ時代の背番号8は永久欠番だったコービー・ブライアントに由来するため、新たな背番号は自身の誕生日(2月8日)とコービー親子の背番号(2と8)にちなみ28を選んだ。プレーオフ第1戦ではベンチ出場からチーム最多29得点を記録し、レイカーズのベンチ選手として1996年のマジック・ジョンソン以来の活躍となった。夏には3年総額5100万ドルで契約を延長した。

2023令和58月
満25歳

地元開催のFIBAワールドカップ、代表入りを辞退

日本でも開催されたFIBAバスケットボールワールドカップ2023への代表入りが期待されたが、NBAでの契約状況やコンディション等を総合的に勘案し辞退した。

2024令和62月
満26歳キャリアハイ

— キャリアハイ36得点、通算3000得点も達成

1月29日のヒューストン・ロケッツ戦でアジア選手として2人目となるNBA通算3000得点を達成。2月14日のユタ・ジャズ戦では3ポイント6本を含むキャリアハイ36得点をマークし、この試合ではアンソニー・デイビスも37得点と活躍、シャキール・オニールとコービー・ブライアント以来となる同一試合35得点超えのペアとなった。シーズンを通じて68試合出場、13.6得点を記録し自己最高のシューティング効率を残した。

2024令和68月
満26歳

パリ五輪、日本唯一のNBA選手として出場

パリオリンピック日本代表に選出され、大会には日本唯一のNBA選手として臨んだ。ドイツ戦はチームトップの20得点10リバウンド、フランス戦は24得点と好調も2つの反則で退場となり、延長の末チームは敗れた。

2024令和611月
満26歳

日本代表のあり方について率直な発言、国内で賛否

グリズリーズ戦後の記者会見で日本代表について問われ、JBAの運営姿勢や練習環境への率直な不満を口にし、国内で大きな賛否を呼んだ。

2025令和7
満27歳

先発定着、レイカーズでの安定した1年

2024-25シーズンは59試合中57試合に先発出場、平均31.7分とキャリア最長のプレータイムを与えられ、13.1得点、5.0リバウンド、スティール0.8とキャリアを通じて最も安定した成績を残した。

クリッパーズ、3球団目の挑戦

令和8〜

2026令和87月
満28歳現在

— ロサンゼルス・クリッパーズへ移籍

レイカーズを離れフリーエージェントとなり、複数球団からのオファーを受けつつロサンゼルス残留を望んでクリッパーズと2年総額2800万ドルで契約合意。ウィザーズ、レイカーズに続くNBAキャリア3球団目での挑戦が始まった。2025-26シーズンはレイカーズで68試合に出場し平均11.5得点、プレーオフでは3ポイント成功率56.9%を記録していた。